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短編

 司書はなにかと島崎藤村を頼った。比較的早めに来た上に、その時は武器が弓の文豪が徳田秋声しかいなかったものだから、複数の弓を必要とする場面で頼られるのは至極当然でもあった。第一会派に編成されるまでになるのも納得の結果である。
 今でも島崎藤村は第一会派に編成されており、練度が高いことも相まって出撃回数も上位に食い込んでいた。
 
 左手の中指に嵌まった指環を眺めながら、島崎藤村は考えた。自らが司書に抱いているのは果たして何なのだろうか。向こうからの信頼に応えているのだから、信頼だと思うのが当然ではあるが、果たしてそれで片付くのか。
 もしも、現在の自分の場所に誰かが代わりに入ったら。きっとそれは許せない。司書の一番の信頼は自分が得ていなくてはならない。それは何故?これまでずっとそうだったから?いや、これまでずっとそうだったから、これからもそうである必要はない。移り変わるものを嫌うだなんて、そんなものは執着だ。
 執着、ということに思い至った時すとん、と島崎藤村は自らの思考が腑に落ちた。なるほど、もしかしたら自分は自分が考えていたより司書から貰う信頼に執着していたのか。
 
 酷い顔をした司書と島崎藤村が図書館の片隅で出会ったのは、彼が転生してからしばらくした頃だった。ふらふらと、普段利用者があまり近寄ることのない棚のほうに向かう司書の姿をみとめ、どうにもその様子が露骨なほどにいつもと違っていたから好奇心から付いていったところ、どうにも泣いているようだった。
 島崎藤村は人を慰めるとか、そういう類いの事柄がとんと苦手であった。苦手、というよりも、強すぎる好奇心故に「慰める」ではなく彼お得意の「取材」に方向がいつの間にか変わってしまい、結果として地雷を踏み抜いてしまう。その自覚はあるものだから、この時もどうしたものか悩んだが、結局その研究者気質と強すぎる好奇心はちょっとやそっとじゃ引っ込んでくれるはずもなかった。
「ねえ」
「わ!!?」
 当然ながら誰かに声をかけられるのを想定していなかったであろう司書は、島崎藤村が肩を叩くと大袈裟なほどの反応を見せた。おそらく司書本人が思っていたより大声が出たのであろう、ここがどこであるか思いだし、咄嗟に口元を抑える姿はなんだか面白く感じた。
「単刀直入に聞くけど。君が泣いている理由って一体何?」
 途端、司書は目線を泳がせた。あー、などの言葉になりきらない言葉が辺りを漂う。言葉が明確な形になるまで島崎藤村はてこでも動くつもりはなかったし、まだ短い付き合いとはいえ司書のほうも彼のそういった性質をある程度は理解していたから、どうにかこうにか言葉を紡ぎ出すことに尽力していた。というより、胸のうちでは言葉は既に形を成していたけれど、それを音声で発することになにかしら抵抗があるように島崎藤村には見えていたが、やがて観念したように司書は笑った。
「その、本人に言うのは結構恥ずかしいというか、なんというか。上手く言えないんですけど、島崎先生の過去……いや前世?生前?について、酷いこと言ってる利用者がいて。がつんと言ってやれれば良かったんですけど、それはさすがに公私混同かなと思って堪えてたら、後々になってじわじわ来てしまって」
「僕の?」
「……先生の著作すら読まないで言ってるみたいで、そこがどうにも悔しくて」
 島崎藤村自身、別段どう思うこともない。変な話ではあるが、ああ自分にはそういうことがあったのか、くらいの感覚であり、若干他人事の節がないわけでもない。
「ひとつ聞きたいんだけど」
「はい?」
「君って別に、僕のファンだとか、そういうわけではなかったよね?」
「まあ……非常に申し訳ないですけれど、先生がこの図書館に転生されるまであまり読もうって気はしませんでしたね。『初恋』を辛うじて元から知っていたくらいで」
「だろうね」
 島崎藤村の著作は詩ならともかく、小説は長い上に内容がとても気軽に読めるようなものではない。特に、「長い」ということはそれだけで読む気を削がれる人もいるし、なによりそのぶんの時間を必要とする。
 それでも司書は読破しようと業務の合間をぬって読んでくれていたし、作品と真摯に向き合おうとする姿勢について島崎藤村は好感を持っていた。
「ファンでもないのに、僕が色々と言われた事とかに関して「悔しい」と思うものなのかな」
「うーん?……多分、正当に評価されないのが嫌なんだと思います」
「正当な評価というと?」
「著作を読んだ上で、その著作について貶されてたら悔しい気持ちにはならなかった気がします」
 好き嫌いのない人間なんて恐ろしいですし。涙の跡が残る顔で司書は笑う。
 この一件はおそらく、島崎藤村が初めて明確に、面と向かって得た司書からの信頼であり、転じて執着の始まりとも言えた。
 
 左手の中指に嵌まった指環の感覚は気持ちが良かった。
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