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短編

 たとえば同じ人であろうとも、寄ってきてほしい時とまったく寄ってほしくない時というものがあって、芥川龍之介はまったく寄ってほしくない時に寄ってくる天才であった。
 はっきり言おう、私は芥川龍之介という存在が苦手である。
 
「おや、僕の作品だ」
 ふふ、と煙草の匂いを漂わせて笑う男は、例えるのなら龍ではなくて蛇のほうがお似合いだろう、と漠然と思った。頭からまるごと呑み込まれそうな感覚。幼少の時分に読んだ『星の王子さま』の、象をまるごと呑み込んだうわばみの挿絵を思い出した。あの挿絵ではないけれど、こいつに呑み込まれたらそのまま自分の自我は消化されて、彼なしでは生きられぬようになってしまうのではないか。
 蛇でないのなら、うつくしいかんばせの、男の姿をした化物か何かだと思ったこともあって、それを素直に菊池先生へ伝えれば、何を言っているんだお前はとでも言いたげな表情を一瞬したものの、言わんとするところは伝わったのかすぐに合点のいったような顔になり「まあ、それでもあいつは人間だよ」と言われたことがあった。そんなこと、当然わかっている。
「先生方の著作を読んで理解を深めるのも、仕事のうちですから」
「ふぅん、仕事熱心だね」
 本当にそう思っているかはわからない。わからないが、笑顔を向けてくる。化物みたいに綺麗な、作り物めいたその笑顔が私には恐ろしかった。そう、恐怖。それは、得体の知れない物へ対する恐怖とよく似ていた。かと言って知ろうとすれば知ろうとするほど深みに嵌まっていって後戻りができなくなる。絶対に手を伸ばしてはいけない人種だ、と本能で察知したからこそ私は伸ばしかけた手を引っ込めることに辛うじて成功している。
 私は、彼が恐れる純粋さやら無垢さやらとは生憎と縁遠い人であるから、むしろうっかり呑まれたりしそうな人であるから、呑まれないようにするだけで精一杯なのだ。
 
「だってきみ、僕のこと苦手だろう?作品も、僕本人も」
 だからそう言われた時、頭をがつん、と強く殴られたような感覚になった。もちろん本当に殴られたわけではなく、あくまでそんな感覚になった、というだけである。
 人には好き嫌いが存在して当然なのだから、先生は何もおかしなことは言っていない。それを本人に指摘されただけでこんなに挙動不審になる私の方がおかしいのだろう。
「い、いいえ、別に、そんなことは」
 図星を突かれて咄嗟に出るのが貼り付けたような嘘だというのは我ながら笑ってしまうが、しかし先生もそこを追求するでもなく「ふぅん、そう」とまたあの蛇のような笑みを浮かべて引き下がっていく。そこを追求さえしてくれれば、お前が勝手に私を泥沼へ落としたんだとみっともなく喚くことだって出来たのに、彼はそれを許さない。あくまで追い込むだけで、私が一人で勝手に落ちてくるのを待つだけ。酷い男だ。
 そんな酷い男の元に、誰が落ちてなんかやるもんか。
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