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短編

 富士には月見草がよく似合う、と言ったのは誰だったか、と考えて。ああそれは俺だ、正確には“生前の”俺だと気付いてなんだか可笑しくなった。なんというか、全く実感が湧かない。
 確かに俺も“生前の俺”もどちらも紛れもない太宰治である。どちらも本物、いや強いて言うならきっと今、生を受けている太宰治は偽者になるのだろうか。
 
 ともかく。
 “太宰治”に二度目の生を与えたその人は驚いた表情で俺を見つめたあと、よろしくお願いしますと手を差し出した。
 

「司書って花に例えると月見草だよね」
 けなげにすっくと立ってそうだ、と続けようとして、やめた。なんとなく、そう続けるのはよくない気がした、それだけの話で深い意味はない。きっと。
「太宰先生で月見草、と言うと富嶽百景ですか」
「よく読んでるね!もしかしなくてもやっぱり俺のファン?」
「いいえ、学生時代に授業で」
 ちぇ、なんだ。残念には思ったものの、全く読んでいない訳ではない事に安心した。
「富士には月見草がよく似合う、でしたよね」
「そう、それ。なんだぁ、授業だけとか言ってた割に結構覚えてるじゃん!」
 有名な一節だけですけど、と彼女は照れたように笑う(実際照れているのだろう)。そうは言えども覚えていてくれた事が少し、いやかなり嬉しい。声のトーンがさっきより弾んでいたことに気付かれてはいないだろうか!
 
「でも、私が月見草だとすると富士はどうなるんですかね」
 ほら、富士には月見草がよく似合うんですよね?私が月見草なら、富士が居ないじゃないですか、先生方が私にとっての富士だなんて畏れ多い。彼女はそう、笑いながら続けた。
 富士が居ない。それは彼女が自分自身を卑下している事を示す言葉だった。いや、卑下というよりかは俺たちを立てるような言葉だったんだろうけど、とにかく俺はその言葉にまるで頭を殴られたかのような衝撃を食らった。え、俺じゃ駄目なの、と反射的に言いそうになって、慌てて自分の口を塞いだので、彼女が不思議そうな目を向けてきたため適当に誤魔化した。
 このときになるまで一切そんなことには気付かなかったけれど、俺はどうやら「司書の隣に相応しいのは俺だし彼女もそう考えている!」と無意識のうちに思い込んでいたらしい。
 そんな俺の心の内を知らず、彼女は「きっとそのうち『この人に見合う人物になりたい!』と思わせる人が現れますよね!」と笑顔で俺に話し掛ける。ああほんと、やめてくれって。
 俺じゃ駄目なの、という言葉はやっぱり飲み込んで正解だったと思う。今言っても彼女を困らせるだけだし、それは俺も本意でないし、多分この言葉に相応しい場面が他にある。
 せめて彼女の心を、もっともっと俺に傾けてから、だ。
 
 彼女は別段ものすごい美少女なわけでもなければ憂いを帯びた美人でもない。しかし内側に潜む美しさと言うのか、人間はその中身が外見に表れると言うのか、ふとした瞬間に嗚呼綺麗だと思わせる魅力がある。それに気付いてしまえば、気付かれてしまえば、もうおしまいだ。
 あの月見草のように、彼女の魅力に気付けるのは俺だけでいいんだ。彼女は俺の月見草だから。そうやって館内に言いふらして回りたい衝動は抑え込む。今のうちから囲っておかないと、と焦る自分と、そんなことをして彼女から嫌われたらどうするんだ、と俯瞰する自分とが自分の中で争っている。
 
 うるさい、と心の中で呟いて「司書ならいい人見つかるって!」と満面の笑みを作る。願わくば、その『いい人』が自分でありますように。
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