SMILE AGAIN
喉の渇きに目が覚めた。
室内はまだ暗く、壁掛け時計を見れば早朝4時を差す所で起きるにはまだ早い時間だった。
人肌の温もりに気付き自分のすぐ隣を見れば、腕枕で自分を抱える様に眠っている同僚の男。
嘗て は互いの医師としての医療に対する信念の違いや自分の悪徳の数々を糾弾してきた敵対するべきライバルであり、自分の医師人生の中で〝必ず蘇らせる〟と決意し、持ち得る全ての医療技術と信念で共に彼のスキルスに立ち向かい戦った戦友。
だが今は…、
(俺も随分と絆された物だ…)
上半身だけ起き上がらせベッドヘッドに置いてある愛煙している煙草を一本取り出し、それを口に咥えライターで火を点すとその隣の男を見つめた。
静かに穏やかな表情で眠り続けている男…。
この男と自分がまさかこんな関係になるなど、天真楼に居たあの頃を思えば到底有り得ない事だ。
しかし、今のこの男との穏やかで安らかな関係が面映ゆく感じつつも満更悪くもないと思えている自分自身に酷く驚き、今まで感じた事の無い落ち着かぬ居心地の悪さに感嘆した。
「う…ん……、」
覚醒が近いのか、瞼を震わせながら身動いだ 彼にフッと笑いベッドから抜け出し立ち上がった。
「起きてたのか…。早いな。まだ夜明け前だろう?」
声を掛けてきたのは、つい今し方眠っていた男…
「喉が渇いたんでね…。それに目が冴えて眠れないから、コーヒーでも淹れようかと思っただけだ……。」
「そうか……。」
「………。」
自分に向けて来る柔らかな微笑みに殊更居心地が悪くなる。
(そんな顔で微笑み掛けるな…。)
「…?どうした?何かあったのか……?」
目の前の、今は恋人と思う彼の表情を見て、彼の中の〝何か〟を察した石川はすぐ起き上がり司馬の手を掴んだ。
「………。」
(どうしてお前はいつもそうやって…)
「…司馬……?」
振り解こうと思えば出来た筈だ。
だが、彼に掴まれたこの手の温もりを以前の様にぞんざいに扱う事を出来ない自分が居る事に戸惑う。
「何でもない。相変わらず平和ボケした、間抜けなお前の寝顔が可笑しかっただけだ…。」
そう言い捨ててリビングへ向かおうとした。
「平和ボケだろうとどんなに間抜けに見えても、天真楼に居た頃は直ぐ様振り解いてたこの手を君はまだ離そうとしない…。君が僕をどう思おうと僕はもう君から離れるつもりはないし、君を信じるよ……。」
「───っっ?!…勝手にしろ……。」
今度こそ掴まれたままの石川の手を解き、司馬はリビングへと消えた。
(信じるよ…。あの時、漸く解ったんだ。君の医師としての揺るぎない信念も、そして、君が未だ抱き続けている心の闇も……。)
司馬がリビングへ姿を消した後ワイシャツを羽織り、寝室の戸口を見つめながら石川は彼を想った。
天真楼病院で彼に出逢い、そして彼の余りに傲慢で非情な態度と医師として有るまじき行為の数々を目の当たりにして、彼の本来の人格も過去も何も知らぬまま、いや、あの頃は知ろうとすらもしなかった。
彼を勝手に目の敵にして、彼の為す一挙手一投足の全てが悪徳愚行に思えて司馬を糾弾し、天真楼から彼を追放する事だけにスキルスを患った後も命までも懸けて自分の全てを投げ打って司馬を追い詰める事しか頭に無かった。
しかし激しく吐血し命の灯火が消えようとしたあの日。
司馬は自ら執刀医を中川部長に嘆願し、自分を見事にスキルスの病魔から救い生還させてくれた。
あの最後の別れの握手を交わした時の、彼が見せてくれた〝本来の彼の笑顔〟が自分の中で強く印象に残って、ずっと忘れられないものとなったのだ。
その後肺梗塞を起こし一時心肺停止した時も、必死に心臓マッサージを施し必死に戻って来いと叫び続けていたと後に峰君や大月先生から聞き及んだ時は思わず嬉しさと、今までの彼への大きな誤解を思い涙が溢れ出て申し訳無さで堪らなかった。
結局彼は自分が追い詰めた通りに天真楼を去り、一方でスキルスから完全に打ち勝ち復帰した自分は天真楼に残った。
しかし、それからも石川は司馬の現況が気に掛かり、彼自身への友情とは違う様な、かと言ってその感情がいったい何なのか分からなかったが、自分は彼の行方を探し出しそして今度は彼の心の支えになりたいと思い、日を追うごとにその想いは増していった。
そして遂に自分も天真楼を去る決意を固め、中川部長に挨拶をし、自分に想いを寄せてくれていた峰君には丁重に想いを受け止める事は出来ないと告げた。
天真楼病院を去る間際。
嘗て 司馬の恋人であり結婚寸前までいったという大月先生が見送りに現れた。
「私は彼の心の闇を…、中川部長と彼との間に起きた事を気付けなかった……。彼に笑顔を取り戻すことも彼の支えにもなれなかった。」
そう、彼女は切り出した。
「でも、貴方なら…。ううん。きっと貴方なら彼に、彼の元の素顔に…、彼の本来の笑顔を、貴方ならきっとまた取り戻せると信じてる……。だから…。だから、あの人をお願い…。あの人の支えに…、あの人の一筋の光になってあげて……。」
「大月先生……。」
「あの人を…、司馬をお願いね、石川先生……。」
「─分かりました……。」
涙を目に浮かべて微笑む彼女に石川は何も気の利いた言葉も掛けられず、ただただ彼女に託された想いを胸に決意を新たに頷くしか出来なかった……。
「──い。おい、何をぼーっとしてるんだ?」
ハッと我に返ると、いつの間にかリビングから戻って来ていた司馬がベッド脇のサイドテーブルに二人分のブラックコーヒーの淹れられたマグカップを置きながら、怪訝な表情で自分を見ていた。
「あぁ…、いや、何でもない。ちょっと考え事をしてただけだ。僕の分も淹れてくれたのか、ありがとう……。」
まさか、自分の分まで作ってくれるとは思っていなかったから素直に嬉しくて、思わず笑みが零れる。
「…何、一人でニヤけてるんだ?気色悪い……。」
「それは無いだろ?まさか君が僕の分までコーヒーを作ってくれるとは思ってなかったから、素直に嬉しかったんだよ……。」
「──は?」
コーヒーを一口含み飲み込み、顔を上げ彼に微笑み掛ける。
「コーヒーくらい、普通に人数分淹れるだろ……。」
益々訳が分からないという風に眉間に皺を寄せて、彼もまたその場に立ったままコーヒーを飲んだ。
「うん…。うん、そうだな…。でも、天真楼に居た〝あの頃〟は、君とこんな風に穏やかに時間を過ごす様になるなんて、欠けらも思わなかったからなぁ…。だから尚更嬉しいのかもしれないな……。」
「………。」
と、そこまで話して再び石川はハッとした。
天真楼…。
あの病院では良い思い出が殆ど無い。
それに何よりもあの中川部長が妻子が居ながら不倫をし、挙げ句の果てにその情報を得て中川に弱みを握らせた興信所の男性を劇薬注射で殺害し、逮捕されたとの一報をまさか自分達が天真楼から去った一年後に聞く羽目になろうとは……。
あの時の司馬の落胆と中川への失望は計り知れないものだった。
それを機に、中川がその昔、今自分達が居る東都大学付属病院で手術 中に犯した重大な医療ミスが原因で死亡に至った患者 を、何と司馬に肩代わりさせていた事が発覚したのだ。
以前聞いていた、司馬の恋人であった大月の話に寄れば、恐らくはその一件を境に彼の人格が一変してしまったのだと今ならば推察出来る。
その時と同様に、いや、その当時を上回る中川の犯した殺人事件……。
石川はまた司馬があの冷酷で悪徳行為を繰り返していた頃に戻りはしないかと、内心、強く心配していた。
だが幸いにも彼が再びあの愚行に手を染める事は無く、しかし、彼からまた一切の笑みが消えたのは致し方ないとは思いつつも、やはり彼を案じる身としては司馬のそんな姿を見ているのは辛かった。
「言っておくが、〝あの人〟の事はもう関係無い…。最初から〝あの人〟はその程度の医師 だったというだけの話だ。俺が何も思ってない事で、お前が気に病む必要なんて無い。勝手に落ち込むな。鬱陶しい……。」
「───っっ!?」
思わず彼の顔を見た。
今まで誰にも心を開かず閉ざし続け、嘗て 恋人であった大月にでさえも決してその心の内を明かさなかった司馬が、自分自ら石川に告げたのだ。
『苦しい……』と。
彼の相変わらず人を突き放した様な物言いの中に、彼の心の内にある、未だに切り捨てられぬ恩師への想いとその師が殺人犯となってしまった現実の間でもがき苦しみ、辛くてどうしようもないのだと。
石川には、苦しいと助けを求める彼の慟哭が感じられた。
「…君が辛いと……、苦しいと言わない分、僕には君の慟哭が感じ取れる…。言いたくないなら言わなくて良い。でも、僕はそれでもずっと君の傍に居る…。たとえ、君が僕を嫌っても疎ましい存在でも、僕は君の心に巣食う闇に光を射したい…。たとえ、頼りない弱々しい僅かな光だとしても、君の頭上に必ず辿り着くから……。その光に手を伸ばして欲しい。僕はその伸ばしてくれた手を掴んで引き上げて、絶対に離さないよ…。君が望む望まざるに関わらず、僕は君の傍に居ると決めたからね……。」
「──っっ。…全く……、底抜けに能天気でお人好しで、馬鹿な奴だな、お前は…。でも……、」
「………。」
「ずっと変わらずに居ろよ…。お前のそういう所も、満更悪くはないからな……。」
石川にそう告げると、あのスキルスの手術 を乗り越えた時に見せた微笑みを浮かべて司馬は笑った。
「司馬……。」
「なぁ…、石川……。二度は言わないから良く聞けよ……。」
天真楼を去り司馬を追って東都大に医師として復帰して三年…。
あの天真楼での彼の微笑みを漸く再び見る事の叶った石川は、司馬の思わぬ言葉に胸を熱くした。
そして……、
「───………………だ……。」
「───っっ??!」
石川の耳に顔を寄せ彼に告げた司馬の言葉…。
驚愕する石川に自身の唇を重ねた司馬は珍しく気恥ずかしげに仄かに顔を赤らめ、そのまま石川から顔を背けた。
「司馬……。」
呼び掛けに振り向いた司馬を、今度は石川が彼の手を引き抱き寄せ深く口接けた。
「僕も…、君と同じ気持ちだよ……。」
「───っっ!!」
石川の言葉に司馬は動揺し、驚きに言葉を詰まらせた。
瞬時に離れようと足掻いたが、きつく抱き締められた腕は解ける気配は無く。
溜息をつき、石川から離れる事を諦めた司馬が再び耳にした彼の言葉。
それは。
「生まれて来てくれて、本当にありがとう…。司馬…、君が居てくれて良かった。君に出逢えて本当に良かった…。誕生日おめでとう……。」
一日遅れの祝いの言葉…。
彼のその言葉が司馬の心の闇を晴らし、暖かな光に救われたのは、今の石川には知る由も無かった……。
END
室内はまだ暗く、壁掛け時計を見れば早朝4時を差す所で起きるにはまだ早い時間だった。
人肌の温もりに気付き自分のすぐ隣を見れば、腕枕で自分を抱える様に眠っている同僚の男。
だが今は…、
(俺も随分と絆された物だ…)
上半身だけ起き上がらせベッドヘッドに置いてある愛煙している煙草を一本取り出し、それを口に咥えライターで火を点すとその隣の男を見つめた。
静かに穏やかな表情で眠り続けている男…。
この男と自分がまさかこんな関係になるなど、天真楼に居たあの頃を思えば到底有り得ない事だ。
しかし、今のこの男との穏やかで安らかな関係が面映ゆく感じつつも満更悪くもないと思えている自分自身に酷く驚き、今まで感じた事の無い落ち着かぬ居心地の悪さに感嘆した。
「う…ん……、」
覚醒が近いのか、瞼を震わせながら
「起きてたのか…。早いな。まだ夜明け前だろう?」
声を掛けてきたのは、つい今し方眠っていた男…
「喉が渇いたんでね…。それに目が冴えて眠れないから、コーヒーでも淹れようかと思っただけだ……。」
「そうか……。」
「………。」
自分に向けて来る柔らかな微笑みに殊更居心地が悪くなる。
(そんな顔で微笑み掛けるな…。)
「…?どうした?何かあったのか……?」
目の前の、今は恋人と思う彼の表情を見て、彼の中の〝何か〟を察した石川はすぐ起き上がり司馬の手を掴んだ。
「………。」
(どうしてお前はいつもそうやって…)
「…司馬……?」
振り解こうと思えば出来た筈だ。
だが、彼に掴まれたこの手の温もりを以前の様にぞんざいに扱う事を出来ない自分が居る事に戸惑う。
「何でもない。相変わらず平和ボケした、間抜けなお前の寝顔が可笑しかっただけだ…。」
そう言い捨ててリビングへ向かおうとした。
「平和ボケだろうとどんなに間抜けに見えても、天真楼に居た頃は直ぐ様振り解いてたこの手を君はまだ離そうとしない…。君が僕をどう思おうと僕はもう君から離れるつもりはないし、君を信じるよ……。」
「───っっ?!…勝手にしろ……。」
今度こそ掴まれたままの石川の手を解き、司馬はリビングへと消えた。
(信じるよ…。あの時、漸く解ったんだ。君の医師としての揺るぎない信念も、そして、君が未だ抱き続けている心の闇も……。)
司馬がリビングへ姿を消した後ワイシャツを羽織り、寝室の戸口を見つめながら石川は彼を想った。
天真楼病院で彼に出逢い、そして彼の余りに傲慢で非情な態度と医師として有るまじき行為の数々を目の当たりにして、彼の本来の人格も過去も何も知らぬまま、いや、あの頃は知ろうとすらもしなかった。
彼を勝手に目の敵にして、彼の為す一挙手一投足の全てが悪徳愚行に思えて司馬を糾弾し、天真楼から彼を追放する事だけにスキルスを患った後も命までも懸けて自分の全てを投げ打って司馬を追い詰める事しか頭に無かった。
しかし激しく吐血し命の灯火が消えようとしたあの日。
司馬は自ら執刀医を中川部長に嘆願し、自分を見事にスキルスの病魔から救い生還させてくれた。
あの最後の別れの握手を交わした時の、彼が見せてくれた〝本来の彼の笑顔〟が自分の中で強く印象に残って、ずっと忘れられないものとなったのだ。
その後肺梗塞を起こし一時心肺停止した時も、必死に心臓マッサージを施し必死に戻って来いと叫び続けていたと後に峰君や大月先生から聞き及んだ時は思わず嬉しさと、今までの彼への大きな誤解を思い涙が溢れ出て申し訳無さで堪らなかった。
結局彼は自分が追い詰めた通りに天真楼を去り、一方でスキルスから完全に打ち勝ち復帰した自分は天真楼に残った。
しかし、それからも石川は司馬の現況が気に掛かり、彼自身への友情とは違う様な、かと言ってその感情がいったい何なのか分からなかったが、自分は彼の行方を探し出しそして今度は彼の心の支えになりたいと思い、日を追うごとにその想いは増していった。
そして遂に自分も天真楼を去る決意を固め、中川部長に挨拶をし、自分に想いを寄せてくれていた峰君には丁重に想いを受け止める事は出来ないと告げた。
天真楼病院を去る間際。
「私は彼の心の闇を…、中川部長と彼との間に起きた事を気付けなかった……。彼に笑顔を取り戻すことも彼の支えにもなれなかった。」
そう、彼女は切り出した。
「でも、貴方なら…。ううん。きっと貴方なら彼に、彼の元の素顔に…、彼の本来の笑顔を、貴方ならきっとまた取り戻せると信じてる……。だから…。だから、あの人をお願い…。あの人の支えに…、あの人の一筋の光になってあげて……。」
「大月先生……。」
「あの人を…、司馬をお願いね、石川先生……。」
「─分かりました……。」
涙を目に浮かべて微笑む彼女に石川は何も気の利いた言葉も掛けられず、ただただ彼女に託された想いを胸に決意を新たに頷くしか出来なかった……。
「──い。おい、何をぼーっとしてるんだ?」
ハッと我に返ると、いつの間にかリビングから戻って来ていた司馬がベッド脇のサイドテーブルに二人分のブラックコーヒーの淹れられたマグカップを置きながら、怪訝な表情で自分を見ていた。
「あぁ…、いや、何でもない。ちょっと考え事をしてただけだ。僕の分も淹れてくれたのか、ありがとう……。」
まさか、自分の分まで作ってくれるとは思っていなかったから素直に嬉しくて、思わず笑みが零れる。
「…何、一人でニヤけてるんだ?気色悪い……。」
「それは無いだろ?まさか君が僕の分までコーヒーを作ってくれるとは思ってなかったから、素直に嬉しかったんだよ……。」
「──は?」
コーヒーを一口含み飲み込み、顔を上げ彼に微笑み掛ける。
「コーヒーくらい、普通に人数分淹れるだろ……。」
益々訳が分からないという風に眉間に皺を寄せて、彼もまたその場に立ったままコーヒーを飲んだ。
「うん…。うん、そうだな…。でも、天真楼に居た〝あの頃〟は、君とこんな風に穏やかに時間を過ごす様になるなんて、欠けらも思わなかったからなぁ…。だから尚更嬉しいのかもしれないな……。」
「………。」
と、そこまで話して再び石川はハッとした。
天真楼…。
あの病院では良い思い出が殆ど無い。
それに何よりもあの中川部長が妻子が居ながら不倫をし、挙げ句の果てにその情報を得て中川に弱みを握らせた興信所の男性を劇薬注射で殺害し、逮捕されたとの一報をまさか自分達が天真楼から去った一年後に聞く羽目になろうとは……。
あの時の司馬の落胆と中川への失望は計り知れないものだった。
それを機に、中川がその昔、今自分達が居る東都大学付属病院で
以前聞いていた、司馬の恋人であった大月の話に寄れば、恐らくはその一件を境に彼の人格が一変してしまったのだと今ならば推察出来る。
その時と同様に、いや、その当時を上回る中川の犯した殺人事件……。
石川はまた司馬があの冷酷で悪徳行為を繰り返していた頃に戻りはしないかと、内心、強く心配していた。
だが幸いにも彼が再びあの愚行に手を染める事は無く、しかし、彼からまた一切の笑みが消えたのは致し方ないとは思いつつも、やはり彼を案じる身としては司馬のそんな姿を見ているのは辛かった。
「言っておくが、〝あの人〟の事はもう関係無い…。最初から〝あの人〟はその程度の
「───っっ!?」
思わず彼の顔を見た。
今まで誰にも心を開かず閉ざし続け、
『苦しい……』と。
彼の相変わらず人を突き放した様な物言いの中に、彼の心の内にある、未だに切り捨てられぬ恩師への想いとその師が殺人犯となってしまった現実の間でもがき苦しみ、辛くてどうしようもないのだと。
石川には、苦しいと助けを求める彼の慟哭が感じられた。
「…君が辛いと……、苦しいと言わない分、僕には君の慟哭が感じ取れる…。言いたくないなら言わなくて良い。でも、僕はそれでもずっと君の傍に居る…。たとえ、君が僕を嫌っても疎ましい存在でも、僕は君の心に巣食う闇に光を射したい…。たとえ、頼りない弱々しい僅かな光だとしても、君の頭上に必ず辿り着くから……。その光に手を伸ばして欲しい。僕はその伸ばしてくれた手を掴んで引き上げて、絶対に離さないよ…。君が望む望まざるに関わらず、僕は君の傍に居ると決めたからね……。」
「──っっ。…全く……、底抜けに能天気でお人好しで、馬鹿な奴だな、お前は…。でも……、」
「………。」
「ずっと変わらずに居ろよ…。お前のそういう所も、満更悪くはないからな……。」
石川にそう告げると、あのスキルスの
「司馬……。」
「なぁ…、石川……。二度は言わないから良く聞けよ……。」
天真楼を去り司馬を追って東都大に医師として復帰して三年…。
あの天真楼での彼の微笑みを漸く再び見る事の叶った石川は、司馬の思わぬ言葉に胸を熱くした。
そして……、
「───………………だ……。」
「───っっ??!」
石川の耳に顔を寄せ彼に告げた司馬の言葉…。
驚愕する石川に自身の唇を重ねた司馬は珍しく気恥ずかしげに仄かに顔を赤らめ、そのまま石川から顔を背けた。
「司馬……。」
呼び掛けに振り向いた司馬を、今度は石川が彼の手を引き抱き寄せ深く口接けた。
「僕も…、君と同じ気持ちだよ……。」
「───っっ!!」
石川の言葉に司馬は動揺し、驚きに言葉を詰まらせた。
瞬時に離れようと足掻いたが、きつく抱き締められた腕は解ける気配は無く。
溜息をつき、石川から離れる事を諦めた司馬が再び耳にした彼の言葉。
それは。
「生まれて来てくれて、本当にありがとう…。司馬…、君が居てくれて良かった。君に出逢えて本当に良かった…。誕生日おめでとう……。」
一日遅れの祝いの言葉…。
彼のその言葉が司馬の心の闇を晴らし、暖かな光に救われたのは、今の石川には知る由も無かった……。
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