04. 禁断魔法を繋ぐ物語

禅が居なくなってからというもの、二人の間には気まずい空気が流れている。
千草に至ってはどうすればいいのか分からないといった状態で立ち尽くしており、見兼ねた正悟が自分の座るベッドの横に手招きするかのように布団を軽く叩いてから声を掛けた。

「……ここ、座る?」
「あ、うん……」

声をかけてもらえるとは思っていなかった千草としては、正悟の声が自分に向けられたこと自体が嬉しく感じ、更には隣りに座れるということがより一層緊張感を高め身体を硬直させる原因にもなった。
久しぶりに動かした足が思うように動かず、千草はあと一歩だというのにベッドの前で足を躓かせて正悟へとぶつかるように盛大に転んでしまう。
転んだと言っても倒れた先は二人揃って柔らかな布団の上であるため、怪我に至ることはなく千草は身体を起こそうと正悟を避けてベッドへと手を付き謝りながらその顔を見てみるとそれに対して諦めきれない感情が込み上げて来た。

「ご、ごめんっ」
「大丈夫……そっちこそ、怪我してない?」
「平気、じゃないかも……」
「痛む?」
「そうじゃ、なくて……」

正悟はそこまで会話をして改めて千草の表情をしっかりと見ると、図書室で最後に別れた時と同じ表情をしていることに気付いてしまう。
つらくて悲しくて悔しそうな表情──つまり今にも泣き出しそうなそんな顔をしていて、正悟は何も言えなくなってしまった。
そんな気まずそうな正悟を見て、千草も自分が今どんな表情をしていてどんな言葉を発していたか考えてしまい、その情けない感情にも気が付いたようであった。

「ごめん……オレ……また先輩にカッコ悪いとこ、見せて──」

正悟の頬に一粒の涙が落くてくる。
そこから先は千草の涙が止まることは無かった。
しかし正悟の前で情けないという思いもあったのだろう。
起き上がり必死にその涙を止めようと子供のように泣きじゃくりながらも洋服の袖を濡らしながらそれを拭い去ろうとする。
正悟もそれを見ながら姿勢を正して座り直すと、泣いている千草を見て言葉よりも身体が動き、気が付いた頃には優しく抱き寄せていた。
同情などではない、ただ純粋に千草を見ていてそうしたかったからしたことで、正悟も自分の心に少しだけ驚きそれが千草にも通じたのか、吃驚したのと同時に勝手に溢れ出していた涙は唐突に終わりを迎える。

「先、輩……?」
「ごめんな」
「なんで先輩が謝るんだよ」
「俺、お前にそんな顔してほしくない」

正悟は自分の感情を整理しながらも、千草の心に届くような言葉を選んで伝え始める。
自分で抱えている感情を言葉にして伝える難しさを痛感しつつも必死に想いを繋ぎ止めるために千草へと向き合いながら自分とも向き合っていく。

「お前のこと、巻き込みたくなくて……今日みたいなことで嫌われたくなくて、身勝手に……突き放した」
「オレは……そんな……」
「傷付けるのが分かってても、自分が傷付くのが怖くて……それで、俺は……」
「先輩!」

そこまできて、千草が正悟の言葉を遮る。
抱き締められていたため表情まではよく分からなかったが、声が震え、今にも泣き出しそうな正悟の状態に居ても立っても居られなくなったからだ。
正悟の両肩を掴み少しだけ距離を離すと、目と目を合わせ意思の疎通を図る。

「オレも、先輩にそんな顔させたくない」
「俺、やっと気付いた……お前が居なくなったら、それこそ悲しくて苦しくて寂しい──」
「オレだってそうだよ……先輩のそばに居られないのが一番つらい」
「天ヶ瀬……」

正悟は千草の表情を見た途端、安心したような表情に戻り少しだけ微笑んでから会話を続け、千草もそれに続くように二人はしばらく笑い合い雰囲気を和ましていく。
その間に二人はベッドに並んで座り直し、静かな部屋で指を絡めて距離を縮めた。

「オレ、先輩のそばに……隣りに居てもいい?」
「今さら……居なくなられても、困る」
「……うん」

この幸せな時間がいつまでも続くけば良いのにと、正悟は思いながらも隣りに座る千草の肩へと寄りかかる。
千草も先程の緊張は霧が晴れたようになくなり、いつも通りの二人に戻ったようであった。
正悟は思う存分その時間を味わうと、立ち上がり禅達が帰ってきた時の準備を始めようとしたため、千草もそれを目で追いながら正悟の言葉に耳を傾けていく。

「そうだ、天ヶ瀬──」
「あのさ、先輩……!」
「ん?」
「オレのこと、名前で呼んでほしいんだけど……ダメ、かな」

突然の千草からの申し出──しかし、正悟は最初驚き戸惑いはしたものの、千草の表情を見て悟ったようにその願いを叶えることにした。
微笑んで安心させるような仕草で首を少しだけ傾け千草の名前を優しく呼ぶ。

「──千草」
「覚えてて、くれたんだ……」
「当たり前だろ、大切な名前なんだから」
「へへ、すっげぇ嬉しい!」

千草の笑顔が見られたという喜びもあったが、正悟は元々人が喜ぶことをするのが好きであり、自分が名前を呼ぶことでここまで喜んでくれるのかと思うと、自分の存在価値というのが確立された感覚が味わえて、いつになくそれを心地良いと感じていた。

「千草もご飯、食べていける?」
「いいの?」
「あ、でも……ご家族が心配するかな」
「弟に言っとくから大丈夫だよ」
「そっか、なら良かった」

このまま別れてしまうのは名残惜しいという気持ちが拭えなかったので、もう少しだけ千草がこの場に残ってくれるのかと思うと、正悟はどことなく嬉しく感じ安堵した様子であった。
スマホを弄り連絡をしている千草にもそれが伝わったのか、正悟が微笑めば千草がそれに微笑み返す。
そんなやりとりを続けていた後しばらくして玄関が開く音がしたので、禅達が帰ってきたのだと正悟が出迎えに行くと、いつも通りの笑顔を浮かべる禅とバツが悪そうにしている郁磨が居た。

「禅さん、おかえり!」
「ただいま、正悟」
「郁磨さん……何かあった?」
「いや……なんでもない」
「そう……?」
「正悟、千草くんとは話せたかい?」
「うん、大丈夫!」

その顔を見れば分かると言わんばかりの笑顔を向けてくる正悟に、禅は満足そうに微笑み返す。
正悟は禅が買ってきた荷物を受け取るとそれを持って台所まで行き、中身を確認しながら皿に取り分け夕食の準備を始めたので、千草はそれを手伝いに正悟の元へと急ぐ。

「あ、先輩! オレも手伝うよ!」

千草が横に並び正悟と楽しげに会話をしつつ準備を続けていくと、その姿を見た郁磨が驚いた表情で二人を見ながら禅へと話しかける。
それはもう夢でも見ているのではないか──そんな驚きの表情であった。

お前の思惑通りか?」
「……予想以上だよ」
「あいつは何者なんだ」
「郁磨、その話はまた後で」
「……ああ」

それからその場に居る四人の奇妙な組み合わせで夕食を共にして、正悟は楽しい時間を過ごしていたが元々無理をしていたからか体力が限界に達したのだろう、眠そうに目を擦る動作や瞼を瞑ることが増えてきた。
それを見て禅はお開きにしようと声を掛けると、正悟が申し訳なさそうに言葉を並べ千草にも感謝と謝罪の言葉を改めて告げる。

「千草もごめん……あと、ありがと……」
「気にしないで、ゆっくり休んで」
「うん……」
「先輩、また明日!」
「ん、また……明日……」

そういうと千草は立ち上がり荷物をまとめて帰ろうとするのだが、郁磨がそれに対して声を掛ける。
時間も遅くなり、大人であり教師という立場である以上、知らない場所に放り出すわけにもいかないと思うのは至極当然と言えば当然と言えた話であろう。
千草としては郁磨に送られるというのは気まずいの一言に尽きるのであろうが、この場合は仕方がないと思い会話を続けていく。
その反対では、禅が正悟の様子を伺いながら会話を続けていた。

「出来るなら、寝る支度をしておいで。片付けはやっておくから」
「でも……」
「お風呂は入れる?」
「うん、大丈夫……」

正悟はそういうと、疲れた身体を起こして立ち上がり少しふらふらしながら風呂場へと向かった。
本人は真っ直ぐ歩いているつもりなのだろうが、傍から見たらそれは何とも危なっかしく心配するなという方が難しいのかもしれない。
その姿を見ながら千草は少しだけ不安になり、それとなく禅に声をかけて質問する。

「先輩、大丈夫なんですか……?」
「ありがとう。でも、ゆっくり休めば大丈夫」
「そう、ですか……」

心配をする千草を横目に禅は郁磨を見ると、目配せをして千草の帰宅を促すことにする。
郁磨もそれに従うように千草へと声を掛け、そのまま玄関に向かうので千草は慌てて付いていく。

「行くぞ、天ヶ瀬」
「いや、オレ一人で帰れますって」
「この時間に生徒を放り出す教師がどこにいる」
「けど──」

早く行かないと郁磨がどんどんと進み、本当に置いて行ってしまうのではないかという勢いだったため、千草は禅に会釈をして玄関に向かいながらもう一度だけ郁磨の誘いを断ろうとしたのだが、どうやら聞く耳は持っていないらしい。
断る隙すら見つからず、千草は渋々送ってもらうことにして後を追う。
その時の会話が禅の耳を掠めたが、二人は既に玄関を出て見えなくなっている。
禅はどことなくあの二人は似ていると思っているので、今回の件で少しでもわだかまりが解ければいいと思っての判断でもあったが、二人の表情を思い出すと面白くなり自然と笑みが零れてしまう。
昔の郁磨を知っている禅ならではの感想だが、千草は若い頃の郁磨に本当に似ていて今でも昔の思い出が鮮明に思い出されていく。
それこそ、一言一句迷いのない回想だ──それが禅の能力ちからとでも言えた。
しかし思い出に耽るのは今でなくても出来ることなので、禅はその思考を片付けの方へと専念させ一通り終わらせた頃、正悟もまた風呂から出て寝る支度を整えようとしていた。

「正悟。髪、濡れてるよ」
「うん……ちゃんと、乾かす……」

風呂を済ませても正悟の眠気は覚めることなく、余計に眠くなってきたようで相変わらずふらふらしていたため、禅は仕方なさそうに正悟のそばへ寄ると、寝室まで一緒に足を運びそのままベッドに座らせてからドライヤーを手に取り髪を乾かすことにした。
濡れた髪に風を当てながらしばらくタオルで拭いていると、いつも通りのふわふわとした髪に戻り正悟も嬉しそうに微笑んでいる。
その表情を見て禅は安心したのか、あと少しだけ正悟と話すために言葉を並べて会話をしていく。

「どうしたんだい?」
「えへへ……たまには誰かに髪乾かしてもらうのもいいなって……」
「フフ、今日の正悟は随分と甘えたさんだね」
「俺だってたまには甘えたいよ」
「それもそうだね」

正悟この子は我慢強い子だ──禅はそう考えていて、正悟は人より努力を怠らず何よりも人のために生きている節がある。
そんな甥のために自分が出来ることとはなんだろうと考え、禅は常に出来ることは叶えてあげたいと思いながら日々正悟の人生を応援してきた。
しかし今日の出来事で自分の存在価値が少しずつ減っていくであろうなと思い始めてもいて、千草の存在が大きく影響しているというのが禅の中では確証に近い形で渦巻き少しだけ寂しさのようなものを感じている。
だが自分という存在が必要なくなるのはまだまだ遠い未来の話であろうなということで、禅はその気持ちを悟られないように正悟へと声を掛けて眠らせようと言葉で誘導する。
正悟も大人しくというよりかは限界が故にそうせざるを得ないといった状態なのだろう。

「さぁ、そろそろおやすみ」
「うん、おやすみ……禅さん」

正悟は座っていたベッドに敷かれた布団へと潜り込むようにして入り、眠る前に禅への挨拶は忘れずにすると、それに対して禅は頭を撫でつつ微笑んでいた。
その顔を見て正悟も安心したように眠りに就いたので、禅はそのまま正悟が深い眠りに就いたかどうかを確認してから電気を消してその部屋を出る。
リビングに出ると机の上に置いてあったスマホが微かに震えながら着信を知らせていた。

『戻ったが、正悟の様子は?』
「今眠ったよ」
『それで?』
「そうだね、少し話そうか──」

電話の相手は郁磨で、千草を無事に送り届け戻って来たため今は地下駐車場に居るとのことだ。
今後のことを少し話したかったが正悟の眠りを妨げたくは無かったので、禅も自分の家へと帰る支度を整えてから下へ向かうと郁磨には伝え、忘れ物が無いように手荷物を纏めて戸締りを厳重に確認すると郁磨の居る場所までは直通のエレベーターを使うことにした。
数分も経たずに地下駐車場へ着くと、合流するために郁磨の車を探すがそれはすぐに見つかり、禅はそのまま乗り込んで二人は車の中で長くなり過ぎないよう手短に会話をしていく。

「あいつは何者なんだ?」
「早速だね」
「焦らす話でもないだろう」
「何者だろうね」
「どういう意味だ?」
「そのままの意味さ」
「お前はそんなやつ相手に正悟を任せたのか」
「彼の気持ちは本物だからね」
「だからって──」

それから先二人はしばらく千草について話し合っていたが埒が明かない状況に陥り、禅が話を少しだけ逸らす。
千草がどんな人間であれ、結果として今の正悟が救われたのは事実だ。
禅からしてみたらそれだけで十分過ぎるほどの成果と言えた。

「彼がどんな存在であれ、既にあの方・・・の耳には入っている」
「それはそうだが……」
「それにしても中塚という教師、やってくれたね」
「アレについては上が処理・・・・することになっている」
「そうだね。けど……どんな理由があろうとも、正悟を傷付けたことだけは許せない」
「禅、お前……」
「なに、別に復讐だなんて馬鹿なことは考えてないから大丈夫だよ」
「俺は時々お前が恐ろしく見える」
「フフ、何を今更──さて、そろそろ僕も帰ろうかな」
「本当に馬鹿なことはするなよ 」
「何もしないって。郁磨こそ、千草くんに意地悪なことばかりしないでくれよ?」
「俺は子供か」
「じゃあ、またね──」

そういうと禅は自分の車の方へ向かって歩いていくので、郁磨も帰宅するため車を走らせる。
ただ、道中郁磨の心もまた穏やかと言える状態ではなく、放課後に起きた一連の流れを思い返していた。

「全ては正悟あの子運命さだめだとでも言うのか──」

禅が怒るだけでなく郁磨も中塚には相当腹が立ち、今も尚その気持ちが落ち着くことは無かった。
しかし、郁磨はそれ以上に正悟の宿命とも言えるその困難な人生そのものに憤りを感じ、それ自体に抗うことも救いの手を差し伸べることも出来ない自分という存在の無力さにも苛立ちを隠せずにいる。
神がいると言うなら本当に運命というのは残酷なものだ。
この世界で生きていくというのは普通であっても苦しいと言うのに、何故正悟にばかりその苦難は襲いかかるのか──。
郁磨はそればかり考え自宅に向かっていた。
明日あすという日は救いの日になるのか、それとも正悟をまた苦しめる日になるのか、どちらにせよ郁磨は今日のことで考えを改めていた。
自分の手が届かないところで何かが変わろうとしている。
しかし、それは悪いことばかりでもない。
千草の存在がどこまで影響するか分かりはしないが、少なくとも幼馴染の言葉を信じる猶予くらいはあるだろう。

あの日失っていたかもしれない幼馴染の言葉なのだから──。
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