02. 恋の予感は禁断魔法

正悟の朝は早く、日が昇ると同時と言っても過言ではない程の時間に目を覚ます。
何故それほどまでに早起きをしなければならないのかと言えば、早朝の鍛錬に入るためだ。
そして今日は学校が休みのため、尚更早めに起きて練度を上げていく。
一通りの支度を済ませると、走りやすい格好に着替えてから自分の中で決められた道順で走り込む。
なるべく人とは合わないようにしているため、それが終わると同時に自宅へと戻り鍛錬の続きをすることにしている。
走り込みで終了するかと思いきや正悟にとってはこれからが鍛錬の始まりであった。
先程まではあくまでも体力向上の意を込めての走り込みであるためであり、集中力を付けるという意味ではこれからやることの方が重要だ。
正悟の家には鍛錬専用に用意された部屋があるのでそちらに移動してから始めることにする。
鍛錬専用の部屋と言ってもそれほど何か特別な物が置いてあるという訳ではなく、単純に少し広めの部屋で身体を自由に伸ばせる空間という意味合いなだけだ。
そこで正悟は日々、幼い頃より学んできた自分の流派の型を確認したり柔軟運動をしたりと、日課を熟して終わるまでそこの部屋に留まることにしている。
それが終われば朝の鍛錬は終了となり、正悟はシャワーを浴びるために脱衣所に向かう。
ふと思う──そこにある鏡に映った自分の姿を見て、何故自分はこんな風に髪を伸ばし目立たないようにして生きていかなければならないのかと、前髪を少しだけ片側へ寄せて素顔を見ているとそんな感情を抱いてしまう。
そんな暗い感情を洗い流すようにシャワーを浴びてから濡れた身体をタオルで拭うと、着替えてから朝食を済ませるために台所へと向かい、冷蔵庫に残る食材を見繕い適当に作った料理でもって腹を満たす。
それからバイトの時間までは然程長くはなかった。
十時から開く店に向かうため、正悟は間に合うように家を出て徒歩で向かうことにする。
家からであれば高校に向かうよりも近い距離にあるので、特に考えることもなく道なりに歩いて行く。
店に着けばいつも通りの仕事内容で特に変わったことがあるわけでもなかったのだが、禅との会話で明日から本格的に学校生活が始まるという事を実感させられ、逃げても逃げきれない現実に正悟は向き合わなければならない。

「俺……明日から大丈夫かな」
「──少し、昔話をしようか」
「え……?」
「姉さんが『いつも素直でいなさい、人を疑っては駄目よ』ってよく言っていた」
「母さんが……?」
「当然僕はその言葉に疑問を持ったよ……どうしてそんなに人を疑わずに、憎まずにいられるのかって」

そんな言葉を禅から言われて正悟は少しだけ不思議に思う。
母が何故そのような事を言っていたのか、どうして急に禅がそのような話をしてきたのか、ということである。
自分の母親でもあり禅の姉でもある瀬奈月夜せなつきよ──旧姓小花衣月夜こはないつきよであるが、彼女は正悟の幼少期に他界してしまい随分と時が経ってしまったがそれでも禅は色褪せることもなく姉のことを覚えている。
正悟も幼かったとはいえ母親の記憶を留めておくのには十分な年齢であったため母のぬくもりや優しさに触れた時がとても好きだった。
だからこそ正悟は母親の死を今でも受け入れられずにいる──母親が抱いてくれたそのぬくもりを思い出す度に心に染み付いてしまった残酷な別れの瞬間が目に浮かぶからだ。
正悟がそこから先を思い出す前に、禅が正悟の意識を現実に引き戻す。

「姉さんは何があっても笑顔を絶やさない人だったからね。何があってもだ──だけど僕にはそれが理解出来なかった。とはいえ、その理解出来ない僕の気持ちを正悟にも押し付けてしまっているのかなって」
「そんなこと……!」
「うん。でもね、正悟には姉さんのように素直で優しい、いつも笑っている子でいて欲しいんだ」
「それは……」
「大丈夫。正悟ならなれるよ──というより、お前はそういう子だ。優しく聡明で他人を思いやれる子だ」
「そう、かな……?」
「そうだよ。そばでずっと見てきた僕が言うんだから、間違いない。油断出来ない状況ではあるけど、そのことを忘れないで欲しいんだ」
「禅さん……」
「何、お前のことだ……上手く過ごせると思うよ。あまり不安に囚われず、自然体で行ってきなさい」
「うん、分かった」
「さて、仕事に戻ろうかな」

禅は真面目に話をしていたと思いきや途端にいつもの飄々とした雰囲気に戻り、執筆をするためにパソコンの画面を見つめ直す。
正悟も母親の意外な話を聞いて、遠回しではあるが禅に励ましてもらうと少しだけ心の緊張が和らいだ。
それからはいつも通りの仕事へと戻りそれが終わると、いつものように帰宅してから食事や入浴を済ませ寝る支度が整い次第ベッドへと潜り込む。
心のどこかで明日からの生活に少しだけ不安を抱きつつ眠りに就くことにする。
正悟は静かに瞼を閉じると、何事もなく過ごせることを祈りながら明日を迎えるのであった。
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