01. 禁断魔法が紡ぐ物語

麗らかな風が優しく頬を撫でるこの季節──学生達にとっては特別な一年の幕開けである。
とある少年を中心に綴られるこの物語も、始まりの鐘が鳴り響いたばかりであった。
運命が動き出す場所──つまり、この物語が始まる最初の風景だ。
それは一人の少年が憂鬱そうな雰囲気で、とあるマンションから出てくるところから始まる。
そこには少年を待ち構えるようにして一人の中年男性が壁に寄り掛かり立っていた。
中年男性は若く見える顔立ちをしており身長も高く足も長いため、モデルでもしていそうな風体だ。
少年を待っていた中年男性は寄り掛かっていた壁から背中を離し、目当ての少年と目が合うと同時に飄々とした雰囲気の声色で話し始める。

「やぁ、正悟しょうご
ぜんさん……」

禅と呼ばれたその中年男性はそう呼んだ少年のことを正悟と呼んでいる。
正悟は禅のところへ近寄り話をすることにした。
出発時間まではまだ余裕があったので少しぐらい話をするだけなら問題はなかったからだ。
禅が早朝にわざわざ来たからには、何か話すことがあったのだろう。

「どうしたの、こんな朝早くに……」
「今日は始業式だから、お前に一度は会っておきたくてね」
「わざわざ来てくれたんだ」
「正悟、分かってると思うけど──」
「大丈夫だよ、禅叔父・・さん」
「なら、いいんだ」

正悟と禅がどういう間柄かと言えば、正悟の母親の弟に当たるのがこの小花衣禅 こはないぜんという男で、正悟にとっては数少ない味方・・とも言える存在だ。
禅は正悟の身を案じており、何かと気にかけてくれている人物でもある。
正悟はそれに大分救われている──そんな叔父がわざわざ来てくれたのが始業式の朝であるということだった。

「義兄さんには会ったのかい?」
「うん。朝、ちょっとだけ会った」
「何か話せた?」
「いつも通り『瀬奈せな家の男たるもの常に成長し続けろ』だって」
「義兄さんらしいな」
「俺に興味が無いだけだよ──あの人が大事なのは跡取りを育てるってことだけなんだから」

瀬奈家の男──つまりは正悟の姓が“瀬奈”に当たるのだが、この姓に本人はあまりいい感情を抱いてはいない。
現在正悟が暮らすここ、夢美咲ゆめみさき市では然程知れ渡っていないが、その筋で云えばすぐに分かるくらいの有名な武道家である。
正悟はその家の長男でもありその家の跡継ぎでもあるのだが、大学まで何事もなく卒業するという事を条件に一人暮らしをさせてもらっている身だ。
それでも時々父親が顔を出すので、正悟としては少々煩わしく思っている。
会えば鍛錬を怠っていないか、学生として恥ずべきことはしていないかなど、体裁を気にするような会話をする父親に正悟は腹立たしくなる時があり、今日も釘を刺すように現れ話しをしていくものだから、それに嫌気を起こし少し早かったにも関わらず家から飛び出した。
そこに禅が現れ今に至る──。

「義兄さんもお前を心配してのことだ。あまりツンケンするものじゃないよ」
「でも、あいつは──」
「正悟」
「分かってる。禅さんに当たっても仕方ないもんな……」
「そろそろお行き。遅刻してしまう」
「うん」
「引き留めて悪かったね。今日も店で待ってるから」
「分かった」

正悟は禅との会話を打ち切っていつも通りの速さで歩き出し、そのまま目的地へと向かう。
その後ろ姿を見て、禅は少しだけ心配になる。
昨年正悟が入学した時も心配にはなったが、正悟は一年間何事もなく通い終えた。
春休みに入って一時的な休息の時は得られても、正悟のことを考えると不憫でならない。
──どうしてあの子が苦しまなくてはいけないのだろう。
禅はそのように考えているが世間はそういう風には見てくれない。
禅が抱いている感情を垣間見れば、過保護や過干渉と取られてしまうものである。
だが禅には正悟をそれだけ想う理由がある──今は亡き姉のため、正悟の母親が本来ならば一番に叶えたかったであろうその想いを引き継いで、禅は今を生きていた。
禅はそんな想いを抱えつつ正悟の父親に挨拶をするためにも、正悟が出てきたマンションのとある一室に向かって歩いて行く。
──禅と別れた後、正悟は色々と考え事をしながら歩いていた。
禅が思う先程の想いに正悟は気付いているし理解もしている。
だからこそ母の代わりに愛しんでくれている禅には頭が上がらない。
禅の顔に免じて、正悟は今朝起きた父親との会話を忘れることにする。
それに今は目的地に向かう足を止めることなく動かす事の方が重要だ。
急がなければ通学路はすぐに生徒たちで溢れてしまう。
正悟の目的地、それは夢美咲市南部に位置する夢美咲大学附属高等学校であり通称“夢校”と呼ばれているのだが、正悟はそこを目指して歩いていた。
自宅から四十分ほど歩くことになるが、正悟からすると丁度良い鍛錬になると考えているので問題なく通学が続けられている。
高校に近付くに連れて道にも人が増えていく。
正悟はその間を潜り抜けるように細い裏道などを通り、なるべく人との接触を避けていた。
少し開けた裏通りに差し掛かった頃、正悟としては関わりたくはないタイプの人間とすれ違わなければいけなくなり、道の端を歩くことによりぶつかることを避ける。
何人かの人間が歩いて来るその中心にいた、頭一つ飛び出した身長の人物を一瞥するがやはりあまり関わりたくはない感じがした。
──不良っていうのは何でこうも我が物顔で歩くんだか。
正悟がそう考えて通過すると同時に、向こうとしても気に食わない、というよりは眼中に無いといった感じに正悟のことを見たようだ。
──根暗で弱そうな奴。
正悟を根暗で弱そうな男、そう認識したその訳は正悟の見た目で判断したことであった。
髪を伸ばして眼鏡を掛け俯き気味に歩いていればそう見えても仕方のないことかもしれない。
正悟の性格的に本来ならばそのような恰好をしたい訳ではないのだが、これも人には言えない訳があるからこその恰好である。
しかし相手はそんな事情を知るわけも無いのだから、第一印象でしか相手を見ることはない。
それに道すがら言葉も交わさずにすれ違うだけの人間のことをいちいち覚えている者の方が珍しいであろう。
この時の二人はこれからの運命を変える相手にここで出会っていることなど互いに感じ取ることはなく、変わらぬ日常を過ごしていくものだと考えていた。
それが普通の感覚ではある。
だが時として運命とは歯車が噛み合うように定められた現実を目の当たりにさせる。
凶と出るか吉と出るか、それすらも運命によって決められているのか──二人の運命が交わる時、彼らの物語は大きく変化していく。
ここでの出会いは、彼らの運命を変える物語の序章に過ぎなかった。

「──えにしが繋がったようです」
「彼の物語ストーリーが始まろうとしているのか」
「……動かれますか?」
「いいや。その縁がどのようにあの子に干渉するか分からないからね、少し様子を見ることにしよう」
「御意」
「願わくば、彼を救える縁であることを祈るばかりだ──」
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