05. 千変万化の禁断魔法

正悟は通学路を歩きながら進んでいると、普段は気にしていなかった様々な人からの視線を感じながらも少しだけ気分を高調させていたが、それでも正悟は心のどこかで自分なら大丈夫だと思いながら学校に向かっていた。
しかし学校が近くなり生徒の数も増え視線が増していった時、正悟はふと立ち止まる。
学校の敷地に入った途端、足が震える感覚に襲われその場に立ち竦みそうになるのを堪えながらも人の視線に耐えながらやっとの思いで自分の教室まで辿り着く。
だがそこまで来ても緊張から来る身体の強張りが治ることはなく、中から生徒達の声が聞こえる度に開けた瞬間の視線のことを考えると勇気が出なくなってしまい、立ち呆けて緊張感は増す一方だ。
それでも正悟は勇気を出して教室のドアを開けるため引き戸の持ち手に手をかけようとした瞬間、聞き慣れた声が耳に入り動作を止めてそちらの方を向こうとする。

「瀬奈?」

この学校で自分の名前を呼ぶ人物は何人もいない。
案の定、声がした方を向くと見慣れた生徒が一人立っていたので視線を交えるとその人物も正悟の顔を見て驚いたのか少しだけ目を丸くしていた。
正悟はその生徒と少しだけ話をしようと顔だけではなく身体ごとその人物へ向き直し態勢を変えてから声を出して名前を呼ぶ。

「──アキラ!」
「ビックリした……髪、切ったんだ」
「えっと、うん……」
「似合ってる」
「あ、ありがとう」
「入らないのか?」

そう言ってアキラは視線を教室の方へ向けると、正悟を現実に引き戻し再び悩む時間を作ってしまう。
正悟も入ろうと思ってはいるが、目の前に聳え立つ戸が大きく見え、どうにも開けるタイミングを逃してしまった気がしてならない。
そんな風に考えて下を向きかけた時、突然アキラが肩に軽く触れ声をかけてくる。

「大丈夫」
「え……?」
「怖くないから」

その言葉を聞いて視線を引き戸の方に戻すと、アキラの手が背中へ添えられ軽く押し出すようにして鼓舞してくれた。
音を立てて引き戸は開かれ正悟が教室へと足を踏み入れると、いつもとは違い視線が正悟の方へと一気に集まり、一瞬足を止めかけてしまったが竦む心を制してそのまま歩く。
席に着くまでの間、こそこそと話し声が聞こえてきたが緊張している正悟にとっては内容まで聞き取れる状態でもなく今は自分の席へと辿り着くことしか頭にはなかった。
その後ろを歩くアキラの耳に届くその言葉は正悟を誹謗する言葉ではなく、只々疑問と称賛の声が届くばかりだ。
正悟の容姿が気になったのか、その場に居る全員が思い思いに言葉を口にしていく。
アキラも正悟の顔をまともに見たのは今日が初めてだったので、眼鏡を外し髪を切った時の素顔には驚きを隠せず、今現在クラスメイトが小さく囁いている内容と意見が一致していた。
女子の間では自分よりも容姿が優れていると思ったのか、可愛いと呟いている者もいるぐらいで、男子に至ってはその容姿と正悟の存在が結び付かないのか、誰が入ってきたのか分からず口々に疑念を話し合っていた。
その言葉は正悟が席に辿り着くまで延々と続き、ようやく窓際にある自分の席へ着き持っていた鞄を置いた途端、一同が我に返ったかのように小声で会話するのを止めた。

「瀬奈くん、だよね……?」

そして一人の女生徒が正悟の名を呼び話しかけると、堰を切ったように生徒達が机の周りに集まり質問を浴びせていく。
それは正悟にとっては驚くべきことで、何故ならばこんなにも話題になるとは思っていなかったからだ。
生徒達の質問は止まることなく聞きたいことが山積みと言った感じである。

「ビックリした~!」
「けどこっちの方が全然いいよな!」
「似合ってるよ!」

生徒達の問いに答えているうちに段々と賞賛の声が増え、女子も男子も正悟自身を認めるようになっていく。
初めて他人に認めてもらえた気がして内心嬉しく感じながらも歓迎の雰囲気に呑まれそうになった時、席に着く前のアキラが目配せをして顔を小さく縦に振って、落ち着くように合図を送ってきた。
それを見ると自然と心が落ち着けた正悟はお返しのつもりで微笑みながらその場に居る人間に対して礼を言う。

「あの……ありがとう……」

その笑みがより一層の正悟の魅力を掻き立て、質問攻めが止まることはなかった。
その中でも一番多かったのは何故切ったのかということで、容姿が優れているのであれば隠す理由は何だったのか、切った理由、切ってみてどう感じているか、などと正悟への質問はホームルームが始まるまで続き数十分以上は受け答えをしていたほどだ。
流石に詳細を話す訳にもいかないので、正悟は受け答えに困り戸惑いつつも誤魔化しながらクラスメイトと会話をしていると、そのうち郁磨が入ってきて女子の数名が自慢するように正悟の話を振る。

「先生〜!」
「瀬奈くん髪切ったんですよ!」
「凄く似合ってますよねー!」
「──あぁ、よく似合っている」

髪を切ったのは予め禅から聞いて知っていたが、実際に目の当たりするのはこの時が初めてで、思った以上に似合っていたのとやはり正悟の母に面影が似ていてそれが嬉しかったのか、正悟へと向けた一瞬の笑みがクラス中の女子に刺さったようで、黄色い歓声を小さく上げる生徒が数名いたが、郁磨もその声で我に返り咳払いをする羽目になった。

「……と、とにかく全員席に着くように」

教室中の空気が湧き立ち、正悟としては悪くない一日の始まりとなった。
郁磨は少し恥ずかしげに生徒達へ席に着くよう指示して、生徒達が椅子に座った頃を見計らって出席確認を始める。
ホームルームも無事に終わり正悟は午前中の授業を全て無事に終えると、昼休憩の時となり他の生徒に囲まれる前に屋上に行ってしまおうと足早に移動していく。
そこら辺の行動は慣れていることからか誰に捕まることなく屋上へと続く階段にたどり着き、外に出ると風に当たりながらその場の空気を満喫する。
──ここは変わらず静かで気持ちがいい場所だ。
千草が来る前の一人の時間、正悟は屋上のフェンス近くに立ち空と地上の景色を堪能しつつ澄んだ空気を軽く吸い込み呼吸を整えていると、扉が開き見知った人物が現れ正悟を視認すると驚いたような表情をしているのが見て取れた。

「……千草」
「──せん、ぱい?」

千草の瞳に映る正悟の姿はまるで絵画のように綺麗で、初めて見たその時は誰か別の人間なんじゃないかと目を疑ってしまった。
しかし名前を呼ばれ自分でも正悟を呼ぶと、それに対して微笑みで返してくれた正悟の姿を見ればそれが偽物などではないことは一目瞭然である。
眼鏡と前髪で隠れていた素顔を見た千草はその姿に目を奪われ、恥じらいという名の感情を覚えた瞬間、顔が徐々に赤くなる。

「……大丈夫?」

千草が急に目を逸らしながらそわそわとし始めたので、正悟は不安になりながらも心配の声を上げる。
だが、正悟が距離を詰め千草を心配すればするほど目を合わせなければならなくなり、千草としては余計に視線を交わすことが出来なくなっていた。
流石にそういったやり取りを繰り返しているうちに正悟も千草が照れているというのに気が付き、心配するのではなく話でもしようとして言葉を投げかける。
そうして自然な形で目を合わせようとすれば千草も正悟の姿に慣れていくだろう、そう思い正悟は不慣れながらも千草へと話を振る。

「顔背けるほど、似合わない?」
「っ……そんなことない!似合ってる!」

千草ならそういうだろうというのは何となく分かってはいたが、改めて褒めて貰えたというのは正悟にとっては凄く嬉しいことだったのだろう。
正悟は満足しながらも千草が前を見て目を合わせてくれたので、それから先は普段通りに接することが出来るだろうと正悟はいつも通りに声をかける。
それどころか髪を切ってからいつも以上に明るく接していられている気がして、心の底から笑顔を浮かべることが出来ていつも以上に会話が弾むようになった。

「ご飯、食べよ?」
「う、うん……」

いつもの場所でいつも通りに千草と居られることに感謝しつつも正悟は幸せを噛みしめるように千草へと微笑みを向けていると、千草の方も慣れてきたのか照れながらも自然と笑顔を向けるようになる。
正悟先輩の笑顔は人を幸せにする笑顔だ──千草はそう思う。
少なくとも自分は幸せになれたと、そう思えるだけ目の前にいる正悟は魅力的で何よりも綺麗だった。
この笑顔をずっと見ていたい、守りたい、そんな風に考えていると笑顔も柔らかいものになり二人の空間は今まででは考えられないほどに和やかなものとなっていく。

「──俺、千草に救われたんだ」
「え?」

昼食も済ませ正悟と千草は少しだけ会話する時間が訪れたため、心の内を聞いてもらおうと正悟はぽつりと言葉を口にして話のきっかけを作る。
すると千草は疑問に感じたのか、それに対してどういうことなのかという風に正悟へ聞き返す。

「あの日助けてもらって、そばに居てくれて受け入れてくれて、俺……凄く千草に救われた」
「オレは思ったことしただけでそんな考えてた訳じゃ──」
「ううん、それでも俺は千草が隣に居てくれて良かったって思ってる」
「…………」

救われたのは自分の方だ──あの日あの時助けてくれてそばに居させてくれたことで居場所を与えてもらえたのは自分の方なのに、先輩は勘違いしている。
千草はそう思いながらも口には出さなかった。
口にしてしまうと心に秘めた想いが薄っぺらく感じられてしまいそうで、身体の方が口にするのを拒んでいた。
しかしそれで良かったのだ。
千草はそれほどまでに大切にしている感情だからこそ自分の心で力に変えて正悟を守りたいと思えるのだから──。

「だからさ、ありがと!」

正悟は心から微笑み千草へとそう言葉を向けた。
この笑顔を守れるくらい千草は強くなりたいと願う。
それは物理的な強さというよりも正悟の心に寄り添いずっとそばに居て心を支えると言う強さの方だ。
そうすることで自分が受けた恩を返せるのではないかと、千草は考える。
何よりも心がそうしたいと叫んでいた。
正悟が述べた感謝の言葉を素直に受け取り千草はその言葉に続けてこう述べる。

「オレ、先輩の笑顔を守りたい──」

To be continued...
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