05. 千変万化の禁断魔法
「正悟、本当にいいのかい?」
「うん、お願い」
真剣な表情で正悟は合図を送ると、禅は息を呑み手元に用意された道具を見て小さな溜め息を吐きながらもそれを手に取る。
午前中に千草との話を終えた後、午後には禅と二人で正悟の自宅の方へと戻ってきていた。
千草にも今日の会話内容は極秘にして欲しいと重ね重ね約束をしてから別れたが、その後正悟から熱心な申し出があり今に至っている。
その申し出というのが、目の前に広がる光景でもあるのだが、突如正悟が髪を切りたいと言い出したのだ。
普段髪を揃えることはあってもそれほど印象を変えるような切り方はしてこなかったため、心情を図るためにも禅は最後の確認に移る。
「正悟。切ることに反対する訳ではないけれど……大丈夫なのかい?」
「うん」
「千草くんと話してから妙に落ち着きがないけど、ノリで切って欲しいとかっていう訳じゃないだろうね?」
「そんな訳ない……いや、少しあるかも」
「やっぱりやめておいた方が──」
「大丈夫、心配しないで!」
「その自信はどこから来るんだか……」
千草と出会ってからというもの、正悟の能力が少し落ち着いている様子は確かにある。
しかし能力の効果が低下していると断言出来ない以上、問題に繋がるような行動は極力避けるべきだ。
禅がそう考えるのとは裏腹に、正悟は明日からの学校に髪を切って更には眼鏡も外していくと言って、いくら諭そうとしても聞く耳を持たない。
ここまで頑なになる理由が分からずに、禅は不安になる一方であった。
だが、正悟の意志を尊重したいとも思っていたため、禅も覚悟を決めたのか正悟のふわりとした髪に手を伸ばし、ハサミでもって短く整えていく。
そうして髪を切り始めた時だ──禅の聞きたかった部分の話を正悟が始めたので、作業を続けながらもその話に耳を傾ける。
「千草と出会って、この間のことが起こってから決めたんだ。もう振り返らないって」
「…………」
「それにさ、千草が変わろうとしてるのに俺だけ足を止めたくないんだ」
「──分かった。僕は正悟を信じるよ」
「ありがと、禅さん」
正悟の話を聞いて迷いが消えたのか、腕も自然な動きで正悟の髪を整えていったため、作業は円滑に進み後ろ髪はすぐに切り揃えることが出来た。
後ろが終われば前髪へと移っていくのだが、その前髪を切りながら禅は正悟の顔を見て思ったことを口にする。
「正悟も姉さんに似てきたね」
「母さんに?」
「ああ。顔も似てきたけど雰囲気がどことなくね」
「そっか……えへへ」
正悟の表情を見れば見るほど禅は姉の存在をそこに感じてしまう。
優しく聡明であった自慢の姉──他界した後も正悟を見守っている気がしていたが、今の正悟を見たら少しは安心出来るのではないだろうかと禅は正悟の表情を見ていて不思議とそう思えてくる。
特に笑った顔は生前の姉にそっくりで、純粋さと清らかな表情が誰の心でも癒すのではないかと身贔屓ながらも大げさに考えていると、正悟は亡き母の話を聞きたくなったのかそういった話を振ってきたので、禅は髪を切りながらそれに応えることにした。
「ねぇ、母さんの若い頃ってどんな感じだった?」
「優しくて聡明で、周りの人を自然と笑顔にするような人だったよ。あ……でも、郁磨はやんちゃしてたから、姉さんには心配されていつも叱られてたかな」
「フフ、郁磨さんもそんな時があったんだ」
「まだ子供の頃の話だからね」
「二人の幼少期とか想像もつかないや」
「今では郁磨も教師だからね、昔を思うと信じられないよ」
禅はそう笑いながら話すが、おそらく郁磨はこれらの話をされることを嫌うであろうと思い正悟には軽く口止めをする。
でなければまた郁磨に夕食を奢る羽目になってしまうと思ったからだ。
正悟にもそう伝えたが、それはそれで楽しそうだという話になってしまい、禅は少し困りつつも作業の方を終わらせてしまう。
「さぁ、終わったよ」
「……俺、変われるかな」
最後に自分の素顔を見たのはいつのことだったか──目の前に置かれた鏡を見て正悟は過去を思い出す。
髪で隠された素顔を覗いたことはあっても今のような姿を目の当たりにしたのは久しぶりだ。
昔のようにはなりたくない、これからは前を向いて歩きたい。
正悟がそう考えていると、禅の指先が肩に優しく触れると同時に、その不安を拭い去り背中を押すように言葉を残してくれる。
「そのための、第一歩だ」
「うん」
正悟は本来の姿を隠すように今まで印象を変え、隠れて生きてきたのだから怖いと思ってしまうのも仕方がないことだろう。
それでも正悟は前を向くと決め、禅もそれを後押しすると心に決めて正悟の意志を貫く手助けをしている。
髪を切ったのも禅なりの後押しのつもりであり、先程からどことなく嬉しそうにしている正悟を見たら禅も覚悟が決まった。
「さてと……」
「もう帰っちゃうの?」
「うん。まだ執筆の方も残ってるからね」
「そっか……また、無理言っちゃったよね。ごめんなさい」
「気にしないで」
「……うん」
「正悟、頑張るんだよ」
「うん!」
最後に正悟と視線を交え鼓舞するように言葉を投げかけると、部屋から出てエレベーターへと乗り込みいつも通りの階を指定して、地下の駐車場に向かい自分の車で自宅まで移動することにした。
しばらく走れば自分が住むマンションの駐車場に着くので車を止めて降りると、目の前に見慣れた黒服に包まれた人物が立っているのが視界に入る。
その人物は真面目な表情で禅に話しかけ、用意されていた車に乗るよう指示してきたので禅もその指示に大人しく従うことにした。
否──従わざるを得ないのだ。
それが責任を取るということでもある。
こうなるのは分かっていた──それが少し早まっただけの話で、今に始まったことでもない。
禅は静かに誘われるままその車に乗ると、後部座席のドアを運転手が閉めてその者が次に運転席へと乗り込んでくる間に小さく愚痴の言葉を呟いた。
「……嫌になるな」
禅はこの後の話もおおよその想像がついていたのであまり焦ることはなかったが、定期連絡でもない時に臨時で呼び出されるというその行為自体あまり気が進まなかった。
車はしばらく走り続け、その間の車内は随分と静かなものだ。
息が詰まる──比喩するまでもなく見れば分かるほど禅と運転手は何も話さない。
それもそのはず運転手はただ勅命を受け禅を迎えに来ただけなのだから、会話をしないのも無理はないし下手に何かを話せば主から咎められる可能性もある。
そんな中、運転手のことなど放って禅は考え事をしていた。
当然それは今から訪れる未来のことも含めてだが、全体の八割は正悟と千草のことであった。
明日からの生活で何かあるようでは困ると言うのはあったのだが、それ以外にも不安なことは多々ある。
考え事は尽きないため目的地に着くまで暇という概念は無く、退屈することもなかったが、いつもながらにここに来るのは時間がかかると思い禅は腕時計を確認すると、正悟と別れた時から既に数時間が経過しているのが見て分かった。
それだけ長い距離を移動してきたのは久しぶりだと禅は思いながら、ドアを開けられ降りろと言わんばかりの運転手に嫌気が差しながらも禅は要求通りにさっさと車から降りることにする。
「お待ちしておりました」
「お久しぶりです、黒衣 様」
「いえ、それほどの時でもないですよ。我々 の感覚では、ね──」
禅は視線の先に立つ黒服の男を見て会話をしていると、その後ろに聳え立つ屋敷へと足を踏み入れるためゆっくりと歩みを進めていく。
* * *
禅がとある人物に招かれている間、正悟は自宅で明日からの支度を済ませていた。
いつも通りの日課は熟し授業も平常通り進んでいくのでその予習をしたりと、やることなら山ほどある。
不安もあるが自信もあるという、そんな複雑な心境ではあったが正悟はやるべきことを済ませてから深夜になってベッドへ入り、眠るために目を閉じて心を休ませ夢を見る間もなく朝を迎え、ついにその時は訪れ、正悟は不安になりながらも胸を張り自身を鼓舞していく。
ゆっくりでもいいから前へ進め──。
一歩一歩で良い──確実に前へ前へと足を踏み出そう。
その先に待つ未来 を迎えるために今日出来ることをするんだ。
そう心に誓いながら学校へと向かう。
正悟の新たな人生の幕開けはここから始まる──。
「うん、お願い」
真剣な表情で正悟は合図を送ると、禅は息を呑み手元に用意された道具を見て小さな溜め息を吐きながらもそれを手に取る。
午前中に千草との話を終えた後、午後には禅と二人で正悟の自宅の方へと戻ってきていた。
千草にも今日の会話内容は極秘にして欲しいと重ね重ね約束をしてから別れたが、その後正悟から熱心な申し出があり今に至っている。
その申し出というのが、目の前に広がる光景でもあるのだが、突如正悟が髪を切りたいと言い出したのだ。
普段髪を揃えることはあってもそれほど印象を変えるような切り方はしてこなかったため、心情を図るためにも禅は最後の確認に移る。
「正悟。切ることに反対する訳ではないけれど……大丈夫なのかい?」
「うん」
「千草くんと話してから妙に落ち着きがないけど、ノリで切って欲しいとかっていう訳じゃないだろうね?」
「そんな訳ない……いや、少しあるかも」
「やっぱりやめておいた方が──」
「大丈夫、心配しないで!」
「その自信はどこから来るんだか……」
千草と出会ってからというもの、正悟の能力が少し落ち着いている様子は確かにある。
しかし能力の効果が低下していると断言出来ない以上、問題に繋がるような行動は極力避けるべきだ。
禅がそう考えるのとは裏腹に、正悟は明日からの学校に髪を切って更には眼鏡も外していくと言って、いくら諭そうとしても聞く耳を持たない。
ここまで頑なになる理由が分からずに、禅は不安になる一方であった。
だが、正悟の意志を尊重したいとも思っていたため、禅も覚悟を決めたのか正悟のふわりとした髪に手を伸ばし、ハサミでもって短く整えていく。
そうして髪を切り始めた時だ──禅の聞きたかった部分の話を正悟が始めたので、作業を続けながらもその話に耳を傾ける。
「千草と出会って、この間のことが起こってから決めたんだ。もう振り返らないって」
「…………」
「それにさ、千草が変わろうとしてるのに俺だけ足を止めたくないんだ」
「──分かった。僕は正悟を信じるよ」
「ありがと、禅さん」
正悟の話を聞いて迷いが消えたのか、腕も自然な動きで正悟の髪を整えていったため、作業は円滑に進み後ろ髪はすぐに切り揃えることが出来た。
後ろが終われば前髪へと移っていくのだが、その前髪を切りながら禅は正悟の顔を見て思ったことを口にする。
「正悟も姉さんに似てきたね」
「母さんに?」
「ああ。顔も似てきたけど雰囲気がどことなくね」
「そっか……えへへ」
正悟の表情を見れば見るほど禅は姉の存在をそこに感じてしまう。
優しく聡明であった自慢の姉──他界した後も正悟を見守っている気がしていたが、今の正悟を見たら少しは安心出来るのではないだろうかと禅は正悟の表情を見ていて不思議とそう思えてくる。
特に笑った顔は生前の姉にそっくりで、純粋さと清らかな表情が誰の心でも癒すのではないかと身贔屓ながらも大げさに考えていると、正悟は亡き母の話を聞きたくなったのかそういった話を振ってきたので、禅は髪を切りながらそれに応えることにした。
「ねぇ、母さんの若い頃ってどんな感じだった?」
「優しくて聡明で、周りの人を自然と笑顔にするような人だったよ。あ……でも、郁磨はやんちゃしてたから、姉さんには心配されていつも叱られてたかな」
「フフ、郁磨さんもそんな時があったんだ」
「まだ子供の頃の話だからね」
「二人の幼少期とか想像もつかないや」
「今では郁磨も教師だからね、昔を思うと信じられないよ」
禅はそう笑いながら話すが、おそらく郁磨はこれらの話をされることを嫌うであろうと思い正悟には軽く口止めをする。
でなければまた郁磨に夕食を奢る羽目になってしまうと思ったからだ。
正悟にもそう伝えたが、それはそれで楽しそうだという話になってしまい、禅は少し困りつつも作業の方を終わらせてしまう。
「さぁ、終わったよ」
「……俺、変われるかな」
最後に自分の素顔を見たのはいつのことだったか──目の前に置かれた鏡を見て正悟は過去を思い出す。
髪で隠された素顔を覗いたことはあっても今のような姿を目の当たりにしたのは久しぶりだ。
昔のようにはなりたくない、これからは前を向いて歩きたい。
正悟がそう考えていると、禅の指先が肩に優しく触れると同時に、その不安を拭い去り背中を押すように言葉を残してくれる。
「そのための、第一歩だ」
「うん」
正悟は本来の姿を隠すように今まで印象を変え、隠れて生きてきたのだから怖いと思ってしまうのも仕方がないことだろう。
それでも正悟は前を向くと決め、禅もそれを後押しすると心に決めて正悟の意志を貫く手助けをしている。
髪を切ったのも禅なりの後押しのつもりであり、先程からどことなく嬉しそうにしている正悟を見たら禅も覚悟が決まった。
「さてと……」
「もう帰っちゃうの?」
「うん。まだ執筆の方も残ってるからね」
「そっか……また、無理言っちゃったよね。ごめんなさい」
「気にしないで」
「……うん」
「正悟、頑張るんだよ」
「うん!」
最後に正悟と視線を交え鼓舞するように言葉を投げかけると、部屋から出てエレベーターへと乗り込みいつも通りの階を指定して、地下の駐車場に向かい自分の車で自宅まで移動することにした。
しばらく走れば自分が住むマンションの駐車場に着くので車を止めて降りると、目の前に見慣れた黒服に包まれた人物が立っているのが視界に入る。
その人物は真面目な表情で禅に話しかけ、用意されていた車に乗るよう指示してきたので禅もその指示に大人しく従うことにした。
否──従わざるを得ないのだ。
それが責任を取るということでもある。
こうなるのは分かっていた──それが少し早まっただけの話で、今に始まったことでもない。
禅は静かに誘われるままその車に乗ると、後部座席のドアを運転手が閉めてその者が次に運転席へと乗り込んでくる間に小さく愚痴の言葉を呟いた。
「……嫌になるな」
禅はこの後の話もおおよその想像がついていたのであまり焦ることはなかったが、定期連絡でもない時に臨時で呼び出されるというその行為自体あまり気が進まなかった。
車はしばらく走り続け、その間の車内は随分と静かなものだ。
息が詰まる──比喩するまでもなく見れば分かるほど禅と運転手は何も話さない。
それもそのはず運転手はただ勅命を受け禅を迎えに来ただけなのだから、会話をしないのも無理はないし下手に何かを話せば主から咎められる可能性もある。
そんな中、運転手のことなど放って禅は考え事をしていた。
当然それは今から訪れる未来のことも含めてだが、全体の八割は正悟と千草のことであった。
明日からの生活で何かあるようでは困ると言うのはあったのだが、それ以外にも不安なことは多々ある。
考え事は尽きないため目的地に着くまで暇という概念は無く、退屈することもなかったが、いつもながらにここに来るのは時間がかかると思い禅は腕時計を確認すると、正悟と別れた時から既に数時間が経過しているのが見て分かった。
それだけ長い距離を移動してきたのは久しぶりだと禅は思いながら、ドアを開けられ降りろと言わんばかりの運転手に嫌気が差しながらも禅は要求通りにさっさと車から降りることにする。
「お待ちしておりました」
「お久しぶりです、
「いえ、それほどの時でもないですよ。
禅は視線の先に立つ黒服の男を見て会話をしていると、その後ろに聳え立つ屋敷へと足を踏み入れるためゆっくりと歩みを進めていく。
* * *
禅がとある人物に招かれている間、正悟は自宅で明日からの支度を済ませていた。
いつも通りの日課は熟し授業も平常通り進んでいくのでその予習をしたりと、やることなら山ほどある。
不安もあるが自信もあるという、そんな複雑な心境ではあったが正悟はやるべきことを済ませてから深夜になってベッドへ入り、眠るために目を閉じて心を休ませ夢を見る間もなく朝を迎え、ついにその時は訪れ、正悟は不安になりながらも胸を張り自身を鼓舞していく。
ゆっくりでもいいから前へ進め──。
一歩一歩で良い──確実に前へ前へと足を踏み出そう。
その先に待つ
そう心に誓いながら学校へと向かう。
正悟の新たな人生の幕開けはここから始まる──。