05. 千変万化の禁断魔法

「おはよう、先輩!」
「……おはよ」

昨晩の会話から時が経ち、二人は朝早く約束通りに禅の店で待ち合わせをして合流する。
会うまでは気まずくなったらどうしようかと思っていたが、千草がいつもと変わらない仕草で挨拶をしてきたので正悟はそれに少し驚きつつも、これから話す内容のことも考えるとそのいつも通りの振る舞いが緊張感を和らいでくれていることに有難みを感じてしまう。
挨拶を終えて店の中に入ってみると禅が出迎えてくれたため、三人は奥のスタッフルームに移動してからそこにあるテーブルを囲むように椅子へと腰かける。
この時間、本来なら店を開ける準備で忙しくしているのだが今日は店自体を臨時で休みにすることにした。
そう判断したのは禅であり、千草へ話し終えた後のことまで考慮してのことだ。

「さて……早速だけど、千草くんが気になってる話から始めようか──」

禅がそう口火を切るが、その雰囲気にはいつもの飄々とした姿はなく、真剣な眼差しで千草を見ていた。
それに対して千草も、真面目な態度で集中しながら話を聞いていくことにする。
机の上には綺麗な縁どりが施されたティーカップがそれぞれ置かれ、注がれた紅茶が沈黙を守り三人の会話を静かに見守っていく。

「お願いします」

禅の言葉を真摯に受け止め返事をする千草の表情を見て、満足そうに頷いた禅はそんな千草のことを見て思う。
人は千草のことを“不良”と称しているらしいが、禅はそう思えなかった。
心根の優しい芯のある子である、と──。
でなければこれからする話を聞かせようなどとは思わないし、正悟のことを任せようともしないだろう。
とはいえ、次の言葉を聞いても千草が信じるかどうかは別の話だ。
これは賭けだ──禅にとっても正悟にとってもこれが失敗すれば代償が伴うのは分かりきっていたが、それでも正悟は千草を信じると決めた。
そんな正悟ことを見守ると決めたのだから、禅も二人を信じて話すことを選びこうして今に至る。
正悟は話の主導権を禅に託して自分はその言葉を静かに聞いていく。

「この子はね、二つの魔法が使えるんだ。現代の言葉で言えば、超能力と呼ばれる──いや、これは呪いと言っても過言ではない」
「魔法……呪い……?」
「この世界には魔法が存在して、それを操る人間がいるんだよ」
「…………え」
「それを僕たちは異能を授かりし者、能力者ルーティアクターと呼んでいる」
「…………」
「なんて、初めて聞く言葉だらけで鵜呑みには出来な──」
「それって、先輩には特別な力があるってことですか?」

千草の返事に対して禅は驚いていた。
何故ならこんな突拍子もない話、本来であれば受け止めるどころか意味が分からず怪しむのが大抵の反応だろう。
それを千草は禅が話したことを素直に飲み込み、確認するかのような返事をしてきたのだから禅が驚いてしまうのも無理はなかった。
正悟としてもこれほど早い段階で信じるとは思わなかったため、禅と顔を見合わせると少し安心したかのように微笑んだ。

「あ、あの……」
「あぁ……ごめんね。千草くんがあまりにも素直に信じてくれるものだから、驚いてしまってね」
「先輩がオレのことを信じてくれたんだから、それに応えたいんです」
「……この話はね、君に話すと少々不都合なこともあるんだ」
「オレが普通の人間……だからですか?」
「飲み込みが早くて助かる──と言いたいところではあるんだけど、少し補足がある」
「それは……?」
「君が正悟この子に対して適応しているからだよ」

禅の話から察するに、自分には正悟の能力が及ばないのだろうということを千草はすぐに理解出来た。
しかし正悟の“能力”ということが具体的には想像出来なかったため、千草は禅の言葉を引き続き待つことにして黙っていると、禅はそのまま流れるように話を続けていく。

「例の図書室での件、覚えているかな?」
「はい」
「中塚教諭の豹変ぶりを見てどう思った?」
「何か不可思議なことは起こってると思ったんですけど、具体的には……」
「あれはね、正悟の能力が引き起こしたことだ」
「でも!先輩は何もしてな──」
「そう、何もしていないんだ。何もしないだけでこの子は人の心を誘発して意識を刈り取り欲望を爆発させる」
「そんな……」
「トリガーとなるのがこの子の持つ特別な“香り”だ」
「…………」
「君にも思い当たる節があるんじゃないかな?」

そう言われてみれば千草には思い当たる節があった──それは正悟と出会ったばかりの頃、正悟という存在に興味が出てから初めて近付いた時だ。
身体の感覚がふわっと軽くなり、まるで無重力空間に居るくらいの浮遊感が急激に襲ってきて、心を支配されかけた感覚を覚えたのを思い出す。
だが、それだけだ。
それ以降、千草は正悟の隣に居続けていたが支配下に置かれるようなことはなかったし、豹変することもなかった。
だからこそ、千草は逆に不思議に思ってしまう。
何故、自分には正悟の能力が及ばないのか、ということを──。

「……なんで、オレには先輩の能力が効かないんですか?」
「それこそが、君は普通の人間ではないかもしれない──そんな仮説を立てるには十分すぎる現状だ」
「オレが……普通じゃない……?」
「あくまでも、悪い意味には取らないで欲しい。むしろ正悟にとって君は希望の光かもしれないんだからね」
「オレが先輩の力になれるんですか?」
「今の段階では僅かな望みではあるが、少なくとも君だけは正悟のそばに居られる──僕はそう思っているよ」

禅の微笑みに千草は少しだけ安心した──自分が役に立てるとここまでの話で確信出来たのも大きいのだろうが、素直に言えば正悟とまだ一緒に居られると言うのが今日一番の収穫だったのだろう。
本来であればこれだけの‪事が聞ければ千草としては満足であったのだが、禅が冒頭で話し始めた際に気になった事を言っていて、それについては何も言及しないことの方が今となっては気になる。

「そういえば、先輩のもう一つの能力って……?」
「そういえばその話もまだだったね」
「ここからは俺が話すよ。いいよね、禅さん」
「構わないよ」

そういうと正悟は禅から話の主導権を譲り受け、千草が気になっている能力の部分に触れていくことにした。
ここまでの千草の受け答えで大分安心もしたのだろう。
正悟もまた、千草と今後も一緒に居られると思ったのか穏やかな表情で千草に話し始める。

「さっきの話に出た能力よりも、もう一つの方は凄くシンプルなんだ──禅さん、このスプーン大丈夫?」
「見せた方が早いだろうからね、いいよ」

正悟は千草に向けていた視線を手元のティースプーンへと移しそれを手に取ると、見やすいように持ち上げ、親指から中指の間に通して人差し指でもって挟み込む。
次の瞬間、スプーンは指の形に沿うようにして見た目を変える。
それは普通の人間が細い針金を簡単に曲げるように自然とした仕草で、千草が瞬きをする暇もなく瞬間的に終わってしまった。
初めはまるで手品のように見えていたのだが全ては現実のことで、正悟に確認するまでもなくそれが能力と言われているものなのだろう。

「これが俺の能力──力を込めれば大抵の物は壊せるよ」

正悟はそういうと、手に持ったスプーンをテーブルへと戻し千草の方を見る。
流石に恐怖心を持たれるのではないか──そんな風に考えていたが、千草の表情は思ってもみなかったもので正悟は安堵するというよりも吃驚してしまい、すっかり立場が逆転してしまった。
千草は目を輝かせ、普通ではない異能の力を称賛すると、勢いよく椅子から立ち上がり正悟の方に身体を向けてまじまじと見つめると少し早口で言葉を投げかけていく。

「すっげぇ……!」
「…………え」
「この力って先輩が喧嘩強いのとかやっぱり関係してんの!?」
「いや、まぁ関係ないわけでもないけど、あれはまた別で──」
「やっぱり先輩はカッコイイや!」
「…………フッ、ハハ!」
「先輩?」
「いや、何か想像してた反応と違ったから驚いちゃって……」
「あ、ごめん!全部が全部良いことって訳じゃないよな……オレ、興奮しちゃって──」
「大丈夫だよ。千草の気持ちも何となく分かるから」

目の前で初めて能力を見た者は大抵、恐怖心を抱くか気味悪がって近付こうとしないかのどちらかであるため、正悟はこの能力を基本的には使わないでいる。
千草の前でこれを使ったのは実際には二度目で、千草を助けに行った時の乱闘騒ぎでは確かに使用したが、その時はこんな突拍子もない話をしてもいなかったし気付かれない程度にしか使っていなかった。
だから改めて見せたのは今日が初めてであったにも関わらず、千草は驚きもせずに“カッコイイ”と言い正悟のことを称賛する。
そんな印象を持たれたのは正悟の人生の中では初めてのことであり、好いている相手から怖がられなくて済んだというのは正悟にとっては大きな利点と言えよう。
それだけではなく、単純に受け入れてもらえた気がして嬉しかった──そういう表現が一番しっくりくるのではないか、と正悟はこの時そう思っていた。
その後、三人は他愛のない会話を交えながら交流を深めていると、時刻は昼に近付いて徐々に進んでいく。

「──とまぁ、千草くんが知りたいことは大まか話せたかな?」
「はい!」

禅の問い掛けに、満足そうな声で返事をした千草は壁にかかっていた時計をちらりと視界に入れると、話し始めてから大分時間が経っているのに驚いてしまう。

「あ、もうこんな時間。すみません、色々と聞いてしまって……」
「僕たちが呼んだんだ、そう遠慮しなくても良いんだよ」
「俺も千草にちゃんと聞いてもらえてよかった」

千草が少しだけ申し訳なさそうに謝ると、禅も正悟も気遣いながら感謝の声を述べたが、しかし禅にはまだ言わねばならない約束事があった。
誓約を交わさなければ千草にも危険が及ぶかもしれないのだから、そこだけは慎重に、そしてしつこくなってしまっても何度も確認するように千草へ問いかける。

「千草くん、この話は決して他言しないこと。それと外では正悟相手であってもこの話は振らないこと。これだけは約束してくれ」
「──分かりました」

禅の真剣な表情に千草は思わず姿勢を正して返事をすると、禅もその対応に満足したのか心のどこかで千草なら大丈夫──そう思えたようだ。
正悟もそのやり取りを見ていて少しだけ安心したのか表情が大分柔らかくなっていた。

「名残惜しいけど、そろそろ帰らないと……」
「送っていこうか?」
「いえ、大丈夫です。他に用事もあるので──」

禅の申し出に千草は失礼がないように断ると、正悟と目が合ったので別れの挨拶を告げようとしたところ先に正悟の方から声をかけてきたのでそれに対して返事をする。

「千草!今日はありがとう。お陰でスッキリした」
「オレも、先輩のことが知れて良かった。約束はちゃんと守るから!」
「うん……」

千草は荷物をまとめて店を出る支度をすると、最後に禅へと会釈をしながら挨拶をして店の外へと向かい歩き出す。
自動ドアの音がすると、正悟はふと思い立ったように千草の後を追った。
伝えなければいけないことがまだあった──正悟はその一心で、外に出て少し先の道を歩いていた千草へと声をかける。

「千草!」
「ん、先輩?何──」
「明日、待ってるから。また、屋上で待ってるから……!」
「……うん!」

千草は正悟に笑いかけてから背中を向けて歩き出す。
正悟も店の中へ戻り禅の元へと向かうのだが、そんな禅は二人が居ない間に少しだけ考え事をしていた。
先程千草に話した内容──それはこの世で触れてはならない禁忌の一角でしかなく、それだけでも触れれば身の危険がないとも言えない。
しかし、もう後には引けないだろう。
禅は自らを犠牲にしてでも二人のことを守ると決めている。
その日が来るかどうかは、天にでも祈るしかない。
いつの日か今回の件、上からのお咎めがあるかもしれない──何故なら、そもそもが千草のことを上が黙って見過ごす訳はないからだ。
二人の関係を壊すのか見守り続けるのかという選択肢を選ぶ日が訪れれば、二人の関係を壊そうとする者は必ず現れる。
一体どれだけの人間が禅の味方をしてくれるのか分からない。
それでも、禅は身を呈して二人を守ろうとするだろう。
それが幼き正悟を託した姉との約束でもあり、正悟の笑顔を守れることにもなるのだから──。
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