05. 千変万化の禁断魔法

正悟は今、迷っている。
否──迷わない日などあっただろうか。
人との接し方で悩むのはよくあることだが、まさかそれが禅との間で起こるとは思ってもみなかったからだ。
いつも優しく接してくれる禅に対してあの様な態度をとってしまい、正悟はこれ以上ないほど悔やんでいた。
バイトに行く予定の時刻は迫りつつあるのだが、それでも行きたくない感情の方が大きく合わせる顔がないと言うのが最も適した言葉ではあった。
責任感の強い正悟のことだ──流石に無断欠勤はしたくないというのが本音であろうが、休みの連絡すら入れるのが怖い。
しかし、いつまでも悩んでいる訳にはいかないので、正悟は体調が優れないことにしてしばらく休みたいという思いを禅にメールの連絡で済ませてしまうことにする。
いわゆる仮病ではあるが、禅には全てお見通しといったやつであろうことは正悟も既に分かっていた。
それでも他に言い訳が思い付かなかったのだからと強引にでも納得することにして深いため息を吐く。

「ふぅ……これでよし──」

他の生徒が居ないこの教室で、正悟はいつまでもスマホと睨めっこをしていたがそれもようやく終わりバッグにスマホを戻すと、忘れ物がないか確認をしてから帰宅しようと帰り支度を整え立ち上がり扉を閉めて廊下を歩いていく。
時刻は夕日が眩しく、照らされている場所はまだ夏でもないというのに少し暑い。
誰も居ない廊下を歩き階段を下りるために角を曲がった時のことだ。
後ろから声をかけられ正悟は振り返りながらその人物を確認すると、そこには見覚えのある姿があった。

「瀬奈」
「小梨先生……」
「今、少し大丈夫か?」

返事の代わりに小さく頷くと、二人は生徒指導室へ向かうことにして歩き出すのだが、郁磨の用件が何なのか分からずに正悟は少し不安に感じていた。
おそらく千草の話であろうと思っていたので、初めに出てきた名前を聞いて正悟は少しばかり動揺する。

「禅と何かあったか?」
「え……?」
「いや、お前とあいつの様子がおかしい気がしたんでな」
「あ、えっと……」
「喧嘩でもしたか」
「違うの……俺が我儘なこと言ったから……」
「そうか──」

正悟はここ最近のことを打ち明けると、郁磨は納得したように頷いて話を聞いている。
一人で悩み、答えを見つけるつもりでいたが、正悟にとって郁磨の存在はとても大きく禅とは違った意味で信頼を寄せている人物の一人だ。
そんな郁磨の助言ともなれば一つの指針となる話が聞けるのではないかと正悟は考える。

「それで禅のやつ落ち込んでたのか」
「禅さんと会ったの?」
「たまたま飯を食べにな。最後までお前のことは相談されなかったが、落ち込んでいたのはすぐに分かった」
「俺、また迷惑かけちゃった……」
「あいつも他の奴らもそんなこと思ってないだろうけどな」
「それは……」
「禅にも同じこと言われただろ」
「……うん」

郁磨にも禅にも見透かされ、正悟は情けなさと同時に二人には適わないと思うばかりではあったがそれでも今の正悟にはそれがありがたかったのと、悩みを聞いてもらえることがこれほど安心出来ることになるとは思ってもみなかった。
それからも話は続き、正悟は悩みの根源を聞いてもらうことにして重々しくも自身が抱える問題を相談し始める。

「俺、分からなくなっちゃって。自分のことも、千草のことも、禅さんともどんな顔して会えばいいのかって……」
「自分のことが分からないやつは沢山居るさ、お前の年頃なら特にな。それが悩みの種になってるやつも多い」
「郁磨さんは相談されたらなんて返すの……?」
「そういう時は目を反らせって言うかもな」
「自分と向き合わないの?」
「自分のことが分からない時は、周りの人間のことをちゃんと見てやると次第にどうすればいいか分かってきたりもするからな」
「そう、なのかな……」

悩みを抱えている者の特徴は分かりやすい。
郁磨はそういう者たちを大勢見てきたからこその助言であり、それが本人の生き様でもあった。
今でも自分が未熟であるのは理解しているが、郁磨はしてやれることは何でもしてやりたいと正悟相手だけでなく自分の受け持つ生徒全てにそういう感情を持っている。
それでも悩みがあるなら解消してやりたいし、出来る限り寄り添ってやりたい──そう考えているからこそ、生徒達からの評判もいいのだろう。

「悩んでるやつの周りには必ず心配している人間が居るはずだ。自分のことが分からずに辛くなったら頼ればいい。それでそいつが辛い時は助けてやるんだ」
「俺、助けてもらってばっかりだよ……」
「俺も禅もお前から沢山のものをもらっている。大丈夫、天ヶ瀬も同じだと思うぞ」
「千草に嫌われてない、かな……」
「あいつも、選ぶ時が来る。必ずな」
「選ぶ、時……?」
「将来のこと、自分のこと、そしてお前のこと」
「俺のこと……まだ考えてくれてるかな」
「あいつは俺が思うよりもちゃんと考えているみたいだからな。無闇に流されず、物事を順序立てて考え、答えを出すやつだ」

千草のことも見守ると決めたからには、郁磨も千草の性格、生活態度、それらのことをある程度把握していたのだろう。
教師からの視点、正悟の兄弟子からの視点、そういった視点から千草を観察した結果、千草の良いところも悪いところも見えてきたところだ。
良い意味でも悪い意味でも自分と似たところを感じた郁磨は、千草に対しても考えを改めていた。

「──これから俺はどうしたら良いの、かな……」
「天ヶ瀬にも、禅にも応えたければ、正悟もちゃんと考えて答えを出すんだ」
「考える……?」
「それぞれの問題に真摯に向き合って答えを導き出せば自ずと悩みは解消されるはずだ。焦るなよ、正悟。焦りは時に人を狂わせる」
「それは……」
「師の教えでもある」

武道を学ぶ二人にとって、師からの教えは絶対的に身体に染み込まれている。
焦れば技は鈍りそして隙が生まれると二人は鍛錬してきた中で何度も嫌というほどそれを思い知っていた。
それが人生にも適応しているというのは、言うまでもなく郁磨の生き方──それこそがその証明となっていた。

「正悟。焦らず迅速に、的確に相手を倒すためにはどうすればいい?」
「相手を見据えて隙を伺い、それまでは辛抱強く待つこと」
「悩みも一緒だ。いつまでも悩む訳にはいかないが、悩みの種を見つけたら根気よく解消の糸口を見出すしか方法はない。必ず転機は訪れるから隙を見失うな、正悟」
「俺に、出来るかな」
「出来るさ、後は最初の一歩を踏み出す勇気があれば必ず成功する」
「……勇気」
「大丈夫、お前なら出来る」
「うん……」

具体的にどうするかというのはこの段階では決意することは出来なかったが、悩みを打ち明け一人で考え込むことをやめただけで大分心が軽くなった。
郁磨という存在はいつもそうで、正悟が悩んでいると必ず助言をしてくれて心の拠り所となってくれている。
それだけでも正悟は心底楽になり、再び前に進むための足がかりになった気がしていた。
考える力とその勇気を分けてもらえた気がして、気持ちを新たに現状の悩みと向き合うことが出来る。
それは険しく厳しい道のりかもしれないが、それでも前に進むしかない。
正悟は家に帰宅してからも考えることは尽きず、気付けば夜も老け就寝時間となり朝を迎えるために布団へ潜り込むと、後は導き出した答えをどう禅へと伝えるか考えている間に、知らず知らずのうちに眠りへと落ちていた──。
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