05. 千変万化の禁断魔法

「ねぇねぇ、聞いた?」
「なに~?」

そのような言葉から始まる女子生徒達の会話だが、朝のホームルームが始まる数分前、一人の女子生徒を何人かの生徒が囲うようにして会話をしているのが耳に入ってくる。
普段は噂話に興味のない正悟ではあるが、続けて聞いていくうちにどうしても気になってしまい、本を読んでいる振りをしつつその話題に聞き耳を立ててしまう。

「さっき職員室で聞いたんだけどさ、中塚先生が辞めたって言ってた!」
「え、まじ?」
「理由までは話してなかったけど、今日から臨時の先生だって!」
「私あの人苦手だったんだよね〜」
「分かるー!」

そこまで話が続いたところで前方のドアが開き、担任である郁磨が入ってくる。
すると先程までざわついていた教室内の空気が変わり、各々席へ戻る生徒たちを横目に正悟も本を机に戻し郁磨の方を見てみるが、あまり普段と変わったところはなさそうでいつも通りに出席確認を進めていく。
正悟の番になり郁磨に呼ばれるがそれには平常心で返事をして、その後も他の生徒たちの様子を伺いながら終わるのを待っていると、最後の生徒が返事をした瞬間に出席確認は終了となり、同時に何点か連絡事項があるようなのでそれについて話し始めた。
そして最後の話題になった途端、郁磨の話に食いつくように聞く生徒や密語する生徒達まで出始める。

「何やら噂になっているようだが、現代文を担当していた中塚先生が辞職されたので、これからは代わりに──」
「中塚先生なんで辞職したんですかー?」

先程教室で噂話をしていた女子生徒が待ちきれないといった感じで郁磨へと質問を投げつけるのだが、その様子はとても無邪気で悪びれた風もなく思ったことを純粋に口にしているようであった。

「一身上の都合だ」
「えー、なんですかそれ~」

郁磨の返事で教室内の空気が一気に沸き少しばかりざわめき立つがそれを鎮めるのも郁磨の役割ということで、そのまま郁磨は生徒全体と会話していくように言葉を並べる。
幸い生徒達もその話を静かに聞き出したので騒ぎになるようなことはなかったが、それを傍から見ていた正悟は罪悪感に似た感情を抱いていた。
自分のせいでこのような状況になってしまった、と──。
郁磨からは昨日も気にするなと言われているのだがそれでも気になってしまう。
中塚の件についてはその後どうなったのかは聞いていない。
聞いてしまえばもっと深く闇に落ちてしまうのは目に見るより明らかで、郁磨なりの配慮もあったのだろう。
だからこそ郁磨は正悟に教えることもしなかったのだが、そんなことは今までの経緯もあるため正悟も察することは出来る。
あの方・・・の根回しは完璧で、今日に至るまで何かあればその度に正悟の周りで起こった害悪は全て排除されてきた。
自分に関わると何故こんなにも人生を狂わせてしまうのか──正悟は心を痛めつつも色々なことを考えていたのだが、その間にも他の生徒と郁磨の会話は進んでいき気付けばホームルームも終わりの時間へと近付いている。

「君たちが気にすることではないので、勉学へ集中するように。以上でホームルームは終わりだ」

郁磨は最後そのように締めくくると教室を出ていくのだが、その数分後には違う教師が入って来たためそれからは平常通りの授業が始まっていった。
昼休憩になり、正悟は教室から逃げるようにこっそりといつもの場所へと向かっていく。
屋上へ出ると入口の裏手に回り、物陰になった場所で弁当を広げて千草が来るまで待っていると、騒々しいぐらいの足音を立てて千草が屋上へとやってくる。

「せーんぱい!」
「やっぱり来たんだ」
「そりゃ来るよ、学校で会えるのここぐらいだし」
「俺がここに居なかったらお前、どうするの?」
「えー、探し回っちゃうかも?」
「迷惑なやつ」
「へへ」
「……何?」
「ううん、何でもない」
「変なやつ」

正悟と話をしていると千草はいつも元気になれる。
昨日のことがあったので今日は会えないのではないかと思っていたためこうして今、正悟と会って話が出来ることに千草は喜びの感情を抱いていた。
正悟と過ごすいつも通りのやりとりがここまで嬉しいことだったのかと思っていると自然と笑みが零れてしまう。
しかしそれは千草が感じていることで正悟から見たら只々怪訝そうな表情になるばかりであった。

「お前って本当に変わってるよな」
「どこら辺が?」
「俺に惚れるようなところとか──」
「先輩だってオレのこと好きって言ってくれたじゃん」
「言ってない」
「素直じゃないんだから……」
「……うるさい」

昨日は色々と疲れていて自分でも恥ずかしい言葉を並べ立てたのが今になって冷静な頭で考えると分かってしまい、正悟は素直に千草の言葉に反応出来ずにいる。
千草を想う心に偽りはないがそれでも好きだの愛しているなどと言う言葉を今まで発する機会が無かった正悟にとっては、本気で恋をしてしまっている相手が目の前に居て、気軽に囁ける愛情表現などという能力を持ち得てはいない。
だからこそ素直になれないでいたのだが、千草としては確証となる表現をしてほしかった。
不安なのは正悟だけでなく、千草としても男の自分のことを本当に好きでいて恋人として認識してくれているのか気になるところではある。
好きという言葉一つで気持ちが固まる訳ではないが、それでもやはり愛してる人からの言葉は欲しいと願ってしまうのはいけないことなのだろうかと、千草はそう考え正悟へと切実に願う。

「じゃあ今聞きたい」
「はぁ?」
「オレは好きだよ、先輩は……?」
「俺、は──」

千草は正悟に迫るように身体を近付け、その甘くとろけるような声で愛を囁くとそれを復唱してもらえるように正悟へ問いかける。
千草との距離が近付き心臓の音が高鳴ると、正悟はいつも以上の緊張感を覚えてしまう。
それは以前のような他人に対して抱く緊張感ではなく、千草の言う“好き”という感情なのだろうと薄々感じていたがそれでも正悟はそれを素直なまま口に出すことが出来ずにいた。
勿論千草のことは好きであるし、そう言ってやりたいという思いもあるのだが、正悟の気持ちとしてはそれ以上に他人の思いに踏み込む勇気がなく、決意が揺らいでいたからだ。
千草が変わりたいと思うのと同時に正悟もまた変わりたいと願っているが、人というのはそう易々と今まで生きてきた環境を変え、更には性格を変えられる者など多くはない。
ましてや正悟のように幼少期から人を遠ざけてきた人間からしたら一日や二日でどうこうなるものではなかった。
千草が望む“好き”という言葉──それが言えればお互い気持ちが楽になるであろうその言葉を言うことがこの時の正悟には出来ず、代わりとなる愛情表現の言葉を口にしようとした矢先、時というのは残酷で急に屋上の扉が開く音がして正悟は身をすくめて言葉を飲み込み、静かにする合図を千草へと出す。

「ねぇ〜!天ヶ瀬くん、こっちに来たって本当?」
「聞いた話だよ。最近見かけたって人が居るみたい」
「ここってあんまり人来ないじゃん?」
「う〜ん、だから噂じゃない?」
「そうだよね〜、まぁいいや!戻ろう!」

そんな会話が聞こえてきて再び扉が閉まる音がすると、正悟は安心したように溜息を吐いた。
しかし女子生徒が居なくなり改めて目の前の千草を見ると、思うことがあったのか顔が急に赤くなるほど熱くなる。
千草の整った綺麗な顔立ちに、吸い込まれそうな純粋な瞳、そして自分に向けて愛を囁くその唇を見て正悟は恥ずかしくなってしまい顔を俯かせる。
この後はどうするべきなのか──そう思った時だ、千草の口からあまり聞きたくない話題が飛び出す。

「先輩ってなんで他人を避けてんの?」
「それは──」
「ごめん、言いたくないこともあるよな……」
「そうじゃなくて……」
「オレには言えない話?」
「……今は、言えない」
「いつか……話してくれる?」
「…………」
「そっか……」

千草は口を閉ざした正悟の顔を見て、察したように空元気を装うことにする。
好きな人を悲しませることだけはしたくない。
例えそれが複雑な一方通行の思いだとしても──。
正悟がその思いに気付き自分を認めてくれるまで、千草は諦める気はなかった。
それが昨日のことで理解した状況と自分の想いだと思ったからだ。
そんな話をしているうちに時間は過ぎ、予鈴が鳴り二人は教室へ戻るしかなくなり千草は渋々教室へと向かおうとする。
正悟もそれに続いて少し離れた位置で廊下を歩いていると、次第に階段が見えてくるのでそこが千草との分かれ道となっていた。
下の階へ向かう正悟にいつもなら挨拶をしてから千草は戻るのだが今日はそれがなく、そのまま正悟に背を向けて歩いていってしまう。
正悟はその背中を見送りつつ自身も階段を一つ一つと下りるのだが千草との心の距離がまた少し離れてしまったと自分の発言を後悔してしまい、歩く正悟の後ろ姿はどこか寂しげであった。
しかし今の状況で自分の抱える秘密を独断で話す訳にもいかず、正悟もまた渋々教室へと戻っていくしかない。
心の片隅にあるわだかまりを解消する術もなく、ただひたすらに日々をやり過ごすことを考えながらその日の学校生活を終えた。
それが二人の感情にすれ違いが起きる小さなきっかけになるとも知らずに──。
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