04. 禁断魔法を繋ぐ物語

「なんだよ、これ……アンタ、教師のくせに何してるんだよ!」
「……瀬奈、お前を誑かす素行の悪い生徒が来たぞ?」

中塚はそういうと正悟の姿を見せびらかすように身体を拘束したまま千草の方へと向け、涙に濡れた顔へと近付き耳元でそう囁く。
本来であればここまでの事をされ、助けを求めたいと思っている人間がパニックにもならずにいられるものなのだろうか。
正悟にとっては千草に一番見られたくない姿を見られた──その一念が瀬奈正悟・・・・という一個人の感情を崩壊させることなく維持させたというのは皮肉としか言えず、しかしそれ故に正悟は自我を保ちながら郁磨にとある“願い”を口にすることが出来た。

「郁磨さん……天ヶ瀬を連れて離れて──」
「しかし!」
「早くしないと、二人とも巻き込まれる!」
「くっ……天ヶ瀬、来い!」
「ちょ、何言って──っ!」

正悟の悲痛な叫び声に身体が反応したのか、ここに来て郁磨の足が動き出す。
感情と身体が追い付かないこの状況に戸惑いながらも郁磨は千草を連れて走り出そうと腕を取り引っ張るが、千草はそれに抵抗して必死に郁磨の束縛から逃れようと抗い、正悟のところへ向かおうとする。

「……先輩っ!」

千草の声は正悟の心に届かず、いくら暴れても郁磨も腕を放そうとしない。
それは仕方のないことで、この場で千草を自由にすれば中塚の二の舞になりかねないからだ。
その様なことになれば一番傷付くのは正悟で、これ以上の傷は正悟の心を壊しかねない。
そう判断をした郁磨の対応であり正悟の意志でもあるのだが、それを受け入れる自分という存在に憤りを感じない郁磨ではない。
本当は真っ先に正悟を助けたい、目の前に居るのに指一本触れられないという状況に納得している訳がないのだ。
ただ、その感情を読み解くことが出来ない正悟ではないため、念を押すように再び声を出して二人に呼びかける。

「頼むから、お願いだから……これ以上、俺に近付かないで──」

無力な自分を呪いながら郁磨はその言葉を受け入れて離れようとした時、少しだけ千草の腕を握る手が緩むのを許容してしまい、それに気付いた千草が腕を振りほどいて拘束から逃れてしまう。

「っ……悪いけど、いくら先輩の頼みでもそれは聞けない!」
「おい、天ヶ瀬!」

隙を突いて拘束から逃れた千草は、郁磨の制止も振り切り一気に図書室の中へと入ると正悟に近付く。
その瞬間、確かに感じた感覚──それが濃密な空気魅惑の香りというものなのだろうが、千草には関係が無かった。
空気の重さなど気にした様子もなく、中塚の存在も無視し、自分の言動で正悟のことを傷付け、今も助け出せずにいる自分の無力さに腹を立てた千草は、ただひたすらに助けるという一念で、それだけを原動力として前へと進んでいく。

「オレは自分が悔しいから。先輩にそんな顔をさせて、独りにしてしまった自分を許せないから──」

千草は郁磨と似たような感情を抱えてはいるが、今はその感情から抜け出し正悟を助けることしか考えていない。
正悟は近付きながら話す千草のことをなんとか止められないかと思ったが、千草の意志は固くこれ以上はどう足掻いても動きを止めることは困難だと悟った。
それでも何か言わずには居られない──千草が目の前で自我を失い苦痛を味わう姿など見ていられないからだ。

「天ヶ瀬……だめっ、お前まで──」

正悟は涙を堪えて必死に千草を止めようとするが、その歩みは止まらず段々と自分の方へ近付いてくる。
必死に正悟の心に触れようと語りかけてくる千草を見ていたら、正悟はその言葉を受け入れるしかなくなるではないか──その決め手となる一言が千草の口から放たれた時、正悟の瞳から涙が消えた。

「もうオレは後悔したくない!先輩の支えになるって決めたんだから!」

一瞬でその場の空気が変わった──そう思った瞬間、正悟は無意識に手を伸ばしていた。
千草は軽々とその手を取るとそのまま中塚から引き離すように自分の方へと正悟を手繰り寄せ優しく抱きしめる。
二人の指先が触れた瞬間、郁磨は空気が浄化されたのを感じて、そのことを確認するかのように手を動かし手の平を見つめると、一瞬だけ呆けることにはなったがそれはすぐに収まり二人を見る。
すると辺り一面静まり返ったその場の沈黙を破るように千草が正悟の心を落ち着けていた。

「大丈夫だよ、もう……そばに居るから」

その言葉を聞いた瞬間、正悟の中で心の氷が溶けたかのような安心感を覚え力が抜けると同時に意識が遠退いていくのが分かる。
瞼が閉じられ視界が暗くなっていく中で、正悟はふと気になった言葉を口にして千草に疑問が残る形で気を失ってしまう。

「な、んで……どうしてお前は、平気・・なんだよ」
「先輩?」

身体の力が抜けた正悟を支えるようにして床に膝を付け、そのまま正悟を抱いたままでいるとその様子を見ていた中塚が、狂ったように千草を攻撃対象として認識すると罵倒するように言葉を放つ。
それはもう自我を失い理性などなくただ欲望のままに言葉を吐き出し、今まで見てきた中塚の顔など思い出せないくらいの異常さを感じながらも千草は耳を傾けるしか他になかった。

「許さん……許さんぞ、この出来損ないが──!それには有能な人間がふさわしい、貴様のような落ちこぼれが手を出していいものではないのだ!私のような存在だけがその香り・・を手に入れることが出来る!」
「香り……?」

千草は中塚の言葉を聞いて不可解に思う。
正悟と居ると心地良い香り・・を感じることは確かにあったが、それだけだ。
中塚が言うほどの価値というものがあるのだろうか、それほど大事なことなのだろうかと千草は思うがそれこそ今はどうでも良かった。
それが中塚から見ていて気に食わなかったのだろうが、千草としては正悟の体調や心の傷害の方が気になる。
あれほどの酷い目に会い、今も腕に抱えた正悟はぼろぼろで正直見ていられないと言うほどの姿では、心配するなと言う方が無理であろう。
それでも中塚の言葉は止まらない、それどころか激化していく一方であり危険度で言えば手が付けられない状態まで来ていた。

「それの存在価値に気付かない愚か者め……物の価値に気付かない奴が所有出来るほど甘い世界ではない!」
「さっきから聞いてれば、何なんだよ!先輩のこと、それとか物とか言ってんじゃねぇよ!」
「貴様に講釈したところで時間の無駄だ……さぁ、それを差し出せ──その汚らしい手を放して私に返せ」
「先輩は誰の物でもない……オレの物でもなければアンタの物でもない!自分のことは自分で決める……オレがオレであるために先輩は居場所を与えてくれた。だからオレも──っ!」
「黙れ落ちこぼれが!何も理解出来ないガキの分際で偉そうに語るなど愚の骨頂……お前たちガキが何を語ったところで無意味なことを教えてやる!」
「──先輩っ!」

中塚が自身の隣に置いてあった椅子を無造作に手で持つと、それを千草に振り下ろそうとする。
本来ならば身を守るはずだが千草は咄嗟に正悟を包み込むような形で抱えると、そのまま正悟を守ろうと身構える。
椅子が振り下ろされるその瞬間、すなわち千草が痛みを覚悟した際、ぎゅっと瞼を閉じた時だ──いつまで経っても痛みがやってこなかったため不思議に思い目を開け頭上を見るとすぐに現状が理解出来た。

「──無事か?」
「小梨先生……」
「……正悟を守ったことだけは認めてやる」

意識を失った中塚を抱えながら、それとは別に振り下ろされる前に止めた椅子を持った郁磨の姿がそこにはあった。
郁磨は少しだけ不愉快そうに千草へ呟くと、椅子を下ろして中塚を窓際の壁にもたれかかせ眠らせておく。
そのまま郁磨は正悟へと近付き様子を見てどの程度疲弊しているかを確認すると安堵の息を吐く。

「正悟は?」
「あ、えっと……」
「大丈夫、眠っているだけみたいだ」

能力の使い過ぎで眠っているのを確認すると、郁磨は二人から少し距離を置いて電話をかけるようであった。
その姿を見ながら本格的に通話を始めた郁磨を見て、千草は視線を正悟へと移すことにする。
長く伸ばされた前髪から覗く端正な顔立ちは相変わらずだが、それだけで中塚が正悟を狙い襲ったとも思えない。
先程の空間はそれほど異常で、今思い返せば千草も疑問がいくつか浮かんで来たのだがそれを郁磨に問いかけたいとは思わなかった。
今は正悟が無事であることに安堵し、郁磨の通話が終わりどうするべきかという指示を待つしかない。
出来れば正悟が目を覚ますまではそばに居てやりたいと思っているが、生徒の下校時刻は過ぎているため郁磨に帰されるのだろうと思っている。
郁磨は忙しそうに色々な場所へ電話をしているようで、中々こちらへは戻ってこない。
その数十分の間、千草は膝枕の状態で正悟を寝かせ、心配そうに見つめているのだが目覚める兆しは見当たらず、しびれを切らして静かに正悟のことを呼んでみる。

「先輩……」

千草が小さく声を出すと、その声に反応したかのように正悟もまた小さく声を出してから薄らと瞼を開き千草を視認するように何度か瞬きをすると、千草の名前をはっきりと呼び身体を起こす。

「天ヶ瀬……」

まだ無理をしないように伝えるつもりだったのだが正悟が起きたのに気が付くと、丁度良いタイミングで電話を終えた郁磨が声をかけるために近付いて来るので、千草は遠慮しつつそのままで居ることにした。

「起きたか、正悟。疲弊しているだろうが、身体は大丈夫そうか?」
「郁磨さん……うん、大丈夫」
「そうか」

郁磨がそれだけ言うと一瞬だがその場に沈黙が流れ、正悟は混乱気味の頭を正常に戻そうと状況を整理し始める。
そして眠る前のことを思い出すと自分が何をされていたのか、あのままされていたらどうなっていたのかと想像したせいで正悟は血の気が引く思いであった。
それでも正悟は質問するのをやめようとはせず、郁磨に問いかけ表情を見ながら状況を察する。

「──あの、中塚……先生は……?」
「……問題ない」
「そっか……」

郁磨が送る視線の先を確認すると未だに意識が戻らない中塚の姿が確認出来た。
郁磨が加減して気絶させたのだから心配はいらないと思ってはいるが、気になるのはもっと詳細な部分なのだろう。
つまり問題は他にもあるのだが、今その話をしても誰の得にもならないことが分かっているので中塚の件については正悟も触れることを一旦やめることにして、今はそれ以上に気になる事の方を優先する。
千草のことだ──こんな事になって戸惑わない訳もなく、正悟は自分の気が済むように、それだけのためだけに謝りたかった。
そうすることで許されたかった──その一念で千草へと話しかける。

「天ヶ瀬もごめん、巻き込んで……」
「そんなの……」
「もう帰った方がいい……俺と居るとまたこういう羽目になる」
「せんぱ──」

千草にそう言った正悟は返事も待たずに視線を逸らし気まずそうに下を向く。
それを見た千草も言葉に詰まり途中で声を出すのを止めてしまった。
そんな二人を見ていた郁磨が現在時刻を確認する為に腕時計に視線を移すと、そろそろ動いた方が良さそうな時間だと思い正悟の身体を心配しつつも声をかける。

「正悟、校門まで歩けるか?禅が待ってる」
「禅さんが……?」
「それと天ヶ瀬、時間が大丈夫なら正悟と一緒に禅の所に行ってくれ」
「え、郁磨さん……?」

千草が返事をするよりも前に声を出した正悟の疑問は最もで、これ以上千草を巻き込む理由が分からなかったからだ。
それ以前に巻き込みたくない、またあの様な姿を晒すのは嫌だという思いが拭えない。
自分と居れば今後、確実にこういう事件に巻き込むのは郁磨も分かっているだろう。
それなのに何故──正悟がそう思っているのにも関わらず郁磨は話を先へと進め図書室から去ろうとする。

「そういうことだから、校門までは送っていく」
「郁磨さん!」
「禅の指示だ」
「…………っ」

正悟が声を張り上げても郁磨の思いは変わらないのか静かに歩き出し、図書室のドアの前で暗い表情のまま呟くと、それを見た正悟は何も言えなくなってしまい無言のまま了承せざるを得なかった。
正悟は意識を失った中塚を最後に一瞥すると荷物を持って郁磨の後を付いていき、そのまま校門へと向かうことにする。
その道中は無言と言っても過言ではない──というよりも誰一人喋る事が出来なかった。
校門で禅に会うまで正悟は落ち着かず、現実と夢の区別が出来ないようなそんな思いで歩みを進めていく。
考えたらそれこそまた涙が止まらないような気がして、それ以上前に進めない気すらして、怖くて隣りを歩く千草の顔すら見られなくなっていた──。
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