04. 禁断魔法を繋ぐ物語
遠くの方に存在する意識を呼び覚ますようにアラーム音が小さく鳴り響くと、それは段々と大きさを増していく。
即ち正悟の眠りが徐々に浅くなっていく事を意味し、同時にその音を止めようと正悟は手探りで発生源の目覚まし時計を見つけて止めるのだが、ベッドから起きるのが憂鬱になるほど目覚めが悪い。
普段ならばベッドから出たくないと思うほど身体に負担がかかることもなく、ましてや休みの日の鍛錬を怠けたいと思うこともなかった。
明らかに昨日のことが尾を引いているのか、身体が重く感じるほど深い眠りに就いていたようで、正悟はそのままもう一度寝てしまおうかとも考えていたのだがやはり鍛錬を怠る訳にもいかないと思ったのか、すぐに支度をして家を出ると、軽く走り込みをしてから戻ってくる。
それから数時間かけて家の中で型の確認やストレッチなどの運動をして鍛錬を終わらせると、朝食を済ませたところで予定を確認するのだが、手帳を見直しても今日明日と何も書かれていないことに気が付く。
思い返してみれば禅からはたまにの休日はゆっくりと満喫した方が良いと言われ、渋々休みをもらったのを忘れていた。
休日ともなれば喜ぶのが普通 なのかもしれないが、正悟は暇な時間が突然訪れた感覚に襲われ却って身構えてしまう。
休日なのだから好きなことをして過ごせばいいというのにも関わらず具体的に何をしようかと思うと何も出てこない。
正悟は時間を浪費するため部屋の掃除をしたり家事全般を熟していくことで少しだけ昨日の出来事を払拭することが出来た。
だがそれでもまだ足りない──正悟は休憩と称して気分転換にテレビでも見ることにしてリモコンへと手を伸ばすと、電源ボタンを押してテレビを点ける。
普段テレビをあまり見ない正悟がたまに見る番組と言えば情報番組くらいなもので、今もドラマが映っているが興味が湧かないので適当に放送局を変えようと再びリモコンをテレビへ向けたところで正悟の耳にあまり聞きたくない台詞が飛び込んできた。
『私、貴方のことが“好き”なの──』
その台詞を聞いた瞬間、正悟の意識は昨日の千草との会話を思い返していた。
好きな人──それがどういう形での好き であっても天ヶ瀬 には好きな相手がいて、自分 ではない誰かを想う気持ちが確かに存在しているということ。
そんなことを考えていると、正悟の心は正体不明の霧で覆われたような気持ちになっていた。
元から分かっていたことじゃないか──そんな風に思いながら正悟はソファに座り込んだかと思いきやそのまま横に倒れてテレビを虚ろな心のまま見続ける。
その姿勢で画面を見つめていると段々と気だるくなり気付けば意識を手放し目が覚めた時には夕食の支度をする時間となっていたため、正悟は憂鬱なまま適当に食事の準備をすることにした。
夕食を済ませた後は結局いつもやっていることと変わらずに勉強の予習や課題を終わらせて一日を終えることになったが、やはり何かしている時は集中していてもそれが切れた時には千草のことを思い出してしまう。
まるで恋する乙女のようではないかと自分に向けて皮肉交じりに鼻で笑うも、頭の中は千草の言葉や表情が忘れられずにいた。
常に気さくに話しかけてくる千草の存在に正悟は助けられ、生涯独りで生きていくものだと思っていたために今更ながら考えてしまう。
天ヶ瀬 を失った時、自分 はどんな感情を抱くのだろうか──それを考えただけで不安な感情に胸が押し潰されそうになっている。
「俺、何考えてるんだろ……」
そもそも相手は男で普通ならば恋愛対象になる訳がない──それは正悟にも当て嵌ることだ。
正悟にとっても女性を好きなるのが普通のことなのであろう。
だからこそ、千草を好きになるなんてことは無い。
これはただ友達が少し遠くに行ってしまうのが寂しいといった勘違いのような感情だろうと思い込み、この時の正悟はそれ以上先のことを考えるのを止めてしまった。
そもそも友達などまともに居た期間がないので、今の感情を正確に計り知ることは不可能である。
しかし、それら考えは全て正悟の考え方であって、千草の考えが同じであるとは限らない──否、ほぼ間違いなく違う といってもいいだろう。
人間として生まれ育つと言うことは誰かに共感され、誰かに拒絶されるということ、そしてどこかの輪に入り協調性というものを幼い頃から徹底的に教え込まれるのが普通 のことであると正悟は学んできた。
だが正悟はその輪の中には入れなかった。
正確に言えば、この世界の理から弾き出されたような存在──人はそれを異物と呼んだ。
そのせいもあり、正悟の過去には忘れられない傷跡が沢山残っている。
この世に生を受けてから、まだ数十年しか経っていないのにも関わらず、だ──。
そのせいか、正悟に対してだけは普通 という言葉が通用しない。
「天ヶ瀬に限って有り得ないよな……」
そう小さく呟くと同時にベッドに潜り込み、目を閉じてから明日の予定を無理矢理にでも入れようと頑張って頭で考え込んでいる内に日頃の疲れが溜まっていたのか、次に目が覚めたのはカーテンの隙間から差し込む陽の光で意識が戻った。
鳥の鳴き声──正悟は心の中でそう思いながら近くに置いてある目覚まし時計に手を伸ばし、現在の時刻を確認するとアラームが鳴る数分前で先に目が覚めたらしい。
そのまま時計のアラームを解除してから起き上がると、退屈そうに窓から空を見つめ今日の予定をどうするか考えるが、何も思いつかない。
一先ずは日課である予定を全て熟し空き時間を作るのだが、それはすぐにやってきてしまう。
仕方なしに正悟は支度を整えると出掛けることにして靴を履く。
本来であれば用もないのに外に出るのはあまり好きではないが、それでも正悟は図書館に行くことだけは好きで、時々ではあるが赴いては本を借りに行っていた。
それも何か特別な物を予約する訳ではなく、何となく目に付いた物を適当に見繕って借りるということが好きであった。
気になる物は購入したり電子書籍で済ませているので、図書館に来る理由といえば紙の本に囲まれたいからという少しだけ変わった趣味のようなものであった。
今日もなるべく人通りが多いところは避け図書館に着くと、好きな本を借りて数時間で家へ戻ると決めていたのだが、本を借りるのに夢中になっていた間に気付けば夕刻に近くなっていたため、少しでも早く帰宅したくなった正悟は近道を選び図書館を出て少し大きめの公園を歩いていた時のことだ。
その公園があるが故に本来の道を行くと大きく迂回しなければならないが、今居る市立公園を突っ切ることで家までの道は大きく短縮することが出来るので、そういった理由からかそこを歩く人は多い。
正悟もそのうちの一人ということで、なるべく人とすれ違わないように、すれ違ったとしてもすぐに距離を取れるようにと足早にその場を去ろうとしていた。
しかし、その公園の中でも大きめな広場に繋がる散歩道を歩いていると運命とは残酷なもので何故このタイミングなんだと、正悟は悔やんでも悔やみきれない思いを抱えることになる。
この道を選ばなければ──そう何度も頭の中でその考えが過ぎりながらも出会ってしまっては仕方がない。
そう思うことにして、正悟は目の前の人物と向き合うことにした。
気まずい空気ではあったが、二人は近くにある備え付けのベンチに座りながら行き交う人を見ていると、腰掛ける前に購入した自販機の飲み物を片手に会話をしていく。
「先輩、今……大丈夫だった?」
「……平気」
「何かの帰り?」
「図書館に本を借りに──」
そう話しかけてくる千草はいつもと変わらない調子で何事もなかったかのように正悟との会話を楽しんでいるように見える。
とはいえそれはあくまでも表面上の感情であり、本心ではやはり気まずく今この瞬間にも失言をしてしまうのではないかと思っているようで、千草は少しだけそわそわとした態度であった。
その態度は何も気まずいからというだけではないようで、千草は横目に正悟を見るといつもと雰囲気が違うというのもあり、緊張しているのが原因のようだ。
普段は制服姿しか見たこともなく、バイト中であってもブレザーを脱いでエプロンをしているだけという簡素な作業着であるため然程変わらぬ雰囲気であるが、今日の正悟は違う。
私服であるせいか、千草は常に抱いている感情を抑えきれなくなりそうなほどその姿は魅力的であった。
突出した露出がある訳でもないのに色気があるように感じるのはおそらく千草がどうしてもそういう感情を持っているからなのかもしれない。
しかしそんな感情を抑えている間に千草は正悟のことを少々見過ぎてしまっていたらしい──正悟は訝し気に千草を見て思っていることを口にする。
「じろじろ見て、なに……」
「えっ、あ……ごめん」
「別にいいけど」
二人の会話は続いたり途切れたりと、ある意味いつも通りとも言えた。
とはいえ正悟としては正直居心地が悪く、どう切り出して家に帰るか悩んでいる。
いつもなら千草の隣りは居心地がよく、帰りたいなどと思わないのに今日は悩み過ぎて思考停止するのではないかというほどその心は動揺していて、我に返ったのは唐突に聞こえた子供の声。
「──ませーん!すみませーん!」
何度か繰り返される謝罪の声は遠くから聞こえてきて、それと共に足元を見てみるとコロコロとボールが転がってくる。
声のした方を見ると子供達がサッカーをしているのが視界に入り、こちらに手を振っているのが伺えた。
状況からしてボールを蹴り返して欲しいのだろうが、正悟は一瞬どうするべきか悩んでしまう。
しかしその瞬間、千草が立ち上がりボールを子供達のところへ戻すように適度な加減で優しく蹴ると、それは丁度いい距離を転がり相手の子が受け取って礼を述べる。
その一連の動作を真横で見ていた正悟は、千草の表情や仕草を見てあることに気が付く。
──ああ、俺はコイツのことが好きなんだ。
それが恋心なのか、単に親しみだけの好意なのか、はっきりと分かった訳ではない。
だが、そう意識すると急に千草を直視出来なくなり、正悟は顔を赤らめ視線逸らす。
子供達に手を振って対応していた千草もそれが終わり改めて見た正悟の顔が赤くなっていたので何事かと思い驚いたようにその姿を覗き込んだ。
「先輩っ……体調でも悪かった!?」
「何……急に……」
「だって……なんか顔赤いから」
「──っ!」
正悟の頬に千草が触れようとした途端、その手を払い除け正悟は突如立ち上がる。
この時の正悟は羞恥心に似た何かの感情を抱きそれから逃げ出したいと一心に思い、荷物を抱えるようにして持つと自宅へ向かってひたすらに走り出す。
その場に取り残された千草は初め何が起きたか分からないほどの放心状態になってしまった。
その状態から思い通りに動けたのは数分後のことである。
何故正悟が逃げるように立ち去ったのか、自分が一体何をしたのか、それらを思い返すのに更に数分の時間を要したが理解した時には後悔しか残っておらず、結果その場から移動出来たのは数十分後のことであった。
「なにやってんだよ、オレ──」
小さく呟くその声は、公園の木々がざわめく音にかき消され静かに暗闇へと溶けていく。
気付けば夕刻から夜刻へ変わる時であり千草は渋々自宅へと戻ると、その日は思想に明け暮れて静かに夜を過ごすことにした。
家族との食事を済ませ、部屋のベッドに横たわると正悟の顔を思い出しながら最近起きた正悟との思い出を振り返り自分がこれからどうしたいのか真剣に悩み始めると、一つの答えに辿り着く。
──やっぱりオレ、この想い……伝えたいな。
そう思うと同時に夕方の出来事も思い出してしまい、少しだけ考え込む。
正悟と過ごす時間、何気ない形で居場所を与えてくれる正悟に千草は感謝してもしきれないほどであった。
家族と居るのも嫌いではない。
友達と居るのも楽しくない訳ではない。
だが、それ以上に千草は正悟のことを想い愛おしく感じている。
それが例え独り善がりの片想いでも構わない。
正悟の気持ちを考えたら迷惑なことかもしれないが、それでも千草はこの想いを伝えなければならない使命感のようなものを胸に抱いていた。
自分の気持ちを偽ることなく相手に伝える──これはどれほどの勇気が要ることなのか、それを考えると怖くも思えてくる。
しかし、それでも千草は正悟に告白したいと願う。
中途半端な気持ちのままこれ以上正悟のそばには居られない。
──だからオレは、先輩に気持ちを伝えるんだ。
「よしっ……!」
千草は気合いを込めるかのようにそう呟くと、その日からどこで告白するか、いつのタイミングがいいのか、そればかり考えるようになる。
となると、それだけで休日などすぐに終わってしまい、気が付けば学校に行かねばならない日になっていた。
勇気を振り絞る準備も、告白する時の言葉もしっかりと考えた──しかし現実は厳しいのだろうということも分かっている。
千草はそんな思いを抱えながらも校舎の前に立つ。
今日でこれからの運命が決まるのだと千草も薄々気付いていたが、それに呑まれると勇気などいつまでも出るわけがない。
必死にその考えを心の端へと押しやり千草は一歩を踏み出し教室へと歩みを進める。
全てを決めることになるのではないかという今日という日に千草は心が踊りそうになるのを抑え、自分の教室へと向かって行った。
千草が想像する以上の出来事に遭遇する日になろうとしているとも知らずに──。
即ち正悟の眠りが徐々に浅くなっていく事を意味し、同時にその音を止めようと正悟は手探りで発生源の目覚まし時計を見つけて止めるのだが、ベッドから起きるのが憂鬱になるほど目覚めが悪い。
普段ならばベッドから出たくないと思うほど身体に負担がかかることもなく、ましてや休みの日の鍛錬を怠けたいと思うこともなかった。
明らかに昨日のことが尾を引いているのか、身体が重く感じるほど深い眠りに就いていたようで、正悟はそのままもう一度寝てしまおうかとも考えていたのだがやはり鍛錬を怠る訳にもいかないと思ったのか、すぐに支度をして家を出ると、軽く走り込みをしてから戻ってくる。
それから数時間かけて家の中で型の確認やストレッチなどの運動をして鍛錬を終わらせると、朝食を済ませたところで予定を確認するのだが、手帳を見直しても今日明日と何も書かれていないことに気が付く。
思い返してみれば禅からはたまにの休日はゆっくりと満喫した方が良いと言われ、渋々休みをもらったのを忘れていた。
休日ともなれば喜ぶのが
休日なのだから好きなことをして過ごせばいいというのにも関わらず具体的に何をしようかと思うと何も出てこない。
正悟は時間を浪費するため部屋の掃除をしたり家事全般を熟していくことで少しだけ昨日の出来事を払拭することが出来た。
だがそれでもまだ足りない──正悟は休憩と称して気分転換にテレビでも見ることにしてリモコンへと手を伸ばすと、電源ボタンを押してテレビを点ける。
普段テレビをあまり見ない正悟がたまに見る番組と言えば情報番組くらいなもので、今もドラマが映っているが興味が湧かないので適当に放送局を変えようと再びリモコンをテレビへ向けたところで正悟の耳にあまり聞きたくない台詞が飛び込んできた。
『私、貴方のことが“好き”なの──』
その台詞を聞いた瞬間、正悟の意識は昨日の千草との会話を思い返していた。
好きな人──それがどういう形での
そんなことを考えていると、正悟の心は正体不明の霧で覆われたような気持ちになっていた。
元から分かっていたことじゃないか──そんな風に思いながら正悟はソファに座り込んだかと思いきやそのまま横に倒れてテレビを虚ろな心のまま見続ける。
その姿勢で画面を見つめていると段々と気だるくなり気付けば意識を手放し目が覚めた時には夕食の支度をする時間となっていたため、正悟は憂鬱なまま適当に食事の準備をすることにした。
夕食を済ませた後は結局いつもやっていることと変わらずに勉強の予習や課題を終わらせて一日を終えることになったが、やはり何かしている時は集中していてもそれが切れた時には千草のことを思い出してしまう。
まるで恋する乙女のようではないかと自分に向けて皮肉交じりに鼻で笑うも、頭の中は千草の言葉や表情が忘れられずにいた。
常に気さくに話しかけてくる千草の存在に正悟は助けられ、生涯独りで生きていくものだと思っていたために今更ながら考えてしまう。
「俺、何考えてるんだろ……」
そもそも相手は男で普通ならば恋愛対象になる訳がない──それは正悟にも当て嵌ることだ。
正悟にとっても女性を好きなるのが普通のことなのであろう。
だからこそ、千草を好きになるなんてことは無い。
これはただ友達が少し遠くに行ってしまうのが寂しいといった勘違いのような感情だろうと思い込み、この時の正悟はそれ以上先のことを考えるのを止めてしまった。
そもそも友達などまともに居た期間がないので、今の感情を正確に計り知ることは不可能である。
しかし、それら考えは全て正悟の考え方であって、千草の考えが同じであるとは限らない──否、ほぼ間違いなく
人間として生まれ育つと言うことは誰かに共感され、誰かに拒絶されるということ、そしてどこかの輪に入り協調性というものを幼い頃から徹底的に教え込まれるのが
だが正悟はその輪の中には入れなかった。
正確に言えば、この世界の理から弾き出されたような存在──人はそれを異物と呼んだ。
そのせいもあり、正悟の過去には忘れられない傷跡が沢山残っている。
この世に生を受けてから、まだ数十年しか経っていないのにも関わらず、だ──。
そのせいか、正悟に対してだけは
「天ヶ瀬に限って有り得ないよな……」
そう小さく呟くと同時にベッドに潜り込み、目を閉じてから明日の予定を無理矢理にでも入れようと頑張って頭で考え込んでいる内に日頃の疲れが溜まっていたのか、次に目が覚めたのはカーテンの隙間から差し込む陽の光で意識が戻った。
鳥の鳴き声──正悟は心の中でそう思いながら近くに置いてある目覚まし時計に手を伸ばし、現在の時刻を確認するとアラームが鳴る数分前で先に目が覚めたらしい。
そのまま時計のアラームを解除してから起き上がると、退屈そうに窓から空を見つめ今日の予定をどうするか考えるが、何も思いつかない。
一先ずは日課である予定を全て熟し空き時間を作るのだが、それはすぐにやってきてしまう。
仕方なしに正悟は支度を整えると出掛けることにして靴を履く。
本来であれば用もないのに外に出るのはあまり好きではないが、それでも正悟は図書館に行くことだけは好きで、時々ではあるが赴いては本を借りに行っていた。
それも何か特別な物を予約する訳ではなく、何となく目に付いた物を適当に見繕って借りるということが好きであった。
気になる物は購入したり電子書籍で済ませているので、図書館に来る理由といえば紙の本に囲まれたいからという少しだけ変わった趣味のようなものであった。
今日もなるべく人通りが多いところは避け図書館に着くと、好きな本を借りて数時間で家へ戻ると決めていたのだが、本を借りるのに夢中になっていた間に気付けば夕刻に近くなっていたため、少しでも早く帰宅したくなった正悟は近道を選び図書館を出て少し大きめの公園を歩いていた時のことだ。
その公園があるが故に本来の道を行くと大きく迂回しなければならないが、今居る市立公園を突っ切ることで家までの道は大きく短縮することが出来るので、そういった理由からかそこを歩く人は多い。
正悟もそのうちの一人ということで、なるべく人とすれ違わないように、すれ違ったとしてもすぐに距離を取れるようにと足早にその場を去ろうとしていた。
しかし、その公園の中でも大きめな広場に繋がる散歩道を歩いていると運命とは残酷なもので何故このタイミングなんだと、正悟は悔やんでも悔やみきれない思いを抱えることになる。
この道を選ばなければ──そう何度も頭の中でその考えが過ぎりながらも出会ってしまっては仕方がない。
そう思うことにして、正悟は目の前の人物と向き合うことにした。
気まずい空気ではあったが、二人は近くにある備え付けのベンチに座りながら行き交う人を見ていると、腰掛ける前に購入した自販機の飲み物を片手に会話をしていく。
「先輩、今……大丈夫だった?」
「……平気」
「何かの帰り?」
「図書館に本を借りに──」
そう話しかけてくる千草はいつもと変わらない調子で何事もなかったかのように正悟との会話を楽しんでいるように見える。
とはいえそれはあくまでも表面上の感情であり、本心ではやはり気まずく今この瞬間にも失言をしてしまうのではないかと思っているようで、千草は少しだけそわそわとした態度であった。
その態度は何も気まずいからというだけではないようで、千草は横目に正悟を見るといつもと雰囲気が違うというのもあり、緊張しているのが原因のようだ。
普段は制服姿しか見たこともなく、バイト中であってもブレザーを脱いでエプロンをしているだけという簡素な作業着であるため然程変わらぬ雰囲気であるが、今日の正悟は違う。
私服であるせいか、千草は常に抱いている感情を抑えきれなくなりそうなほどその姿は魅力的であった。
突出した露出がある訳でもないのに色気があるように感じるのはおそらく千草がどうしてもそういう感情を持っているからなのかもしれない。
しかしそんな感情を抑えている間に千草は正悟のことを少々見過ぎてしまっていたらしい──正悟は訝し気に千草を見て思っていることを口にする。
「じろじろ見て、なに……」
「えっ、あ……ごめん」
「別にいいけど」
二人の会話は続いたり途切れたりと、ある意味いつも通りとも言えた。
とはいえ正悟としては正直居心地が悪く、どう切り出して家に帰るか悩んでいる。
いつもなら千草の隣りは居心地がよく、帰りたいなどと思わないのに今日は悩み過ぎて思考停止するのではないかというほどその心は動揺していて、我に返ったのは唐突に聞こえた子供の声。
「──ませーん!すみませーん!」
何度か繰り返される謝罪の声は遠くから聞こえてきて、それと共に足元を見てみるとコロコロとボールが転がってくる。
声のした方を見ると子供達がサッカーをしているのが視界に入り、こちらに手を振っているのが伺えた。
状況からしてボールを蹴り返して欲しいのだろうが、正悟は一瞬どうするべきか悩んでしまう。
しかしその瞬間、千草が立ち上がりボールを子供達のところへ戻すように適度な加減で優しく蹴ると、それは丁度いい距離を転がり相手の子が受け取って礼を述べる。
その一連の動作を真横で見ていた正悟は、千草の表情や仕草を見てあることに気が付く。
──ああ、俺はコイツのことが好きなんだ。
それが恋心なのか、単に親しみだけの好意なのか、はっきりと分かった訳ではない。
だが、そう意識すると急に千草を直視出来なくなり、正悟は顔を赤らめ視線逸らす。
子供達に手を振って対応していた千草もそれが終わり改めて見た正悟の顔が赤くなっていたので何事かと思い驚いたようにその姿を覗き込んだ。
「先輩っ……体調でも悪かった!?」
「何……急に……」
「だって……なんか顔赤いから」
「──っ!」
正悟の頬に千草が触れようとした途端、その手を払い除け正悟は突如立ち上がる。
この時の正悟は羞恥心に似た何かの感情を抱きそれから逃げ出したいと一心に思い、荷物を抱えるようにして持つと自宅へ向かってひたすらに走り出す。
その場に取り残された千草は初め何が起きたか分からないほどの放心状態になってしまった。
その状態から思い通りに動けたのは数分後のことである。
何故正悟が逃げるように立ち去ったのか、自分が一体何をしたのか、それらを思い返すのに更に数分の時間を要したが理解した時には後悔しか残っておらず、結果その場から移動出来たのは数十分後のことであった。
「なにやってんだよ、オレ──」
小さく呟くその声は、公園の木々がざわめく音にかき消され静かに暗闇へと溶けていく。
気付けば夕刻から夜刻へ変わる時であり千草は渋々自宅へと戻ると、その日は思想に明け暮れて静かに夜を過ごすことにした。
家族との食事を済ませ、部屋のベッドに横たわると正悟の顔を思い出しながら最近起きた正悟との思い出を振り返り自分がこれからどうしたいのか真剣に悩み始めると、一つの答えに辿り着く。
──やっぱりオレ、この想い……伝えたいな。
そう思うと同時に夕方の出来事も思い出してしまい、少しだけ考え込む。
正悟と過ごす時間、何気ない形で居場所を与えてくれる正悟に千草は感謝してもしきれないほどであった。
家族と居るのも嫌いではない。
友達と居るのも楽しくない訳ではない。
だが、それ以上に千草は正悟のことを想い愛おしく感じている。
それが例え独り善がりの片想いでも構わない。
正悟の気持ちを考えたら迷惑なことかもしれないが、それでも千草はこの想いを伝えなければならない使命感のようなものを胸に抱いていた。
自分の気持ちを偽ることなく相手に伝える──これはどれほどの勇気が要ることなのか、それを考えると怖くも思えてくる。
しかし、それでも千草は正悟に告白したいと願う。
中途半端な気持ちのままこれ以上正悟のそばには居られない。
──だからオレは、先輩に気持ちを伝えるんだ。
「よしっ……!」
千草は気合いを込めるかのようにそう呟くと、その日からどこで告白するか、いつのタイミングがいいのか、そればかり考えるようになる。
となると、それだけで休日などすぐに終わってしまい、気が付けば学校に行かねばならない日になっていた。
勇気を振り絞る準備も、告白する時の言葉もしっかりと考えた──しかし現実は厳しいのだろうということも分かっている。
千草はそんな思いを抱えながらも校舎の前に立つ。
今日でこれからの運命が決まるのだと千草も薄々気付いていたが、それに呑まれると勇気などいつまでも出るわけがない。
必死にその考えを心の端へと押しやり千草は一歩を踏み出し教室へと歩みを進める。
全てを決めることになるのではないかという今日という日に千草は心が踊りそうになるのを抑え、自分の教室へと向かって行った。
千草が想像する以上の出来事に遭遇する日になろうとしているとも知らずに──。