03. 動き出した禁断魔法

「おや、いらっしゃい。正悟ならまだ──」
「あの!オレに……オレに先輩のこと、教えてください!」

禅はその言葉を聞いて返事に困る。
この子はどこまで本気で言っているのであろうか──と、そんな風に思い禅は戸惑いの意味も込めて返事をすることが出来なかった。
長考してこの先どうしたものかと思いもしたが、とりあえずは事情を聞くことにして千草と少しばかり話を始める。
千草が何故ここに来て正悟のことを聞きたくなったのかを尋ねると状況が段々と分かってくるので禅としても納得がいくものであった。
但しそれは状況が理解出来ただけで千草の望みを叶えることにはならない。

「──なるほど、それでここに」
「……はい」
「郁磨もズルいね……いや、君に言うことでもないか。それで、千草くん」
「なんですか……?」

禅は郁磨と違い千草には寛容で、それなりの問いでも決意次第では問題のない程度に答えるつもりでいた。
それにしても郁磨には困ったもので、いくら見守って欲しいと頼んだからと言って責任を全部こちらに振ってもいいとは言っておらず、それどころか職務怠慢ではないかと禅は思いもしたが幼馴染の言うことだからとその思いを飲み込みそれについては丸く収めることにする。

「君はどういった情報をお望みかな?」

そして禅は問う──心を満足させてくれる答えを期待して、千草の一言一句まで聴き逃さないように耳を澄ます。
一瞬の会話であるからこそ禅は千草の可能性を聴き逃したくなかった。
千草は禅の問いに迷うことなく真っ直ぐな瞳で自分の思いを言葉に乗せるとそれは禅にも伝わりその心に刺さることになる。

「オレは先輩の力になりたくて、そのために必要なことが知りたいんです」

千草が正悟の前に現れた時のことを考えると、禅はここまでに至るとは思いもしなかった。
一般人・・・からは好かれることなど無い、忌み嫌われ恐れられ、卑しい人間からは利用され──それが我々能力者の運命なのだと諦め受容したことも数知れない、それがこの呪いに蝕まれた者の運命なのだと禅は自分だけでなく正悟にもそう言い聞かせて生きてきた。
今まで一度だって正悟に関心を持った一般人・・・がここまでに至る事例を見たことなど無い・・のだから。
その事例を千草が作ろうとしているのかと思うと禅は期待するのと同時に怖くもある。
今となっては正悟のみならず禅でさえ変化が怖くなってきたと言っても過言ではない。
誰かに今ある幸せを壊されるくらいならば今のまま変化などしない方がいいと思ってしまうが、それでも千草の思いと店に入ってきた時の千草が息を切らし無我夢中でここまでやってきたという必死さは確かに伝わった。
それほどの覚悟のように思えた禅は、先程とは違った意味で沈黙の間を作ってしまう。

「あの……」
「あ、あぁ……いや、何でもないよ」
「オレ、本当に──」
「フフッ……千草くん、話す前にお茶でも淹れようか──」

不安そうに見てくる千草の言葉を遮った後、会話をするのであれば立ち話も如何なものかと思ったらしく事務室で千草の分も紅茶を用意してから店の方で会話をすることにした。
一応営業中になるので客が来たら相手はしなければならない。
この日は少しの客が来ただけで長居する客も少なく会話の際には困ることもなかった。
だが千草に教えられることは極僅かなことばかりで、正悟自身が隠していることを禅が伝えるわけにはいかないしそれを千草も無理矢理知りたいとは思わなかった。
禅はそこまで正悟を想う気持ちはどこから来ているのか、それを聞いてみたい。

「千草くんは、何であの子のことをそこまで想ってくれるんだい?」
「先輩がオレのことを助けてくれたからです」
「それはこの間の騒動かい?」
「はい」

ここまでの質問に千草は迷いなく答え続け、この時の質問にも嘘偽りもなく答えている。
しかしそれでは正悟を任せるには値せず、禅の心を満足させる答えには至らない。
委員会で遅くなるとはいえ正悟が来るまでの時間を考えるとこの質問と答えが最後になるだろうと思い、そこからは念を押すように正悟への想いを聞いていくことにした。
そうでなければこの先に立ち入ることは許されない──踏み入ること自体しない方がお互いのためである。
だからこそ少しきついことを言ってでも、千草の気持ちを確かめておく必要があった。

「正直な話、僕はまだ君を信用してはいない」
「……当然だと思います」
「郁磨に言われた通り、僕は知っていることを君に教えるとは限らないし、聞かれても真実を話すかどうか分からないよ?」
「それは──」
「第一、正悟は君のことを必要としていないかもしれない」
「信じてもらえなくても、必要とされてなくてもオレは先輩の力になりたいんです」

ここまで聞いて、禅は少しだけ驚いていた。
千草は何を言われてもめげることもなく一貫して正悟の力になりたいと願っている。
禅としてはここまで正悟のことを考えている千草をこれ以上追い詰めるようなことはしたくなかった。
だからといって全てを話すわけにはいかない──ではどうするべきか。
考えて悩んだ末、差し障りのない範囲ではあるが正悟のことと自分の気持ちを告げることにして、禅は語り口調でその話を始め、次第に本格的な会話へと発展させていく。

「正悟はね、昔から他人を優先して生きているんだ。そうすることで、他者を遠ざけている。その方が自分のことを考える時間が少なくていいからね。だけど、そろそろ限界が近いのかもしれない。自分を顧みず他人を気にかけるのは不可能だ。このままいけば多分正悟は自分の手で自分の心を少しずつ砕いていくと思う。いや、既にそれは始まっているのかもしれない。幼い時は自然に出来ていたそれらの行為を大人に近付くにつれ自分自身で制御しなければならないからね──」

禅のその言葉は千草の知りたいこととは一見関係のない話に聞こえるが、聞けば聞くほど千草は正悟のことを理解出来るような気がしてくる。
正悟が過敏に人との距離を取ろうとしているのは千草も知っている。
それがどういうことなのかということも、禅は諭すように説明していくことにしたのだが、正悟のそれは千草が生きてきた中で感じる気持ちとは前提が大きくかけ離れているものであった。

「さて、人を寄せ付けないようにするにはどうすればいいと思う?」
「避けて通ったり近付かないようにしたり、ですかね……」
「そう。人と距離を置くということはそれらをすれば済む話だね。でもそういった場合、千草くんならどう感じる?」
「一人はつまらないな……とか、考えるかもしれないですけど、ピンと来ないです」
「それが普通・・だと僕も思う。だけど、正悟は違う」

そこまで言うと禅は一拍間を置く為に紅茶が入ったカップを持ち上げ口まで移動するとそれを一口だけ飲み込むことにする。
元々置いていた机の上のソーサーにカップを戻すと陶器が擦れ合う音が立ち、まだ少し入った紅茶が波を作り揺れている。
それを千草は静かに眺め、そして禅が一息吐いたところで話を元に戻すと二人はそのまま会話を繋げその先の話へと発展させていく。

「人を寄せ付けないと言うのは即ち相手の行動や気持ちを予測しなければ避けることも出来ないということだ。例えば自分に向かって走り近付く人間がいたら、その人物がどのように動きそれをどのように避けるかを考えなければならないし、全員が全員必ずしも避けてすれ違ってくれるとは限らない。それどころかお構い無しにぶつかって来る人間の方が多いと感じてしまうほど他人は他者へ無関心だ」
「なんとなく、分かります……」
「千草くんは人とぶつかりそうになったら何で避けるんだい?」
「え、そりゃあ……ぶつかれば痛いし、面倒事にもなりそうだし……」
「それは相手を思ってのことかな?」
「それも多少あるとは思いますけど、やっぱり自分が痛いから嫌だったり面倒事に巻き込まれたくはないですから」
「正悟はそれを相手に変換しているんだ。結果は同じことでも過程はまるで違う。正悟はね、自分が避ければ相手は怪我をしないで済む、迷惑をかけずに済む、そして面倒事に巻き込まなくて済む──そんな風に考えているんだろう」
「そんなのって……」
「そうすれば自分という存在を無視することも可能だからね」

人との会話、人との接触、人への配慮、それらを考え自分の感情を捨ててまでそれをやった場合どうなるか、千草は考えただけでも自分には出来ることではないと実感した。
それと同時にこうも思う。

「なんでそこまでして一人で居るんですか?」

千草はふと思った素朴な疑問を投げかけるのだが、そこから先を説明出来ないのがもどかしい。
本当ならばその理由も話してあげたい、その上で付き合ってあげて欲しい──そんな風に思いもしたが、それは出来なかった。
せめて千草がこちら側に居てくれたら如何様にでも配慮することは可能であるのに、それが出来ないもどかしさ。
千草の素朴な質問に困った顔をしていた禅も、この先の言葉はその表情を正し千草と会話した中で感じた全ての気持ちを込めて想いを言葉にすることにした。

「千草くん、よく聞いて欲しい。僕ら大人は正悟の支えとはなれるけど、寄り添うことは出来ないんだ。立場も違うし歳も違う。本当の意味では同じ景色が見えない。正悟の抱え込んでいる苦悩も秘め事もアドバイスは出来ても一緒に悩んであげることは不可能だ──」

そこまで話すと禅は今まで以上に真剣な表情で話を続けていく。
これ程までにはっきりと覚悟を決めたのはいつの頃だったろうか──禅はそう思いつつもその覚悟の意を込めて千草の瞳を捉えることにした。
千草もその視線を感じたことで改めて緊張感を持ってそれに応じ、禅の言葉を真摯な態度で受け止めたいと思い姿勢を正す。

「こんな風にしか話せないのは心苦しいけれど、君にその気があるのなら──正悟の力になってやってほしい」

千草は一瞬だが禅の言葉を飲み込むのに時間がかかり状況を把握出来なかったのだがその言葉を理解した時、途端に喜びと緊張感が襲ってきて少しばかり萎縮して言葉を失った。
認められたという喜びと同時に、自分で力になりたいと言った割に何をしたらいいのか考えていない愚かさを感じた千草は自分自身のことながら呆れてしまう。
だがそれでも千草の心に禅の言葉は確実に届き正悟を大切に思う気持ちも確かに受け止めた千草は、少し呆気に取られてはしまったがすぐに気持ちを切り替えて禅の言葉に決意を込めて返事をする。

「──はい!」

その言葉に禅は微笑むことで自分自身と千草の心の両方を落ち着かせることにした。
しかし禅は少し不思議にも思う。
千草と話をしていると妙に安心感を覚えてどうにもそれが普通・・ではない気がしてしまう。
最初は正悟想いの良い子なのかという風に思ったものではあるが話しているうちに段々とその言葉通りになっていくような感覚に囚われてしまった気がするほどであった。
禅はこの感覚を覚えたからか千草に興味が湧いたようで、正悟が帰って来るまでの間もう少しだけ話をしたいと思いふと感じた自分の気持ちを千草に伝えてみることにする。

「しかし君には驚かされてばかりだ」
「え、オレ何か変なこと言いましたか?」
「変なこと……というか、変わった子だとは思うけどね」
「それ、先輩にもよく言われるんですが……」
「フフッ、そうか。正悟が、ね──」

そこまで言うと店の外を歩く正悟の姿が禅の視界に入る。
それから正悟が入店するまでそれほど時間はかからず、入った瞬間目に映る千草に話しかける時間もそう長くはなかった。
正悟が来たと分かった瞬間千草は立ち上がり禅に向けていた身体を振り向かせ、正悟と視線を合わせると嬉しそうな笑顔を浮かべて挨拶をする。

「あ、先輩おかえり!」
「お帰りって……禅さん、なんでコイツ居るの」
「千草くんと話すのは飽きないね」
「いや、そうじゃなくて。まぁ、いいや……」

笑顔で挨拶をされたことと禅にはぐらかされたことにより正悟は何故千草が居るのかということに対してそれ以上の追及をする気がなくなった。
禅と千草の会話内容というのが多少気になりつつも、自分が不利になることを禅が言う訳もないと思っていたのでそれについても言及することはなく、それよりも千草が禅の時間を奪うことで仕事に遅れがないかどうかの方が心配になり事務室へと向かう際、千草には念を押してからその場を離れることにする。

「禅さんにあんまり迷惑かけるなよ」

その言葉に千草は複雑な思いを抱えつつ、正悟のそういった対応にも慣れてきたからかあまり落ち込んだりすることもなくなった。
とはいえ寂しい思いはあるので、正悟がその場から離れたあとに少しだけそのような顔をしていると禅が慰めるように千草へと声をかける。

「正悟、君には随分素直だね」
「え、あれで……?」
「口調を聞いていれば分かるよ。あぁ、そうだ千草くん」
「なんですか?」
「さっきの話、正悟には内緒にしておいてね」
「分かりました」
「あと、正悟のことが聞きたかったら本人に聞いてみるといい。君になら答えてくれるかもしれない」

禅が微笑みながらそんなことを言う。
千草としては勿論そんなことを言う気はなかったし、そもそも自分が正悟のことを気にして聞いたなんてことが分かったらそれこそ正悟に何を言われ、思われるか分からない。
千草としては秘密にした状態で正悟の助けになりたいと願っているのだから、それについては大丈夫だと禅に伝えると千草は少し気になったことの思いに耽けることにした。
目の前に居る正悟の叔父にして小花衣禅 こはないぜんが微笑むと千草としては複雑な気分になる時がある。
微笑む時の表情がたまに見せる正悟の笑みと似ていて千草は少し照れくさくなることもあれば正悟の面影がちらつき時々ではあるが集中出来ずに話が入ってこない時があった。
おそらく顔付きだけでなく雰囲気が似ているのだろう。
そんなことを少しの間考えていると、正悟が事務室から出てくるので二人に挨拶をしてから千草は帰宅することにした。

「……まだ居たんだ」
「ハハッ、先輩ってばホントに容赦ないな」
「俺、仕事あるから」
「あぁ、うん。オレ、そろそろ帰るから大丈夫だよ」
「そう……」

正悟は少しだけ心に痛みを感じたのが分かる。
千草が何のためにここに居たのかは知らないが、少なくとも今日は自分に会いに来たのではないということが分かってのことであった。
別に寂しいと思った訳ではないし、ましてや恋しいなど思いもしなかったのだがそれでも正悟は心のどこかに小さな棘が突き刺さるような感覚を覚えてしまう。
そのせいか返事もそっけなくなってしまい千草に気付かれるかとも思ったのだが普段から然程変わらない対応をしていたお陰で気付かれることもなくその場は収まり正悟は少しだけ安堵した。
ただその変化に気付いた禅は、確信がある訳でもないのに千草本人も気付かない秘密があるのではないかと見ていてそう思う。
その微かな変化を見逃したくない禅は今後の千草の動向に注意はしつつも今日のところは別れの挨拶をして千草を店から送り出すとそれからは仕事の方に専念することにした。

「はぁ……」

仕事を再開してから数十分経った頃だろうか、突然正悟が溜め息を吐き店のレジカウンターのところで店番をしつつも項垂れ始めたので、禅は溜め息の原因を特定すべく推測で考えた人物の名前を口にしてその原因を探ってみる。

「千草くん、良い子だね」
「なんでアイツの名前が出てくるの……」
「それに面白い子だ」
「……面白いと言うより変なやつだよ」

正悟は千草のことを思い出しそんなことを言う。
こんな自分に会いに来て、学校でも楽しそうに自分と会話をする変わり者、正悟は千草のことをずっとそう思っている。
禅も千草に関して言えば変わった子、そんな風にも思っていたが、これがそもそも一般人と能力者を隔てている壁なのかもしれない。
能力者である二人は一般人を隔離するように意識付け、なるべく近付かないようにしていた。
それがあまりにも普通・・になり過ぎていて、千草のような人物が居るなんて思いもせず二人揃って変わった・・・・人間なのではないかと思いもしたが本来ではそういった付き合い方が普通・・なのだろう。

「気になってるんだろう?千草くんのこと」
「別に、気になってなんか……」
「いつも素直な正悟にしては珍しいね」
「だって、分からないよ。こんな感情、初めてだから……」

普通の感情が芽生えていない正悟にとって今回のような稀な事例を実際に自分が目の当たりにするとは思っておらず、どう気持ちの整理をすればいいのか、これからどう千草と接したらいいのか、それがずっと分からずにいる。
禅も見ていてそれが分かったからか少しでも正悟の心が落ち着けばいいと思い再び声をかけることにした。

「お前のことだ。答えは必ず導き出せるだろうから、ゆっくり悩んで決めればいい」
「……うん」

そう言われると正悟もこの場では納得しようとして禅の言葉を受け入れようと必死になって考える。
すぐに導き出せる答えではないことぐらい本人が一番分かっているだろうが、今までに思ったこともない感情を抱えているのはどうしても違和感を覚えて気持ちが悪いのであろう。
それが分かったからこそ禅はもう少しだけ正悟と会話を続けて心を落ち着かせる手伝いをしていく。

「ただ、千草くんの気持ちは本物だと思うな」
「それは、なんとなく……分かる」
「それが分かれば今は十分だよ」
「うん……」

正悟は少しだけ迷っているようにも見えたが、禅としては会話の中で少しずつ前に進んでいると思いたかった。
話したことにより溜め息を吐いた時に比べれば気持ちの整理は出来たようだったが、それでも悩みは尽きることなく仕事の合間に溜め息ばかり吐いている。
だが、禅としてはそういった普通・・の悩みでも正悟にはして欲しい。
能力故に悩むことはあっても、普通の人間関係を構築する際の悩みは今まで皆無と言ってもいいほどであった。
そこに舞い込んだいつもと違う悩みを持つことによって正悟の心に隠れた感情が開花するのではないかと思うと少しだけ期待をしてしまう。
その開花を千草がどれほど手助けしてくれるのかと禅は考える。
これはまたとない機会で、正悟の救いに繋がることなのかと思えば期待してしまうのも仕方ないことだ。
生きていれば当然悩みは尽きないが、それでも禅は今の抗えない悩みよりも誰かと寄り添って悩むことの方が幸せなことであると正悟には知って欲しい。
そのための手助けなら禅はどんな犠牲も惜しまぬ思いで正悟のことを考えている。

何があろうともこの子だけは守ってあげたい、例えそれが困難な道であろうとも──それが禅の想いであった。
3/5ページ
スキ