02. 恋の予感は禁断魔法

正悟は教室の窓から外を見ながら授業が始まるのを待っていた。
ここ最近の出来事で落ち着かない日々を送っていた正悟としては、平穏な日常を早く取り戻したくて只々時間が過ぎ去るのを待ち続けている。
授業の時間が来ると余計なことを考えずに、精一杯勉学に打ち込んだ。
そうすることで嫌なことから逃げられる気がして、忘れられる気がして、楽になれたから──そう思っていたのも束の間、そういった現実は往々にして一変するのが当たり前のことだと正悟は打ちのめされる出来事が起こる。
今まで何の接触もなかったあの“男”の仲間という存在が帰り道で初めて正悟に接触してきた。
学校から少し離れた人通りの少ない道でのことだ。
正悟のことを待ち伏せするかのようにその人物は立っていた。
見知らぬ顔であったが、わざわざ自分のことを待っていたくらいだ──正悟はそういったことに対して思い当たる事柄と言えば一つしかない。

「よぉ」
「……何か?」
「とぼけんじゃねえよ。俺が来た理由分かってんだろ?」
「さぁな……と言っても、通してくれそうにもないな」
「よく分かってるじゃねぇか」
「アイツは?」
「アイツ?あぁ、あの坊ちゃんのことか」
「坊ちゃん……?」
「最近、随分と仲が良かったみてぇじゃねぇの」

正悟は正直な話、驚いていた。
アイツ──つまりは毎日しつこく来ていた“男”の仲間だと言うから、もっと親しみを込めているのかと思いきや、いかにも下に見ている物言いであったからだ。
その上スマホで見せられた画像は昨日壁際に追い詰められた時のもので、色々な情報が一度にやってきたせいか思考を整理するのに時間がかかってしまう。
だが言葉は自然に出てくるもので正悟は少しばかり感情的になっていた。

「お前らにとって、アイツって何だよ」
「あ?んなもん金ズルに決まってるだろうが!」
「…………っ!」
「そんなに気に入ったのか?あの坊ちゃんに随分可愛がってもらったみてぇだな」
「用件は?」
「ハッ!話が早いじゃねぇか」

目の前にいる男は正悟にスマホの画像を変えてから再度それを見させて反応を見る。
そこに写っている男の姿は何とも痛々しく見るに耐え難いもので、正悟の感情を揺さぶるにはあまりに充分過ぎるものであった。
一刻も早く男の元へと駆け付けたい衝動に駆られ、正悟は目の前の男が何を求めているのか察して足早に歩き出そうとする。

「来いよ、案内してやる」

男もそれを見越して歩き出したので、そこから目的地に着くまで正悟が怒りを維持するのは造作もなかった。
この先がどうなるのかはある程度予想も出来たため、相手に気取られないように呼吸を落ち着けて無駄な緊張を取り除く。
何かあった際にもすぐに反応出来るように──。
着いた先はこの間の不良たちと問題を起こした空き地であった。
正悟から見て奥の方に不良達が待ち構えている。
その近くには先程見せられた男の姿が見受けられた。
空き地は不良達の溜まり場として使われ、物などが置かれているのもありあまり空き地らしくはなかった。
最初来た時は関心もなかったためよく覚えてもいなかったのだが、今にして思えばこの空き地は喧嘩をするのに向いていない場所である。
視界も悪く足場には雑草が乱雑に生えている場所もあるため、段差を気にして戦わなければならないからだ。
それでも正悟は退く訳にはいかない──退く理由もない。
“男”は不良達に囲まれ腕を縛られながら地面に膝を付いている。
正悟が来たのに気が付いた男はつい大きな声を出して正悟へと話しかけた。

「アンタ……なんで来たんだよ!」
「勝手に喋ってるんじゃねぇよ……」

その声を聞いただけで男の隣に居た不良の一人が勢いよく男の顔を殴り地面へと叩きつける。
男の隣には椅子が置かれそこに座る不良はこの場に集まる不良の中でも纏う空気が一人だけ違っていた。
正悟にはそれが肌で感じるように分かる。
あれは戦える者が持つ雰囲気で、それが濃ければ濃いほど強くなっていく。
しかし正悟にはそんなことはどうでも良かった。
今は男のことが気になる──あれだけ強打されれば痛いのは勿論、受け身も取れないのであれば余計な怪我もする。
正悟は弱者を虐げる人間が嫌いであった──特に武術の心得がある者がそれを振るって人を傷付けるのが何よりも嫌いで不愉快になるからだ。
そんな不良の男が目の前に居る。
他の不良などその者に比べれば戦力にもならないのは目に見えて明らかだった。
正悟がそう分析していると、椅子に座っている男が正悟と会話をするために言葉を発してきた。

「アンタ、強いらしいな……コイツら叩き潰して満足だったか?」
「さぁな。俺は今お前を叩き潰したい気分だから、他の奴のことなんかどうでもいいんだよ」
「ハッ!言うじゃねぇか──お前らやれよ。憂さ晴らしには丁度いいだろ」

その声と同時に不良達が正悟を捕らえて殴りかかろうとする。
当然やられるのも嫌だが、椅子に座って高みの見物を決め込むその男を引きずり下ろすのが正悟の目的だった。
その目的のためならば幾度となく不良達が襲って来ようとも、全て返り討ちにする覚悟で正悟は相手をしていく。
次第に不良の数は減り、数人残ったところで男が椅子から立ち上がり正悟へと近付こうとするので正悟の方から挑発するように話しかける。

「やっと戦う始める気になったか?」
「こいつらじゃ埒が明かないからな」

そういうと、男は正悟の方へと距離を詰め二人の攻防が続いていく。
不良の動きを見切りそれに対応していく正悟の姿に苛立ちを感じたのか、不良は戦いの最中腰元から折り畳みのナイフを取り出しそれを素早く正悟の顔面に目掛けて突くような形で振るってきた。
流石に突然のことで驚きを隠せない正悟であったが咄嗟に右へ顔を逸らし攻撃を避けるとその隙に相手との距離を取るために片足を軸にもう片方の足で相手の懐へと一撃を入れて蹴り飛ばそうとする。
その動きで相手も避けようとするため自然と距離が開き初手の位置まで互いに戻る形になった。

「得物有りなら最初に言えよ」
「言ったらつまらねぇだろ?」
「卑怯な奴」
「それにあれぐらいの攻撃、避けられない訳ないだろ」
「……いいぜ、来いよ」

正悟の掛け声と共に不良の男は再びナイフを構え向かってくる。
それを正悟は正面から受け止める──否、受け流す事にした。
交わす動作を繰り返し、隙を伺い相手が避けようも無いその瞬間まで正悟はそのまま耐えていく。
当然相手も躍起になって来るので動きも読みやすくなる。
不良の男がナイフを振りかざすその時、正悟は確実な隙を見つけて相手の攻撃を初めて受け止めた。

「これでもう動けないな」
「…………っ!」

不良と正悟の間に緊張した空気が流れる。
正悟は襲って来た男の腕を掴み上げいつでもナイフを落とさせる準備は出来ていた。
不良の男も構えていた腕を掴まれると焦り始めるが、気取られないように強気な表情を崩すことはない。
とはいえ腕を掴まれた以外にも正悟の表情や声色に少なからず恐怖を感じているようで、腕が小刻みに震えている。
本人がそれに気付いているかは分からないが少なくとも、正悟はそれを把握していた。
だからこそ男にはそのままの態度を維持して会話をしていくことにする。
正悟は聞きたかった内容を話していくと男は渋々と言った感じでそれに答えていく。

「お前らアイツに何を求めてる?」
「金以外何も求めてねぇよ、あんな奴」
「下衆が……」
「随分あの坊ちゃんが気に入ったみてぇだな」
「別にそんなんじゃねぇよ」
「なら坊ちゃんの一方通行みたいだな。坊ちゃん最後までアンタのこと言わずに庇ってたぜ」
「…………っ!」
「なんだよ。言葉も出ないほど可愛がってもらったのか?坊ちゃんもいい趣味してるぜ」
「もういい」

不良の男がそこまで言ったところで正悟の怒りが頂点に達する。
掴み上げていた腕の方の手首を強く握り締め、男が悲鳴を上げてナイフを落とすまでそれを続けた。
その悲鳴は空き地中に響き渡り、正悟の手から離れた男は握り締められていた腕を庇いながら地面へと膝をつけた。
正悟は男が落としたナイフを広い上げ、目の前に居る男の顔面へそれを突き付ける。
当然寸止めではあるが、痛みから来る恐怖と戦うその男にとってそれは更なる恐怖になるだけであった。
膝をついていた状態からだらしなく腰を抜かして座り込む。

「お前ら、もうアイツに近付くな」
「何なんだよ!アンタだって、あいつとは何の関係もないし迷惑だって思ってるんだろ!?」
「確かに迷惑だし仲間だの何だの甘すぎるとも思ってる。でも、仲間のために頑張るアイツの気持ちを蔑ろにするお前たちには凄く腹が立ってる」
「仲間?俺たちはあんな奴の仲間になった覚えはねぇよ!」
「利用するだけ利用して、用が済んだら切り捨てるんだな」
「当たり前だろ?あんな奴、ただの金ズルで理事長の孫ってだけでチヤホヤされてるただの七光りじゃねぇか!」
「アイツは──アイツは金ズルでも七光りでもない、ただの天ヶ瀬千草・・・・・っていう人間だろうが……!」
「く、くだらねぇんだよ……!だったら何だって言うんだ──」
「お前らとは住む世界が違うってことだよ!」

正悟は突き付けていたナイフを振り下ろす──その先は男の足を避けた辺りに突き刺さる。
その瞬間、男の敗北感は頂点へと達し、完全に恐怖を感じた男は、そのまま退き情けない姿を晒して走り去る。
それに付随する形で他の不良達も逃げ出していくと、その場に残ったのは正悟と地面に座り込む男の二人だけになっていた。
正悟は地面に刺さったナイフを拾い上げ、男へと近付いていく。
男は正悟の立ち振る舞いを見て驚きそして少し緊張もしていたが、助けに来てくれたことも事実ではあるので、対応に困ってもいたが最終的には身を委ねることにする。
正悟は縛られた男の腕の縄をナイフで切ると、解放した後は手を伸ばして立ち上がらせる。
男は混乱した頭のまま、正悟と会話をしていく。
腕を長時間縛られていたせいか、痛みを和らげるために男は腕を擦りながら混乱している頭を何とか正常にしようとしている。
正悟もそれは見ていて分かる──だからこそ無駄に関わらないよう助けたらすぐに立ち去る予定だった。
そうすればいつもの日常に戻れると信じていたからだ。

「……大丈夫か?」
「えっと、うん……」
「そう……じゃ、あんまり無茶するなよ」
「え、ちょっ……待って」

早急に立ち去ろうとする正悟を無意識に引き止めてしまった男は少し焦っていた。
引き止めてしまったのに何を話していいのか分からない。
焦っているとその焦っていた時間の分だけ冷静になるには時間がかかる。
男はその焦りをどうにか落ち着けようと思い何か言葉を発しようとするのだが、何を言えばいいのか余計に分からなくなってきたようで、その焦りをただ見ているのも対応に困るため、正悟は渋々自分の方から声をかけてやることにする。

「何?まだ何か用?」
「その……ありがと、先輩・・──」

正悟は一瞬驚きを隠せなかった。
今までは敵対心で突き動かしていた男の口から自分を慕う言葉──先輩・・などという単語が出てきたのだからどうしたものかと困惑してしまった節がある。
だが男が発するその声に、正悟は心地良さを感じているのを実感していた。
──やはりあの時に感じた感覚。
その感覚は勘違いではないという確固たる自信にも繋がっていく。
今はこの心地良さに浸っていたい──正悟はそう思うと、男の名を頭で思い浮かべつつその名前を声に出して呼ぶ。

「フフッ……天ヶ瀬、よく見たら酷い顔してる」
「え?」
「土まみれだし、怪我もしてる」
「だっせぇよな……」

男は恥ずかしそうに口元を手で覆い少しでも自分のだらしなさを隠そうとする。
だが正悟は聞いてしまった。
男が自分を犠牲にしてまでも守りたかったもの──正悟のことを最後まで庇ったという事実。
それを知ってしまった以上、正悟は男のことを馬鹿にすることなど到底出来はしなかった。
純新無垢な男の覚悟を蔑ろに出来るほど、正悟は幼稚でもなければ落ちぶれてもいない。
怪我をしても守り通すその意志を汚すことなど出来ない──それどころか賞賛してもいいほどの価値がある。
ただし正悟はそれほど深く考えていた訳ではなかった。
単純に自分のことを考え守ってもらったという事実が嬉しかっただけではあるが、それも感覚の話であり意識的に思ったことでは無い。
それでも想いは溢れ自然とその感情を言葉に乗せて相手に伝えていた。

「お前、俺のこと庇ったって……無茶するなよ」
「仕方ないだろ、言いたくなかったんだから──っていうかさ、なんでそんな簡単にアイツらが言ったことを信じられるんだよ。もしかしたら全部演技で先輩のことハメたかも知れないのに……」
「出会って数日だけど、お前がそういう人間じゃないのは分かってるつもりだから」

男は思う。
──この人はどこまで素直で優しいのかと。
それに先程の言葉、自分が七光りではない天ヶ瀬千草として見てくれた正悟の言動に大分救われていた。
この時に男は恩返しがしたい、隣に居られるような人間になりたいと思えた瞬間でもあった。
すぐには無理でも長い時間がかかっても、正悟に認めてもらいたい──そんな感情で心が満たされていく。
だが今は自分の体の心配をするのが優先だろう。
怪我をしたままでは帰宅するのも阻まれ、どうしたものかと思いもしたが正悟もそれを見越して声をかけてくれた。

「怪我、診てやるから店来いよ」
「え、でも……」
「ほら、行くぞ──天ヶ瀬・・・
「あ、うん……!」

治療する目的で一先ず店に行くのが一番近いと思い、正悟は自ら店へと誘うことにして男の頬に手を当てそれを伝えると男もそれに従う。
正悟はそこからが男の存在を改めて認識したと言っても過言では無い。
ただの男から天ヶ瀬千草という存在になったその瞬間、正悟の中で何かが弾けたような音がする。
だがそれに気が付くことなど他人は愚か、本人でさえ意識することはないのだろう。
二人は少しだけ縮まった距離で歩いていく。
この先正悟の身に何があるかは誰にも分からないが、しかしこの男となら乗り越えられる。

そう、天ヶ瀬千草・・・ ・・と一緒ならば──。
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