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op


潮風を体全面に浴びながら、ウソップは海を睨んでいた。正確には睨んでいるように見えるだけで、実は何も見ていない。
視界には入っているが、それは青色の風景として認識しているだけできちんと見てはいない。例えばその海の波間にひょっこりと、海獣の頭にしろ尻尾にしろが見えたとしても、ウソップは気付かないだろう。


「…………」


ウソップは腕組みをして、見張り台の縁に座っていた。
ウソップがきちんと見張りをしていないことがバレたら口うるさい航海士に大目玉を食らうだろうが、その辺は大丈夫で、なぜか見張り台の縁、ウソップの真横にはロビンの目が生えていた。
この目がウソップの目の代わりに見張りをしてくれているだろうし、何かあればウソップをつつくだろう。


「……んー…」


唸れば、近くを併走していた鴎が答えるように鳴いて風に煽られ飛んでいった。
ウソップはそれにも気付かずに、悩む。

ナミがここ最近機嫌が悪い。初めは自分の性癖を聞いて気持ち悪がっているのかと思ったウソップだったが、そもそもナミはウソップを受け入れると明確に言ったのでそれは無しの方向だ。
だとしたらなんだ、と頭を捻る。


「…気付かなかったから…とかか?」


あり得る。かなりあり得る。
ナミは案外、周りを見ているために見ている人のことが気付けなかった場合は腹を立てるタイプだ。
誰もそれを知らない場合はカウントされないが、今回はロビンとゾロが先に知っていた。それはナミのプライドを傷つけただろう。

ロビンならまだしも、ゾロという比較的他人に無愛想で不器用で他人の感情に勘が鈍い男が知っていたのだ。
ウソップは頷き、見張り台の縁から降りて床に着地した。
縁から甲板を覗き込めば、優雅に紅茶を飲むアフロ、特等席で寝る船長、花壇でなにやら手入れをしている考古学者にその近くで本を読む船医がいた。


「ん?」


サンジがいないのはまぁ、キッチンだとわかる。
ゾロもトレーニングルームに籠もっているのだろう。
フランキーは朝から調子を見るとかでサニー号の調整室に入っていた。

ナミがいない。
いつもならサンジのジュースを飲みながらデッキチェアで好きなことをしているナミが見当たらない。


「どこ行ったんだ、…や、別に用事はねェけど」


誰に言っているのかは解らないが、ウソップは独り言にしては大きな声で話す。

そのままじっと下を見ていたら、がちゃりとキッチンの扉が開いた。そこからナミが、小さいカゴを持って出て来た。

なんだキッチンにいたのか、とウソップは思う。
ナミをそのまま見ていると、船首近くへ向かう。そして寝ているルフィを起こして何かを言う。
するとルフィは、ぐんと肩を引いて腕を伸ばした。


「いっ?!」


ぱしり、と見張り台の縁にその手は置かれ、そのままルフィがゴムゴムの能力で飛んできた。


「おー…どうしたァー?ルフィ」

「おう、なんかウソップと見張り代われって!」

「ふーん…ってイヤイヤイヤ!何だそれ突然だなオイ!」


ナミが、と言いながら下を見るルフィに、ウソップは少しだけ息を吐いてからルフィの肩に手を置いた。


「ナミが言うなら仕方がねェか…うん、じゃあま、頼んだぞルフィ」

「おう!」


にししと笑うルフィを見届けて、ウソップは縄梯子を使って下へ降りる。
ルフィは相変わらずナミの言うことは素直に聞くなァと思いながら。ありゃもう母親と息子みたいだ、とウソップは笑う。


「よっ、と…おいナミー」


呼べば、ナミは案外近くにいてすぐに近寄る。


「降りてきたわね。ウソップ、あんたにはこれを頼むわ」


そう言ってウソップの胸へずいっと出してきたのは先程ナミが持っていた、ふたの付いた茶色い編みカゴ。


「これ?なんだ」

「中には食べ物が入ってるわ。あの脳筋バカ、お昼食べなかったからサンジ君怒ってたのよ」

「あー、確かに静かに怒ってた。ちょー怖かった」


あの料理人は自分の幼少時代に飢餓に陥ったからか、三食きっちりと他人に食事をさせたがる。
少しでも残そうものなら煩いくらいに理由を問い質し、他に食べれそうな物を差し出す始末だ。
ウソップがキノコ嫌いなために何度戦ったかもわからない。


「サンジ君が自分で渡したくないって言っててね。何で俺がアイツのためにそんな事しなきゃいけないんだーとか言ってるから、ウソップ、頼んだわよ」

「ええー…ルフィとかチョッパーとかいんじゃねェかよー」


そう言いながらも、ウソップはナミから食事入りのカゴを受け取る。


「ルフィは中身知ったら食べる危険性があるでしょ。チョッパーは最近勉強で忙しいみたいだし、あんたが一番暇だわ」

「嘘付け!あそこの骨見ろ骨ェ!」


ビシッ!と指を突きつければ、指摘された骨ことブルックは「あ、私は作曲活動で忙しいんです。本当、難しくて骨が折れますよ…あ、私の場合本当に折れたら大変なんですけどー!」等と言ってゆっくりと紅茶を飲んだ。


「してねェだろ!!」

「ああもう兎に角ウソップ、行ってきなさい。いいじゃない、あんた達最近仲いいんだし?」

「それは」

「知ってる。でも、だからこそよ。私もアイツを悪者扱いしちゃったから気まずいのよ。お詫びはその中に入ってるお酒よって伝えておいてくれる?」


ナミはウィンクをして去っていった。ウソップは手の中の蓋付きのカゴを見る。


「…ああ言うこと言われると、断れねェの解ってるだろナミの奴」


ウソップは小さな声で文句を言ったが、その顔はふてくされてはいなかった。

トレーニングルームにいるだろうと見当を付けて向かえば、案の定そこにゾロはいた。
がしゃん、がしゃん、とダンベルフライをしていたが、相も変わらず規格外の重さにウソップはげんなりする。

バケモンかこいつは、と思いながらカゴを差し出しつつゾロへ近付く。


「おーい、ゾロー、差し入れ」

「…ああ」


どがしゃん!と音をさせて両手から片方80キロずつのダンベルの塊を落とす。
その音にウソップの肩は思いっ切り跳ねたが、ゾロはその瞬間に起きあがった為に気付かなかった。
あんな筋トレをしていながら汗を少ししかかいてないゾロへ、ウソップはがま口から一応タオルを出した。


「お疲れ。毎度の事ながらお前そんなに筋トレする必要性あんのか?もう充分だろ」


タオルを渡しながら言えば、ゾロはベンチに座りながら笑って額を拭いた。


「いや…まだまだだ…俺はアイツに勝たなきゃいけねェからな」

「鷹の目かー…俺から見れば、もう充分大剣豪だけどなゾロは」


ウソップは脳裏に鷹の目の顔を思い浮かべ、少し身震いをする。
正面から見たことなんてないがそれでもあの金の目は鋭く、正しく猛禽類の目だ。
そして背中に担ぐ大きな黒刀。あれで一度ゾロは斬られた。
それを、その瞬間を、ウソップは見ていないがあの切り傷は凄まじく綺麗だった事は覚えている。
ゾロが目標にするだけある人なのだと、納得したのも覚えている。

顔全体を覆っていたタオルから、ゾロが目だけをウソップへ向ける。

ゾロから見れば、ウソップこそ少しは筋トレをしたほうがいいと思った。
初めに比べれば随分逞しくなったし、筋肉だって付いた。腹筋だって綺麗とは言えないが割れている。しかし全体的にやはり薄っぺらく感じる。
ルフィもサンジも線が細い方だがその実しっかりと筋肉がついている。
ウソップもまぁ、その二人と同じとは言えないが筋肉はあるのに、何故こうも薄いイメージがあるのだろう。


「ほい、ゾロ。汗引いたか?昼食ってねェんだからちゃんと食べろよー」

「…ああ」


ウソップから渡されたカゴを受け取る。
ゾロはその血豆が一つ出来ていた手を見て、ピンと思いつく。
ウソップは隣にフランキーがよくいるから、余計細く見えるんだと。
あとは、そう、ゾロの意識の問題である。
ゾロの頭の中では未だウソップは、ナミとチョッパーとギャーギャー喚きながら逃げて、自分達に護られているイメージがこびりついている。

護るべき者はどうしても、自分より弱く小さく見えてしまう。


「中に酒、ある?」


ウソップが近付き、ゾロの持つカゴの蓋を開けて覗き込む。
意図せずゾロの鼻先にウソップの頭が近くなる。

当初より随分と伸びた髪は、後ろで一つに纏められてふわふわと揺れている。
親譲りだと言っていたそのパーマは、黒い髪色の所為で一見硬そうに見えるがどうなのだろう、とゾロは好奇心が沸き上がった。
ゾロはカゴを股の間のベンチの上へ置く。


「お、本当にあんじゃん。なァ、ゾロ、これな、この酒」


ゾロはウソップがカゴから酒を出す前に、そろりと手を伸ばしてウソップの纏められた髪を触った。


「うあ」


びくりとウソップの体が揺れて、カチリと固まった。
ゾロは手を引くことはせずに、そのままウソップの髪に手を差し込んでやわやわと指先を動かした。

ゾロの指先に、柔らかく細い髪が纏わりつく。
ああほらな、硬くねェ、とゾロは満足げに笑う。
ウソップは酒の瓶の首を持ちながら、何が何だと目を丸くしていた。
何故今、自分の髪が触られているんだと思い、ウソップが口を開く。


「…ぁ、あのォ~…ゾロ君?」

「なんだ」


普通!
ウソップは癖で突っ込みたくなるが、我慢してその体勢のまま言葉を繋げる。
そろりと目線をあげてもゾロの着物の帯しか見えない。


「や…こっちの台詞と言いますか…何で髪、触ってんの?なんかついてた?」


今日は帽子被ってなかったからな、とウソップは小さく堅い笑いを零す。


「いや、なんにも」

「じゃあなんで触ってるんデスカ…」


ウソップのこめかみに変な汗が流れる。
ゾロは髪から手を引き抜き、今度はウソップの頭をその大きな掌で掴んで上を向かせた。


「ぎゃあ!なんか今首変な音したぞおい!」


喚くウソップをゾロは無表情で見下ろす。
相変わらずのデカくて丸い目だと、ゾロが思うとウソップはその目を伏せた。
ウソップは顔を上に向かせられているため、目を開いていると否が応でもゾロを見上げる形になるのが嫌だったらしく、目線を自分の長い鼻先へ向けた。

鼻越しに、ゾロの剥き出しの傷だらけの胸板が見えた。


「なんなんだよ、離せってー!」


下手に動くと怖いウソップは、口だけで説得するがゾロはまだ顔を見ていた。
ウソップの伏せられたその目は、睫毛が長く伸びている。


「…お前、睫毛長ェな」

「そうですかそうですか。何の確認!?」

「女みてェ」


ゾロの一言に、喚いていたウソップの口はぴたりと止まった。
そして小さく息を飲むと、右手に持った酒瓶の首を握り直す。


「おい?」


ぱちり、と伏せられていた目が上を向いた。
ウソップの丸い目にゾロの顔がうっすらと反射する。

今度はゾロが息を飲んだ。


「…女のが可愛いんだぞ、生物学的にも。そんでな、その可愛い生き物から、お前にお詫びとして酒だそうだ。飲めよ」

「誰だ」

「ナミ。お前に覚えが無くても、詫びだっつってタダ酒なんだから受け取れよ」


何も感情がないようなウソップのガラス玉のような目。
なぜかゾロは無性に引き込まれる。


「ふぅん…いや、覚えはある」

「そうか。それならっ、ッ?!」


ウソップが言い終わる前に、ゾロは頭を傾けてその長い鼻を避け、ウソップの唇を覆った。

キスと言うよりは食すと言った風に、ゾロは大口を開けてウソップの口を自分の咥内へ入れて、喋っていたために開きっぱなしだったウソップの口の中に舌を差し込んだ。


「ンッ、ん゙ん゙ーんッ、ふぅぅう…んっ!!」


何かを叫んでいるが、無視をしてゾロは無尽に吸う。
ゾロの舌があるからか、閉じられることがないウソップの口に気をよくしたゾロは、ウソップの歯列をなぞり、上顎を舌先で撫で、舌の根本に自分の舌を絡ませた。
こくり、こくりと何度もウソップの喉が上下する。
含みきれない二人分の唾液が喉へ落ちるために、ウソップは仕方がなく飲み込むしかなかった。

なんでこうなった、とウソップは胡乱とする頭で考える。

右手はナミの酒だから割らないようにしっかりと持っているが、左手はゾロを止めるために必死にゾロの体を押すが、それはもうゾロに縋っているようにも見えた。
漸く離されたときには、ウソップの口元は唾液塗れで目は涙目、息も荒くなっていた。


「…は、ぁ…な、なんだよ、お前、いきなり…!」


必死で息を整え、口元を荒く左手のリストバンドで拭った。

ゾロの右手は未だにウソップの頭を掴んでいる。
そのためウソップは見たくなくてもゾロを見上げたままだ。


「…ああ…いいな…その目」

「…はあ?!」

「その顔で見上げられると、誘ってるみてェだぜ?」


ゾロがニヤリと笑い、左手でウソップの顎下を撫でた。
ウソップはカッと顔が熱くなる。

酒瓶を割れないようにカゴの中へ戻して、右手でゾロの左手を払いのけた。

ぱしりと軽い音がする。
そのことに驚いたゾロは思わず右手の力も緩む。ウソップはそれも払いのけてしゃがんでいたのを立ち上がり、ゾロから離れた。

ゾロの顔はいつもより不機嫌だが、ウソップの眉間もしわが刻まれている。


「…そう言うの、やめろよ。からかうってのには度が過ぎてる。ゾロ、おれ、言ったよな。クルーにそう言う感情は向けないって」

「ああ、そうだな。だが、お前が俺に構い倒してるこの数日間で、何かが変わったのに気付いてるか?」

「…は?」


ゾロの言葉に、ウソップは訝しげな声を上げる。
ゾロは笑いながらベンチから立ち上がった。

少しだけウソップが身構える。


「そうだなァ…まず、俺の機嫌が悪くなる。ルフィやアホコックなんざまずダメだ。フランキーはギリギリ、ああ、ナミもダメだ。ロビン…もギリギリか。ブルックとチョッパーは平気だ」

「…何言ってんだお前」

「最近は上陸してないからわかんねェが、多分次の島でもしそうなったら、俺はどうなるかわかんねェな。斬るか、キレるだけか」

「いや、怖ェよ」


何だそのどっちもどっちな二択は、とウソップは言いながら、一歩ずつ近寄って来るゾロからじりじりと下がる。


「前の上陸の後から、ナミがうるせェ。ウソップ、お前と降りた後からだ。勘違いだと解ったみたいだが、…その通りにしてやろうかと俺は思った。なんせ俺は不思議なことにお前の良い面をよく知ってるし、惹かれてるもンでな」


ウソップとゾロの間は、ゾロの歩幅一歩分。
ウソップは、大きな溜息を吐いてからゾロを見た。


「…そう言うの、やめろよ」

「勝手に決めんな。だがまァ、時間はやる。少しだがな。考えとけ」


そう言ってゾロはさっさとトレーニングルームから出て行った。
残されたウソップは、ぐっと下唇を噛んだ。


「……カゴ、置いてってるし…」


呟いた声は思いの外震えていた。






引っくり返されたカブトムシ

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