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煩わしい、とナミは思った。
ここ数日、ウソップがやたらとゾロにひっついて構うようになったからだ。
初めは何にも思わなかったクルー達だが、それも五日目となればみんな一様に眉を顰める。
ついこないだまでは、ゾロがウソップを睨み千切っていて、ウソップもゾロのその強い視線から逃げるようにしていたのに今となってはウソップがやたらとゾロを構う。
ゾロも面倒がらずに、適当なのかは解らないが相槌をいれたりきちんとした返事を返したりしている。
それは、少し前まではルフィやチョッパーの位置だったものだ。
案の定チョッパーは構われなくなったことに哀しげな影を背負うようになり、ルフィはルフィで、俺は今とっても不機嫌ですオーラを隠すこともなく船首に座り込んでいた。
それに気付いたときは人一倍負の感情に敏感なウソップらしく慌てて宥めに掛かっているが、そうなると今度は少しだけゾロの方が傾く。いつも仏頂面だが、その時だけ眉の影と口のひん曲がり具合が濃くなるのだ。
これは、ウソップとウソップの周辺を飽きもせず毎日見ていたナミだけがわかったことだった。
そしてとうとう、ナミは行動に移した。
手始めにゾロだ。
ウソップがルフィを宥めてご機嫌取りをしている時に、ナミは仏頂面のまま階段横に座り込んでいた緑頭の剣士を捕まえた。ゾロは少し身構える。
「ゾロ、ちょっとお話があるんだけど?」
「なんだ。今んとこテメェに借金はしてねェはずだぞ…」
ナミの下瞼がひくりと動く。
「違うわ!…はー…回りくどいのは嫌いなの。だから率直に言うわよ。最近、あんた達可笑しいのよ」
「…はァ?」
腰に手を当ててゾロを見下ろすナミに、ゾロは何のことを言われているのか見当も付かず、呆けた顔で見上げた。
ナミは長い髪を肩の後ろへ手で払う。
デッキの前の方からは、ルフィの声とウソップの声が微かに風に乗って聞こえてくる。
ウソップのいつもの法螺冒険譚を、ルフィは真剣に聞いて大げさな反応をしている。
ルフィはウソップの話が七割方嘘だと知っているが、気にしない。ウソップが面白おかしい天才的なストーリーテラーと化してそれを聞かせてくれているのを楽しめたらそれでいいのだ。
ゾロは、ナミが目の前にいるのに船首側を横目でちらりと伺った。見えやしないのに。
「そこよ」
「何がだよ」
「前までは、ウソップと…仲は良かったけどソコまで気にするほどじゃなかったでしょ。どちらかというと、サンジ君の方がウソップと仲が良かったもの」
ナミの言葉に今度はゾロの下瞼がひくりと動いた。
それは前方から聞こえる「やめろ引っ付くなよ!」というウソップの声のせいなのか、ナミの口から出た喧嘩相手の名前のせいなのかは、ナミには判断ができなかった。
「何で俺に聞いてんだ」
やっと話したセリフは、ゾロらしくもなく逃げる言葉だった。
「…ウソップに聞いたってはぐらかされるのがオチよ。あんたと違って、ウソップは頭が良いから」
「あァ?!テメェ馬鹿にしてんのか!」
「うるっさいわね、事実じゃない。だから、余計に可笑しいって言ってんのよ」
ナミはゾロの前から移動して、ゾロが座り込む横の階段に腰掛けた。
正面から風を受けて、ナミの長い髪がふわりと後ろへ流れる。
肘を膝の上に置いて頬杖をついたナミの視線の先には、未だに良く解らない法螺話をして無駄に盛り上がるルフィとウソップ。
「アイツなら、…うまくやんのよ。解らないように、うまく。なのに、今回あんたにベッタリしてるのは、ウソップにしては分かり易すぎる行動よ。ウソップは…ルフィやチョッパーを蔑ろにしてご機嫌取りまでしなきゃいけないほど、あんたの側にいる。まるで何かに義務づけられたのか、脅えてるのか…脅迫観念のように」
つらつらとナミの口から飛び出る、ナミ視点から見たウソップの性格把握にゾロは驚いた。
ナミにしてはやたらとウソップについて良く解ってるじゃねェか、と思ったが考えれば確かにナミはよくウソップと一緒にいた。
知らない土地へは安全のためにルフィと共に行動することが多いが、船の上やある程度治安の良い島や観光島ならば、ウソップといたほうが多かった。
一番ウソップとの時間を過ごしているのは、何だかんだナミなのではないかとゾロは思う。
ナミ自身も、ウソップといるのは苦ではなくどちらかと言えば楽だったし一緒にいれば楽しいから率先して連れ立って行動していた節もある。
ウソップはその育ちのせいか、面倒見がよい性格で病弱な女性が側にいたためか女性の扱いにも長けている。
だからナミはウソップといても男といるという感じもなく比較的自然体でいられた。我が儘を言っても仕方がないと言った風に聞いてくれるし、一緒に買い物をしていても自分のモノではなくナミが好きそうなものやナミに似合うモノを見つけてくれる。
ご飯だって、ルフィのように肉が大好きってわけでもなければ大食漢でもないし、ゾロのように無愛想に酒とつまみしか食べないわけでもないし、サンジのようにあからさまな愛想を振りまくわけでも自分の作ったモンのが美味いなどと言って場を白けさせる事もしない。
ロビンのように、女同士のように食べ物を見て「盛り付けが綺麗」「繊細だな」などと言ったり、甘いデザートも喜んで食べたり、比較的他の男どもより汚い食べ方もしない。
酒は弱いがそもそもの基準からすればナミがザル過ぎるためそこは目を瞑る。
ルフィ達ほど強くはないが一般男性よりも強い方だろうし、そもそも争い事が嫌いなためにそう言ったことが起こりそうな場所は避けて通る。結果的に女性が多い、明るく賑やかな店がある通りに行くことになる。
弱虫で泣き虫だが、重いものだってちゃんと持ってくれる。
つまり、ウソップは女に好かれる体質を持っている男なのだ。
繊細で気が使える、一緒に感情を分かち合える。
それが安定志向の女にはモテるのだろう。
しかし行く先々は海賊などの荒くれが多い場所で、そうなると血の気の多い男や強い男を好きな女ばかりになる。
結果的にルフィやゾロにばかり目が向くし、サンジは顔もよければ女好きが効を成しているのかいないのか、それなりに女に困ることはない。
彼らが斜陽になっていて見られることがないのだ、とナミは毎回腹の中に火の粉がちらつく。
それがどういった感情なのかは未だ解らない。
ちらり、とナミは目線を斜め下に向ける。緑の頭が少しだけ見える。
「…要するに、テメェは、俺がウソップを脅したって言いてェ訳か」
「そうは言ってないわよ。あんたにそのつもりが無くても、ウソップが勝手にそうやって受け取った可能性があるって言ってんの」
がしゃりと音をさせてゾロが立ち上がる。
ゾロはナミに向き直り、にやりと口角を上げた。
「だとしたら何だ。ウソップが俺を気に掛けなきゃいけねェ理由があるからこうなってんじゃねェのか?」
ナミは眉間に縦筋を刻む。
「あんた…ウソップになにを聞き出したって言うのよ」
「聞き出したっつーのは、人聞き悪ィな」
「クルーだからって、全部明け透けには出来ないの知ってるくせに。ウソップが何か知られたくないことをあんたが無理矢理問い質したんじゃないの。あんたは一つ気になると納得するまで聞くから」
ゾロは鼻で笑って、ナミに背中を向けて歩き出した。
その足の方向は船首だ。
ルフィとウソップ、いつの間にか加わっていたチョッパーの所へ茶々を入れに行くのだろう。
ゾロは何も言わないが、ゾロがウソップの近くへ座り、居眠りする振りをすればウソップはルフィ達が目の前にいるのにゾロに言葉をかけ、ゾロを中心にして話を展開し始める。
チョッパーはなにも気付かない。
ルフィは少し下唇を突き出すが、ウソップが上手いことルフィに言葉を掛けて話を繋げるから、途端にそれは満面の笑みになる。
「……チッ…」
ナミは珍しく舌打ちを一つして、左手で前髪を掻き上げながら膝に額を押しつけた。
***
島に着いた。今回の島は大きな島だ。
海軍駐屯もあるとのことで上陸は最小限にし、必要な物資だけをさっさと集めて後はログが溜まるのを待つことにした。
ルフィは船から下りてはいけないと言われ、そもそも島に用がなかったゾロはそれの目付役で船番。
フランキーはいつでもサニー号を動かせるように残り、チョッパーもロビンも船に残ることになった。
食材泥棒が出たために買い足さなければならなくなったためにサンジが、そして紅茶が欲しいとのことでブルックが連れ立って出て行く。
ウソップも特に用はないからと残る気でいたが、ナミが買いたいモノがあるからとウソップの腕を引いて船を下りた。
この時後ろから料理人の嫉妬の罵声を聞いたウソップは、彼らと降りたらいいだろうと言ったがナミから「嫌よ」の一言で一蹴されてしまった。
***
「ナミお前さぁ」
ウソップは両手に持った小さな紙袋を揺らしながら、隣に歩くナミに呼びかけた。ナミの手には何もない。
「なによ」
「おまえ、これ、本当にいるものかー?無理して海軍いるとこで買うもんじゃなくねェか?」
「いるのよ」
「ええー…」
絶対嘘だ、とウソップは心の中で思うが口には出さずに歩き続けた。
ナミがどこへ向かっているかは解らない。
ウソップの手にある紙袋の中には、小さなアクセサリー類やコロン、シュシュやおしゃれメガネなど本当に比較的無くても日常生活に支障を来さないレベルのモノばかりだ。
自分でさっさとこの島からは離れたい、無駄な上陸はしないこと、と言っておいて何をしているんだとウソップは思った。
言ったら殴られるために言わないが。
「ウソップ」
「ん?」
「お腹減ったわ!あそこのカフェ行きましょ」
「おー、いいぞー」
帰ればサンジが作ってくれていたご飯があったはずだが、今帰ったところでルフィの腹の中に消えているだろう。
ウソップはナミへ快く頷く。
ナミは嬉しそうに笑うと、するりとウソップの腕へ手を回して数メートル先の可愛らしいカフェへいそいそと引っ張った。
「おい、ナミ、引っ張んなよ!」
「早く行かないと、席なくなったらどーすんのよ!」
昼過ぎなんだからそんなにいないだろとウソップは言ったが、ナミは聞かない振りをした。
からりと軽いベルの音を鳴らしてその可愛い木製の扉を押し開くと、ウソップの予想が外れ中は喧騒で賑わっていた。
客の九割が女で一割はカップルの中、ウソップは少しだけそわりと腕を動かす。
海賊の自分とは程遠い場所にしか見えなかった。
ナミは気にせず近寄ってきたスタッフに人数を伝えると、申し訳無さそうにスタッフが頭を下げた。
「ただ今店内は満席でして、…オープンテラスのお席でしたらご用意できますが」
ウソップはちらりとナミを見るが視線はあわなかった。
ナミがにこやかに頷き、二人はオープンテラスの席へ通された。
メニューを渡してスタッフが去った後、ウソップはナミへ呆れた目を向ける。
「お前なァ…、いいのかー?」
「…なにが?あ、これ美味しそう!ねぇウソップは何にするの?」
メニューに書かれた文字の先、苺が沢山乗り生クリームとフランボワーズソースがかかった赤いミニサイズのパンケーキをナミは指さしてから、メニューをウソップへ向けた。
ウソップは下唇を少しだけ突きだしたが、すぐに治めてメニューに目を落とす。
「んー…どれも美味そうだよなァ…」
真剣に悩むウソップを見ながら、ナミは頬杖をついて笑顔のまま「ゆっくり悩みなさいよ」と軽く微笑む。
ナミは知っていた。
ウソップが、ナミとオープンテラスにいるのは自分じゃ不相応だと思っていることも、自分と一緒にいる所為でナミがナンパされないことや、船に帰って待っていればタダで、きっとこれより美味しくて可愛いデザートが出て来ることを気にしているという事実を、ナミは知っていて知らぬ振りをした。
何も解らない我が儘な女を押し通す演技をしてウソップを此処へ引き込んだ。
自分に押し通されたと言えば、ウソップがとやかく言われることもない。
いつだってナミはウソップが傷付かない方向を選ぼうと努力していた。
それは一番始め、ココヤシ村でのことも繋がっているのかもしれないとナミはぼんやりと思う。
「よォーし、決めた!俺これにする」
「ん。すみませーん!オーダー!」
ナミが呼び掛ければ、スタッフは直ぐに飛んできてナミとウソップの注文を聞いて引っ込んだ。
ウソップは通りを行き交う人々を眺め、ナミは頬杖をついたまま先に運ばれてきていたアイスティーを飲んだ。サンジのとは違う、人工甘味料の味が広がる。
「なー、ナミ」
きた、とナミは少し身構える。
「…なに?」
「お前、なんか俺に言いたいことあんじゃねェの?」
「どうして?」
「どうして…って…、お前、悩み事とか泣き言とか愚痴とか、まァ兎に角そう言うときは意味もなく俺と居ようとするだろー?話聞いて欲しいのって素直に言えば可愛いのにな」
「当たってるけど、一言多いわよ!」
通りから目線をナミにやって、へらりと笑ったウソップにナミは少し息を飲み込んだ。
タイミング良くパンケーキと抹茶ロールが運ばれ、甘い香りが2人の間に立ち上る。
「うまそー!」
ウソップはフォークを手に取り、早速自分のロールケーキを一口、口に運んで笑顔になる。
ナミはその色に目元がひきつった。
抹茶。選りに選って今から話そうとしていた話題の人間の色を選ぶなんて、狙ってやってんの?とナミは少しだけ腹立たしくなる。
そして自分も一口、赤いパンケーキを食べる。
甘酸っぱく柔らかいソレはとてつもなく美味しい。
ナミの心に少しだけゆとりが戻ってきた。
「ウソップ、単刀直入に言うわ。あんた、ゾロとなんかあったわけ?」
「ぐっ!!」
げほりとウソップが噎せて、慌てて水を飲み下した。
ナミは何故か此処には居ない緑頭に苛立ちが募った。
ウソップは涙目になりながらも、ナミへ不審の目を向ける。
「なんだよ、何でそんな事聞いてくるんだ?」
「はァ?あんたバレてないとでも思ってたわけ?最近あんた、やたらとゾロに構い倒してるじゃない!チョッパーやルフィを疎かにしてまで」
「な、疎かになんかしてねェよ!」
ナミの言葉にウソップは目を見開く。
元々丸く大きな団栗眼が、更に大きくなる。
「じゃあ何でゾロに無駄に関わり始めたのよ。前は用事がなければ近付かなかったじゃない。ルフィ達を抜いたら、サンジ君やフランキーといる方が多かったでしょ」
「う…まあ、それは…」
言い淀むウソップに、ナミは苺にフォークを突き立ててウソップの口へ無理矢理突っ込んだ。
目を白黒させながらも、ウソップは口に入った苺を咀嚼する。
「例えば、あんた。何か弱みか秘密か、知られたくない事をゾロに知られちゃった?クルーとは言え、秘密の一つや二つあるのが普通だもの。それを無理矢理聞いてきて、言わざるを得なかったとか?」
「…ナミ」
「それで、もしゾロが、…勿論言いふらしたりする性格じゃない事は解っているけど、怖いから保険のためにご機嫌取りのように…、それと監視目的で周りをうろついていたとか?」
「ナミ!」
そこまでナミに喋らせていたウソップは、大きな声を出してナミの言葉を遮った。
驚いたナミはぴたりと動きまで止めて目の前のウソップをまじまじと見る。
ウソップは溜息を吐いて右手に額を乗せてから小さく唸った。
「あー…まず、お前、ちょっとゾロを悪者位置にし過ぎ。それはダメだぞ」
「…あ、…ご、ごめん」
「まァ俺に謝られても仕方がないんだけどさ。後、お前は本当的確で怖い」
そう言うとウソップは泣きそうな顔で力なく笑い、ナミに自分のロールケーキを一口分差し出した。
ナミはおとなしくそれを食べる。
サンジが見ていたら発狂しそうな光景だが、2人にとってはとてつもなく自然な流れだった。
「…別に、言いたくなかったわけでもねェし。ああ、まあ、知られたら困るなァとは思ってたけど」
「それって、私も知らない?」
「うん。知らねェよ。あ、ロビンが知ってる。ロビンと、ゾロ。そんだけ」
ナミの眉間にしわが入り、口はへの字に曲がる。
その不機嫌な顔に、ウソップは小さく困ったように唸る。
「わかったよお前にも話す。だから拗ねた顔すんなよなァ」
「別に拗ねてないわよ!」
「はいはい。…っても、言い出しにくい話題だし、つーか…いや、お前なら大丈夫だとは思うけど」
「何よ、私は言い触らしたりもしないし、見張って引っ付いてなくてもいいわよ」
「そこじゃねェよ。んんー…そうな…俺、ああー…同性もイケる口といいますか」
ウソップの言葉に、ナミの動きは止まった。
元々大きな目はそれ以上に開く。
瞳孔まで開いてんじゃねェの、とウソップは笑う。
ナミはフォークを置いてウソップの手を取る。
その指先はとても冷たい。
「…それって、あの、要するにあんた、同性愛者ってこと?」
「ちょっと違う。バイセクシュアルってやつ。俺女の子も普通に可愛いって思えるし好きだし」
ナミの声は震える。
ウソップは眉を下げる。
「ごめんな、なんか。仲間なんだし、気持ち悪いだろうけどあからさまに突っぱねたりはしないでほしいかなって」
「ばか!!!」
大きな声で言った後、ナミはウソップの手を握り締めた。
「な、なんだよ…ビビるだろー…」
「もう、ばか…!言うの遅い!もっと早く…なんで、ロビンはいいわよ!ゾロより知るのが遅かったのが腹立つわ!なんなのよ、なんで、ロビンはわかるけど、なんでゾロには教えたのに私には…!」
「おっ、落ち着けってェー…!な、はい、深呼吸しろ深呼吸!…ロビンはまぁ、あれだけど、ゾロは違ェよ。まぁ、色々あってバレたんだ。だから、俺から打ち明けたのはナミが2人目だよ」
ウソップにそう言われ、ナミは少しだけ腹の虫が治まる。
ふーっと息をついて、ウソップの手を離した。
そして暫く下を向いて黙ってから、勢い良く顔を上げてウソップを見た。
「…これからは、私にも相談しなさいよね!聞いてあげられることは沢山あるわ。そんなウソップも、私は受け入れるんだから」
そう言って、ナミは再びフォークを取った。
転がるカブトムシ