他雑多
―久し振りだね、僕らのアリス。
「何言ってるの、チェシャ猫。貴方はずっと私の側にいたじゃない」
アリスの言葉に、猫はコクリと頷く。
「僕は、ずっとアリスの側にいたよ。でも、皆は違う」
その言葉に、アリスは少し首を傾げてからややあって、そうねそうだったわ、と呟いた。猫は傾く。
「最近、こっちに来ていなかったものね。皆に逢ってない」
「そうだね、アリス。皆寂しがってるよ」
にんまりとしたまま猫はアリスの前ヘ行き、手を引いた。素直に従い、導かれるまま歩いていく。
少しの間、見なかった懐かしい公園。
先に在る薔薇は眠っていて、薔薇園の奥で賑やかな声が聞こえてくる。
ちらりと近場のテーブルを見ると、しっちゃかめっちゃかのまま、何も手を付けられていない。
以前女王に「こんな汚い机で茶会なんて、不衛生だわ」と言われて以来、使っていないらしい。だからと言って片付けるというのは面倒だから、そのままにしてあるのだろう。
少しアリスから苦笑が漏れた。それに目敏く猫が反応する。
「どうしたんだい、アリス」
「何でもない。それより、どこに行くの?私、無意識にこっちに来ちゃったんだよ?いきなり行って、皆迷惑じゃない?」
「大丈夫だよ、アリス。アリスは普通、迷惑じゃないんだよ」
質問攻めなアリスに、言葉を一つ返した猫。アリスは言われた言葉の意味がわからなくて首を捻った。
未だに彼女は自己評価が低いらしい。そんなアリスを引き連れて、猫は眠っている薔薇達に近付き薔薇のアーチを潜った。
アーチを潜るときにアリスの体が若干強張ったのを繋いだ手が猫に知らせた。
「大丈夫だよ、アリス。薔薇は来ないよ、眠っているからね」
「わ、わかってるよ」
それでも一度付いた恐怖は中々消えないのよ、そう愚痴るアリスを猫は笑いながら手を引く。
一人と一匹は、すやすやと眠っている薔薇を通り過ぎた。
***
「アリスじゃないか!遅かったじゃないか、アリス!」
薔薇園が開けた先に大きいけれど趣味のいいテーブルが置いてあった。
それを囲むように見知った人達が茶会をしている。
アリスの姿を見つけて真っ先に声を上げたのは、未だに不安定な大きい帽子を被った、その姿の通りの帽子屋。
アリスはみんなに笑顔を見せる。
「みんな、久し振り。あら、公爵あれ以来ね!」
「ああ、久し振りアリス。あの時は本当にお世話様だね」
「ううん。大丈夫よ、それよりそちらは?」
公爵の後ろには良く言えばスレンダー、悪く言えば痩せすぎの女性がいた。
顔立ちは整っていて綺麗だが、いかんせん体が細すぎる。
「何を言っているんだアリス。あれは私の妻だよ」
「え」
「公爵夫人だよ、アリス」
「え、ええっ!だって、前は、小さくなって…」
「あんパンだよ、アリス」
にんまりしたまま猫が言った言葉に、そうだわあんパンがあったじゃない、と頭を振った。
「でも、なんであんなに細いの」
「妻は食中毒を起こして以来、食べるものに気を使い出してね。今じゃヘルシーで新鮮なものしか食べなくなったのだよ」
「へ、へぇ…まぁ、それは体にとてもいいことだと思うわ。でも、それにしても」
「大きければそれ以上に、小さければそれ以下になんだよ、アリス」
「…貴方ってたまに言い回しが、その…面倒ね」
少し首を捻りながらも、じぃっと公爵夫人の後ろ姿を見つめていると、ふいにこちらをむいた夫人と目が合った。
ぺこりとアリスがお辞儀をすれば、夫人はにこやかに顔を緩めて近寄って来る。
「お帰りなさい、私たちのアリス。それと、以前はお手を煩わせたようで…すみませんでしたわ」
「え、あ、いや!はい!」
女王さまとは違う部類の丁寧な言葉に思わず挙動不審になるアリス。
そうよね。公爵夫人だもの、言葉遣いは勿論、礼儀もあるに決まってるじゃない。とアリスはドキドキする心を落ち着かせる。
「あの時は我を忘れてしまっていて…小さいアリスが来なくなった辺りに挙式をあげたのですけれど、それから何かにとり憑かれたように暴飲暴食を。主人から聞きましたわ。アリスが助けてくださったんですってね、ありがとうございます」
ぴくりと肩が揺らぐ。アリスは一歩後ろへ無意識にさがった。
そんなアリスに気付いて、猫はすぐさま隣へピタリと張り付くように引っ付いた。
「…いえ。じゃあ、あの、私はこれで…久々に公爵と夫人に会えたし」
目線を下にしたまま、後ずさりながらお茶会から抜けると、その場にいた全員がにこやかに手を振ってくれた。それに同じ様に笑って手を振り替えし、アリスは早々にその場を後にした。
アリスの右手はずっと猫の灰色の裾を掴んだままだったが。
いつのまにか、チェシャ猫とアリスは公園の砂場に佇んでいた。
「…チェシャ猫」
震えた、冷たい声を出したアリスに猫は笑う。
「アリス、気に病むことはないんだよ」
「…なにが」
猫はアリスの手を取り、少し身震いをした。アリスの目は猫の臍辺りを睨みつけたままで、猫の姿が少し揺らいだことに気が付かなかった。
「夫人だよ。アリス、夫人は小さいアリスの歪みに飲み込まれた一人なだけだよ」
首を傾げながらいう猫に、やっぱり私のせいじゃない、と思わずためいきをつく。
でもなぜか気が楽になって落ち着いている胸中を不審に思う。
「ねぇチェシャ猫、夫人は幸せね」
「?、人の幸せは人にしか解らないものだよ、アリス。物差しを押し付けてはいけないよ」
「そうね、でも、幸せだと思うわ」
だって、歪んでしまってもずっと添い遂げてくれる人がいるんだもの。ぽつりと呟いたその言葉は夜の公園へ溶けていく。
「アリス、アリスにも沢山いるよ」
「そうかしら」
「僕らはみんな、アリスと一緒にいるよ」
猫の言葉にアリスは、はたと考えて、それからそうねと笑った。
I'm on your side/everyone.
了