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SB


【薄く見える潮汐力】


小さい頃、一度だけ弟が大泣きしたことがある。

当時は中学に入ったばかりで、ガラッと授業も変わり、部活だってあり、友人関係も小学校のままとはいかずにそれとなく変わっていった。
俺はソレについて行くので必死で、興味本位で入ったサッカー部の練習も、算数から数学になった勉強も、変に背伸びする友人に合わせるのも、体一つでは足りないくらいだった。
そんな忙殺された新しい日々の中、小学生の弟にまで手が回らなくなるのは必然だった。それまでずっと一緒だった俺達二人はぷっつりと切り離れた感じがしたが、そんなことも後からゆっくり考えたらの話で。

兎に角、その生活の中で構われなくなった弟の日々人が突然爆発したのだ。と言っても俺からすれば突然なだけで、日々人からすればずっとふつふつと溜め込んでいたのかもしれない。

その爆発があったのはある夜。
眠気眼のままトイレから出て来たら突然弟が俺の右側から飛びついてきて、離れなくなった。何をしても何を言っても馬鹿みたいに力強く抱きついて離れない。仕方なしにそのまま廊下へ出て部屋へ向かおうとしたら、突然火がついたように泣き出した。
デカい声と、弟が泣いたということで驚いた俺は、その場で思わず硬直し、母が寝室から出て来るまで泣き続ける日々人を右側にくっつけたまま突っ立っていた。
パジャマ姿の母に「なぁに、泣いたの?ムッちゃん、日々人のこと泣き止ませてね。頼んだわよー」と暢気に言われ、無理矢理背中を押されて俺は自室へ押し込められた。母はちゃんと「おやすみー」と伝えて。なんて無責任なんだ、と思ったが、離れずグスグス言っている日々人は確かに何とかしなければいけない。もう深夜と言ってもいい時間帯なのだ。

とりあえず部屋の真ん中に座って、未だ引っ付き虫の日々人に何があったどうしたと、優しく聞いてもただ首を振り続けるだけで、やっぱり何も言わなかった。途方に暮れた俺は、兎に角半分泣き止みつつも鼻をぐずつかせている日々人を引っ張り、自分のベッドへ倒れ込んだ。
小学生と言っても日々人と俺はあまり体格が変わらない。いや、俺の方がまだ少し背はある。それでも横幅は似たり寄ったりなため、ベッドには縺れるように倒れてしまった。
それでも日々人は手に力を入れて離れない。溜め息をつきたいのを何とか飲み込んで、掛け布団を肩まで引っ張り上げた。
毎朝サッカー部の朝練があるため、さっさと寝たかったのも一つ。後は、昔日々人が怖い夢を見たときに一緒に寝てやったら落ち着いてぐっすりしたからというのを覚えていたからだ。
案の定、日々人は俺にぎゅぅううっと強く引っ付いて、横を向いた体勢の俺の首と鎖骨の間に鼻を埋めて、ぐっすりと眠ったのだ。
次の日はサッパリスッキリした顔をしていたため「まぁ、いいか」と深く考えなかったし、何も聞こうとも思わなかったから、何であんなに泣いていたのかは未だに知らない。


・・・


ふわりと微睡んだ思考の海から浮上した。
夢と現実の狭間を漂った思考だったため、瞼が重い。ぼやぼやと目を開けると、目の前には肌色と白。
ああ。日々人の首元とTシャツだ。

近い、と思って身動ぎをするが、がっちりとホールドされていて動けない。
俺の左耳の下にはこいつの太い右腕があり、左腕は俺の右肩を回って背中にくっつき抱え込むようにされている。ご丁寧に足も絡まっていてなんだかもうよく解らない。

あの時とは逆で、あの時よりずっと大きく成長した弟は、あの時と変わらず、泣きそうな顔をした日の夜はこうやって俺を抱き込んで寝る。
最初は「俺もう30代なんですけど。お前も良い大人だろ」と言ってみたが、余計に泣きそうな顔をされてしまったため、それ以上何も言えずに受け入れてしまった。うん、弟に甘いと自覚している。
しかし、このデカく広い国でたった二人だけの家族だ。大事にしようと思うのは普通だ…と思いたい。

でもまあ正直、情緒不安定なときにおっさんを抱き枕にして楽になるのか?可愛い女の子とかのが良いだろ、つーかお前彼女なんて簡単に出来るだろ、作れよ。そんでその子に慰めてもらえよ、と思っていたこともある。
それも三回目の夜の時に考えなくなった。
いや、今でもちらっとは思うけど、当の日々人に「ムッちゃんが良い。…家族だから安心すんの」と言われてしまっては、口を閉ざさるを得ないというか、あんな考えを丸めて捨ててしまうしか出来ない。

この泣きそうな夜の時に、大人になってから言われるようになった「ずっと俺から離れんなよムッちゃん」と言う言葉の意味は、未だによく解らないままだ。

今も日々人は俺のもじゃもじゃ頭に顔を埋めて静かに寝ている。

俺はもう一度瞼をゆっくり降ろした。





(もしかしたら、解ろうとしたくないのかもしれない)
(解ったら戻れない怖さを感じているのかもしれない)

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