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SB

・中3日々人×高3六太


***


*弟視点*


部活が終わった帰り、たまたま見知った男に会って話しかけられた。
誰だったかと思い出せず、適当に相槌を打っていたらその男の口から兄の名前が出たことで「ああムッちゃんの友達だ」と思い出した。

しかし次の瞬間には愛想良く笑っていた顔が引きつり、その男がまだ何か喋っていたのも無視してさっさと家へ向かった。
無表情で自転車を走らせ、けれど頭は熱いし心の中も決して穏やかじゃない。ぐるぐると黒い渦のような物が巻いている。

自転車小屋へ停めて、市営アパートの階段を踏み締めたときには思わず「くそ」と悪態が出た。

今の時間帯はまだきっとムッちゃんはいない。ここ最近ずっとそうだ。
高3になったムッちゃんは、部活だってやめたくせに八時くらいまで家に帰ってこない。自分の野球部だって七時までやっているが、部活が終われば直帰だ。
ムッちゃんは図書館で勉強をしてから、八時までどこかのファミレスか喫茶店でノートを開いているらしい。母ちゃんが言っていた。それのせいで、ここ最近まともにムッちゃんと話していない。顔だって朝の時間と夜、風呂に入る時にたまにかち合うくらいだ。

狭い家の中でこんなにも兄と離れていて言葉もないのは初めてで、ずっと訳の分からない苛立ちに包まれていた。夕飯でさえバラバラだ。
他の家じゃこんなこと普通のことなのかも知れないが、自分達兄弟は幼少時からずっと一緒で、下手すれば親より親らしかった兄のおかげで自分は育ったみたいなものだ。
とても仲が良いと自負していただけに、余計こう言った事が腹立つ。勉強が忙しいのは解るが、前はそんな中でも自分の相手をしてくれていたし、部屋にだって入れてくれていた。それなのにここ最近は部屋にも入れてくれない。ノックして入ろうとすると、先に兄が顔を出してドアの前で通せん棒をするのだ。
用件はここで言え、と態度で出されて、何故か頭にきて、自分よりいくらか小さい兄の頭へ「だからムッちゃんはもじゃもじゃなんだ!」と訳の分からない言葉をぶつけたこともある。

そんな訳のわからない状態のなか、ここへきてあの兄の友人が言うには兄には彼女ができたということだった。
彼女だと?自分に構ってくれない理由はそれか?じゃあ勉強とかいって夜遅くまで帰ってこない理由もそこにあるのか、と思ったらもう駄目だった。
とにかく兄に問い詰めなければ気が済まない。今日は何としてでも兄を捕まえる。風呂行く前とかに洗面所に陣取ってやる。

そんな心構えで自宅の重い金属ドアを開けた。
乱雑に脱ぎ捨てられた靴が数足。けれど靴棚をちらりと見れば、母がお気に入りだと言っていたパンプスヒールがない。そう言えば今日は婦女子会がどうのとか言っていたな。
自分の靴を踏みつけながら脱ぎ捨てる。


「たでーまー」


誰もいないと解っていても口をついて出るのは習慣だからだ。
一歩、玄関から廊下へ踏み出した。


「おけーりー」

「?!」


返ってくるはずのない返事が小さくくぐもって聞こえた。それも兄の声だ。
まさかこの時間帯にいるとは!

ドタドタと足音を立てて、急いで兄の部屋へ向かう。
ガチャッとノックもせずに勢いよく開いた先には、見慣れたもじゃもじゃが机に向かっていた。


「ムッちゃん!!」


思いの外大きな声が出た。
自分の声で兄の肩が大きく跳ねて、回転椅子の力を使ってくるりと後ろを振り返った。


「…え、なに。怖ーんだけど」

「だってムッちゃん!いつもこの時間帯外じゃん!」

「あ…、あー…うん」


眉間にしわを寄せたまま自分を見ていた兄は、するりと自分から視線を逸らせた。

***

*兄視点*


今日は早めに家に帰って、弟の世話を見なきゃいけないらしい。
朝、家から出るときに母から言われた。「今日はママ友会でご飯に行くから、日々人のご飯よろしくねー」と。父は会社の人と飲み会らしく、遅くなるとのことだった。
仕方がないと思いながら頷いた今朝。
図書館に行くのはやめて、学校が終われば飯の材料を買って家へ帰った。
冷蔵庫に詰め込んで飯も炊いておいて、風呂掃除もして、やることが終わればとりあえず自分の部屋へ閉じこもった。

今日は久しぶりに日々人と顔をゆっくり会わせることになるだろう。
いつぶりだろうか、とシャーペンを握ったまま考えてみる。

別に、自分は弟のことが嫌いになった訳ではない。断じてそれはない。顔が会わせ辛いのは、その日々人の真っ直ぐすぎる視線のせいだ。
日々人は未だに宇宙飛行士を夢見ている。なれると、月に行くんだと、真剣に言っている。そこには勿論俺という存在もあるらしく、現実を見て諦めてしまった自分としては何ともいえない。
宇宙飛行士になんてそんな簡単になれないし、それなら普通に良い大学出て、普通に良い会社に勤めた方が南波家の長男としても良いのではないかと思ったのだ。
そんなことを考えていることを真剣に未だ夢を追っている弟に言うことは忍びなく、段々と日々人と会うタイミングをずらしていった。それが、日々人との間に溝を作る拍車となってしまい、余計に話しづらくなった。
こんな事は、日々人は知る由もないのだろうけれど。

そんな中、突然聞こえた「たでーまー」に思わず反射で返してしまった。
直後、廊下を煩く踏み鳴らして日々人が俺の部屋のドアを壊れるんじゃないかと思う勢いで開け放ち、俺の名前をデカい声で半ば叫ぶように呼んでから、ずかずかと入ってきた。
鬼気迫るその感じに、俺は少し逃げ腰になる。
ただでさえ図体がデカい弟が、椅子に座って見上げているせいで普段より倍デカく見えるのも原因の一つだ。
何だよ、と聞けば俺がここにいるのが珍しいらしくまた声を上げた。
それに関しては、お前と顔が合わせ辛かったとは言えず目を逸らしてしまった。


「今日は、飯、俺が用意しなきゃだったから。つか、今も一応勉強してるし」

「そんなん今いーよ!」

「いや、よくねーよ。…服、着替えてこいよ」

「それもいいよ」

「何なんだよお前…何か用か」


相変わらず訳の分からない弟に呆れながらも、右手の指を弄びながら訊ねてみる。
日々人は最初より落ち着いたみたいで、ゆっくりと深呼吸をした。その様子に、少し何の話か身構える。
どうしよう、進路の話されたら。


「ムッちゃん、彼女ってなに」


日々人が言った言葉に、一瞬脳処理が遅れた。
ぽかん、と口を開いてからマジマジと日々人の目を覗く。そこでやっと声帯が開いた。


「…ハア!?」

「なに、そんなデカい声」

「デカくもなるわ!つーか何、それなんだよ、誰情報だよ」


つーか、お前の声のがデカかったから。
眉を寄せながら、日々人を半目で見る。きっと俺の友人の誰かに何か吹き込まれたに違いない。


「………なに、それ。何かその言い方だと、本当にいるみてーじゃん」

「…………」


はあ、と溜息を大袈裟について、無言のまま日々人から視線を外した。


「オイ、ムッちゃん」


無視だ無視。
くるりと日々人から背を向けて、勉強机へ肘を置いた。
これ以上こいつのこのネジの抜けた、デリカシーの欠片も無い会話に付き合っていたら俺の大事な毛が全部枝毛になる。ぜってーなる。これ以上もじゃもじゃしてたまるかよ。

そんなことを考えて余計に何だか苛々して、口の中で舌打ちをした。
瞬間、ぐるりと視界が回った。
見えていたノートとスタンドライトの灯りが残像のように駆け抜けて、落ち着いた先には明るい髪の毛と肌色。日々人によって回転椅子を回されたらしい。

自分の眉間に縦皺が刻まれた。日々人も何故か物凄く不快感というか不機嫌といった感情丸出しの顔をしている。機嫌悪くなるのは俺だけな筈だぞ、弟よ。


「何で何も言わねーの」

「言いたくないって事くらい察しろ」

「ムッちゃんとまともに話せてねーよ、最近」


椅子の背から、俺の肩へ日々人の手が移動した。ギリギリと結構な力で握り込まれていて、少し痛い。


「…だから、何だよ。つか話変わってね?今そのことじゃなかっただろ」

「変わってねーよ」


本当にこいつは意味が分からん。
俺の、その、恋愛とかの話題と、俺とお前が最近まともに話せていないものは別だろう。


「…なぁ日々人。お前、結局何が言いたいのよ」


肩にある手を退かせて、俺の膝の上に握手の状態で乗せたままにしてやる。
少しだけ日々人の指先がピクリと動いた。


「彼女いんのなら別れてよムッちゃん」


再び、一瞬脳処理が止まった。


「…ごめん、兄ちゃん、日々人君が何言ってるのかちょっと解んない」

「そのまんまの意味だけど」


小首を傾げて何言ってんのムッちゃん?とさも普通のことですけどと言ったような日々人に、頭が痛くなる。というより、物凄く嫌味な奴だと思う。
弟が女の子と一緒にいるところを何度か見てるし、知ってるんだが。自分はオツキアイをしているのに、兄ちゃんには付き合うなってか。
それにお前「はいはいそうだな」って頷いてたら、お前、俺一生童貞になってしまうじゃねぇか!


「…待て、ぶっ飛んでるぞ日々人」

「ねーよ」

「ある。お前、自分が何言ってるか解ってる?別れろって言ったんだぞ。兄ちゃんの恋を壊そうとしてんだぞ」

「なんだよ!マジで付き合ってんの!?いつから!?俺、聞いてねーんだけど!」


諭そうと思ったが敢え無く失敗し、ついでに膝の上で握手していた手も振り払われ、かと思えば再び俺の両肩に手を置いて前後に揺すりだした。
ぐらぐらと首が支えきれずに振られる。


「言って、ねぇ、っつか、やめっ、おぇえっ」


舌噛む!と揺すられる手をパシリとはたき落とす。不安定な視界が落ち着いた。
回ったり揺れたりと今日は忙しい。


「どんな女だよムッちゃん」

「おま、お前、脳味噌シャッフル…やめろよ」

「答えろよムッちゃん!」


大きな声を出した日々人に、びくりと跳ねてしまった。少し据わりが悪くなる。


「…こえーよ、お前。と、というか、なんだ、その……つ、付き合っては、ねぇよ……」


居心地が悪く、そわそわとしながら言ってしまい何だか余計に落ち着かない。なんでこんなに緊張しなければならんのだ。
日々人を少し見上げると、上がっていた肩がすとんと落ちて膝をついた。そのまま前へ倒れ込み、俺の膝の上へ頭と腕を乗せて、大きく深呼吸。
なに、なんなのこいつ。相変わらず掴めない弟に、今日はずっとビクビクしっぱなしだ。


「…彼女じゃ、ねーの」

「おう。…ってやめろ!悲しくなるだろ!」

「…はは……良かっ……ねーよ。じゃあ何、それ、その女。ムッちゃんのことが好きなの?それとも逆?」


どっちにしてもどちらかの好意がなきゃ噂にはなんねーよ、と膝の上から見上げてくる日々人は、どこか拗ねたように見えた。


「んー…つかさ、本当それ、どこ情報なんだよ」

「ムッちゃんの友達。帰り道にたまたま会って、教えてくれた」

「はー……もう、まじ」


思わず椅子の背に凭れかかる。
だろうな、とは思っていたがやはりか。
それにきっと、日々人は彼女という単語に反応して話もロクに聞かずに帰ってきたに違いない。
天井を仰いだまま、左手で自分の額を押さえ、右手は膝の上の日々人の頭へ置いた。さわり、と短い髪の感触が掌を撫でる。


「ムッちゃん?」

「相手の、子が、好きって言ってくれたんだよ」

「…ふぅん」

「お前はムカつくことにイケメンだから、俺の気持ちなんて解んねぇだろうけどな、そりゃもう俺はそう言う事を言われると嬉しいわけだ」


昔から、比べられてきた。
似てない兄弟から始まり、弟のが格好いいよな、とも言われてきた。そのたびに歯噛みしたのは言うまでもない。


「うん。で、付き合おうとか思ってるわけ」

「…それが、解んねぇんだ。俺は別にあの子の事を好きとか思ったこともなかったから」


膝上、太股の真ん中辺りに少しの痛みを感じて、天井から目線を下に向けた。日々人が顎でぐりぐりと押していた。少し強めに頭を撫でてやめさせた。


「その子ブスなの」

「……お前さぁ、女の子相手にそう言う言葉使うなよ。決して今いなくても。つーかなんだそれ」

「だって、ムッちゃん面食いじゃん。美人好きだし、惚れっぽい」

「お前ヤな奴」

「あ!じゃあさ、俺は?俺、かっけくね?」


ぱしりと日々人の頭に置いてあった俺の手首を掴み、がばりと顔を上げた日々人。その顔はキラキラとしている。


「本当に嫌な奴だな!」

「いーじゃん、教えてよ!」


その二重のきりっとした目を見る。
細い眉も色素の薄い髪も、見れば見るほど自分とは違うことを思い知らされるが、こうマジマジと見ても成る程確かに整ってはいる。


「…まあ、かっけーんじゃね…?」


ぼそり、小さく呟いてみた。


「まじ!じゃあムッちゃん、その女やめとけよ!目の保養って奴、俺でしたらいいじゃん!」

「お前さ、やっぱネジ足んねーよ。有り得ねぇレベルでな」

「ムッちゃん、約束な」

「ねえ話聞いてんの?お前。兄ちゃんの話聞いてる?」

「俺、服着替えてくる!」

「ちょ、ま、おっ」


俺の言葉は総無視して、喜色満面の日々人は膝から体を起こしたと思えばバタバタと離れていく。
ドアを荒々しく閉めて、廊下も走る音がした。


「なん、なんだ、あいつ……意味わかんねぇ」


はあ、と何度目か解らない苦労や苦悩の塊が二酸化炭素の塊として口から滑り落ちていった。






【その内襲い来る後悔の嵐】


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