op
船は新世界の海を進む。気候は冬。
ウソップは寒い寒いと言いながらチョッパーを抱き抱え、甲板を素早く移動してキッチンへ駆け込んだ。
されるがままのチョッパーは特段寒くもなく暑くもなく、寧ろウソップに抱えられるのが丁度よく、文句一つ言わずに揺られていた。
「うー!寒ィ!サンジーなんかあったかいもんくれねェかー?」
チョッパーを膝に乗せ、ウソップは椅子へ座り込んでカウンターで何かのメモを書いていたサンジへ言葉を投げる。
「ああ?そうか、外に出てねェからわからなかったな。つってもちょっと肌寒いレベルだろ?ロビンちゃんもまだデッキにいたしな」
そう言いながらもペンを止め、煙草をもみ消してキッチンへ立つ。
「サンジ!おれも!」
「ああ。チョッパーは牛乳だろ」
「おう!」
よかったなー、なー!と言い合いながら、一人と一匹は笑いあう。
年齢的にはもう立派な青年に入るのに、未だ子供らしい二人の笑い声にサンジは苦笑しながらも、温めた牛乳とミルクティーをさっと煎れ、テーブルへ持って行く。
手には数枚のメモを持ち、ウソップ達へ飲み物を渡せばサンジはウソップの左隣へ座り、紙を広げて煙草に火をつけた。
「ありがとうサンジー!」
「ありがとな!」
幸せそうに飲むウソップ達に、自然頬が緩む。
「基本的に薄着だから寒がりなんだよオメーはよ」
「何をぅ!俺様のファッションセンスをバカにするのか!」
「してねーしてねー。お前のファッションセンスはこの船内でも五番目だ」
「微妙な数字じゃねェか!!!」
ウソップは憤慨しながらも、柔らかい味のミルクティーを飲み干す。
チョッパーは膝の上でくぴりと暖かい瓶を傾けた。
サンジは煙草を深く吸い込み、メモに目を落とす。
今夜のメニューが書かれたそれは、女性陣のものだけ異様に事細かく字が刻まれている。
ウソップもちらりとそれを覗き、舌を出す。
「いつものことながら、ナミ達のだけ異様だ」
「煩ェ、レディ達の体内に吸収されるもんなんだ、しっかり管理しねェと駄目だろうが」
「俺達はどうだっていいのか!」
「たりめーだ。そもそも、腹壊すようなもんは入れてねェし、万が一にもアタったとしてもチョッパーがいるだろ」
優秀な船医さんだぜ全くと煙を吐きながら笑うと、褒められたチョッパーは恥ずかしさのあまりエヘエヘと笑いながら空になった牛乳瓶をテーブルに押しやり、ウソップの腹を背もたれにしてクネクネと動く。
「角がいてェ…まァ、暖のためだ、我慢しよう」
ぬくぬくとウソップがチョッパーで暖を取り、空になったコップを机に置いて、先にあった空の牛乳瓶とともに遠ざけた。
それをちらりと横目で見ていたサンジは、その左肘の下辺りに妙な丸い赤みを見つけ、少しだけギクリとした。
サンジの動きが少し止まり、煙草を持つ手が強張ったようになる。
「…なァ、おい、ウソップ」
ふ、とサンジが遠い目をする。
チョッパーの腹の毛を堪能していたウソップは、生返事だけをして、視線はチョッパーの帽子だ。
「そのー…なんだ……おまえ、…つかぬ事を聞くが……ロビンちゃんから何か…貰ったか?」
サンジが本当に聞きたかったことがこれかと問われれば違ったのだろうが、勿論今聞いたことも知りたいことではあった。
「え」
ぴくりとウソップの動きが止まり、暫くしてからギリギリとブリキのようにぎこちない動きで膝からチョッパーを降ろした。
ひんやりとした風がウソップの膝を撫で、ふるりと身震いをする。
しかしそれは寒さだけではない。今先程訊ねられた案件のせいだ。
ロビンから貰ったもの。それはきっとあのマフラーしかない、それ以外にプレゼントらしいプレゼントはなかったはずだ。
そしてそのマフラーはあの時あの場面にあったもの。
ゾロに捨てられてもう一度ゴミ箱から拾って、こっそり未だに自分のハンモックの下に仕舞ってあるモノ。
ゾロには言っていない。
誰からの贈り物かウソップにはさっぱりだが、ゾロは知っているらしくしつこく捨てろと言っていたからだ。
折角のモノを捨てるか馬鹿者、と言いたいがまたうるさくなるだろうし、こんな自分と一緒にいたいと言ってくれたゾロをそれなりに扱ってはみたいし、ゾロ自身も妥協してくれているところもあるのだから、とウソップはゾロとぶつかることを避けていた。
それを、そのぶつかる原因にもなるだろうマフラーのことをサンジに話題として持ち出されるとは思っていなかったウソップは、思わず焦りサンジから顔を思いっきりそらす。
成長しだいぶ落ち着いたと思われるが、元来が短気の性格なサンジはその態度に少なからず苛立った。
「おい」
思わず右腕でウソップの肩を組み、そのまま掌で右の顎下を横からぐきりと押して、自分の方へ無理矢理向けさせた。
「イテェ!!!」
「サンジ!無理矢理曲げたら、筋違えることになったりもするんだ!気をつけてくれよ!」
痛みの声と抗議の声が一度に挙がる。
「おー、はいはい、わかったよ」
椅子の下で見ていたチョッパーに咎められ、サンジは大人しく手を離す。
そして立ち上がり、冷蔵庫からもう一本牛乳瓶を取り出し手早く鍋で人肌に温め、それをチョッパーに渡した。
「もう怪我しそうになるようなことはしねェよ。だが、ちょっとウソップと相談事をしなきゃいけねェから、外、出ててくれるか?」
何だか有無を言わせないサンジの雰囲気に、口を挟みたかったがウソップは黙る。
チョッパーは牛乳に買収され、見事何も疑うことなく上機嫌でキッチンを後にした。
出る最後にもう一度念押しはしていたが。
しん、とした空間に二人が残され、少し堅い空気が流れる。
サンジが座ったままのウソップへ近付けば、無意識のうちかウソップは身を捩らせ、サンジから少し距離をとった。
サンジの眉間にしわが寄ったのは、ウソップは確認ができなかったが。
「…なんで、そんなこと聞くんだ。つーか何知ってんだ。相談事って何だ」
疑心暗鬼気味になるウソップ。
頭の中はぐるりとイヤなことが浮かぶ。
サンジはタバコを灰皿へ押しつけた。
「…マフラーだろ」
サンジは思ったより低い声が出たことに驚く。
ウソップはその声の低さに一段とビビってしまった。
「…おう。見てたのか?」
そもそもサンジは何に怒っているのか、ウソップは解らなかった。
自分がロビンから贈り物をされたと思っているのか、それで勘違いで怒っているのであれば見当違いも良いとこだ、とウソップは言葉を出そうとするが、タバコが無くなったサンジは右手をウソップの口へ当てた。
「?」
まるで、声を出すなと言われているようでウソップは思わず無言の命令に従い、黙る。
そのドングリのような丸い目は、少しの恐怖と戸惑いを浮かべながらも、サンジから視線をずらさない。
「マフラーは黄色。巻いたか?」
こくり。
「その時、何か嗅ぎ覚えのある香りは?」
こくり。
「なァ、今、しねェか?」
こく、り。
瞬間、頭の中でカチリと言う音。
さ、と血の気が引き、ウソップは慌ててサンジの手を振り払い、椅子から立ち上がり一歩後ずさろうとした。
しかしそれは見事に阻まれ、ぱしりと左手首を掴まれる。
「おいおい、そんなすぐ逃げようとすんなよ」
「いや、だって、おま!え!!…ええ!おまえ!?」
ウソップはパニックだ。
だって、さっきのそれでいったら、あのマフラーはサンジからのプレゼントだ。
確かにロビンはあのとき「意外な人物」というヒントは言ったが、これはなんというか意外すぎるだろう。だって相手はサンジだ。女好きで女に惚れっぽくてレディーファーストで女性にはいつでもハリケーン状態のサンジだ。それが、男のウソップに贈り物。
ウソップは手首を掴まれていなければ頭を抱えていた。
「まァ落ち着けよ」
「落ち着いてられるか!おま、わかってんのか?どうしたんだ!おまえが男にプレゼントってどうしちまったんだ!熱か!嵐か!」
パニックなウソップはペラペラと口が良く回る。
「確かにな。普通ありえねェよ」
その点、当のサンジはあっさりとしている。
サンジは掴んでいた左腕をぐいっと引っ張り、ウソップを近付けた。
よろけそうになりながらも、ウソップはサンジに近付き目を左右に激しく動かす。
サンジはサンジで、もう一度左肘の辺りじっと見て、それからウソップの目、顎、首、肩、胸、腋、左右の腕と目線を落としていった。
見られている、とわかったウソップは居心地悪そうに動き、しかしどうしてこんなに見られるのかは解らず余計に頭を悩ませる。
「…お前によく似合うと思ったから贈りたかった。ただそれだけだ。…まァ、他の色があればナミさんやロビンちゃんにもと思ったが、なかったしなァ」
捕まえていた手首の先にある、少し肉刺が出来ている指先を見ながら何の気なしに言ったサンジは、腕の動きがなくなったことに気付き視線をあげた。
そして、その顔に驚いた。
ウソップの表情はなかった。
自分でもクサいと思った台詞であったし、男に、しかも今までずっと一緒にいたクルーである人間に言ったのだ。
多少なりとも自分も羞恥心はあったし、言われた方も照れ臭くなるだろうと思っていたのに、目の前の長い鼻の男はどうだ。
ぽかんとした顔どころか、無表情だ。
しかしどこか哀しげにも見える。その哀色はなんだ、自分への哀れみか、と思ってしまったサンジはギリッとキツく手首を握り直した。
「なんか反応しろよテメェ」
低い声。今日はよく出る。
「…ああ、…いや…どうしちゃったんだ、サンジ君…とでも言えばいいか?」
ウソップは表情と裏腹に声が震えていた。
サンジは少し落ち着きを取り戻す。
そして、ああもういいと腹を括った。
「…そうだ。どうかしちゃったんだよ、俺は。なァウソップ君よ」
比較的、自分の中では甘い声色で呟いてみたサンジはその相手が女じゃないことに自分でも違和感を持った。
ウソップは丸い目をさらに丸くしてから、ケラケラと笑い出した。
そして、自分の左手首を握るサンジの節榑立った手の上に自分の右手をそっと乗せた。
「変な奴。サンジ君ったら惚れ薬でも飲んじまったわけ?可哀想にな、相手が俺じゃあ…ナミだったら…いや、それだといつも通りなのか」
そう言いながらゆっくりと手をさすり、そして指の間に指を滑り込ませ、やんわりと解こうとする。
サンジはぴくりと瞼がひくついたのがわかった。
「…自分でも驚いてんだよ。何で俺がヤローなんかにってな。しかも女っぽさもねェお前。だが、ま…仕方ねェだろ。言ったろ、恋はいつでもハリケーンってな」
「…いや、…いや、…」
解く指を見ていたウソップは、絡む指先を見続けたままぐるりと考える。
この男は今、告白めいたことを自分に伝えたわけで。
なんだ、これ。俺最近モテるね、しかもクルーにさ。と現実から目を背けたくなる。
ぐ、と唇を噛み、鼻から大きく息を吸い込んで、ウソップは覚悟したように数センチ背が高いサンジを見上げた。
「おう、どうしたウソップ。久々にまっすぐ目があったな」
サンジの顔は優しく、甘く、幸せな笑顔だった。
少しだけ絆されそうになるが、ウソップは自分で心の尻を叩く。
「…俺は、答えらんないぜ、サンジ君」
「知ってるさ」
「は」
震えた声で意を決して言った言葉に間髪入れず、サンジは返事をした。
その言葉に、ウソップはアッパーを食らった。
動揺しつつも、サンジの目をキョドキョドと見る。見られ、サンジはぐるりと腹に何かが沸き上がるのを感じたが、必死に押し殺し少しだけ溜息をつくと、しっかりとウソップを見た。
「…肘。聞きたくねェし、知りたくもねェが、彼奴んだろ…ついてんだよ」
わざわざ見えるとこにつけんのが腹立つ、とサンジは呟きながらウソップの左腕を掴んだまま無理の無いようにひっくり返し、左肘を見させた。
「ぎゃ」
「ついでに言うと、上から見なきゃわかんねェが、背中側のわき腹にも四つ、ついてんぞ」
ちらりちらりと、背が高い者しかわからない場所に所有印。
ウソップはわたわたとし始め、くそ、などと小さく悪態をつく。
サンジは漸くウソップの手首を解放した。
「…マフラーは彼奴のせいで使用禁止…ってわけか?」
「ああ、うん、そうだよ…悪いな、持ってはいるんだけど…つーかさっきから彼奴って言ってるが誰か解ってんのか?」
必死に自分の服を引っ張り、中を覗き込んでわき腹を見ようとしていたウソップが、手を止めてサンジに首を傾げた。
サンジは苦い顔をして笑う。
「見てたら解るさ。お前等の場合解りやすいんだけどな…って、ちょっと待て」
「ふが」
サンジはウソップの鼻をぎゅっと握った。
変な声を出して、ウソップは外そうとジタバタと暴れる。
お構い無しにサンジは握ったまま顔を近付ける。
近くなった顔にウソップはぱたりと止まり、サンジの目を見れば、その目はどこかギラつく。
「…あにすんだよ…はなせ」
「引っ付いてるっつっても、さっきの悪態と態度と言い、まだ付け入る隙ありって感じだなオイ。まずお前がまだ、そんな本気じゃねェだろ…よし、いい。わかった」
「はー?付け入るも何も、俺は面倒なことは嫌いだからな。巻き込むなよ。俺の知らんとこで勝手にやり合ってくれたまえ」
面倒になったのか、一番中心にいるはずのウソップは他人事のように吐き捨て、心底呆れた目で勝手に納得したサンジを見てから、ぺしりと鼻を掴む手を加減して叩き落とした。
その少しの優しさにも、サンジは揺らされる。
ああちくしょう長ッ鼻のくせに、とサンジは頭を掻いた。
「お前等は本当おかしいと俺は思うぞ。ほんと、どうかしてるな。バカどもめ」
ウソップは、目の前の黄色と脳裏に浮かんだ緑の二人に、大きな悪態をついてキッチンを後にした。
夏の終わりのカブトムシ