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買った林檎は一つ、潰れてしまった。
どうして買ってすぐに食べなかったのだろうと、ウソップは少し後悔した。
蝦蟇口鞄の中が林檎の匂いで埋まった。
ベッドに背を向けながら黙々と鞄の整理をして、潰れた林檎を捨てる。
部屋のゴミ箱へ林檎を落とすと、今度は部屋が林檎で埋まった。
あのばあさん、いいもの売ってたんだな、とウソップはなぜか嬉しくなる。
いい加減視線が煩い。
舌打ちを我慢してウソップはくるりとベッドに顔を向けた。
仏頂面でゾロが座っている。
相変わらずの顔に見えて、今ゾロの頭はフル回転している。
色恋沙汰には遠そうな緑の剣士が、多少やり方は違うが一世一代の告白をしたのだ。しかしそれは見事にかわされてしまった。
相手は誰とでも寝られる癖に、自分がいざとなれば嫌がって逃げる。
気持ちだけでもと伝えれば「愛なんて信じてない」と言い出す。
ゾロは完全に参っていた。
そして多少なりとも面倒だと思った。
「…なんか言いたいことでもあるのかねゾロ君?」
「言いてェことだらけだ」
「ふーん。すっげェ聞きたくねェよ」
半目になりながら、ウソップはベッドの下に捨てられたマフラーを拾う。
黄色いマフラーは柔らかく、質の良いものだと言うことが伺える。
自分の好きな色でもあるマフラーは、名前の知らない誰かからの贈り物らしい。ロビンの曖昧なヒントじゃイマイチ誰か解らなかったが。でもどこかで嗅いだことのある香りがあった。
ウソップは長い鼻をマフラーへくっつけて吸い込んでみる。
クンッと引っ張られ、鼻を擦ってマフラーは下へ奪われた。
ウソップは半分睨みつけるように、犯人を見る。
ゾロは眉間にしわを寄せてウソップを見上げていた。
「…ゾロお前、なにすんだ」
「ムカつくんだよ」
「はー?」
呆れた目でウソップはマフラーを引ったくる。
こいつは今自分以外のもの全てにムカつくんじゃないのだろうかと、ウソップは大きなため息をわざとらしくついた。
「マフラーにムカついてんじゃねェよゾロお前アホなのか」
「貰いもんだからムカついてんだよ」
「…何で知ってんだよ。つーか誰からか知ってんのか」
ゾロは忌々しそうに鼻で笑う。
「ロビンの匂いと、クソヤローの匂いがある。どっちからかは知らねェが、どっちでも腹が立つ」
「お前の鼻は獣並か…つーかクソヤローってなんだ。誰なんだ!ヤローって男か!」
ウソップが喚けば、ゾロは視線を鋭くしてマフラーを見る。
「本当に解ンねェなら、それでいい。気にすんな」
「気になるだろ!こっちはお礼も出来ねェんだぞ!」
肩を怒らせてウソップが叫べば、ゾロは少し思案してベッドから降りて、ウソップの手をマフラーごと握り込んだ。今度は警戒で肩が揺れる。
「そいつに礼をすると、最悪俺と同じ状態になるかも知れねェぞ。それでもいいってンなら教えてやらんでもねェが、どうする?」
「っ、なら、いい」
逃げ腰のまま、渋々ウソップは頷く。
ゾロは複雑な心境になりながらも、一旦受け入れた。
そしてそのまま、ウソップの手を引いて力ずくで抱き締めた。
途端に暴れようとするウソップを体格差で押さえ込む。
「おっ、前、フザケんな!!」
「色々考えた。やっぱり好きだ。俺は待つ。待てる、が、まあ、たまにご褒美とやらも貰うかも知れねェが。兎に角待つ」
「…何がだ。何言ってんだ」
「お前が人を愛せないのも、愛を信じられないのも、俺がなんとかしてやる。これは約束だ」
約束。
ゾロにとってこの言葉がとても重いことを、ウソップは知っている。
だから余計に泣きたくなる。暴れるのをやめたウソップは、震える足で何とか踏ん張って立っていた。
腹の底がぐずぐずするのは、なんでだろうか。
「そんな、どうでもいいようなこと、約束しなくていいよ…ゾロお前、ほんと…目を」
「醒めてる。俺の目は曇っちゃいねェ。片目しかちゃんと見えてねェがな、その片目がお前をしっかり見てんだよ。お前を裏切ることは絶対にしない」
「……俺は、お前の気持ちに答えられないかもしれないし、裏切るかもしれねェぞ…」
真っ直ぐなゾロの言葉に、ウソップはとうとう折れかけた。
ゾロはにんまりとしてもう抵抗しない体をゆっくり離し、ウソップの顔を優しく包んで目線をあわさせた。
「上等だ。それを変えてやる。ああ、だが、喋るなとは言わねェが、今後一切島での体関係は切れ」
そこだけはどうしても譲れねェ、とゾロは低く呟く。
ウソップの丸い目は潤み、アーモンドブラックが揺れる。
裏切らない、その言葉が胸に深く突き刺さる。
ウソップは自分で思っているほど強くはなかった。一番欲しい言葉を言われると揺らいでしまうほど、ウソップは弱かった。
いや、ここはゾロに負かされたと言うべきか。兎も角、ウソップはゾロに仕方がなく委ねることにした。
それも今度こそゾロが言う“愛”に裏切られたら、自分は死んでしまうだろうという覚悟を持って。
ウソップはこくりと頷き、すん、と泣きそうになりながら鼻を啜った。
嫌な林檎の香りは気にならなくなっていた。
カブトムシは切り株に