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ズズ、という音と共にストローがガラスの底をつついた。ちらりと視線を前にやれば、心底呆れた顔をされていた。
「やめてその目、辛い」
「音立てないでよ汚いわね」
そう言ったナミは、豊かなオレンジの髪を背中の向こうに払いのけると、指先でポテトをつまみあげて口に放り込んだ。
「ナミだってフォーク使いなよ」
「いいのよ。面倒だもの。で?はやく本題に入ってよ」
時間の無駄よ、などと言いながらナミはぱくぱくと口に細長いポテトを放り込んでいく。
はあ、と一つ溜め息をついてから、私はグラスの中に残る溶けかけた氷を引っ掻きまわしながら小さく口を開く。
「…正直今、あいつがしんどい」
「別れちゃえば?」
「端的過ぎて辛い」
有無も言わせぬ感じにナミが言ってのける。
そもそも私、まだ誰がしんどいかなんて言っていないのに。
解ってしまうナミが凄いのか、それともそれ以外に話題の無い、人間関係が希薄な私が悪いのか、解らなかった。
「ねえ、まだ誰の事かも言ってない」
「わかるわよ。あんたのことだもの。何年一緒だと思ってるの?正直私の方があんたの彼氏よりあんたに関しては上手よ」
「え、やだ惚れちゃう…」
「あらありがと」
格好いいナミの言葉に内心ドキドキしつつ、どうして私の相手はこうじゃないのだろう、と比べてしまって嫌になった。
ナミは昔から私の友人ポジションで、いつだって私の隣にいるけれど、ナミの周りには私以外に沢山の人で溢れていた。
その繋がりで、私も何人かナミ経由の知り合いはできたけれど、ナミみたいに社交的ではない私にはあまりお声が掛からないのが現実で、結局私はいつだってナミとばかり遊んでいた。
そんな折にできた彼氏はまあ好きだったし、結婚を前提に付き合ってくださいなんて古い告白をしてきた彼に好感も高かった。
しかし、付き合いだして三年目、私の気持ちが覚めたのかなんなのか全く解らないけれど、彼の嫌な部分の気になる事気になる事。
とうとうナミに愚痴を聞いて貰う羽目になってしまった。
「ていうか、私一度も会ってないんだけど?」
「や、やだよ…ナミに会わせたら絶対ナミのこと好きになるもん」
「そんな男なら捨てなさいよ」
「ナミさんが強すぎて辛い」
でもそうか、ナミに会わせるのが嫌だと思っているということは、私はまだ彼の事が好きなんだなぁ。
「何が嫌なの?顔?それとも貧乏なの?」
「ナミ基準やめて。そうじゃなくて…いやまあ勿論裕福ではないんだけど…」
ナミの顔が顰められる。
キャリア街道を突き進むナミさんと彼は一線を画しますんでその顔やめて。
ナミは大学在学中に船舶免許を取得して、卒業と同時に院生の先輩だったロビンさんと離島の研究に明け暮れている。
ナミが気紛れに潜っては見付ける桜色や不思議な色の貝殻達は、綺麗に洗浄加工されてピアスや小振りなネックレストップになっていて、今やデザイナーとしても人気だ。
かたや私の彼は高校卒業後当たり障りない会社員に。
年収なんてボーナスやらなんやらとわかりにくいものより、月収基準にすればナミと彼は雲泥の差だ。
才能の差を見せつけられると何だか私が悲しくなる。
私はと言えば、一人静かに彫金加工を行っていて作り出すものは決して華やかではなくシンプルなアクセサリーだけれど、それなりに需要はある。作業は只管鏨で打ち込む地味なもので、ナミのように派手な日々ではない。
けれどまあ趣味も兼ねているから収益が見えなくてもいいし派手さも要らないけれど。
「融通が利かないっていうか…理解力がないっていうか…学がないっていうか…なんだろう、うーん…」
「すみませーん」
「ちょっと聞いてよ」
私が真剣に悩み言葉を選びながら答えているというのに、ナミは普通に店員さんを呼んだ。
なんてことなの。
にこやかに寄って来た店員さんにメニュー表を見せて「これとこれ」とか言っている。
なんてひとなの。
「ザ・男の思考回路って感じの人なのね」
「…え?」
店員さんが下がったと同時に、ナミは唐突にそんなことを言う。
「だから、あんたの彼氏よ。男っていうのは、みたいなマニュアル通りの男ね。あと、理解力ないのも学がないのも単純にアホだからじゃない?」
「辛辣…仮にも友人の彼氏に対して…」
「あら、優しい言葉がお望み?」
頬杖をついて可愛く笑ったナミは、天使の見た目で悪魔のような中身だ。
こういう女性が、やっぱりモテるんだろうなぁ。
「いや、うん。今はキツイ現実直視しないと…私あの人と一緒になってちゃんと生きていけるのかな」
弱気になって呟けば、「お待たせいたしましたー」と心底やる気のない声で、ピザが運ばれてきた。
アボカドとエビの上にチーズがふんだんに盛られ、じゅわじゅわと音を立てているその上に、バジルソースがかけてあってツンと胃袋を刺激するいい匂いが漂う。薄めの生地は柔らかく、ピザカッターも簡単に入って綺麗に切れた。
次いで、またやる気のない声と一緒にアヒージョがやってきた。
オマールエビとムール貝がオリーブオイルの海の中から顔を覗かせて、パセリと刻まれたニンニク、赤パプリカを纏っている。
「うわあ、おいしそう…」
「そうね、とってもおいしそう」
やっぱりナミが選ぶものはおいしそうなものばかりだなぁ、とナミがせっせと食べている薄切りフライドポテトを萎んだ気持ちで見た。私が選んだものは庶民臭い。
「ねえ、アンナ」
「ん?」
ピザを自分の皿に一切れ、ナミの皿に一切れ渡して、ぱくりと一口。
美味しいなぁ。
幸せ。エビも沢山で、私の好きなものばっかり。
「私はね、あんたがそんなバカみたいな男を好きだって言っているのが、凄いと思うわ」
「凄いねナミ。褒めて貶して」
まじで悪魔なのでは。
口の中にエビが沢山泳いで、ぷりぷりと身が踊る。
ああ、素敵。私エビと結婚したいわ。
「ねえ。ナミ」
「ん?」
最後のフライドポテトを口に運んだナミが心底幸せそうな顔をして飲み込む。
「ナミは彼氏要らないの?結婚しないの?お養母さんやお姉ちゃんから何も言われない?」
「そうね…うちは自由だし。それを言うなら、ベルメールさんだって独身だしね。私達が巣立ったらなんて言ってたけど、結局ずっと独り身だしねぇ…ノジコはさっさと結婚したけど、私に強要はしないわ」
そんな家族じゃないもの、と笑ったナミに羨ましくなった。
「いいなあ。私、お母さんに凄いプレッシャーかけられてるし…疲れちゃったなぁ。結婚しろ、子供を産め…好きに生きちゃダメなのかなあ」
呟いて、アヒージョの海からエビを突き刺した。
ぷくりとした可愛いエビは私のフォークの先で身動ぎ一つせずにただ食べられるのを待っている。
「ねぇ」
ナミがゆっくり、噛み締めるように私を呼ぶ。
私はエビを噛み砕き、ゆっくりと喉の下に押しやった。
それを見届けたナミが、目尻を下げ、とても緩やかにその綺麗な唇を開く。
「私があんたを幸せにしてあげるって言ったら、どうする?」
その呟きは、深い海の底にあるオレンジの宝石に蜜掛けをしたようなとろりと甘く繊細な、それでいて一粒の欠片だけで私の心を粉々に粉砕するかのような呟きだった。
【ハロー、新世界】
了