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いつも通りどこか酒臭いこの目の前の老人を睨みつける。睨みつけられた本人は、険しい顔をして私をじっと見ている。
剣呑な雰囲気が流れるこの船の上で、まさに私とこの、老人にしてはかなりガタいが良くて元気もいいレイリーさんは無言の喧嘩中である。しかも他人様の船の上でだ。
空は晴天、波も凪いでいて静かな海の上、近くの島は穏やかな観光地でもあり、鴎が優雅に飛んでいくこの気候のなか、モビーディック号の上はブリザードが吹き荒れている。それもこれも全てレイリーさんが悪い。
腕を組み直してレイリーさんを睨み上げ、意を決して口を開いた。
「何で、そんなに、怒っているの?」
嫌みったらしい言い方で口火を切った私のせいで、戦闘開始である。カーンっと頭の中でゴングが鳴った。
私とレイリーさんの周りでは半径2メートル程の距離の向こうに白髭さんの息子さん達が取り囲んでいる。大半はレイリーさんがこのモビーに来たときに出した覇気のせいでダウンしているため、見ているのは億越え枠の隊長達やそれに準ずる古株連中だ。船長である白髭さんはそれより少し奥の場所で私達を肴に酒を仰いでいる。悪趣味。
「…私が怒っている理由が解らない程、アンナはバカじゃないだろう?」
「なによそれ。っそもそも、悪いのは私だけじゃないはずでしょ」
いつもなら、私と真っ正面から顔を見合わせる時は穏やかな笑みを浮かべているレイリーさんが、怖い顔から一転無表情になった。それもそうよ、私だって悪いかもしれないけれど、レイリーさんのが罪としては上よ。
周りで見ているクルー達はいい加減にしてくれといったふうにうんざりとした雰囲気を醸し出しているが、こっちだっていい加減にしてほしい。
「別れる、探さないでって書き置きしたじゃない!」
「そんなもの、読んだ覚えはないな」
「うそつき!私はもう終わりにしたかったの!そもそもなんで私が此処にいるってバレたのよ!」
「優しい誰かさんから垂れ込みがあってね」
「…売ったわね!?」
きっ、と周りのクルー達を睨みつけると、「いいから早く収拾つけて帰れよ」と誰かから投げ掛けられた。
他人事だからって簡単に言ってくれた奴等の言葉は聞き流し、視線をレイリーさんに戻す。いつのまにかさっきより近くなっていて思わず身を引くと、がしりと腕を捕まれた。
「は、離して!」
「帰るぞアンナ。話は宿でしようじゃないか?」
「…いや、いやだ!ばか!」
掴まれた腕は痛い。
そのまま私の主張は無視されて、レイリーさんの胸の中へ引き込まれ、もう片腕で私の背中を押さえて、後ろに引けないように抱き込まれた。決して普段はそんな力を込めて私を押さえ込むことをしない人だから、余計に痛く感じる。
視界が潤んで、瞬きをすれば今にも一粒落ちてしまいそうだ。絶対落とすものか。
お酒の匂いと、レイリーさんの香水の匂いが仄かに鼻を擽り、思わず鼻が鳴る。それが聞こえたのか、レイリーさんは私の背中をゆるりと撫でた。
やめてよ、泣いてないわよ!叫びたいけれど今叫ぶときっと鼻声になって、余計なことになる。ぐっと黙り込む。
「邪魔して悪かったよ、ニューゲート。アンナは連れて行く」
「…あァ、もう泣かすんじゃねぇぞ。女は笑わせてなんぼじゃねぇか」
「違いないな。まぁ、アンナも少し遊んだみたいだからな。私が言う権利はないが、灸を据えなければならない」
レイリーさんの声が、引っ付いている腹を通して私の耳にダイレクトに伝わる。その内容にひくりと目元が動き、あなたのせいでしょ諸悪の根元!と悪足掻きのように暴れてみる。
もっと強く力を込められてしまった。
「…不死鳥のマルコ、君もアンナの相手をしてくれて悪かったな。だが礼は言わんぞ。私もそこまで出来た人間じゃないのでな」
「あ…ああ、よい。だが俺は、手を出してないよい」
「解っているさ。出していたら、ニューゲートには悪いがこの船は浮いていないかもしれない。さて、そろそろお暇するよ。若い衆には悪かったと伝えてくれ」
行こう、そう言ったレイリーさんは片腕は背中のままに抱き締めていた手を離し、私を軽々と抱え上げてモビーを飛び降りた。着地した先には嫌というほど見覚えのある小舟があり、それに揺られて島の宿へ強制的に向かうこととなった。
***
部屋に入るなり鍵を閉めて、再び私を抱き締めたレイリーさんは、私の髪を撫でるだけで何も言わない。
二人きりの静かな空間で、抱き締められ、髪を撫でられ、聞こえるレイリーさんの体の中の音のせいで、何だか怒りが半減していってしまう。私は身長差のせいで鳩尾辺りに右耳をつけて話し始めた。
「…謝らないから」
「ああ、何もなかったんだ。謝られる必要はないさ。まぁ、その行動に関しては少し口を出したいが」
「レイリーさんの、せいじゃん」
「そうだな、私の悪い癖だ。アンナにはイヤな思いをさせてしまった」
髪を撫でる手は、私の左耳へと移動して、上耳を擽るように指で撫でた。ぎゅっとレイリーさんの服を握り込み、唇を噛みしめる。
そもそもの喧嘩の原因はレイリーさんの女癖のせいだ。いつものように朝帰りをしてきたレイリーさんは酒のにおいはしないくせに、代わりに女物の甘ったるい香水を移されて帰ってきた。
それがシャッキーさんのものならどれほど良かったことか。でもシャッキーさんの香水はすっとしたシトラス系で、そこにほんのり煙草の匂いが混じる。レイリーさんとは孫と祖父の差ほど歳の差があるといっても、移り香の意味が解らないほど子供じゃない私で、しかもそれが三回目ともなると流石に堪忍袋の緒が切れた。
女遊びが激しいのは解っていたが、三回も何処かの女と体を重ねてきて、それでいて悠々と私の前に現れるレイリーさんへ、別れる旨と探すなと言うことを書いたメモを残して、二泊ほどの荷物を纏めて家を後にしたのが数日前。
行く宛もない私がさ迷っていたところ、モビーを見つけ、一度あったことのある白髭さんに頼って船に乗せて貰っていた。そこで宴の際、浮気性の誰かさんへの当てつけのように、甲斐甲斐しくも私の愚痴を聞いていてくれたマルコさんへ「好きです」と言ったのが昨日。
そして今日、レイリーさんはやってきた。誰かの垂れ込みのせいだと解ったが、何と伝えられたのか、船室から見ていた私には何ともなかったが、覇気を垂れ流しにして船へ乗り込んできたレイリーさんに、一時モビーは騒然としていた。
「私は、抱き締めたりもしてないし、キスだってしてないし、誰かさんみたいにやったりもしなかった」
「ああ」
「責められる、いわれはない」
「悪かった。私は少し、アンナへ安心をしすぎていたようだ。アンナなら、どんな私でさえも受け止めてくれると」
レイリーさんの声は少し、いつもより低くなっている。少しだけしわのある手に、私の手を重ねて頭から引き下ろす。
ずるい、と思った。そんな言い分。
私の目線の先で、枯れた手と若い手が互いの指の間を縫って重なる。
「どんなレイリーさんだって、好きだよ。でも、他の人に愛情ある行為をするのは嫌い。…なんて教えられたのかは知らないけれど、私がマルコさんに好きって言ったのは知ってるんでしょ」
少しだけ、手の力が強まった。
「今になってアンナの気持ちがよく解る。私以外の人間に好意を向けられていると聞くのは、辛いものがあるな」
「でしょ」
「…本当に、私よりあの小僧がいいのか?まぁ、こんな老人よりもそちらのほうがアンナにはまだあっている気がするが」
「嘘よ。あてつけだもん。私は、老人なレイリーさんのことが好きだから」
レイリーさんの体から顔を離して上を見上げる。
なんだかいつもより頼りない顔をしたレイリーさんは、繋いでいない腕で私の頬を撫で、しゃがんだ。今度は私が見下ろす番だ。
私も同じようにあいている片腕でレイリーさんのそのしわが刻まれ日焼けした頬へ手を滑らす。かさついた頬は私の好きな感触だ。邪魔な眼鏡を上にずらし、額へかける。
相変わらず頼りない顔をしたままのレイリーさんは、小さく口を開く。
「…アンナ、別れるという文字は、私には読めなかった」
「うん。…いいよ、もう。こんな所まで追いかけてきてくれて、嬉しかったのは事実だし。それにちょっと嫉妬も見えたから、それでもういい」
レイリーさんの目尻を親指で撫で、そっと顔を近付けると、その低い声でお礼を言ったレイリーさんは、素早く私の唇に噛みついた。
【はなさないで、離さないから。】
了