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「例えば、私が約何十万、何千万年後に消えてしまって、でもそれはほんの一瞬のことで…ほんと、瞬く間の出来事なの。それは、その瞬間は、きちんと見えなくて、私が消えたその一瞬は、次の夜に見たときに気付かないほどなの。だって朝の内には消えてしまってるから。それに、私の周りにはもっともっと沢山の人達がいて、私よりとっても綺麗なの。だから、余計に気付かないの」
膝を抱えながら、つらつらと機械のように言葉を連ねた綾は、斜め後ろにいる我愛羅を見もせずに話しかけた。
自分の立てた膝の上に口を埋めて、目の前の窓枠を行き来する蟻の行列を無心に見続けながら綾は話す。
「周りは煌びやかで、私はそれよりくすんでて、だから誰にも気付かれない。だからいなくなっても誰も解らない。それはつまり、誰にも迷惑をかけずに死ねるって事で、それはきっと、死にたいと思っている世の中の人達全員の願いを私は簡単に叶えられるってことで」
それだと、私はきっと幸せ者の位置にいるのかなぁ、と綾は呟きを膝の中へ落とした。
綾になんの期待も熱意も、感動すらも籠もっていない視線を受け続ける小さな黒い粒達は、その視線を気にもとめずにせっせと食物を運んでいる。行列の先の塊は、黒い粒でびっしりと覆われ、その表面はもぞもぞと動いている。解体されていくその死体は、なんの痛みも痒みも感じることもできず、ただそこに横たわっているのだ。
綾は視線をその塊にやって、そこでやっと膝から口を離した。
「死んで気付かれなくても、誰かの糧になれるんなら、それも幸せなのかな。自分が死ぬことによって人が幸せになれるのなら、それが死にたがりの幸せなのかもしれない」
半分以上解体されてしまったその死体は、もうなんの虫なのかも解らない。
堅そうな外殻と細長い、辛うじて見える足の一本から、甲虫の類なのが解る程度だ。
「…綾は、そこまでして死にたいの?」
漸く口を開いた我愛羅は、いつもよりラフな格好をしている体を持ち上げて、その腕に大きめの熊のぬいぐるみを抱えたまま、膝を抱えて座る綾を通り越して窓へ近付いた。
月明かりに照らされる行列は、我愛羅の影でとうとう真っ黒になった。目を凝らせばうぞうぞと動くさまが見える。
我愛羅は砂をさらりと動かして、行列のど真ん中へその数グラムの砂を落とした。影の色と同化していた黒い粒は薄茶の砂で覆われ、その一部は見えなくなった。
後方の蟻は突然の砂の壁に右往左往している。
「私の話?違うよ」
さらりと、さも何の話?と訊ねそうな調子で綾は目の前に立った我愛羅を見上げた。
見上げられた我愛羅は、少し眉を顰める。
「死にたがりの話じゃ、なかったの?」
「ええ?私、星の話をしてたつもりだったよ」
抱えた膝を崩し、綾は膝立ちのまま窓際の我愛羅へ近付く。
小さく控えめに開いていた窓を、少しだけ乱暴に大きく開く。
我愛羅は、今まで視線を独り占めしていた蟻の行列を、その砂をもってとうとう排除してしまった。隅にいた何かの死体も砂で外へ押し流された。
綾がそれを見届けて、窓枠へ腕を乗せようとすると、窓枠にあった砂がさらりと動いて、なにもなかったように綺麗な石枠になった。
綾は満足そうに笑って、腕を置き、肘から先を外の暗闇へ突き出した。ひんやりとする砂漠の夜の空気が白い腕を撫でる。
ふるりと震えながら、綾は夜空を見上げた。
ぴかぴかと絶え間なく瞬く煌めきは、もうずっと昔に死んでしまった光だ。
「ちゃんと言うとね、やっぱり死にたがりの話なのかな。私、は星なの。人は星なの。そう考えると楽でしょ、綺麗でしょ。死が」
糧の話は虫の話だけど、と綾は空を見上げたまま笑う。
我愛羅は綾の隣で全く同じように膝で立ち、窓の外へ腕を伸ばした。
暗闇へ四本の腕が伸びる。
綾の左腕が、我愛羅の細い右腕に絡む。ひんやりとした空気が逃げ、二人の腕は互いの体温で少し高くなる。
「綾が星だったら、僕はきっとそれを見つけるよ」
手首を捻り、綾の掌を我愛羅は指を絡ませて握り込む。
それは少し、我愛羅の方が小さい。当たり前だ、綾の方が九年も年上なのだ。
「見つけられる?私はきっと、とてもとても小さい光で、すぐに闇に消えちゃいそうで、隣の星に覆われちゃいそうなくらいなんだよ、きっと」
「ん、んー…あの、ね。綾」
2人とも、目線は星のまま、右手と左手だけを繋いで話し続ける。
それでも、ちらり、と我愛羅は横の綾を見た。部屋は真っ暗なため、月と星だけが綾の顔を浮かび上がらせている。
我愛羅は少し目を奪われるが、自分の右手に感じた少しの圧迫感に再び意識を空へ戻した。
綾が言葉を促すように我愛羅の手を強めに握ったのだ。
「僕ね、綾があそこに浮かぶ星なのは、やだ。…あ、えとね、つまり、綾はね、僕の中だけでいいんだ」
言ってから、我愛羅は小さく笑い声を上げた。綾は漸く我愛羅へ視線を移し、首を傾げた。我愛羅も綾の方へくるりと向き、今度は綾へその笑顔を見せた。
ぎこちない、未だ笑うことになれていないような、頬の筋肉がそれこそ笑っているような、そんな笑み。
「我愛羅の、中?」
「う、ん。綾が星になりたいなら、綾が星のように輝いて死にたいなら、僕が綾を作ってあげる。僕だけにしか見えない、綾の星。僕だけが知ってる星」
産まれて、死に朽ち果てて光り輝くまで、僕だけしか知らない星を、僕が作ってあげる。
ぎこちない笑みで、でも目はどこか不安そうに揺れる我愛羅を、綾は見た。その翡翠の目は綾だけを見て、揺れる。
隈のせいで落ち窪んだように真っ黒なアイホールの奥に控える翡翠は、宇宙の中の小さな惑星のようで、綾は思わず繋いでいた左手を離した。
そしてその手を、我愛羅の目に近付けたところではっとしたように一度震え、手をおろす。
我愛羅の頬の下、輪郭の所へその左手を添えた。
そしてゆぅるりと、口元は弧をかく。
「ありがとう、ありがとう我愛羅。私は、それでいい。我愛羅だけが知ってる星でいい。我愛羅だけにしか光る姿が見えない星で」
それで私は、十分幸せになれるから。
綾の言葉に、我愛羅は添えられた手に擦り寄るように顔を左手へ押しつけた。
一度だけ、静かに閉じた瞼の下からは、星が滑り落ちた。
【ぷらねたりうむ】
了