犬の姫御前
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殺生丸君、殺生丸君と呟きながら雛鳥の様にその殺生丸の後ろをついて歩く彩登美に、周囲の大人は今日も頑張っているなぁと感心をする。
殺生丸と言えば、幼いながらも賢人であり冷徹、父である闘牙王の後を追うかのように必死に武芸に励んでいる、所謂近寄りがたい印象の妖怪だ。
そんな殺生丸に臆せず人間の彩登美が必死になって後を追い、楽しそうに話して笑いかけている様は、邸内の妖怪達にとって応援するに値する光景だった。
そうして今日も、日課の様に殺生丸の稽古終わりに後ろをついて歩く彩登美がいる。
「ねぇ殺生丸君。私ね、三日前に奥歯が抜けたの。お医者様が言うには、最後の乳歯だろうって!」
楽しそうに笑う彩登美は、永久歯が生え揃いかけている。
あとはこの奥歯の抜けた乳歯の後に一本と、一番奥の歯の生え揃いを待つだけだった。
同時に侍医は彩登美の体の変化も唱え、近々穢れも来るであろうから準備をしておきなさいと伝えていた。
穢れの意味が解らなかったが、きちんとしづおに教えてもらい、しづおや盈月達も人間の穢れとはどういったものかを侍医から教わった。
自分達はその時だけ変化を解いて犬の姿になり、自分達で舐めて処理をしていたが、彩登美はそうもいかない。
どう処理をするのか、違いはないのか、全て聞き余さず訊ねた。
彩登美も一緒に聞いていたが、とりあえずソレが始まると血が出て、人によっては痛くて、そしてそれはややを産むためだということだけ覚えた。
でもそのことを、なぜか殺生丸に言うことは憚られた。
歯の話はするりと言えたのに。
「殺生丸君は、歯は抜けるの?」
「…」
無言で歩いていた殺生丸は、そのまま左に逸れて邸の敷地から出ていく。
当たり前の様に彩登美はそれについていく。
暫く歩き続けて、やっと着いた先は小さな湖畔だった。
静かに風が流れる場所で、木漏れ日の下に音もなく座った殺生丸に、彩登美も恐る恐る腕一本の感覚をあけて座る。
ちらり、と殺生丸がその様子を横目で見たが、何も言わずに池よりも大きな湖に目を向ける。
「綺麗だねー」
キラキラと光が水に反射して、柔らかな風が吹けば辺りに生えている草花が揺れる。
殺生丸の白銀の髪も、光が当たるところは銀に輝き、木陰の下にあるところは白光を放っている。
肌も白く、着物は
最近、肩甲骨より下になった髪を闘牙王と同じ様に一本に纏め上げる様になった。
これこそが完全なる美であるという出で立ちの殺生丸に彩登美は常々見惚れる。
対してその義妹として育てられている彩登美は、黒髪黒目に薄黄色の肌と至って普通。
しかしそう思っているのは彩登美本人であって、彩登美自身も盈月達から手をかけて育てられているため、濡羽色の髪は絹糸の手触り、栄養や健康を考えた食事を出されるために、この時代にしては発育も良く、外に出る機会の少ない肌は白い。
痩せ細らぬ様、太らぬ様と運動なども調節されているため、体の形も頗る良い。
そして宛がわれている着物も、菫色の長袴に、梅紫の
「…生え変わる」
「え?」
急な殺生丸の発言に、彩登美は戸惑う。
何が、生え変わるのだろうか。
彩登美の戸惑った雰囲気を察したのだろう殺生丸が、再び横目で隣に座る彩登美を見る。
そうしてその薄い口を開いた。
「…歯だ」
「……ああ!」
さっきの話が続いていたのか、と理解した彩登美は嬉しそうに頷く。
数年前、闘牙王と対面してから殺生丸はどことなく彩登美に優しくなった。
今の様に質問にも答えてくれるようになったし、極力会話も続けてくれる。周囲は未だに彩登美の独り相撲かとみているようだが、実はそうではなかった。
その事実に盈月は気付いており、時折庭先で二人を見ても茶化すことがなくなった。
代わりに、彩登美に年頃としての自覚を持つようにそれとなく促せと、彩登美付きの侍女に助言していた。
自分の愛息子と愛娘のいい話は嬉しいものであるが、種の違う者同士、それが素直に幸せに繋がるのかと問えば、快く肯定できる問題ではないことはわかっていた。
彩登美と殺生丸では、生きる時間が違い過ぎる。
それをきちんと理解しないまま一緒にいて、いずれ彩登美か殺生丸のどちらかが好意を持ってしまったら、と考えると不憫過ぎてならないのだ。
彩登美も人間の間でいえば勿論もう嫁いでいい時期であるし、後三年もすればきちんと孕めるようにもなる。
その前になるべく人間の同年代の男との接触もさせてやらねばならないのだろうな、と盈月は考えていた。
しかしそれは、当の本人たちは何も知らない。
暢気に湖畔で歯の事情を話し合っていた。
「でも、殺生丸君達は犬妖怪だから、牙もあるよね?」
「牙も生え変わる。抜ければ三日後には顔を出している」
「ええ!そうだったの?早いね…母様も?しづおも?」
「…だと、思うが」
「へえー…そうなんだ」
殺生丸の返事に、彩登美はあんぐりと口を開けて舌で人間の犬歯部分をなぞる。
その様子を殺生丸は訝しげに見るが、特に何も言わなかった。
暫く無言の空間が続いたが、特段苦と思わなかった事に殺生丸は不思議に思った。
以前、彩登美が来る前などは人間の匂いですら妙に感じていたというのに、近頃では今日の様に隣にいても、手を握ってもなんとも思わなくなってきている自分に驚いたものだった。
父に言わせれば「理解して成長してくれれば何も言うまい」だったが。
「いいなぁ」
突然、彩登美が物欲しそうな声で呟く。
歯なぞりはやめたようで、小袿の袖に口元を隠してじっと殺生丸を見ていた。
「何がだ」
「牙!私も欲しいなー…」
馬鹿な事を、と思う。
人間に牙があると不自然極まりない。
それに、なんとなくだが彩登美には牙は似合わない。
「…お前には似合わぬ」
「ええー!」
本当に、素直に思った。
勿論欲しがった彩登美には非難されたが、やはりどう考えても似合わないし、あってほしくもないと思った。
それがどうしてだか妙に気恥しくなり、殺生丸はすぐに彩登美から視線を逸らし、対岸にある木をじっと見て彩登美の文句を聞き流し続けた。
(じゃあ爪!毛皮!)
(全て似合わぬ)
(殺生丸君の意地悪!)