犬の姫御前
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――・・**
夜半の刻、三日月が綺麗に夜空に浮かんでいる時。
彩登美は自分の頬を撫でる動きで目が覚めた。
それは嫌な感じは一切なく、優しい慈しみを持った撫で方だった。
何度か身を捩ってみたのは覚えていたが、数度目でやっと瞼を開けた彩登美は、自分のぼやけた視界の中に愛しい人の姿を見つけた。
三日月のか細い月明りでも綺麗に映える美しい銀髪を長し、切れ長の涼しい目は優し気に彩登美を見つめている。
バチリと目を覚ました彩登美は、勢いよく起き上がって自分の頬を撫でる手を握り締めた。
しかし急に頭を持ち上げたからか、クラリと体を揺らした彩登美の背中を苦笑しながら支え、盈月はクツクツと抑えた様に笑い声をあげた。
「…か、母様。笑わないでよ」
「ああ、すまぬな。相変わらず可愛らしいな。子とはこうも愛いものなのかと、日々思っているのだ」
久々に対面した二人は、和やかに笑顔を見せる。
そうして彩登美は静かに、目の前の母に力一杯抱き着いた。
それを優しく受け止めた盈月は、壊れ物でも扱う様に彩登美の頭を撫でる。
「ほんに久しいな、彩登美。元気そうで何よりだ。殺生丸に泣かされてはいないか?」
「ふふ、大丈夫だよ。母様こそ、元気?お屋敷には母様だけなのでしょう?私、…父上様のお墓参りをしたの」
盈月の美しい着物を握り締めた彩登美は、硬く瞼を閉じる。
その裏にはあの父の巨大な骨の骸が浮かんで消えた。
そっと体を離せば、盈月はいつも通りの涼しい顔で彩登美を見つめている。
「父上の墓に行ったのか。大きかったであろう?」
「…うん。とても。そこでね、犬夜叉君にも会ったの。母様知ってる?私や、勿論殺生丸君の、義理の弟になる…」
彩登美の顔は不安げで、叱られやしないかと怯える幼子の様に瞳は揺れていた。
しかし盈月は涼しい表情のまま、小さく頷く。
「知っておる。闘牙王と人間の間に出来た半妖だろう。そうか、あやつにも会ったか。十六夜は、残念だったが…あの子供は生きておったのだな」
そう呟いた盈月の顔は、どことなく優し気で、嫋やかだった。
思っていたよりも雰囲気が尖っていない母にホッとしたのか、彩登美は漸く辺りを見回すことをした。
彩登美の後ろでは阿吽がくるりと丸まっており、その足の間にりんが満足気に眠り、阿吽の尻の方で邪見が豪快に、時折夢見がいいのか笑いながら寝ている。
盈月がいることは全く感じ取っていないようだ。
思わず笑顔になった彩登美を見て、盈月はフムとわざとらしく声を出した。
「それは、お前と殺生丸の子か?」
「へ、え?…な、そっ、そんなわけないでしょう!」
理解するのに一瞬遅れた彩登美だったが、直ぐに盈月の言葉に顔が熱くなって多少大きな声で反論した。
りん達が起きるやも、と叫んでから思った彩登美だったがその心配はなく、りん達はすやすやと眠り続けている。
にまりと口角を上げた盈月は楽しそうに目尻を下げた。
「必死だな。冗談ではないか」
「…母様は冗談が冗談に聞こえないんです!」
「まあ、半分本気であったからな」
そう言った盈月は、すくりと立ち上がる。
盈月の言葉に、彩登美はポカンと口を開けて盈月を見上げた。
盈月は彩登美の視線を気にせず、立ち上がった目線の先をじっと見つめていたが、すぐにフンと鼻を鳴らした。
「来るのが遅い」
盈月が文句を呟いた直後に、殺生丸がふわりと彩登美の背後に現れた。
「殺生丸君」
「…何をしに来た」
殺生丸の言葉は、凡そ母親に向ける言葉ではなかった。
それに対して彩登美が「言い方が悪い!」と叱れば、一応聞きいれたのか、殺生丸はちらりと彩登美に視線をやって再び盈月を静かに見つめた。
「愛娘と愛息子の顔を見に来て何が悪い?母は心配でならぬのだ。お前は妖怪だからさして気にしてはおらぬが、彩登美はか弱い人間の体…無理を通していないかと気が気でならぬ」
わざとらしく、盈月得意の演技かかった表情と口調で言葉を紡げば、殺生丸は普段変えぬ表情を少しばかり歪めた。
「母様、私平気だよ。殺生丸君も、そこの邪見さんも阿吽も、私や同じ人間のりんちゃんに、とっても良くしてくれてるもの。心配は何もないよ」
漸く立ち上がって殺生丸の隣に並んだ彩登美は、にこやかに母へ告げる。
「そうか?彩登美が嫌であれば、いつでも迎えに来るぞ。もう邸の準備は出来たのでな」
少し自慢げに胸を反らした盈月に、彩登美は明るい顔をしたが、するりと目の前に殺生丸が現れたためにすぐに盈月と彩登美の間には壁が出来た。
「なんだ殺生丸。彩登美が見えぬ」
不満げに呟く盈月を無視し、殺生丸は母とそっくりの涼しい顔のまま彩登美を背中にして二人の間に塞がる。
「未だ必要ない」
「…それはお前の意見であろう?どうだ、彩登美、家に帰りたくはないか?邸でのんびりしたくはないか?」
盈月は殺生丸の向こう側にいる彩登美へゆったりと声をかける。
殺生丸の眉間には縦皺が増えたが、彩登美は気にせず殺生丸の右側から顔を出して静かに首を横に振った。
「母様と一緒にいるのも大好きで嬉しいけれど、私、今はまだ殺生丸君と、みんなと旅をしたいの。何れ母様の所には帰るつもりだけど、それまでは、私…殺生丸君と一緒にいたいなって思うの。ダメ?」
彩登美は話しながら、いつの間にか殺生丸の右手にするりと自分の手を絡ませて握っていた。
しかしそれを殺生丸は振り解こうとせず、彩登美がしたいようにさせる。
その様子を見ていた盈月は、彩登美の言葉とその殺生丸の態度を確認すると、コクリと頷いた。
「…では、今度帰ってくる時は、祝言の用意をしておけば良いのだな」
再び訳の分からない言葉を涼し気に呟いた盈月に、彩登美は赤面しながら挙動不審になるが、殺生丸は母と同じ顔のまま鼻を鳴らすだけで彩登美のように顔を赤くすることもない。
ただ話はそれだけかと言う表情で佇み、しかしその右手は人間の彩登美と繋がっているのが盈月にはとても面白く思えた。
そうして、その殺生丸に亡き夫の影を見た盈月は、静かに笑みを浮かべる。
「…やはりあの男の息子だな……。まあ良い。相手が彩登美であれば何も文句は言うまい。強いて言うなら彩登美は私の大事なか弱い一人娘。息子と言えど彩登美を疎かにする様であれば覚悟はいたせ」
鈴の音の様に軽やかに、そうして綺麗な声音で殺生丸に釘を刺した盈月は、ふわりと自分の尾を浮かび上がらせると次に妖力で体全体を浮き上がらせた。
「か、母様!もう帰るの?」
殺生丸の右腕に引っ付きながら、彩登美が叫んだ。
「…ああ。夜分に邪魔したな。母はお前たちが元気そうであれば充分。また近いうちに帰って来るとよい」
そう言うと、今度はとうとう体を大きな犬へ変化させた盈月は、三日月が浮かぶ闇へ消えていった。
残された彩登美は暫く母が消えた空を見上げていたが、殺生丸が右手に少しだけ力を入れたことによってやっと意識を殺生丸へ戻す。
「……母様、本当は寂しいのかな」
「…知らぬ。唯の気紛れだろう」
フイ、と殺生丸が繋がった手をそのままに、阿吽の傍へ歩いて行く。
彩登美も引かれるがまま歩き、りん達とは反対の方向に座り阿吽に背を預けた。
「…しゅ、祝言、とか…言ってたね」
「…アレは私よりお前の母親然としている。好きにやるといいだろう」
座った彩登美を見下ろしながらいつもより穏やかに喋る殺生丸は、静かに彩登美の前にしゃがんだ。
そして繋がれていた手を離し、ゆるりと彩登美の顔を撫でる。
その撫で方が夢心地の時と同じ感触で、思わず彩登美が肩を竦めて小さく笑う。
「なんだ」
「ふふ、ううん。私を撫でてくれるその感じがね、母様と同じだなぁと思ったの。優しくて、暖かい」
母にしたように、彩登美は殺生丸の手に自分の手を添えて頬を擦り付けた。
いつもの涼しい顔をしたまま殺生丸が、一度ゆっくりと瞼を閉じ、そうしてゆっくりと開く。
するすると彩登美の頬を撫でながら、殺生丸は静かに近付き、彩登美の唇にそっと自分の薄い唇を合わせた。
「…せ、っしょう…まる君?」
「彩登美、お前が幸せだったと言いながら死ぬまでは、この殺生丸は絶対に死なぬ。お前も、刻と私以外の理由で死ぬことは絶対に許さぬ」
鋭い金の目でじっと見つめられながら告げられた言葉は酷く甘い。
彩登美は熱くなる顔を感じながら、何度も頷き、殺生丸の肩口にそっと自分の頭を預けて深い息を吸い込んだ。
(嗚呼、愛しい)