犬の姫御前
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彩登美は殺生丸から貰った着物を脱ぎ、代わりに麻で出来た、色褪せて裾が少し解れかかっている襟のよれた着物に着替えた。
胸元に下がる掛守は着物の内側に仕舞いこみ、ハーフアップにしていた髪を下ろして髪飾りは手持ち風呂敷の中に入れてある伊達締めの間に滑り込ませた。
艶のある黒髪はぐしゃぐしゃと掻き乱して櫛で所々逆毛を立て、それから手櫛をすれば簡単に艶は消える。
それを背中辺りで一つに結び、見事にみすぼらしい恰好になった彩登美は、りんの手を取って後ろを振り返る。
邪見が少しだけ気遣わし気な表情を浮かべていた。
「では邪見さん。行ってきますね」
「お留守番しててねー!」
りんが大きく手を振ると、邪見は阿吽の手綱を力なく持ちながら、彩登美を見上げた。
「彩登美様、何もそんなことはせずとも、この邪見めにお任せ下されば…」
「ダメですよ。自給自足の旅なんですから自分が食べるものは自分で何とかします。それでなくても邪見さんにはいつもお世話になりっぱなしなので、こんなことでまでご迷惑をかけられませんから」
「彩登美様…!」
彩登美はきっぱりと言い放つと、感動する邪見を後目に、りんの手を握り直し、ぺこりと頭を下げた。
「それでは行ってきます。殺生丸君は気付いていると思いますけど、一応戻ってきたら伝えておいてくださいね」
「は、はい!」
みすぼらしい恰好の彩登美とりんは仲良く邪見に背中を向けて村まで歩き出した。
彩登美は、道端に咲く紫の葛の花を見ながら、今日は何を運よく貰えるかと考える。
食料袋の中身が心許なくなってきたので、今回久々に彩登美はりんと母子を装って村へ物乞いへ出かけたのだ。
りんにはこの間、自分のことを「かかさま」と呼ばせ、彩登美は「りん」と呼び捨てにし、旦那はおらず、孕まされて逃げられた可哀想な若い女として小芝居を打つ。
殺生丸や邪見に頼めばそれなりな食糧を供給してくれるうえ、若い母子に変装して物乞いなど万が一があってはと最初は反対されていた。
しかしそれでは足手纏いになる、自分の分は自分でと言い張った彩登美の気持ちを推し量った結果、殺生丸も邪見も渋々ではあるが頷き、現状に至っていた。
「ねーかかさま。今日は何を食べられる?」
「そうねえ…本音を言うと味噌玉や麦やお米でも頂けると嬉しいけれど…頂けるだけ有難いから、全て感謝してもらおうね」
「はーい」
彩登美は賑やかな村を前方に見据えると、村の入り口の畑の前で立ち止まり、りんの少しだけ乱れた髪を直してから地面を指で擦った。
すると指先に砂が擦りつく。
それを自分の頬の所へ持って行き、馴染ませる様に数回撫でて、反対の頬にも同じことをした。
「どう?」
「うん、大丈夫だよ。ちょっと顔色悪く見える」
「ありがとう。行こうか」
土で汚した顔をそのままに、彩登美は村というには大きい、殆ど里のような場所へ足を踏み入れた。
そうしてくるりと周りを見渡して、小川を見つけると、そこにりんをしゃがませて駄々を捏ねるようにさせる。
「お腹減ったー!もう動けないもん、やだやだおうち帰りたいいい」
「もう、りん…よして。もうちょっとだから、ほら、立って」
始めは遠巻きに見ていた里人だったが、一人頬の膨らんだ女性がおずおずと寄ってきて、彩登美の肩を叩いた。
「ちょいと…あんた。子供連れで何処へ行くんだい」
彩登美の手に持った手回り品の様な萎びた風呂敷包みを見ながら、女性は訝しげに訪ねてきた。
「あの、一先ずこの先の山を越えて北の方へ…」
「旦那は?」
「いえ…おりません」
「あんたら二人で峠を越えるつもりかい?!全く物騒じゃないか!」
北の方角にある山は高く、木々も深い。
確かに女と子供だけでは山賊や獣、果ては妖怪まで潜むという山を抜けるのは厳しい。
「ご心配ありがとうございます…ただ、頼れる者がその先にしかおりませんので、何とかしていくしかないのです」
そこで漸く女性は旦那がいない意味をきちんと理解した。
そうして足元からじっと見上げてくるりんの視線に気付き、膝を折ってりんの目線に合わせる。
「よしよし、おばちゃんが何かやろうかね。…ああ、そうだ、待っておいでな」
そう言うとりんの頭を撫でてから立ち上がり、彩登美の肩を励ますように叩いてから女性は踵を返した。
彩登美はそれを暫く見送ってから、やっとしゃがんでりんの顔を覗き込む。
「ご迷惑をかけてしまったよ」
「でもかかさま、りんはお腹減ったもん」
「もう暫く我慢しなさい。峠を越えれば叔父さんがいらっしゃる村に着くのだから」
彩登美が困った様に諭せば、りんはばたんと引っ繰り返り、仰向けのまま大の字になって動かなくなった。
一部始終を見ていた初老の男性が笑いながら近付いてくると、りんへ干し柿を差し出す。
凄い勢いで起き上がったりんは干し柿を受け取って零れんばかりの笑顔を男性へ向ける。
「いいの?」
「いいよ。腹が減ってんだろう。こんなに別嬪さんで若いお母さんを困らせちゃいけないよ」
「ありがとうおじさん!…ごめんねかかさま」
「本当にすみません。ありがとうございます…」
りんが美味しそうに干し柿を頬張り、彩登美がぺこぺこと頭を下げていれば、先程の女性が両手に大きな籠を持って戻って来た。
その後ろにもぞろりと女性がいる。
「ちょいとあんた。うちにあるもんで平気そうなもん見繕ったから持っておいきな。あとみんなからも、声かけたら持ってきてくれたよ」
「福さんから聞いたら可哀想で可哀想で。しかもほんと、若いのにねえ」
「旦那とは死に別れたのかい?先の戦は酷かったし、まさか妖怪に教われたりとか…最近はここらを鬼が出るというしねえ」
女性たちが喋りながら彩登美の前に籠を置いて、中身を出していく。
福と呼ばれた最初の女性が彩登美へ手招きして、彩登美の持つ風呂敷包みを開けさせた。
中には綺麗な反物一枚と伊達締め、腰紐と数個の糒が入っている。
きっとこの反物を元手に生活を始めるのだろうと福は眉を寄せて同情した。
「いえ…元々夫はおりません。この子が出来たと…お腹が目立ち始めた頃にあの男は私を捨てて何処かへ…それでも、私はこの子を産みたくて。産まれてみればとても可愛らしくてきちんと女手一つで育てる決意をしたのですが…やはりどうもうまくいきませんね」
困ったように笑った彩登美は、演技とはいえ本当に儚い母親然としていて、それを見た全員が余計に不憫に思ったのか、一人の女性はまた家の方へ向かって戻って行き、手拭いと楊枝を持ってきた。
「なんて酷い男だ。あんたは充分立派な母親だよ!」
「そうだそうだ。ああほら、持てそうなもの持っておいき。山賊が出てももしかしたら物で釣れるかもしれないしね」
「そんな男は忘れちまいよ。ほら、うちは農家なんだ。今年の年貢を少しちょろまかして浮いていたから、その分の米も持ってお行きな」
風呂敷包みが結べなくなりそうなくらいパンパンにあれやこれやと詰め込まれ、しょぼくれていた最初とは打って変わって立派な包みになった。
「ありがとうございます…ありがとうございます…!なんとお礼を申し上げればよいのか…しかし私はこんなにもしていただいても何も返すものがございません…」
「いいよおそんなの!」
「そうだよ、人ってのは持ちつ持たれつだし、私らだって自分とこでカツカツなら何も渡さないさ」
「頑張っているあんたらに心を動かされたからね。それに、人助けに理由がいるもんかい」
ねえ?と全員が顔を突き合せれば、りんが思わず笑いだした。
「おもしろーい!みんな一緒に、ねえ?って言ったの。まねっこみたい!」
花が咲くように笑うりんに、きょとりとしていた女衆もたちまち笑顔になる。
「笑うともっと可愛いね」
「お母さんに似てよかった。大きくなったらお母さんみたいに立派になるんだよ」
「うん!ありがとうおばちゃんたち!」
一通り女衆は話し終えてすっきりしたのか、パンと膝を打つと彩登美達に早く旅路を急ぐ様にせかした。
見れば太陽は巳の刻辺りに傾いている。この分だと今からでなければ峠で夜中になってしまう。
彩登美は好意と言葉に甘えてずっしりとなった風呂敷を持ち、深々と頭を下げる。
それを真似してりんも深くお辞儀をした。
「何から何までありがとうございました。このご恩は一生忘れません…本当に有難うございます」
「ありがとうございます!」
「いいよいいよ。さ、はやくお行き」
「はい。いこう、りん」
りんと再び手を繋いで、彩登美は来た時とは反対の里の縁までゆっくりと歩いて行き、もう一度後ろを振り返って頭を下げ、農道を歩き出す。
暫くはりんの鼻歌しか聞こえない静かな道中だったが、木々を抜けて山間に入った途端に阿吽の鼻っ面が茂みから顔を出したことによって、彩登美もりんも顔がぱっと華やいだ。
「阿吽!」
りんが走り寄れば、阿吽は茂みからガサガサと現れ、その背中に邪見がちょこりと座っている。
「邪見さん。こちら側まで来て頂いて有難うございます」
「いえいえ滅相も御座いませぬ。殺生丸様はこの先の開けた所で先に休んでおられます」
「そうでしたか。ありがとうございます」
阿吽の背中にりんが攀じ登ると、邪見が「これ」と声を上げた。
彩登美は風呂敷包みを抱え直し、山の上を目指して歩みを進める。
「きちんと彩登美様のいうことをきいたのか?」
「きいたよー、りんとってもうまく彩登美様の子供になれたんだから!ね、彩登美様?」
「うん。ありがとうねりんちゃん。おかげで沢山いただけたね」
暫くはこれで充分持つなと思考を巡らせ、彩登美は少しだけ良心の呵責に沈みながらも、ゆっくりと殺生丸の元へ歩き続けた。
(一芝居)