犬の姫御前
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――・・**
彩登美は殺生丸がやたらと歩みを早くした理由が何なのか、気付いていた。
鉄砕牙を手にするためだ。
失われていた左腕には、龍の腕でも鬼の腕でもなく、今はか弱い人間の腕が付いている。
見た目に関しては特に違和感はない。
どことなく異物感と、気持ち悪さが漂うその紛い物のような人の腕は、殺生丸の左袖の下で大人しくしていた。
どうしてあの胡散臭い奈落とかいうやつの差し出す腕を使うのか、彩登美も邪見もさっぱり理解できなかった。
四魂の欠片以外にも何か仕掛けてあるのかもしれないからと、捨てることを提言してみても殺生丸は「利用価値はある」とだけ言って聞く耳を持たずに歩を進めるだけだった。
阿吽とともにりんが疲労感を訴え始めたため、漸く海が見える山間部にて一行は休憩をすることが出来た。
近くの大木の下に阿吽を誘導し、りんは花畑のど真ん中でばたりと大の字になって寝そべったまま動かない。
それを見た阿吽が、のそのそと木陰から移動し、りんを囲う様に座り直した。
「殺生丸君」
殺生丸は、じっと海の方角を見据えたまま動かない。
背後でりんを囲う様にした阿吽に対して邪見が「甘やかすな!」と叫んでいる。
時刻は夕刻前だ。
鴉は飛び、海猫の鳴き声が響く。
「…犬夜叉」
「いるの?」
呟いた殺生丸に反応して、彩登美が海の方を見る。
特に何も見えないが、スンと鼻を動かした殺生丸には場所まで特定できているのだろう。
「私も行く。心配だもの…その腕」
「邪見」
殺生丸は彩登美の言葉に返事を返さず、邪見を呼びつける。
りんの世話をやいていた邪見は慌てて二人の元へ駆けつけた。
「適当に鬼を連れて来い」
「は…はあ…かこしこまりました」
殺生丸からの命令に一先ず頷き、素早く駆けていった邪見の背中を見送り、彩登美がもう一度殺生丸の顔を見上げる。
「何を考えているの?」
「……何れ解る」
一言だけ返すと殺生丸はりんの元へ進み、阿吽の背中の鞍へ腰を掛けて邪見を待った。
彩登美は手元へ目を落として、自分の持つ弓を握り締める。
殺生丸が何を考えているか解らないけれど、自分は必ず殺生丸を助けるのだと意気込み、同じようにりんの元へ走り寄って大の字のまま動かず空を見上げ続けるりんを抱え上げて、殺生丸の腰掛ける鞍の横へ背中を付けて邪見を待つことにした。
***
あの後暫くすれば、邪見が大きな鬼を引き連れて戻って来た。
その肩に殺生丸がひらりと飛び上がる。
りんにはここで待つように言い含め、阿吽にはりんを何が何でも守る様にお願いした彩登美は、邪見が鬼を操って差し出していた鬼の左手の上に乗った。
大きな音を立てて進むと徐々に海が近くなり、開けた場所が現れる。
その先には、赤い衣を纏った派手な出で立ちの犬夜叉がいた。
「殺生丸!」
犬夜叉が叫んだと同時に、殺生丸が鬼の肩から飛び上がり犬夜叉の目の前に降り立つ。
寸瞬遅れて犬夜叉が飛びずさった。
「相変わらず動きが鈍いな…」
「うるせえ!何しに来やがった!」
相も変わらず出会って早々に喧嘩が始まることに、鬼の指の隙間から窺っていた彩登美は嘆息する。
えっちらといつのまにやら邪見が傍に来ており、気遣う様に声をかけられる位には大きなため息だったようだ。
「邪見さん…男の兄弟はああいうものなのかしらね。私の時もそれなりに言い合いはしたけれど、あそこまで短気じゃなかった気がするし…」
「はあ…それは殺生丸様にしか計り知れぬ御心があるのでは…」
邪見は全くもって興味のないことになんとも当たり障りない返答をしたが、彩登美はさして気にしなかったようでいつの間にか殴り合いの、しかも犬夜叉は刀を抜いての喧嘩になっているのを心配そうな表情で見続ける。
「しかし彩登美様、胸当てをされているということは、御手を出されるつもりで…?」
「え?ああ、一応ね。相手は犬夜叉君だから、なんにもないと思うけど、一応…」
握り締めた弓がギと音を鳴らす。
相手は何も知らないとはいえ義理の弟、妖怪同士はどうだか知らないが、人の心を持つ彩登美にとっては武器を向けられる相手ではない。
しかし殺生丸が窮地に陥れば…と考え込んでいた彩登美は、犬夜叉の叫び声によってハっとして指の間から顔を覗かせた。
腕を掴まれ、爪から滲む毒によって犬夜叉の腕の色が変化している。
「刀を手放さんと腕が解け落ちるぞ…?」
「く、そが…!」
殺生丸の助言も聞かず、犬夜叉は尚もその状態から鉄砕牙を振り下ろそうとする。
しかしそれは殺生丸の振り払いと蹴りによって阻まれ、拍子に鉄砕牙が抜け落ちた。
突き刺さった鉄砕牙に近付く殺生丸に、彩登美は不安がよぎる。
初めて手を伸ばしたあの時、見ている此方が痛そうなくらいの結界に阻まれていた。
静かに手を伸ばした殺生丸は、左手で綺麗に柄を掴んだ。
「…つかめた!」
彩登美が小さく喜ぶのと、犬夜叉たちが驚くのは同じだった。
持ち上げた鉄砕牙を犬夜叉たちに突き付けた殺生丸は、満足そうに笑うと邪見の名前を叫ぶ。
鬼の指の上に移動した邪見は、人頭杖を少しだけ振って鬼を操る。
「只今、山の妖怪、精霊共を追い出しまする」
そう言うと鬼は右手を振り上げ、海岸沿いの山へその大きな手を叩き付けた。
途端に様々な鳴き声や騒めきが響き、山から一斉に小妖怪や精霊が飛び出す。
それを見つめていた殺生丸は暫く間合いを図ってから鉄砕牙を構え直して犬夜叉へ声を上げた。
「よいか犬夜叉。一振りで百匹の妖怪を薙ぎ倒す!それがこの刀の真の威力だ!」
そう言うと殺生丸は確かに一振りだけ、しかも妖怪の軍勢の目前で刀を振った。
それは渦を巻くように風が起こり、妖怪たちを巻き込み、凄まじい轟音とともに全てを一掃した。
「凄い…!」
彩登美は小さく呟くと、殺生丸は唖然としていた犬夜叉に向き直り、刀を突き付ける。
しかしその間に滑り込んだのはかごめだった。
大きく両手を広げて犬夜叉を護る様にするその姿に、殺生丸はピクリと持ち手を揺らしてから、口角を上げる。
「貴様は……。一緒に死にに来たのか?麗しいな」
「な、そんなわけないでしょ!」
「どいてろかごめ!殺生丸はお前を殺すことなんかなんとも思っちゃいねえ!」
かごめと犬夜叉が言い合っていると、その前にズイと法師の格好をした男も出た。
「もう見ておれませんな」
「お前も引っ込んでろ弥勒!」
犬夜叉がまた声を飛ばすと、鬼の指から掌に戻っていた邪見がハアと溜息をつく。
「相変わらず騒々しい…こんな人間ども、殺生丸様のお手を煩わせるまでもない…」
そう言うと邪見が殺生丸へ自分に任せる様に叫び、すぐにまた鬼の左手を弥勒たちの頭上に振り下ろした。
彩登美は右手の上で揺れを回避しようと備えていたが、思っていた衝撃は来ず、代わりに大きく傾いた。
「えっ、え?!」
「ぎょえー!吸い込まれっ、ちょ、まって!」
邪見はバタバタと鬼の腕から飛び降り、彩登美も慌てて逃げようとしたが、体がふわりと浮いたかと思えば引っ張られる様に弥勒達の元へ飛んだ。
「吸い込まれる…!」
視界の端に、刀を地面に突き刺して耐える殺生丸が目を見開いているのを見た彩登美は、小さく殺生丸の名を呼んだ。
「弥勒様だめ!」
かごめの鋭い声が飛んだ直後、彩登美は吸い込まれることはなく強い力のまま吸い込んでいた弥勒の体へ体当たりをするように落ちた。
「いった、あ、ごめんなさい!」
すぐに自分の下敷きにしてしまっている弥勒に気付いて慌ててどけば、弥勒は神妙な顔をして彩登美の手を取った。
「…貴方様は…人間でしょうか?」
「え、あ…はあ、一応」
「なんと!かごめ様の御助言がなければ危うくお美しい貴方様を私の風穴に吸い込んでしまう処でした!妖怪と一緒にいるのは何か理由があるのでしょうか?見たところ随分綺麗な御召し物に…どこぞの姫君でしょうか。この弥勒、法師の名に懸けて貴方様を御救い致しましょう!つきましてはそのお礼と言うことで私の子を産んでは」
「はいそこまで!」
止まることを知らない弥勒の口を横からかごめが塞ぎ、彩登美の手を握り締める弥勒の手を叩き落とす。
そうして彩登美ににこりと笑顔を見せた。
「彩登美ちゃん、無事だったのね。よかった…」
「かごめちゃんも、元気そうでよかった」
彩登美が笑顔で返せば、かごめは嬉しそうにしたが彩登美のすぐ後ろに殺生丸が立ったことによってかごめの笑顔は引き攣る。
「彩登美」
「殺生丸君」
「どいていろ」
言うなり、殺生丸は彩登美を通り過ぎて奥にいる犬夜叉へ刀を振り下ろした。
ドガっと音をさせて瓦礫が舞い、風圧のせいで彩登美はかごめ達と少し離れた場所に倒れ込む。
邪見がわたわたと現れ、彩登美の無事を確認していると硬い金属音が響く。
見れば犬夜叉が鞘で刀を受け止めている。
「鞘で…!」
驚いていると、耳がよく知る音を捉えた。
弦の鳴る音、そうして矢が空気を裂く音。
彩登美が「あ」と言う前に、一本の矢が殺生丸の持つ鉄砕牙を狙い撃ちし、大きな音を立ててその刀の変化を解いた。
「かごめちゃんの…っ」
矢をもう一度番えたかごめは、再び殺生丸を狙う。
「かごめちゃん!」
「彩登美ちゃん…」
思わず彩登美が叫べば、かごめは少し怯んだのか番えた矢が外れる。
その瞬間、殺生丸がかごめの元へ飛びこみ、爪を振り上げる。
「殺生丸君だめ!」
「…」
叫んだ彩登美より早く、犬夜叉が反応してかごめの前に素早く入り、殺生丸の頬を殴りつける。
「殺生丸君…っ」
体勢は崩さず、下がっただけの殺生丸に彩登美は慌てて駆け寄る。
血が滲んだその口角はにんまりとあがっており、楽し気だ。
変化の解けた鉄砕牙を持ったまま、殺生丸は犬夜叉へ今までの比にならない速度で懐に飛び込み、思いきり殴り飛ばした。
「兄の顔を傷つけるとは偉くなったものだな」
吹き飛んだ犬夜叉に吐き捨てる様に言った殺生丸に、彩登美は思わず詰めていた息を吐いた。
頭に血が上ってしまったわけではなかった殺生丸に安堵したのだ。
犬夜叉はなおも再び立ち上がり、殺生丸に飛び掛かる。
その目測は刀のようで、左側に飛び込んだ犬夜叉は、殺生丸に背中を見せる形で左腕を抑え込んだ。
「敵に背中を見せるとは…」
殺生丸がそのまま無防備な赤い背中に腕を突き立てると、血飛沫が舞う。
それは綺麗に胸を突き破り、犬夜叉は大量の吐血をする。
犬夜叉の吐いた血に黒が混じっていることに気付いた彩登美は、口に手を当てて引き攣った声を飲み込んだ。
犬夜叉が危ない、そう思うより先に犬夜叉の方が動き、殺生丸の左腕ごと鉄砕牙を奪い取った。
人の腕が引きちぎれるあまりにもな光景に、彩登美は思わず視線を逸らす。
「ケッ…返して、もらったぜ……」
殺生丸から距離を取り、鉄砕牙を抱えた犬夜叉だったが、一度大きく咳込み崩れるように片膝をついて鉄砕牙を盾にするような姿勢のまま静かになった。
「…せ、殺生丸君…っ」
邪魔にならないと判断した彩登美は、殺生丸の元へ慌てて駆け寄る。
左袖下の人の腕からポタポタと血が落ちているのを見てゾッとしていると、今までどこにいたのか邪見も彩登美の足元に寄り、フンと鼻を鳴らした。
「犬夜叉の奴め、気を失って…」
そう言いながら邪見が一歩踏み込むと殺生丸が「それ以上前に出るな」と忠告をする。
邪見が真意を訊ねようと大きく踏み出して振り返った瞬間、凄まじい剣圧が飛んできた。
「ぎゃあ!」
「犬夜叉君は動いていないのに…」
命辛々というように邪見がその場から後退ると、殺生丸は暫くじっと犬夜叉を見た後、くるりと後ろを向いた。
「鉄砕牙を我が手に出来ぬ以上、長居は無用だ…帰るぞ」
そう言うと右腕を彩登美の腰に手を回し、抱え込むようにするとふわりと妖力で浮き始める。
「…うん」
ピクリとも動かない犬夜叉を気遣わし気に見てからかごめに視線をやれば、小さく頷かれる。
それに安心した彩登美は、平衡を取る様に殺生丸の肩と首に手を回した。
(血みどろの兄弟喧嘩ばかり)