犬の姫御前
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殺生丸の世話を甲斐甲斐しく、しかしたどたどしくなんとかやっていた彩登美は、日参してくれている幼い女の子が来るのを待ち遠しく思っていた。
一日二日は二人にと同じ葉に食物を持ってきていたが、彩登美がお礼を言ったのが嬉しかったのか、その三日目には別々の葉を持ってきた。
彩登美には
三日経って彩登美は少女が声を失っていることに気付いたが、それでもこうやって様々な食物を持ってきているということはそれなりに余裕のある家なのだろうと思っていた。
しかし、先日顔を大きく腫らしてやってきたことで考えは変わった。
少女には不釣り合いな殴打跡に、欠けてしまった歯。そうして手や足にも酷い痣が出来ている。
それでも葉に魚を数匹乗せ、もう一枚の葉には杏や草苺を乗せてそれを健気に差し出す姿は酷く痛ましかった。
彩登美は顔を歪ませてしまい瞬きをすれば涙が落ちそうになり、口を開けば嗚咽が出ることは必至だった。
動けない彩登美を見た殺生丸が代わりにとでもいう様に珍しく理由を訊ねるが、彩登美の様子に戸惑っていた少女は花が咲くように笑っただけで、そのまま去っていった。
彩登美はその日の夜、殺生丸の隣で毛皮に包まれながら不安を口にしていた。
「声がなくて、村の人とかに虐められたりしたのかもしれない。あの子は、裕福でもなんでもなくて、私達の為に危険な事をしていたのかもしれない」
ずっとブツブツ呟きながら、そのまま眠りに落ちていった彩登美は、翌朝も沈んだ顔のままだった。
しかし川に水を汲みに行き、戻ってきて身嗜みを整え、殺生丸の左腕を確認する頃にはすでにその陰鬱とした表情は消えていた。
綺麗に塞がったそこは、傷跡もなにもなく、元から腕が伸びていたと思えない程つるりとした表面はとても綺麗だ。
それを何となく寂しく思いながら、彩登美は先日少女が持ってきてくれた杏を洗い、皮を向いて一口齧ると「甘酸っぱい」と呟いた。
その横から殺生丸は草苺を一粒だけ取ると、口に運ぶ。
彩登美が「動けるようになって初めての食事が甘いものって。そっか殺生丸君甘いもの好きだものね」と笑えば、不貞腐れた様になった殺生丸だったが、彩登美は動けるようになったのはいいことだとさして気にしなかった。
しかしその和やかな表情もやがて曇っていき、いつもあの少女が来る夕暮れ前には朝のような陰鬱な顔になっていた。
「いつまでそんな顔をしている」
「だって、殺生丸君も気になったから聞いたんでしょう?あんな小さな女の子に、あそこまで酷く手を上げる人がいるだなんて…」
自分の事の様に落ち込んだ彩登美を見ながら殺生丸は自分の体の状態を確認し、五日ぶりに立ち上がった。
「殺生丸君、立ち上がって平気なの?」
「ああ」
右手を閉じたり開いたりした殺生丸は、一歩踏み出す。
もう日も暮れた。
いつもなら来る少女は来ない。
代わりに見知った匂いが近付いてきていた。
「もう行く」
「え、けれど、あの子は?」
慌てて身支度をした彩登美は殺生丸に訊ねるが、殺生丸はじっと東を向いたままだ。
そうしてすぐに、背後からガサガサと草をかき分ける音がした。
彩登美はあの少女だと思い、にこやかに背後を振り向いたが、そこには少女ではなく緑の小妖怪がいた。
「わあ、邪見さんだ」
少女ではなかったことに落胆しつつも、邪見の事も気懸かりだった彩登美は、会えたことに喜んで名前を零す。
すると邪見はボロリボロリとその大きな黄色い目から涙を溢れさせた。
「せっ殺生丸様ぁあー!彩登美様ぁあ!お会いしとうございましたああぁあ!!ご無事で、ご無事で何よりぃいいい」
「あはは、邪見さんお顔がぐしゃぐしゃよ。邪見さんは強いから、きっと大丈夫だろうとは思っていたけど、よかった。無事で」
彩登美の言葉に益々邪見は感極まったのか、ぐずぐずと鼻を鳴らす。
殺生丸はそのやり取りを一瞥すると、自分が休んでいた場所から林道に向かって歩き始めた。
それを追いかけつつ、彩登美は邪見に数日の間の事を聞いていると、林道の先の薄暗い道中、何かが蠢いているのが見えた。
小さく声を漏らした彩登美だったが、殺生丸がそのまま足早に歩いたことでその後ろを恐る恐るついて行く。
「きゃああ!」
夜目が漸く蠢く正体を見せた時、彩登美は思わず高く叫んだ。
そこにはあの日参していた幼子が血まみれで横たわり、その周りを口元が血だらけな狼が取り囲んでいたのだ。
狼は殺生丸一行に気付くと、牙をむいて戦闘体制を取ろうとしたが、殺生丸の一睨みで怖気付き自分達の獲物もそのままに一目散に逃げていった。
狼が去るとすぐに、足を縺れさせながら彩登美がその少女に駆け寄る。
「…っ酷い…ねえっ、しっかりなさい。ねえ!」
「彩登美様。この者、もう目に生気がございませぬ…残念ですが」
「そ、んな…どうして…こんな」
ぽろぽろと涙を落とすと少女の頬に雫が落ち、その血を洗い流すように滲んで滑っていく。
邪見は、同じ人間の幼子の死に悲しんでおられるのだろう、と思っていたがそれは殺生丸の行動によってそれだけの理由ではないと、後に考えを改めることとなる。
ザリ、と足音をさせて近寄った殺生丸は、すらりとその腰に差してあった刀を抜刀した。
「せ、殺生丸様?一体何を…」
彩登美も何をするのかと、泣き腫らした眼で呆然としながら殺生丸と白刃を見る。
彩登美の隣に立った殺生丸は、目を細めて何かを確認したと思った瞬間、彩登美達から見れば何もない空間を斬った。
邪見も彩登美もきょとんとしてその様子を見守る。
刀を収めた殺生丸は、静かに少女を見下ろした。
すると次は彩登美が慌てることとなる。
殺生丸が血まみれの幼子を抱き起すと、その幼子が息を吹き返したではないか。
これには邪見が大慌てで彩登美達に駆け寄り本当に人間かを怪しんだ。
「…殺生丸君、何をしたの…?」
さっきまでこの幼子は死んでいた。
それだというのに今はゆっくりと心臓を動かし、胡乱とした寝惚けたような目で彩登美と殺生丸を見ている。
頬も聊か白いが先程の様に青白くなく、着物越しに伝わる体温も徐々に温まってきている。
完全に人ひとり、生き返ったのだ。
「せ、殺生丸様、一体何を…それは切れぬ刀では…」
「切れぬ、刀…?」
邪見の言葉に耳を疑った彩登美は、ぎゅっと腕の中の幼子を抱く力を強めた。
すると幼子は身動ぎし、薄い声を出した。
「…ぃ…しい…」
「声が…出せるの?」
けほり、と咳を一つした幼子も、自分の声を聴いて驚いた顔をする。
泣き止んでいた彩登美の目に、再び海が溢れる。
殺生丸は静かに刀を見下ろすと、邪見に「阿吽を連れてこい」と言い放ち、林道から外れた場所へ向かった。
ぺこりと頭を下げた邪見は、パタパタと着物をはためかせてすぐに林道を走って抜けた。
彩登美が幼子に歩けるかを確認すると頷いたので、手を繋いで殺生丸の後を追う。
少し藪が茂った先を掻い潜って抜けると、ちょうどよい空間が広がっていた。
真ん中に鎮座するような太い木の枝分かれの幹に、殺生丸は背中を預けて座っている。
「おいで」
彩登美が手を引きつつ幼子と一緒に殺生丸の足元へ座り込み、持って来ていた草苺を一つ、幼子へ渡す。
幼子は途端にぽろぽろと泣き出してしまった。
「ど、どうしたの?どこか痛む?」
宥める為に幼子の頭を撫でた彩登美だったが、余計に幼子は泣き、そうしてとうとう彩登美の着物に顔を埋めて大人しくなってしまった。
「…ねえ?どうしたの?」
話しかけて揺さぶっても、反応をしない。しかし再び死んでしまったわけではなく、肩は上下に動いているので幼子が眠りに入ってしまったということが解って彩登美はほっと息を吐いた。
「ねえ、殺生丸君。助けてくれて、ありがとうね」
「…この刀を試したかった。それだけだ」
「ふふ、そっか。じゃあ…この子で試してくれて、ありがとう」
幼子の頭を撫でながら、彩登美が殺生丸を見上げて笑いかければ、殺生丸も悪くはないのか鼻を鳴らして目を閉じた。
(こんにちは、第二の人生)