犬の姫御前
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――・・**
邪見は謁見から一先ず、無女と鬼を一匹連れてくることにした。
彩登美は足首を痛めているということで歩くことは困難であり、加えて殺生丸が何処からか重厚な着物を持ってきてそれに着替えさせられたため、余計に歩き辛くなったのは言うまでもない。
初めは平安期とは違う形状になった着慣れない着物に四苦八苦していたが、要領を掴んだのかすぐに歩けるようになった。
不思議そうにしていた殺生丸に「だって、昔着ていた着物はもっとゆったりしていたし、こんなにさばきはきつくなかったもの」と弁明していた。
そうかというように素直に頷く殺生丸を見て邪見は思わずふらりとしたが、一日二日も経ってくると見慣れてきた。それに話を聞けば本当に義理ではあるが妹であるし、あの大妖怪と謡われる闘牙王やその正妻の事も父と母だと呼んでおり、殺生丸から二人ともが猫可愛がりをしていたなどというような内容を聞けばもう邪見には何も言えなくなった。
牛車に無女を詰め込み、さっさと変化をするように促して御簾を下げ、餓鬼と共に朧牛車を浮かせると今度はわたわたと殺生丸に報告をする。
邪見は終始忙しい。
「殺生丸様ぁー!準備は整いましてございます!」
「そうか」
殺生丸は静かに立ち上がると、彩登美に視線をやって少しばかり考える。
今から向かうのはこれまた腹違いの弟である犬夜叉のところ。
父の墓参りも兼ねて妖刀である鉄砕牙を取りに行くのだった。
じっと見られた彩登美はよろけつつも立ち上がり、少しだけ足首を左右とも回す。
「うん、もう痛くない。殺生丸君、私歩けるし一緒に行ってもいい?」
「…構わぬが…彩登美、お前には諸々伝えねばならぬことがある」
「せ、殺生丸様?まさか本当に彩登美様もお連れに…」
邪見の言葉を無視して、彩登美の手を取り腰に腕を回して殺生丸はふわりと鬼の肩に飛び上がる。
降ろされた場所が安定しにくいため、彩登美は左手を鬼の首筋辺りに、右手は殺生丸の左腕を掴んだまま何とか位置を調整して落ち着いた。
慌てて邪見も鬼の左肩に攀じ登ると、ポコリと人頭杖を振って鬼に歩進を促した。
ズシンズシンと音を立てて鬼が歩き、その幾先か前を牛車がカラカラと空を進む。
「まず…父上だが、昔に死んだ。お前がいなくなった百年後か…」
殺生丸の言葉に彩登美は目を見開いて驚く。
声は出ず、顔色は白に近い。
「…う、そ…そんな、だって…父上様…妖怪でしょう…?わ、私みたいな寿命の短い人間じゃなくて…ちゃんと、妖怪で…」
「天寿ではなく、戦いの末だ」
「……御尊父様は、竜骨精との戦いで治らぬ傷を負い、それ以後もお体に鞭打って戦いを続けておりました故…」
邪見が優しく詳細を語れば、彩登美の頭にすんなりと入ったようで、父の死を受け入れた途端に涙が滑り落ちた。
数回しか会ったことはなかったが、闘牙王はきちんと自分の父親をしてくれていたのだ。
こちらに帰れば家族みんなでいられると思っていた彩登美は、唐突な別れに涙しか流せなかった。
「…父上から授かったその髪飾り…未だに父上の妖力は纏っている」
殺生丸の言葉は不器用なりにも彩登美と闘牙王の繋がりは切れていないと慰めているように聞こえ、彩登美は胸の内が苦しくなる。
邪見は小さく「あの妖気は御尊父様のものだったのか…」と呟いていた。
「それから…父上は人間の女を妾とした。結果、半妖が生まれた」
「…え?」
今度は驚きで涙が引っ込む。
彩登美は目まぐるしい情報に感情が追い付かない。
父に妾?では母の立場は?
半妖って?
様々な疑問が浮かぶが、彩登美の口から最初に出たのはそのどれでもなかった。
「…殺生丸君、どうして泣きそうなの?」
彩登美の言葉に邪見は驚いて首が千切れるのではないかと言うくらい回し、殺生丸を見る。
しかしその顔はいつもと同じ涼やかだ。
一体どこが泣きそうだというのだと緑の頭を捻った。
「お前の目は飾りになったのか」
「見えてるよ。でも殺生丸君、変な顔してた。母様に正論言われた時もそんな」
「黙れ」
殺生丸は自分の感情が解らないのは確かだった。
父が人間の女に目をかけていると言うのを聞いたとき、頭には彩登美が過った。
やたらと彩登美を可愛がってはいたが、そこから人間を恋慕の目で見るとは思っていなかった。何せ闘牙王には正妻である盈月がいたし、一族からの圧もあったからだ。
彩登美を養子にしたのですら散々言われてきたが、そこへきて人に手を出すとはと。
しかし当初殺生丸は特に何とも思わなかった。
人に執心しつつも力は失わず、加えて人に害を成す妖怪共を進撃し破竹の勢いで進攻した大妖怪の父は殺生丸の自慢でもあり畏敬の念と憧憬を抱くに相応しい妖怪だった。
父が死ぬ、それまでは。
竜骨精との疵が災いし、弱まった父が妾関連の争いで倒れると、一族は掌を返して父の邸を我物顔で占領しようと画策し、人の妾は淘汰された。
闘牙王が根城としていた邸に関してはそもそも盈月が居座っていたために手は出せず、出そうものなら盈月の猛攻が待っていた。
しかし、人の妾・十六夜は一族が手を下すもなく件の人の争いによって落魄れて子供を残して死んだという。
殺生丸は全てに嫌気がさした。
自ら愛して此方の世界へ引き込んだヒトを護れず死んだ父にも、醜い一族にも、父を誑かしたように噂される十六夜も、何も言わない母にも、父に寵愛を受けて攻めの刀を拝受した半妖の弟も、父に加勢することが出来なかった力のない自分も。
全てが苛ついた。
人へ一族へ弟へ、嫉妬や憎悪を混ぜた怒りを抱えながら殺生丸は自身を成長させ強くなるために全国を行脚し、自身を磨いて自身に相応しい武器であろう鉄砕牙を捜していた。
そんな時に彩登美が戻ってきたのだ。
無論殺生丸の胸中は複雑だった。
神の仕業とはいえ勝手に消えた彩登美へ多少なりとも苛ついてはいた。
だが妖怪に襲われて助けを求めた彩登美を見た時にその感情は何故か消えてしまった。やはり奥底で助けたい思いしか湧かなかったのだ。
勿論、そういった感情があったために彩登美と過ごしていた日々はヒトに憎悪など抱かなかった。
寧ろ自分はあの父と同じ様に人である彩登美を、と思っていたほどだった。
しかし一族の考えは別だったのだ。
人と混ざった半妖が闘牙王から出自した事は一族からの反感を多分に受けた。それは一族からすれば裏切りだったのだ。
彩登美のような養子とは意味が違ったのだ。
殺生丸自身も己と同じ血を受け継ぎながらも化けることすらうまく出来ない犬夜叉を見て顔をしかめたのは事実だった。
あのバカを集めた一族の奴らと同じ様に犬夜叉らを白い目で見ることはしなかったが、不甲斐ない腹違いの弟を見るたびに人間の血を疎んだのは確かで、消えてからもずっと持っていた彩登美への感情すら揺れるほどであった。
だが再び彩登美と合間見えた時、揺れていたはずの気持ちは綺麗に落ち着いた。
彩登美への思いと犬夜叉への感情は別物であると、区切りをつけることができたのは一重に殺生丸が大人になったからであった。
だから盈月も安心して彩登美を殺生丸の手元に残していったのだろう。
でなければ邸を再生する傍らにどうにかして引き連れていったはずだ。
「ねえ、殺生丸君は…随分大人になったし、父上様も、いなくなった…昔とは違うのかもしれないけど、…その半妖の子は、私達の弟になるの?」
恐々と言ったふうに紡いだ彩登美に、殺生丸は鼻を鳴らす。
「あれは出来損ないの愚弟だ。父上の血を引きながら、真面な妖力もない…」
そう言うと、それっきり殺生丸は黙った。
ふらふらと前を進む牛車の先を見据え、鬼の肩の上で座り立膝をついてそのままじっとしている。
こうなった殺生丸には何を言ってもダメな事を知っている彩登美は、静かに引き下がる。
鬼の首の向こうで邪見が一人、ちらりと伺いつつ何か思案をしているのが見えたがそれもすぐになくなった。なぜなら鬼が急に体勢を下げたため雲の上を歩いていた肩は沈み、目下にいきなり地面が見えたからだった。
それからの出来事に彩登美は全て驚愕しかできなかった。
無女を乗せた牛車が降下した瞬間、鬼の手がその牛車を握り潰したうえ、殺生丸が鬼の腕に絡まっていた鎖を投げて無女を縛り上げたのだ。
そこで初めて無女の顔を見た彩登美は、その美しさに嘆息が漏れる。しかし美しい無女の顔はすぐに歪み、苦し気な表情を浮かべて鎖で体を囚われる。
「捜したぞ、犬夜叉」
殺生丸の言葉に、彩登美は無女から視線をずらして初めて下界を見る。
そこには赤い衣を纏った銀髪の男と、セーラー服を着た女がいた。彩登美は、どこかで見たことのあるような、と思ったがどうも距離が遠くて顔がよく見えない。
「てめぇ…殺生丸…!」
「ほう、感心に覚えていたか。兄の顔を」
赤い衣の男が吠えると、殺生丸は鼻で笑う。
彩登美は初めて義理の弟である犬夜叉を目の当たりにしたが、その相貌に感動よりも先に驚きが溢れる。
「犬の…耳が生えてる…」
「ああ?!って…女…?」
思わず漏らしてしまった言葉に、大きく反応した犬夜叉は視界に入った情報に驚いた。
あの殺生丸の後ろに、高価な着物を着た人間の女がいたのだ。
犬夜叉はずっと人間嫌いだと思っていた殺生丸が人間を連れていることに驚いたが、それよりもなによりも後ろから急な力に押されて視界がぶれたことに一番苛立った。
「彩登美ちゃん?!」
かごめが、叫んだのだ。
それにより彩登美も大きく目を見開いて息を呑む。
「か、ごめちゃん…!!?…ああ良かった、無事に会えて」
「そんなの私だって!」
「だー!うっせえ!次から次へと!!やい殺生丸!お前目的はなんだ!こんな胸糞悪いものまで用意しやがって!おふくろは死んだんだ!」
犬夜叉が無理にかごめの声に被せて叫べば、殺生丸が可笑しそうに口角だけを上げる。
とんでもない悪人の顔に、彩登美は少しだけ引いた。
「わざわざ地獄より呼び戻してやったのだぞ。肉体まで与えて…」
じゃらりと音を立てて鎖を引き、無女の顔を犬夜叉の方へ向けた。
「犬、夜叉…」
無女の可塑けき声がいやに響く。
殺生丸の言葉に衝撃を受けたのは犬夜叉だけではなく、彩登美もだった。
驚いて目を丸めた彩登美に気付いた邪見が素早く彩登美の横に歩み寄り、小さく耳打ちをする。
「彩登美様、暫し御辛抱を。あれは確かに無女…しかし容姿だけは本当に犬夜叉めの母でございます」
「そんな、どうしてそんなこと」
「理由がございまして!御父上様の墓を捜しておりまして、犬夜叉ならば知っているかと思いました次第でございますれば…何卒全て聞き終わるまで声を荒げませぬ様」
邪見の話した内容は、凡そ彩登美には全て理解することはできなかった。
墓の場所を聞くのであれば普通に聞けばいいのだ。
それなのにわざわざ母の紛い物を用意して、しかもそれが本物であるというように嘘をつく理由がよくわからなかったのだ。
しかし邪見の必死さと、ちらりと流し目で見られた殺生丸の視線に彩登美は仕方がなく黙り込む。
こちらが言い合っているうちに、犬夜叉側も話が進んでいたようで、いつの間にか母の姿をした無女は蓮の花を広げた術中の中に犬夜叉とかごめを引き摺り込んでいた。
「さ、殺生丸様!無女が墓の在り所を暴きますので、我等も参りましょう!」
「……」
ちらりと殺生丸は彩登美を見たが、それも一瞬で視線を逸らして素早く蓮の残り花弁にある妖気の先について行った。
邪見は中々動かない彩登美と先に飛んで行ってしまった殺生丸とを見比べ、バタバタと彩登美の周りで急かし始める。
「彩登美様!我等も早く行かねば殺生丸様において行かれてしまいます!」
「…うん。ごめんなさい」
邪見にせっつかれて、彩登美は重い足を動かす。
今のやり取りで、なんとなく殺生丸と犬夜叉の間には壁がありあまり仲も良くないことが感じ取れた。
自分と殺生丸は義理の兄妹。
犬夜叉と殺生丸は腹違いの兄弟。
違いは有れど少し複雑な兄弟関係を築いているのは双方同じだが、どうもその差が激しい。
彩登美には詳しい理由が解らないが、犬夜叉は自分の義理の弟でもあるし、その義弟の横には現代で友人となったかごめがいる。
彩登美としては積極的でなくとも犬夜叉とは良い関係を築きたいと思ったのだが、あの殺生丸と犬夜叉の様子では遠い未来の話かもしれないと気分が重くなり自然と足取りも重くなっていた。
邪見が繋いだ道の先を進めば、そこは荒れ果てた沼地の様な光景が広がっていた。
気味の悪い光景に、彩登美は眉を顰めて着物の袖で口元を覆う。
「彩登美様、此方で少々お待ちを」
邪見はそう言うと、身軽にどちらかへと走り去る。
彩登美は暫くそこに佇んでいたが、遣る瀬無く立っていても仕方がなくて殺生丸を捜すことにして足を動かす。
大きな池の様な水の集まりは、凡そ普通の水のような綺麗な透明の色をしておらず、濁った色で淀んでいる。
思わず足を止めてじっと見ていれば、草を踏む音と高い鳴き声が聞こえた。
見れば足元には数匹の餓鬼が走り寄り、彩登美に鎖を持って飛び掛かってくる。
「あっ」
いやだ、そう思った瞬間に餓鬼は消し飛んでしまった。
水水晶か髪飾りか、どちらの効力かは検討が付かないがどちらにせよ守られたのは確かで、彩登美は知らず詰めていた息を吐く。
消し飛んだ餓鬼を見て、他の餓鬼は我先にと何処かへ逃げ去った。
「…あれくらいのなら、まだ大丈夫だけど…殺生丸君どこかな」
「ここだ」
「わあ!?」
呟いた瞬間に背後から低い声を発された彩登美は酷く驚いた。
バクバクと心臓が大きな音を立てるのを聞きながら後ろを向けば、涼しげな顔をして立っている殺生丸がいて、彩登美は少しだけ安心をする。
「吃驚した…ねえ殺生丸君、ここは何処?」
「無女の術中だ」
そう言うと横をすり抜けて歩き出した殺生丸に、彩登美もパタパタとついて行く。
目指す視線の先には、無女が犬夜叉を半分まで飲み込んでいた。
「ひ…っ、せ、殺生丸君!あのままじゃ犬夜叉君が」
「……」
着物を掴んで訴えた彩登美だったが、その言葉は中ほどで止まった。
かごめが、人頭杖で思い切り水面を殴り掠めたからだ。
すると無女は劈く叫び声をあげて犬夜叉を体内から吐き出した。
「行くぞ」
「え?あ、殺生丸君待って!」
動き出した殺生丸は音もなく飛び上がると犬夜叉のすぐ横に着地し、そうしてその首を掴んで持ち上げる。
驚いた彩登美は、駆け寄って近くなっていた場所でピタリと止まった。
「見えるが見えぬ場所…こんなところに隠していたとは、父上も用心深いことだ」
「ぐ…何を…っ」
「幼い時に仕込まれたか?真の墓守には解らない場所という意味も頷ける」
「殺生丸っ、テメェ何を」
徐々に首を掴む手に力が入っているのに気付いた彩登美は、慌てて二人の元へ駆け寄る。
「一緒に父上の墓参りでもするか?犬夜叉…」
そう言うと、殺生丸は犬夜叉の右目に指を突き刺した。
「ひっ!せ、殺生丸君!なんてことを!」
突き刺した指は直ぐに引き抜かれ、ずるりという音と共に殺生丸の指に濃い血が纏わりつく。
犬夜叉は地面に落とされ、やっと兄の手から解放され、呆然としながら殺生丸を見上げた。殺生丸の指の間には赤黒い丸い玉が挟まれている。
その玉を殺生丸に対して怒る彩登美に見せれば「う…」と言いながらも静かになり、じろりとその玉を見た。
殺生丸が犬夜叉の右目の奥からこれを取り出したということは理解したが、その行動に関しては理解しがたかった。
「…これ…なんなの」
「父上の墓…への道を示す黒真珠だ」
そう言うと、ちょうどよく邪見が息を切らして現れた。
いつものように人頭杖を持ち、それを殺生丸へ渡す。
「見つかりましてございます!」
「今度無くしたら殺すぞ」
殺生丸は邪見を足蹴にしてから人頭杖を受け取り、黒真珠を地面に投げるとその上に杖の先をつけた。
途端に翁の顔が震え、笑い出す。
「翁の顔が!道が開きまする!彩登美様はこちらへ!」
翁の顔が笑った時、杖の先からぐにゃりと黒い邪気と空間が広がり歪んだ道を開いた。
邪見は急いで彩登美の着物の袖裾を掴み、ぐいと引っ張ると殺生丸の隣に押しやる。
途端に殺生丸と彩登美、そうして邪見が空間の歪みへ吸い込まれるようにして消え去った。
(最悪の初めまして)