犬の姫御前
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――・・**
あの後、彩登美を襲った妖怪達は早々に盈月の炎によって焼き払われ、跡形もなくなった。
一部始終は見えない様にかその間殺生丸によって彩登美は汚れたところを拭かれ、そうして近くの低木の太い枝に座らされた彩登美は足首の確認をされていた。
「あの…殺生丸君…」
「………」
無言で彩登美を見た殺生丸は、再び足首に目を向けた。
鋭い爪で傷つけぬ様、注意を払いつつそのあまり筋力の無い足首を見れば、見事に赤く腫れている。
始末をし終えたのか後ろから手を払いながら母が近寄り、彩登美の横に辿り着くと見事に楽しそうに笑んだ。
「ああ、やはり愛いな。あの時から少しばかり大きくなったか?髪も短くなったな」
「うん。急に消えてしまってごめんなさい…私、全部知ったの。母様に拾われたことも、向こうに戻った意味も、こっちに、帰ってきたことも」
殺生丸の指が、少しだけ反応した。
「凡そ此方も見当はついている…。神の仕業であろう?」
盈月が涼やかな眼で彩登美に問えば、彩登美はこくりと頷いた。
「私がこっちに来たのは川の龍の仕業で、産まれた世に戻ったのは、時渡りを強制的にされて可哀想に思った川の神様が、配慮してくれて…それで、こっちに戻ったのは、哭澤女様にお願いしたの」
殺生丸は初めて聞く話だった。
勿論、盈月も詳細に関してはそうだったが、殺生丸に至っては彩登美が時渡りをしていたことすら知らなかったのだ。
単純に母がそこいらの人里から孤児を拾って来たのだと思っていた。
そしてその子供が神隠しによって別の世に飛ばされたのだと。
全くどうして、元々生まれの世が違うとは思いもしなかった。
しかし、彩登美はこうやって戻ってきたのだ。
それで結果全てよかったと、少なからず思うところがあった殺生丸は大人しかったが神の名を聞いて反応したのは母だった。
鋭い目を更に鋭くして、彩登美を見たのだ。その視線に彩登美は怯む。
「か、あさま?」
「彩登美、お前…哭澤女と言うたか」
「う、うん…どうして」
「お前、その神に頼んでこちらに帰って来たのか」
「そう、だけど…」
盈月は少し思案してから、彩登美が大事に持っていた水水晶をちらりと見て小さく溜息をつく。
「なんなの、母様…?」
「その神は…生と死を司り、涙と水の神…彩登美、お前は可愛い私の娘だが、人間だ。神との契約は一筋縄でない…寿命でも食らわれたか?それとも涙でも持って行かれたか?」
盈月の言葉は、正しくその通りだった。
母の感情の意味を悟った殺生丸は静かに聞き、彩登美の足首からそっと手を離し、そうしてじっとその眼を見つめる。
二人から見られた彩登美は、うろ、と目をさせてからへらりと笑いを零した。
「母様凄い。私が哭澤女様にあげたのは寿命…でもね、あげた寿命は、向こうの世で生きるはずだった時間の寿命で、…こっちには、関係ないの。だからね、私は何も失わずに、帰ってこれたのよ」
心配しないで。
そう笑った彩登美だが、事実こちらの世で生きれる寿命も短くなっている。
その事は伏せ、困った様にしかし嬉しそう笑い続けた。
暫く彩登美の笑顔を値踏みするように見ていた二人だったが、やがてそれもふと空気が抜けるように霧散した。
「それなら…良いのだ…」
「…足首は、明日になればもう一つ腫れる」
「え!嘘、やだなぁ…」
殺生丸の言葉に、彩登美は心底嫌そうに眉を寄せた。
そうしてから、はたと何かに気付いたように動きを止め、ゆっくりと殺生丸と盈月を見比べ、そうして今度は殺生丸だけを上から下までじっくりと見た。
見られた方は少し居心地が悪くなるのか、身動ぎをする。
「なんだ」
「……なんか…殺生丸君、大きくなった?そんな、鎧していた?髪も、そんなに長かった…?」
矢継ぎ早に彩登美からの質問が飛べば、殺生丸ではなく盈月が噴出した。
「クク…そう、さな…。あれから、幾年…幾数百年経ったのだ。この無骨な息子も少しは成長するであろうよ」
「…煩い」
盈月の言葉に多少なりとも殺生丸は苛ついたのか、眉間に皺を寄せた。
しかし反応したのは彼だけではなく、彩登美もだった。
目は大きく開き、口はぽかりと開けて殺生丸を見た。
「彩登美?」
笑うのを止めた盈月が、不思議そうに彩登美を見る。
「か、母様、今…数百年…って…嘘、嘘よ、だって私、向こうに戻ってから三年しか経ってないわ…そんな…どうして…」
「…時の流れが違うのか…?しかし、そうか、だから彩登美はあの時より少し成長したくらいなのだな…同じ年月であれば‥‥よもや」
そこで黙ってしまった盈月に、その後続く言葉の意味は解ってしまった二人も同じく黙る。
同じ年月経っていれば、彩登美はもうこの世にはいないと言いたいのが、わかってしまったからだった。
「…ねえ、母様、今はまだ平安なの?数百年ってどれくらいなの?」
「今は戦国乱世だ。人々の群雄割拠の時代よな。我等妖怪にはあまり関係のないものであるが…なにやら城主に取り入る躻や、悪しき人間による被害が多い…なんとまあ不憫な世に舞い戻ったな」
盈月はにこやかに告げると、何かに反応して視線を少し横にずらす。
そうして、彩登美の頭を柔らかく撫でると、ふわりと浮いた。
「お前の為に邸も組み替えよう。今の私の邸は可愛い愛娘にはちとキツいでな…その間、殺生丸、頼んだぞ。母の願いを聞いてくれるな?」
殺生丸が少しだけ視線を鋭くしたのを笑って見届けると、盈月は空中で大きな化け犬に変化して空を西方へ駆けて行った。
その直後、ガサリガサリと音を立てながら草間から何かが現れる。
先程の事もあったが、彩登美は殺生丸が隣にいるからか落ち着いてその音源の先を睨むことが出来た。
「……翁の、面?」
ひょこりと現れたのは能で使う様な翁の面が取り付けられた木製の杖。
それを持っているものが動けば、杖も合わせて動き、翁の裏には女の面があった。
しかしやけに立体的で気味が悪い。
それを持っているものも見目は完全に妖怪だった。
「…かえ、いや…蜥蜴…なんだろう、何の妖怪…?」
「…邪見」
「え、邪見?」
殺生丸が呟くと、邪見と呼ばれた妖怪はパッと顔を明るくして、直ぐに駆け寄り頭を下げた。
「殺生丸様!お探し致しました!この邪見、無女を捜すのに手間…ど…ええー!人間!!」
邪見はぺらぺら喋っていたかと思えば、殺生丸の隣、太い木の枝に腰掛けた彩登美を見るなり驚いて腰を抜かす。
「あ、大丈夫ですか?」
慌てて彩登美がその小さな妖怪に駆け寄ろうと枝から降りる際、静かに殺生丸が手を貸して降ろし足首が大丈夫なのかを確認した為、邪見は尚の事驚愕に顔色を悪くした。
邪見の認識では殺生丸は人にどころか妖怪にも冷徹で、ああいう風に手を貸すなどと言う行為をする妖怪ではないと思っていた。
数百年前に仕えてからと言うもの、確かにそうだったのだ。
だというのに、あの人間の娘には思いやりのような心を見せたではないか。
あれは、まるで、と邪見は心の内で思う。
「せ、せ殺生丸様…!こ、この娘は…?」
清廉な空気と、静かに奥底ではあるが強力な妖気のようなものも感じ取れる娘には違和しかなかった。
「………彩登美だ」
大きな間があって答えた言葉は、邪見が欲しかった答えの一部でしかなかった。
慌てて彩登美が口添えをする。
「殺生丸君、それじゃあわからないよ。初めまして、邪見さん。私、殺生丸君の妹の彩登美です」
そうして、彩登美の答えには、知りたかったことは含まれていたがとうとう邪見は気を失ってしまった。
(半妖でもなく妖怪でもない人間が、妹とは)