犬の姫御前
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――・・**
結果だけ言うと、彩登美は井戸には通れなかった。
かごめと共に枯れ井戸へ勇気を出して飛び込んだものの、かごめだけがいなくなり、彩登美はその場に留まったのだ。
事情を聞いていた山本が悲しそうに井戸の渕から顔を覗かせているのが見えていた。
井戸に近付くとまた水水晶が警告を出すかと思われたが、なぜか終始大人しかった。
「彩登美さん、ごめんなさい…一緒に通れなくて」
かごめが申し訳なさそうに謝るのを見て、彩登美は苦笑をしながら頭を横に振る。
「平気です。寧ろ道筋を教えていただきました。かごめさんは井戸で、私はきっと水なんだと思います。井戸も水ですが…ここは枯れ井戸ですしね。それに…もし通れたとしても私の思い描いている場所に行けるかどうか」
かごめは戦国、彩登美は平安。
もし通れて平安に帰れれば万々歳であるが、かごめと一緒に戦国に行けたとしても、そこに盈月達がいる保証はない。
いくら妖怪だと言っても彩登美には妖怪の寿命も解らなければ、あの屋敷がどこなのかさえも解らなかった。
「…やはり、一度記憶を辿り、あの川へ行ってみようかと思います」
「川って、彩登美さんが小さい時に落ちた?」
「はい。何か糸口が見つかるかもしれませんから」
そう言うと彩登美は山本に声をかけ、そのまま行く旨を伝えた。
「このままって…彩登美ちゃん今から行くの?」
「はい。善は急げですから。かごめさんにお会いしたのも何かの運が回ってきているのだと思って」
にこやかに告げる彩登美に、山本は少し唖然としたが、次第に緩々と綻んでいった。
こんなに生き生きとしている彩登美を見たことがないと思ったのだ。
山本は彩登美の手に、数枚のお金を渡すと、ポンと背中を叩いた。
「いってらっしゃい。見つけてくるのよ」
「山本さん…ありがとうございます…」
お金の使い方も、電車の乗り方も、全て山本から教わった彩登美は、一人で行くことを決心した。
日暮神主やかごめに頭を下げて出る時、かごめから駅までは一緒に行きたいと申し出があったので、二人で揃って鳥居を潜り、階段を下りて行く。
「ねぇ、彩登美さん、聞いていい?」
駅へ歩く道すがら、かごめが少し言いづらそうに口を開く。
「はい、どうぞ」
「その…彩登美さんからね、とっても綺麗というか清浄な感じと、ほんのりだけど妖気のようなものを感じるの。私も最近妖怪にあったばかりだから、いまいちはっきりとは感じ取れないけど…」
かごめの言葉に、彩登美の足が止まる。けれどそれもすぐに動き出し、かごめに笑いかける。
「かごめさんは神社の娘さんらしく、素晴らしい巫女様なんですね。多分、掛守と髪飾りのせいかと思います」
彩登美の言葉に、かごめの視線が頭と胸元に彷徨った。
彩登美の頭にの後ろには銀の羽が静かについている。
あまり存在感を放たないそれだが、一度目にすると惹き付けられる美しさが漂っている。
そうして、胸元には組紐でぶら下げられた五色糸の掛守がある。
大きさはおよそ3センチばかりか。
かごめはこちらの掛守が清廉な気を発していて、髪飾りから薄い妖気が漂っていると感じ取っていた。
「かごめさんには、お話ししておきますね。この掛守も髪飾りも、母から貰ったんです。平安にいる母から」
謡う様に紡ぐ彩登美は、とても穏やかな表情をしており、足取りも軽やかだ。
「掛守の中には水が閉じ込められた水晶が入っています。なんでも、霊力の高い巫女様が持っていたものだとか。石や宝玉の声を聴く妖怪がいて、その方がいうには、この水晶は悪しきものから私を守ってくれるんだそうです」
まるでお伽噺のような話だ。
しかしかごめは実際戦国時代に行き、妖怪と戦った人間であるため、茶化すことはない。
だから彩登美も安心して話せるのだ。
「じゃあ、本当に御守なのね。少しだけ、綺麗な気が四魂の玉に似ているの。四魂の玉は浄化もできるけど、穢れもするからアレだけど…その水晶は撥ね返せる力があるのなら安心ね」
自分の話と同時に聞ける四魂の玉の話に、彩登美は楽しくなった。
まるで向こうに戻った様に、平然と妖怪や神気について話せるのは、一番求めていたものだった。
「…ねぇ、かごめちゃんって呼んでもいい?」
楽しくなった彩登美は、思わず聞いていた。
友達が欲しくて、自分から歩み寄ったのはこれが初めてだった。
向こうでは基本的にしづおがいたし、母や殺生丸、他にも邸内には多くの従者がいた。
向こうでもこちらでも、友達が欲しいとは微塵も思わなかったが、今かごめに出会って、彩登美の心境は変化していた。
「勿論!私も彩登美ちゃんって呼んでいいかしら?」
「是非!」
「あ、それと…私の方が年下なのに、敬語も使わなくてごめんなさい」
「ううん。親しく成れたみたいで嬉しかったもの。私も敬語は止めるね。よろしくね、かごめちゃん」
「ええ!」
彩登美がかごめに笑いかけると、かごめも彩登美に笑いかけた。
そうしている間に駅に着く。
行き先を確認した彩登美は、切符を先に買うと、すぐにかごめの前に戻る。
改札口前で、二人は向かい合わせになった。
「髪飾りはね、母と…母様と父上様の妖気が込められているの」
したり顔で言った彩登美に、かごめは驚きで目が丸くなる。
「えっ、ええー?なに、どういうこと??彩登美ちゃん、向こうで妖怪に育てられたってこと?」
「正解。まあ殆ど母様しかいなかったけど…二人がね、悪い妖怪に出会っても、私に危害がない様にって、妖気で結界を張れる髪飾りをくれたの。まだ実際にそんなことになったことがないから、どうなるのかわからないんだけどね」
彩登美の告げた真実に、かごめはぽかんとしていたが、不意に優しげな顔になる。
「…彩登美ちゃん、本当にご両親が大好きなのね。いい妖怪に出会えてよかったわね。私もね、四魂の欠片を集める旅を少しずつ始めているけど、…悪い妖怪だけじゃないのは、知っているから」
そういうかごめの顔は、慈愛に満ちている。
かごめはかごめで、いい妖怪に出会っているみたいだと、彩登美は嬉しくなる。
「人間だって、悪人も善人もいるんだもの。妖怪だって同じよ。神様もね」
「そうそう!彩登美ちゃんわかってるわ!」
勢いよく同意したかごめに、彩登美は吹き出す。
釣られてかごめも一緒に笑いだす。
ひとしきり笑ってから、彩登美はずり、と足を動かした。
「……じゃあ、かごめちゃん。私行くね」
「…うん。気を付けてね」
背を向けて歩きだす彩登美に、かごめは暫く大人しく見送っていたが、不意に駆けて、彩登美の手首を掴んだ。
驚いた彩登美が肩を跳ねさせて後ろを向けば、かごめが真剣な眼差しで彩登美を見ている。
「どうしたの?」
「あのね、彩登美ちゃん。もし、…万が一、川の先が平安じゃなくて戦国に繋がったら…必ず私、彩登美ちゃんを捜すわ」
「…私も、もし戦国に繋がったらかごめちゃんを捜すね」
ふわりと笑った彩登美に、何故だかかごめは必ず会える気がした。
「もし、戦国だったら、武蔵の国を目指して。そこに楓様の村があるの。あそこは安全だって、私が保証するから!」
しっかりと手を握りながら言ったかごめの眼は、信頼できる確証を得た眼だった。
彩登美は少し驚いたが、すぐに笑って頷く。
「そうだ…これを持っておいて。もし、いい妖怪に会えたら、これで捜してもらえるかもしれないから」
彩登美はそういうと、自分の腰に巻いていた薄紫のリボンを外し、かごめに手渡す。
いい妖怪と言いながらも、彩登美の頭の中には殺生丸達しか浮かんでいなかった。
犬や狼などの動物系であれば、匂いでわかるというのを覚えていた彩登美が咄嗟に思い付いたものだった。
「じゃあ、彩登美ちゃんはこれを。……戦国か平安か、わからないけど、…死んじゃだめよ、絶対また会おうね!」
そういうと、かごめは白いハンカチを彩登美に押し付けるようにすると、走り去っていく。
その鼻が少しだけ赤くなっていたのを、彩登美は見ていた。
(初めての友達は、巫女様でした)