犬の姫御前
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彩登美は学力の関係で本来の年齢より一つ下の学年に入学した。
犬江夫妻の面会の後、有耶無耶にされていたものを全て片付けてからの入学だった。
実の母が入院している精神科へ赴き一度だけ顔を見たが、彩登美の顔を見ても母は反応すらしなかった。ひたすら自分の膨れた腹を撫で擦り、話しかけていた。
愕然とした彩登美に気付いた担当医師が「あの中には誰もいません。十月十日、きちんと膨れたままで…その後は大量の出血をしてしまうんです。犬江さんの中ではそれが"出産"なのでしょう。その"産後"は暫く呆けていますが、また三か月後には撫で始めるんですよ」と耳打ちをした。
耐えきれなくなった彩登美が病室を震える足で退室したが気は漫ろだった。
その後なんとか気力を振り絞り、病院近くの寺院へ叔父の墓参りに行けば、集合の墓の墓札に叔父の名前を見つけた。
住職によると、面倒を見れる人がいないからと犬江の墓は取り壊されたらしく、親戚からも同じ墓に入れるのは、と憚られて致し方なく集合墓に埋葬されたとのことだった。
震える手で墓参りをした後は、施設の職員と一緒に役所関係を全て確認した。
母の入院する病院がある市に住民票などを確認してもやはり抹消されていて、戸籍を確認すれば失踪宣告がされて彩登美は死亡したものとみなされていた。
それらを全て元に戻し、保護者として責任能力がない母とは一緒にならず、彩登美は児童養護施設にて世話になることとなった。
都市伝説の様になっていた彩登美のことも、どこから漏れたのか戸籍があったという事や、母親がいたということで平安時渡り少女という噂は消えた。
しかし未だに説を唱える者は多く、現代から平安に行って帰ってきたのだと主張するものの意見に関しては、彩登美も苦笑いをするしかなかった。
施設の子供たちにも挨拶をし、彩登美は春を待たずに中学三年生として入学した。
きちんとその際は入学試験をし、学力に見合う学校へ編入と言う形となった。
真新しい制服に身を包み、鏡の前で自分自身を見ると、彩登美は着物ではないことに違和感を覚えた。
しかしこれも見慣れることになるのかと思えば、少しだけ居心地が悪くなる。
くるりと少しだけ回転すれば、ハーフアップにした髪に、盈月から貰った揃いの銀の羽がきちんと止まっていた。
「…」
広がったスカートをぱたぱたと叩いて、静かに首から下がる掛守を握る。
堅い楕円の形を掌に感じたあと、清浄な気持ちが広がった。
「…かあ、さま」
掠れた声で、言い慣れた言葉を出したが、余計にモヤモヤが広がっただけだった。
ガチャリと音がして、部屋に職員の山本が入ってくる。
手に数枚の紙を持ち、彩登美に準備が出来たかを訊ねた。
掛守から手を離し、彩登美が小さく頷くと山本はぱっと顔を明るくした。
「前に車を持ってきてあるから、行きましょうね。そうそう、聞いたわよ彩登美ちゃん!入学試験、古典と国語、理科は満点だったそうね!凄いわ」
「…ああ、いえ…ありがとうございます」
彩登美は曖昧に笑う。
自分の境遇をよく理解したからこそ、面倒や迷惑をかけてはいけないのだと考え、彩登美は必死に勉強をしたのだった。
早くこの世に慣れなければ、早くひとりで生きていけるようにならなければ。
もう、盈月達がいたあそこには戻れないだろうから。
彩登美の頭には、最後に見たあの景色がしっかりと思い出せる。
あまり見たことがなかった女中だった。
「彩登美ちゃん、乗って乗って」
「失礼します」
車はゆっくりと動き出し、学校へ向かう。
流れる景色は緑が少ない。
「……殺生丸、君」
あの銀髪は何処にもいない。
あの時、あの女中はなぜ自分に「池を見に行きませんか」と言ったのだろう。
あの池には盈月や殺生丸がいなければ近付けない話になっていたはずだったのに。
けれど最近行っていなかったのもあり、透明な魚を見たいと誘いに乗ったのは自分だった。
水面が盛り上がって、自分に水が纏わりついたのは覚えている。
そうしてその後、引っ繰り返って
ぐる。
ぐる。
その時叫び声が聞こえた彩登美は、なんとか必死になってそちらを見た。
そこには泣きそうな顔で必死に駆けてくるしづおがいた。
それでなんとなく、自分はここでさようならなのだと気付いた彩登美は、足掻くことを止めて、自分の身に着けている物を水流の中無くさないようにするのに必死になった。
髪飾りと掛守だけは、絶対になくしたくないと必死だった。
「もうすぐつくからね」
「はい」
山本の声で、意識は浮上した。
再び視界は窓の外の流れる景色を映し出す。
水も、手も、赤も、涙も、何も見えない。
「あ」
流れる景色の中、彩登美の視界にひとつ、気になるものが入ってきた。
「なぁに?忘れ物?」
運転席の山本が、後部座席に聞こえる様に声を張り上げる。
「い、え…すみません。なんでもないです」
「そー?あ、見えてきた見えてきた」
その言葉の後、車は減速をして流れる景色もゆったりとする。
彩登美の目には、森のようなものが見えたのだった。
思わず声に出していた。
何と無く気持ちが惹かれたから。
学校からの帰り道にそれとなく前を歩いてみようと思い、彩登美は停車した車から意気揚々と降り立った。
とりあえず、まずは挨拶。それから愛想よく。
その後に授業、そうしてちょっと楽しみな弓道部。
掛守は見えない様に首元からセーラー服の中に入れて、彩登美は校舎入り口で待つ教師の下へ笑顔を携えながら近付いて行った。
(新生活)