犬の姫御前
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――・・**
彩登美が白霞の夢を見続けて、数年。
盈月にその夢の内容を伝えると、少しだけ表情が変わったのを最後に彩登美へ一人で水辺に近付くことを禁止した。
殺生丸とよく行く湖畔は勿論の事、人里の小川もそうであったし、海もそうだった。
そうして一番厳しく禁じられたのは、邸内の池だった。
透明な魚を見るのが好きだった彩登美は少し残念そうにしたが、横に殺生丸か盈月がいれば構わないと言われて少しだけ気持ちが回復した。
彩登美にはなぜ盈月が水辺への接近を禁じたのか解らなかったが、言われるままに大人しくその言付けを聞いて過ごした。
そうこうしている間に彩登美は邸内を警護する者たちの噂話を小耳に挟んだ。
妖怪の願いを立ちどころに叶え、妖力まで高めてくれるという宝玉があるというのだ。
そんな話は人間である私には関係がない、と素知らぬふりをしていたが、明日明朝に宝玉を司るという妖怪、宝仙鬼に会いに行くということになった彩登美は、以前よりもその妖力を高める宝玉と言うものが気になっていた。
そのような願掛けのような宝玉が存在するのであれば、自分の心にある大小様々な悩みや願い、どれか一つでも成就に導く手助けをしてくれるような宝玉もあるのではないのかと思ったからだった。
冥加にはお伽話のようなことはあり得ないと首を振られてしまったが。
***
宝仙鬼に会いに行くのは盈月と彩登美、そうして殺生丸だった。
どうやって行くのだろうか、三人で歩いていくのだろうかと思った彩登美だったが、それでは時間がかかり過ぎるし、そもそも長距離を歩ける体力も脚力もない彩登美には無理だということで、殺生丸の背中に彩登美が負ぶさり、盈月と殺生丸は妖力で浮遊しながら進むという事だった。
背中に負ぶさるのは抵抗があったが、いざ負ぶさってみると存外高い場所の移動で、今度は恐怖と落とされてはたまらないという不安が襲い、結果しがみ付くこととなった。
取り落とすなよと盈月に揶揄われながら進んだ先には、大きな二枚貝が湖の真ん中に据わっていた。
盈月がそこへ降下すると、殺生丸も同じように貝へ降りていく。
彩登美を気遣ってかゆっくり高度を下げていった殺生丸の背中から降りるとき、彩登美が丁寧にお礼を言えば顔を逸らされてしまったが。
コツ、コツと盈月が爪先で二枚貝の合わせ目を蹴ると、ゆっくりと重い音をさせながら二枚貝が開いた。
「ああ、犬の大将の奥方ではないか」
「久しいな、宝仙鬼。大事ないか」
開ききった貝の中には、大きな白桃色の鰓に座った髭の長い仙人がいた。
盈月から気遣われた宝仙鬼は、楽しそうに目を細めると静かに大きく頷き、そうして後ろにいる殺生丸に目をやった。
「これはこれは、息子の殺生丸か。産まれてすぐの頃より随分と立派になったものだ」
声をかけられた殺生丸は、少しだけ居心地悪そうに身を捩った。
生まれてすぐにしか会っていないのであれば、殺生丸が覚えていることはまずなく、知らない妖怪が自分を懐かしんで見る視線に座りが悪くなったのだった。
宝仙鬼は気にせずそのまま殺生丸の隣に立つ彩登美を見て、少しだけ目を丸くした。
「おお、本当に人間がおるわ。闘牙王であればいざや、奥方や殺生丸が人の子を連れているのは不思議よな」
「私の娘だ。何ら不思議でもあるまい」
表情を変えずに言い放った盈月に、再び宝仙鬼は目を丸くした。
自分に意識が向いたのも手伝い、彩登美は会釈をして名乗る。
宝仙鬼の目は嬉しそうに細まり、そうして今度は真顔に戻って盈月へ向き直った。
「黒真珠の事はこの場では話せぬが、水水晶の事であれば用意はできておる」
「ああそうか!黒真珠ではなく、今日はそのためにきたのだから問題はないぞ」
盈月が嬉々として宝仙鬼へ近付いたと思えば、すぐに振り返って彩登美を手招いた。
戸惑いつつも盈月の隣に立ち、宝仙鬼の前に座る。
殺生丸はその動きを見届けた後、殻の渕に腰かけた。
「中々珍しいものをご所望だったからな。難儀したぞ」
そう言いながらごそりと腰の袋から取り出したのは、真綿で包まれた楕円型の透明な水晶だった。
「わあ、綺麗ね母様」
「そうだろう。これはお前にだ」
そう言うと、宝仙鬼も静かに頷き彩登美の掌に真綿ごと包ませる。
「え…どういうこと?」
「どうもこうも。身を護るためのものだ」
すっきりとした顔で言い放った盈月に、彩登美はきょとりとしたが、すぐに「でも」と口を開く。
「母様達からいただいた、髪飾りが既にあるのに」
「それは妖力での結界。万が一聖域等の妖力が消し飛んでしまうような場所や、妖力が使えぬようにされる事柄に出会えば、意味のない髪飾りに成り下がる」
盈月の淡々と言った言葉に、彩登美は静かに納得した。
「それに…そのような場では殺生丸が彩登美を護ろうとも使い物にならない場合もある。その為の水水晶だ」
少し離れていた場所で聞いていた殺生丸から、不機嫌な空気と気配が滲み出るが盈月はどこ吹く風でにんまりと彩登美を諭す。
彩登美は掌の中にある真綿で包まれた水晶をよくよく観察する。
「よいぞ彩登美。主になら、その水水晶も力を使うと言っておる。触れて肌身離さず持つとよい」
「…言っている…?宝仙鬼様は、水晶の声をお聞きになれるのですか?」
不思議そうに訊ねる彩登美に、宝仙鬼は頷き皺がれた手を自分の胸に当てて眼を閉じる。
「左様。儂は水晶だけではなく、この世の宝玉、石全ての声を聴くことができる」
「凄い…」
新たな妖怪の能力に彩登美は感心をし、そうして言われた通りにそっと綿の中から楕円の水晶を取り出した。
大きさの割には存外重く、中は歪に光っている。
「…ん?」
動かしたときに、少し不思議な光の反射をした。
彩登美は水晶を空へ翳し、ゆっくりと動かす。
すると水晶の中で気泡がゆったりと動いた。
「え、これ、中に」
水晶を翳していた彩登美を不思議に思ったのか、殺生丸も近くまで来てその水晶を覗き込む。
宝仙鬼と盈月が満足そうに頷いた。
「それは珍しい水晶だ。中に神代の水を閉じ込めている水水晶。以前は高名な巫女が霊力を込めて持っておった」
「彩登美、それは母や他の妖怪は直接触れぬ。相当に清廉な浄化の力が働いておってな。それこそ餓鬼くらいであれば消し飛ぶものだ。宝仙鬼曰く、その水水晶が主と決めた者へ陰の気を飛ばすものあれば巫女であろうと手出しはできぬそうだ」
良いものであろうと自分の事の様に笑みを浮かべる盈月に、彩登美は真綿で包まれていた理由を理解した。
中にある水は少ししかないが、それでも動けばわかるくらいは閉じ込められている。
水晶自体に浄化作用があるのは周知の事実だが、そこへ神代の神聖な水と、高名な巫女の霊力が込められているこの水水晶はそこはかとなく澄んだもので、胸元へ押し当てるだけで涼やかな気持ちになる。
ゴソゴソと宝仙鬼の後ろから小さな童が桐箱を持って現れた。頭からは宝仙鬼と同じ様な角が出ており、眼もきょろりとしている。
「おや、倅か」
「ああ、まだまだ半人前以下だ。二代目にするために修行の日々よ」
ぺこりと頭を下げた宝仙鬼の童は、桐箱を彩登美の前に差し出して再び静かに奥へ戻っていった。
桐箱には桃の葉が烙印されている。
開けるように促された彩登美が、恐る恐るそれを開けると、そこには朱色の布地に五色糸と金糸で刺繍を施され布地と同じ色の紐が緩やかに伸びた錦の袋が入っていた。
「これ、掛守!」
わあ、と嬉しそうに彩登美が掛守を持ち上げ、掌で盈月や殺生丸に見せる。
人間界の女性の間で流行っているのだ、としづおが言っていたのを覚えていた彩登美だったが、特に信仰すべき仏神がいなかったため、持てぬことを少なからず嘆いていたのだった。
「それは丁度その水水晶の大きさに合わせて作られておる。我ら妖怪が作り出したものではなく、
何となしに言ってのけた宝仙鬼に、ピタリと彩登美は固まる。
妖怪でも人でもなく、神に頼んだもの?そんなものおいそれと使えるわけがない。
「そんな、そのような…畏れ多きもの」
「なに。人間相手には何かと要求する神だが、我ら妖怪にはさして要求はせぬ」
「加えて、宝仙鬼は神からの信頼も厚い。咎めなどもない。どうせ作ってやる代わりにもっと宝玉を生み出せとでも言われたのだろう」
盈月が言った言葉に、宝仙鬼は少しだけ顔を歪めた。
図星だったのだろう。
殺生丸が音もなく彩登美の隣に座って、その掛守と水水晶を見比べた。
「…貰っておけ。お前には必要だ」
殺生丸がぼそりと呟くように言えば彩登美は弾かれたように殺生丸の顔を見る。
いつも通りの綺麗な顔だ。
確かに、折角自分の為に作ってもらったものだというのであれば突き返すのも失礼な話であるし、掛守自体は彩登美がずっと欲しかったものだ。
返す理由なんてものは、神からのものという理由だけだったし、その神が許可を出して作ったものだというのでとうとう突き返す理由は皆無になった。
「…では、有難く使わせて頂きます。宝仙鬼様、母様、本当にありがとう」
水水晶を掛守の中へ落とし、首にするりと掛ける。
胸の真ん中あたりで揺れる楕円の袋は神聖さが滲みでているようだ。
破顔してお礼を言った彩登美に、盈月も宝仙鬼もまるで自分が貰ったかのように嬉しそうに笑んで返事を返した。
(全ては愛しき子を護る為)