犬の姫御前
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「のう、殺生丸」
夜半も過ぎた折、蝋燭の焔の揺らめきだけが室内をぼんやりと明るく照らしている。
盈月と殺生丸の銀髪は、橙の色を受けて鈍い蜂蜜色に輝いていた。
しかしこの場にその髪色の美麗さを称える者は誰もいない。
闘牙王が贔屓の刀鍛冶である刀々斎の所へ赴いたこの夜、盈月が殺生丸を自室へ呼び寄せたのだった。
彩登美は少し先の庵で静かに就寝中だ。
眠る直前までしづおと話をしていたが、しづおが厨に戻ると入れ替わる様に殺生丸が彩登美の元へ訊ね、少しだけ話をしていた。
いつぞや一族の男に襲われて以来、彩登美は中々一人で寝付けなくなっていた。
殺生丸が来るのは気まぐれだと思っていたがどうも違うようで、今となっては日課のようになり、しづおも早々に立ち去る様になっていた。
その報告を受けていた盈月が、本日やっと殺生丸を呼びつけたのだった。
ゆらゆら揺らめく焔に、殺生丸の横顔が浮かび上がる。
盈月はそれを見て、随分と大人びた顔になったものだと思った。幼い幼いと思っていたが、いつのまにこんなにも大きくなったのか。
頬の丸みは取れ、青年の顔つきだ。
髪もよく伸び、今では背中の先まである。
数年前まではよく父の闘牙王を真似して一本に高結いしていたが、最近ではめっきり何もせずに洗い髪のように下ろしたままだ。
誰のためなのか、盈月には解っていたが。
「最近どうしたというのだ?」
「何のことですか」
いつも通りの冷めた顔で、殺生丸は返す。
盈月は肘置きに凭れた儘、確信を得ねばつまらぬかと考え、今度は解り易く言い換える。
「彩登美の事だ。随分と仲が良くなったではないか」
初めの拒絶していたお前は何処へ行った?と盈月は笑う。
少しだけ考える素振りを見せて、殺生丸は薄い唇を開いた。
「何も。お互いに大人になったのではないでしょうか」
「そうだな…しかしお前は30年程生きている。まだまだひよっこだが、彩登美は14年。お前と比べれば赤子のようよ」
盈月に言われて、初めて殺生丸は彩登美が此処へ来て10年しか経っていないことに気付いた。
いつの間にかに滑り込み、いつの間にかにいることが定着していた。
それと同時に、どこか構いたがっている自分にも。
「のう、殺生丸よ」
にまにま、という表現が心底似合う顔で盈月が笑う。
そうして、その赤い紅に彩られた美しい唇が楽しそうに言の葉を紡ぐ。
「彩登美に、惚れたか?」
「…馬鹿な事を」
盈月の言葉に、殺生丸は薄らと口角を上げて薄い返事をした。
肯定でも否定でもなかった言葉であったが、あの返事だけで盈月は満足だったし、納得もしたのだろう。
「そうかそうか」と頷いて笑いながら、しかしなぁとお得意の「顔」だけで困って見せる。
「お前たちは義理であっても兄妹。その上に、彩登美は愛らしいが人間だ。生きる時が違う」
愛らしい、は余計だと思ったが殺生丸は突っ込まずに聞き流した。
生きる時が違うのは十分理解をしているが、だから何だというのだ。
自分はアレが死ぬまで、隣にいてやることが可能なのだ。
アレに、彩登美に、寂しい思いを怖い思いをさせないのであればそれでよいのではないのか。
何となしにそう考えていた殺生丸であったが、自分の頭の中の答えを反芻した瞬間、嘲笑と、屈辱と、悲哀と、失望と、そうして慈愛の感情が一気に綯交ぜになって押し寄せた。
「お前には、母と同じ一族の者を娶らせようと思うていたが…先の事を全てひっくるめて彩登美の事を思うのであれば、破棄してやろう」
結婚相手のことなど、今初めて聞いた殺生丸はその情報にも歯噛みをした。
今自分を襲うものはなんだ。
あれほど毛嫌いしていた人間に惚れたと認めた感情にか、大妖怪の次期当代だというのに、か弱い人間を慈しんだ心にか、彩登美の心が解らぬという恐怖にか、何かわからないが全てがむしゃくしゃした。
そうして、それを全て見透かしているような目の前にいる母にもムカムカとする。
「ああ、落ち着かぬか」
殺生丸の様子を見ていた盈月は平常の声で伏せようとする。
感情的になると正体が出そうになるのはまだまだ未熟者と言う証だな、と盈月は目を細める。
あの時、彩登美に無様な男が襲い掛かった日。
あの程度の男の妖力であれば、彩登美が肌身離さずつけている髪飾りの結界によって腕一本は焼け飛んだはずだった。
よく考えれば殺生丸も解ったはずだが、盈月達が駆け付けた時に待っていたのは殺生丸が彩登美を庇い、盾となって守ったという話だった。
髪飾りの事も失念する程、頭に血が上ったのかと盈月は笑ったが、闘牙王はよくやったと褒めていた。
殺生丸はなぜ褒められたのか、いまいち理解をしていなかったが。
「そうやって、気も漫ろになると化けの皮が剥がれるのは、子供よな。…屋敷内がざわつくだろう。彩登美が起きてしまうぞ」
あまり諌め方として期待はしていなかったが、殺生丸は見事に盈月の期待を裏切ってくれた。
するすると爪と牙が元に戻り、荒く逆立っていた妖気も落ち着いていったではないか。
盈月は目を丸くし、そうして穏やかに笑む。
彩登美の気持ちも理解している盈月は、目の前の相思相愛ともいえる我が子達が可愛くて仕方がない。
出来るならば、自分達と同じ様に半永久的に続いてほしいが、生きる時が違う悲しさは盈月にもどうにもできない事象だった。
「…殺生丸」
静かに、茶化すような声色は潜めて盈月は呟く。
「大事に出来るか」
盈月の目は、殺生丸の瞳を睨むように見ている。傍から見ればいつも通りの冷たい目だが、正面から見られている殺生丸は、背中から剣先を向けられているような気配を感じる。
実の息子と養子の娘、どちらが大切なのだと笑いたくなるような殺気だった。
先のことなど解らないが、彩登美がいてくれと願うのであれば、隣に立っていてやろうとは思った。
殺生丸はフン、と鼻を鳴らす。
「知れたことを…」
「小生意気な。その言葉が偽りであれば、母が可愛い彩登美を食ろうてやる」
だから、大事にしているのかなんなのかどちらだ。
殺生丸は意味の解らぬ母に苛ついたが、承諾の意味を込めて目を伏せた。
(神代の頃より異類婚姻は続いておるのでな)