うつしおみの夢 2019/05了
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城内が慌ただしくなったのは昼前のことだった。
朝の仕事を終えて私室でのんびり一人で繕い物をしていた千代の元へ忍頭の木内が現れると、すぐに頭を下げて些か早口でしかし努めて冷静に報告をした。
「突然のお目通り申し訳ございません。織田草の者頭の木内が申し上げます。本日明朝、明智光秀軍に謀反の恐れありとの報告が上がりました。明智軍は戦準備を粛々と水面下で行っているようで、」
その言葉に、千代の脳内は一瞬真っ白に成ったが、頭とは裏腹に口はすぐに開いた。
「信長様は、存じ上げておられるのですか!濃姫様は!」
温厚で有名な御濃の方付きの侍女から、報告を遮られたことに木内は目を見開く。
しかしすぐに口布を外し低頭のまま告げる。
「は。殿は既に安土から本能寺へ向かって出立されておりましたので、伝令を本能寺へ向けて飛ばしました。奥方様におかれましては只今賤ヶ岳を越え、山崎辺りにいらっしゃるとのことでこれより伝令を」
本能寺。書籍で見た字面。
ぞわりと千代の肌が粟立つ。
どうして、なぜ、やはり。
様々な言葉が浮かんでは消える。
「私が行きます」
「……は?」
思わず、木内は下げていた頭をあげた。
「濃姫様への伝令は、私が行きます。用意します」
「そ、それは!」
「私は一国の姫でもなんでも御座いません!私が道中死ぬ可能性も考え、勿論忍の方々も御同行願いたく存じます。私が死ねば、忍の方々はそのまま走り続け濃姫様へ御伝令をお願い致します。足手まといは重々承知のうえ、何卒どうか」
千代の強い眼差しに負けたのか、木内は仕方無しのようにするすると頭を下げてそのまま床に闇沼を作り出して沈んで消えていった。
千代はすぐに踵を返して身支度を急ぎ包み上げ、御濃の方から預かっている胡蝶の簪を懐に仕舞い込んだ。
スタスタと箪笥に近付くと奥に仕舞ってあった髪ゴムを取り出して下げ髪をポニーテールにきつく結い上げた。久々にきりっとする。
組紐で髪を緩く結い上げたり、簪や櫛できつめに結うことを覚えたが、やはりキツいゴムで手早くギュッと根元を括ると気が引き締まる。
毛先を背中で揺らしながら、部屋へ一礼をし、袖を襷掛けして侍女室を後にした。
数ヵ月前、北の一向一揆鎮圧に赴いた御濃の方はきっとそのままの勢いで領内へ戻る予定だった。
しかし賤ヶ岳を越えたということは、もしかしたら前田の者は既に謀反に気付いていたか。
千代は北からの日本地図を描き、ルートを脳内で確認する。
そのまま伊豆や浜松を経由すれば楽に戻れる筈のところを何かにこまねいて賤ヶ岳に行くことになったのか。
三方原付近には武田が鎮座しているが、万が一その甲斐の虎が面白半分に手を出したとなれば、仕方がなしに山へ逃れ、金沢付近に行くことになる。
「……もしかして両方か」
甲斐の虎からつつかれ、前田領地入りをし、そこで謀反を聞いたか?
今、御濃の方が引き連れる軍は総大将を御濃の方として、森、池田、蒲生が続く布陣だ。
謀反を聞けば御濃の方はきっと止めようとする。
それを前田が危険だからと引き留めるのは考えなくてもわかることであった。
「越えて山崎…前田夫妻は破れたのかな……濃姫様、ああ見えてあっついからなぁ……」
思わず苦笑を漏らした千代は、武器庫に辿り着くと自分の薙刀を掛台から取り上げて切っ先を布で手早く巻き上げ、襷掛けした背中へ挿した。
足早に厩へ向かえば、そこには既に木内を始め三人の忍がいる。
軽く頭を下げて侍女方が使っても良いとされる誉馬の手綱を持って鞍に腰を掛けた。
「どうぞ宜しくお願い致します。濃姫様は山崎へ向かっているとのことですが、きっと濃姫様のことです。もう足は信長様のいる本能寺に向いているでしょう。木内様、明智様……いいえ、謀反者の明智光秀は本能寺にいるのですか?」
「は。明智は本能寺へ軍を動かしているとの情報があります。この分なら、夕刻過ぎには本能寺は囲まれることとなりますでしょう」
「……わかりました。我々は本能寺へ向かいます。戦場は本能寺!伝令ではなく、微力ながら加勢とさせていただきます!……濃姫様もそこへ来てくださるでしょう。伝令はきっと、前田の者が既にしているはずですから」
ぐ、と手綱を握る手に力を込めると、その勢いのまま千代は腕を振り下ろし、早駆けの馬を走らせた。
一刻も早く、本能寺へと。
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走れ走れ