うつしおみの夢 2019/05了
変換
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
月が煌々と輝き薄の穂を金色に染める静かな夜長。
千代は自室で数ヵ月後に迫る冬の準備のため、御濃の方用に着物や足袋へ綿を入れる針仕事をしていた。
こうも明るいと蝋燭に火をつけなくてよいから仕事が捗ると、部屋の侍女達も各々仕事を続けている。
「ねえ」
虫の声しか流れなかった部屋に、福の声が広がる。
それを皮切りに数人の侍女が針や筆を置いて伸びをし、お茶を淹れるために部屋を出ていった。
福の声へ千代が返事をすれば、福が千代の近くに寄って座り直す。
「千代さん、最近御濃の方様はどんな感じ?」
「え?どんな…至って普通ですが」
針を進めつつ千代が答えると、福は不満そうに頬を膨らませる。
十二の時に棒術の腕を買われて織田へ侍女として入った福は、今年で二年目になる。千代よりも年下であり後輩である福はまだまだ子供で、お喋りが大好きなのかこうやって息抜きに話し掛けてくる。
お局の一人でもあるお熊が部屋の隅からチラリと福を見たが何も言わずスイと視線を外す。
「普通??でも、安土のお城ができてからウチちょっと不穏じゃない?」
「……」
「こんなことなら私、姉様に続いて前田のお家へ出ていれば良かったもの」
「これ福!」
部屋の方々から鋭い咎めの声がとんだ。
流石に言い過ぎたと感じたのか、福は下唇を少し出して小さな声で反省の弁を述べる。
しかし福が言うのも尤もではあった。
ここ最近は松永の反旗から始まり、織田の重臣でもあった荒木の反逆、家臣の佐久間家諸々の追い出しなど、様々なことが起こっていた。
それらが起きたこの数年で織田家は疑心暗鬼の空気が流れ、裏切らないよう互いで見張ったり、片や貶める為にあることないことを上告したりなど重々しく嫌な空気ばかりであった。
しかし鬱々とした空気により、闇の婆娑羅者は動きやすくなったようで、信長公を始め明智達の体調は頗る良い。その代わり、千代が付いている御濃の方は臥せるまではいかずとも先の戦から徐々に元気がなくなってきているのが事実であった。それはあえて言うことではないと千代は押し黙り黙々と福の隣で針仕事を進める。
「ねえ、千代さんってどこの國なの?織田領内?あっ、なんでも器用にこなすからもしかして伊賀者だったり?!」
城の愚痴は咎められると学習した福は、今度千代へ的を変えた。
あまり自分の事を語らない千代は確かに若い女中侍女の間では不可思議の塊ではあった。しかしお局陣はどういう経緯で千代が城に上がったかを知っているためハラハラとしたような空気で二人を見る。
箝口令が敷かれている訳ではないが、あまり千代が先の人間であることを言い触らすのは頂けないと御濃の方直々にお達しがあったのだ。
そんなことは露知らず、千代はきょとりとした顔をしたあと、何食わぬ顔で「織田領内ですよ。親は知りません」と答えて玉留めした糸を噛みきった。
お局陣は少しホッとし、また各々話に花を咲かせる。
パンパンに膨らんだ綿足袋を見て、お熊が少し顔をしかめた。
「なぁんだ千代さんは飼われ子なんですね」
「そんなんじゃないですよ。実際、戦場に出たこともない稽古人間ですから」
膨らみすぎた綿足袋をお熊が引ったくり、自分の針箱を開けて均等になるよう木綿を抜き始める。
「お熊さん、すみません」
「いいんだよ。相変わらず綿入れが下手だねぇ」
「あはは……。ね、福さん、私なんでも出来るわけじゃありませんよ」
「そーみたいね。なぁんだ、伊賀者かなぁってちょっと心臓が早くなったのに!危険がないよう仲良くなって護ってもらおうと思ったのになぁ」
とんだ本音をぶちまけて畳に倒れ込んだ福に、お熊は呆れ、額を小突く。
「失礼にも程があるよ福」
「いた!だって物騒なんですもん!私は婆娑羅者でもないですし!いつもみんな言ってるじゃないですか…いつか内から滅ぼされるって」
「そ、それは…」
ごにょごにょと口ごもってしまったお熊に、千代は思わず笑った。
「お熊さんが戸惑ってるの、珍しいですね。……でも、確かにここ最近は嫌に静かですからね。少し、怖いです」
戦準備をしているわけではない。兵糧を積めているわけでもない。
ここ数ヵ月は、秋の実りに感謝して豊穣祭りも行われ、田狩りも行って次の期間へ二毛作が始まろうとしている。
内戦のように続々と家臣の手打ちから始まり謀反があり、戦続きだった数年の中では静かすぎる数ヵ月だった。
「まあでも、今はこの静かな時期を享受して次の戦まで静養して過ごしたいですね」
戦は疲れる。
待っているだけでも心労は凄まじい。
出陣した数万の人間が、帰城の際に半分になっている。明け方「お気をつけて」と見送った人間が数日後に形見武具だけで戻ってくる。
御濃の方もその柔肌に細かい傷をつけて戻られ、残らないか消えるかと不安に心を揺らされてしまう戦を、千代は好きにはなれなかった。
そんな戦がない数ヵ月は、千代にとって平穏に過ごせる自分の元の時代のように感じて、とても心穏やかだった。
しかし脳裏に過るのは歴史の教科書。
いつ、"織田信長"が討たれたのか。もうそろそろ天下を統一できる。
豊臣から始まり、徳川、毛利、柴田、前田、中部西地方はほぼ全て織田の配下に下った。残すは北と南。
本能寺の変は、統一後だったか、統一前だったか、"明智光秀"が起こした乱は、此処でも起こされるのか。
いつか来るやもしれぬ崩壊に、自分なりに力をつけ、なんとか自分一人で立てるようにはなってきた。
この世で自分が死ねば、この世で生を受けていない自分はどうなるのか、消えてなくなるのか、それとも元の時代に帰るのか。
何もわからないことばかりだが今は、少しでも御濃の方の力になれればそれでよかった。そのために、明智に稽古をつけてもらい薙刀を振るっていた。
「平穏かぁ。私は早く誰かの妻となりたいなぁ。姉様幸せそうだもの。そうそう、前田家のおまつ様は御料理がとても美味しくて自ら厨に立って兵全員にお振舞いされるとか!」
「あら、そりゃいいねぇ。美味しい糧は士気に繋がるものよ 」
二人の会話を聞きつつ、千代は御濃の方の羽織へ手を伸ばし、綿を入れるために糸を切って広げていく。
とても心地よく女達の笑い声が響くこの瞬間が、長く続けば良いと思いつつ。
--------------------
ちょいちょいオリジナル用語入ってます