うつしおみの夢 2019/05了
変換
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「弾の準備はまだか!稲葉軍に規定数来ておらんぞ!」
「鏃が足らんぞ!なにをしている!」
「ああ味噌玉も用意して!お福、藁も編んで拵えて!」
喧騒喧しい城内では戦準備をしていた。
爽やかな風が吹く時節とは反対に、熱気立ち込める岐阜城では数日後に迫った設楽ヶ原での戦に備えて城の者達は準備に追い立てられていた。
室付き侍女の千代も例外ではなく、この世界では奥方達も戦に出るため、千代は御濃の方の準備で忙しなくそして不安であった。
「千代、幽玄達は平気かしら」
「はい濃姫様。機関銃の方も調整が整っているようですし、紫陽花憂も手直しが終わり明日には納品予定です」
「それなら安心ね。ありがとう千代」
つくづくこの世界は不思議であると思う。
戦国期には御濃の方が使用する2丁拳銃は元より機関銃等は使われるどころかそうそう輸入すらしていなかったはずである。
動力に関しては御濃の方の婆娑羅だということだが、その婆娑羅能力自体が不思議すぎる。
御濃の方の防具と呼ばれるものも、戦場に出るというのに甲冑や鎧ではなく見た目は豪華で綺麗な着物だ。
手元の漆箱に丁寧に2丁の拳銃を仕舞って御濃の方へ渡した千代は、ポツリと気になっていたことを呟いた。
「……お市様も、この戦に出られるとか」
先日触れがあった。
其処には織田家に仕える重臣一同、そしてお市の方の名も書き連ねてあったのだ。
いつぞやかに泣き付かれて以来、それなにり懐かれた感じの千代は、まだあんなに精神が不安定な状態なのに血生臭い戦場に出しても大丈夫なのかと内心が痛くて仕方がなかった。
最近は部屋で独り言も増えたようで、女中達は気味悪がって近付くことも極力避けているらしく、部屋に訪れるのは千代か、明智か、女中に扮した婆娑羅持ちの忍頭のみだという。
「……市には辛い思いをさせているわ……けれど、上総介様が天下を統一した暁には、あの子にも平穏が訪れるよう計らうつもりよ」
御濃の方が千代に微笑む。
この御濃の方の柔らかな微笑みだけで安心してしまうのだから我ながら単純だと千代は可愛らしい花が溢れる簪を細工箱から出しながら自嘲した。
「濃姫様がお心を砕いてくださるのであれば安心でございますね。……簪は今回御入り用でしょうか?」
薄桃と白の花が玉のようについた簪を絹でくるみつつ訊ねれば、御濃の方は少し考えてから首を振った。
「折角幽玄達を調整してくれたのだもの。簪は置いていくわ……そうだわ、それ、お前が持ってなさい」
「……え?」
思わずきょとりとしたまま御濃の方を見れば、少しだけ眉を寄せてから近付き、千代の手を簪ごと握り締めた。
その指先はいつもより冷たく冷えている。
銃を扱うから指先は暖めておかないといけない、と思うよりもはやく御濃の方が紅の引かれた綺麗な唇を開く。
「早ければ明日から戦へ出立よ。それと同時に、上総介様の第二の居城となる安土の城を築城をしているでしょう?ここへ直接職人達が出入りしないにしても、やはり慌ただしくなるものよ」
ぎゅっ、と握り締めたあと、ポンポンと千代の手を優しく叩いた御濃の方は静かに千代から離れる。
御濃の方が言うように、戦は勿論だが正月頃に琵琶湖の付近に築城すると御触れが出ていた。
地理に詳しくない千代は琵琶湖の付近に城を作ると言われてもピンと来なかったが、今やっと御濃の方に言われてそれが有名な幻の城と云われる安土城だということがわかった。
「…そう言えば、信長様は春先頃から此方におられませんでしたが、もしやもう安土城へ入られているのですか?」
「ええ。…ああ、そうよね、千代はお市の面倒で上総介様の出立見送りを出来ていなかったわね」
先々月ごろに俥や馬が多数岐阜城から出ていったのは確認していたが、ちょうどその折千代はお市の方と折り紙や手鞠作りをしていたのだった。
雇い主であり拾ってくれた御館様でもある城の主の引っ越し行列に頭を垂れるどころか言葉すら交わせなかったことに千代は苦い気持ちになる。
「信長様は、またいつか此方へ戻ってこられるでしょうか」
「ええ、もちろんよ。さて、千代。お前には私達が留守の間此処を護ってもらうから、しっかりその簪を持って務めを果たしてちょうだい」
「はい。それはもちろんでございます」
戦相手はかの有名な武将、武田のため、各大名武将が揃って出るためかなり岐阜城は手薄になる。
明智、可児、山内他は非参戦とのことで、狙われぬようこの城の警護に当たるようではあるがそれでもやはり戦力は低下しているため女中他、城勤めの者達はそれなりに不安が隠せなかった。
「千代も、戦場へ来られたらいいのだけれど…婆娑羅を使えない者はやはり狙われやすいもの。ここにいた方が安心なのよ」
「私も、濃姫様のお力になれれば幸いですが、そのような大きな戦では足手まといと重々承知いたしておりますので、城をお護りいたしております。どうか、どうかお怪我のなきようお気をつけくださいませ」
御濃の方から託された胡蝶の簪を絹にくるんだまま帯へ差し込み、千代は深く深く三つ指をついて頭を下げた。
***
結果、設楽ヶ原での戦は銃兵を多く配した織田軍が勝利をあげた。
武田側は約一万の戦死者を出したにも関わらず、織田軍は数十名の足軽が亡くなっただけ。
しかし帰城した軍列の中に、あのか細い声で話す優麗な女性の姿はなく、これ以降お市の方は行方知れずとなる。