うつしおみの夢 2019/05了
変換
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「千代、本日は濃姫様へ武器の職人が謁見予定です。他はないので、その折だけお茶を用意するように。あとはいつも通り、濃姫様の身の回り、御事伝えをするように」
「はい」
乳母、侍女部屋にて早朝、千代は侍女頭であるツタの言葉を聞き頭を下げた。
まだ日が上るか上らないかの朝焼けの広がる時刻、未明には起きてごそごそと自分の用意をした千代は全員の支度が終わるのを部屋の隅で待っていた。
侍女と乳母がいる詰所の部屋で雑魚寝をしている千代達侍女は、女中達とは部屋が違う。
バタバタと廊下を行ったり来たりして既に起きて竈の火を入れていた女中や下働きの足音に耳を傾けていると、漸く部屋で物音がし始め、気付けば全員が身支度を整えて朝礼が始まっていた。
すべて終われば次は準備物を持ってバタバタと各々お付きの室や場所に向かう。
さして現代の会社と変わらない光景だな、と何度見ても千代は特別新しい感情を湧かすことはなかった。
綿の詰まった足袋で足を滑らせないように慎重に千代は艶々の廊下を進む。
チラリと庭に目をやれば綺麗に整えられた青々とした松に綿雪が積もっている。昨夜の雪がまだ溶けていない。
指先が余計に悴むのを感じつつ、千代は慎重に、しかしなるべく早く足を動かした。
***
永禄十年の夏終わりに、千代は時の天下人織田信長が治める美濃国稲葉山にある岐阜城に登城した。
登城したのは千代が有名な大名の娘だからではない。
千代はごく一般的な娘だった。夏前までは。
夏も終わる頃、千代は平成の現代からこの戦国の世にタイムスリップをした。
その時千代は現代でも岐阜城跡におり、入場料を支払って、いざ天守閣へと意気込んだ際地震が起きた。
その場にいた誰もが高い声をあげて叫んで座り込み、それは千代も例外ではなく、足場が不安定で後ろに引っ張られる感覚を覚え目を固く閉じた。
次に開いたときは蝉の鳴き声が辺りに谺し、夏の日差し照りつける城の庭園の中だった。
千代は最初、草の根の者だと疑われ、捕縛された後座敷牢に放り込まれたが、所持品が未知のものだったことが城主、織田信長に知れると新しく面白いものが好きな信長によって御前へ引きずり出され、あれやこれやと言う間にいつの間にかその場にいた信長の正室である御濃の方付きの侍女となったのである。
身寄りのない未来人で、其なりに頭の回転もよく、また見目も美しすぎず醜女過ぎず、御濃の方の隣にいれば彼女を引き立てるのにも良いし、いざとなれば盾にしたところで後腐れもない。
様々な条件をクリアした千代はそう言った事情で正室付きの侍女となった。
初対面で異例の大抜擢だった。
***
働き始めてはや数ヵ月、来たときは蝉の合唱の煩かったところが、今やしんしんと雪の積もる風景に様変わりした。
初めは一人で着ることが出来なかった小袖も、今やすいすいと着付け、御濃の方の他装でさえ行えるようになり、当たり前のようにお湯のない生活、魚や肉の少なさ、白米ではなく五分付きの米の硬さにも馴れた。
千代は、小さく息を吐く。
白い固まりになって息は消えた。
「ああ、寒い寒い……。はやく行って火を興して、お湯を作って、それから……」
独り言多く、千代はそそくさと御濃の方の部屋へ向かう。
着いた先の襖は荘厳で、金箔が散りばめられ、紫の蝶がはらりと優雅に飛んでいる。
襖一枚にどれだけの贅沢をするのかと言える者はこの城の中にはいない。
千代は見慣れた豪装な襖を静かに開き、部屋の隅にある炭櫃に近寄ると手慣れた動作で火箸を持ってかき混ぜ、新しい備長炭を幾つか並べると、その上へ持ってきていた火舎から燻る炭をザラザラと炭櫃の中へ混ぜ込んだ。
その内火の着いた炭が下の炭へ移り、長く暖めてくれる。
そうして大きな金網を炭櫃の上に被せると、そこへ水を入れた鉄瓶をいくつか乗せた。
湯が出来るまでは部屋の空気を入れ換え、軽く畳を拭いて花を新しくして、とバタついている間に湯は湧き、太陽もいくらかしっかりと顔を出し始める。
部屋の襖をきちんと閉め、暖かくなるようにすると、今度は隣室の襖を開け、奥へ続く廊下を進んで一つの黒襖の前で膝を折り、声をかければ中から襖が開く。
部屋の中には小姓がおり、御簾の前で千代を見ると一つ頷き、千代も頷いて部屋へ入り、御簾の横で再び膝を折った。
「濃姫様、お早う御座います。朝にございます」
千代が密やかに声をかければ、もう半分覚醒していたのだろう。
御簾の向こうでもぞりと人影が動き、はらりと御簾を上げて乱れ髪で紅を指していない御濃の方が現れる。
「……千代、貴女はいつも早いわね……今はどれくらいかしら……」
「今は卯の半刻辺りです」
「そう……ああ、寒いわね」
千代が横に折り畳んであった羽織を御濃の方へ着せると、御濃の方は漸く静かに寝所から出て廊下を抜け、暖かい部屋へと向かった。
「濃姫様、本日は牛の刻頃、銃の職人が参ります」
千代は鉄瓶から湯を桶へ注ぎ、杓でかき混ぜて少し冷ましてから御濃の方へ差し出す。
それで素直に顔を洗った御濃の方に手拭いを差し出して今度は別の湯でお茶を点てる。
「ああ、そうだったわ。夢幻と幽玄を出しておいてちょうだいね」
「はい」
千代はここがただの過去ではないことを、登城したその日に知った。
信長の正室である御濃の方が戦場へ出ること、武器が2丁拳銃なこと、スリットの入った着物、極めつけは婆娑羅と呼ばれる特殊能力だ。
ここは、史実とは全く違う、異世界の戦国時代だった。
.................
炭櫃(すびつ)はおっきい備え付けの火鉢みたいなものです。