うつしおみの夢 2019/05了
変換
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
ゴウゴウと炎が燃え盛る。
悲鳴に怒号、銃声に高い打ち合いの音の合間に、重なる爆発音。あれはきっと明智軍の爆弾兵だ。
本能寺境内を走り抜ける千代の真横を、経文を唱えながら火のついた爆弾を抱えた兵が過ぎ去っていった。
ただの侍女には用がない彼らは兜武将を狙って右往左往しているのだった。
それを幸運に思いながら千代はたまに向かってくる足軽相手に薙刀を振り下ろして刀を弾き、鎧に覆われていない皮膚に刃を当て引いては斬り伏せていく。
自分がこんなに動けるとは思っていなかった。明智は実践に近い稽古をつけてくれていたのだ。
余計に、なぜこのような乱を起こしたのか千代は困惑することとなる。
先程本能寺裏手北門付近に御濃の方専用の紅鈴鞍がついた馬が数頭の馬と隠すように木陰の場所へ待機させられていた。
早駆けした千代達ではあったが、やはりほぼ同時に本能寺へついたようで、本能寺の門はどこも既に撃ち破られ、中からは戦始めの雄叫びが響いていた。
急ぎ本能寺へ入り込み、刃に巻き付けた布を引きちぎるかのように取り外した千代を勢いよく木内が引き下がらせたのと、その場所へ火矢が打ち込まれたのはほぼ同じだった。
「お気をつけください。千代様はどうぞ奥方様をお探しください。我々は殿へ加勢致します」
「はい、……はい。ありがとうございます!どうか木内様もお気をつけて!」
これが初陣だ。御濃の方の盾となる。
千代は徐々に撃ち込まれて広がる炎を見据え、御濃の方を探して本堂目指して走り抜けた。
熱い。身が焦がされる。
そこかしこに死体が転がっている。襲う吐き気と戦いつつ、走る。
不思議と恐怖心は湧かなかった。使命を果たせる高揚感と、御濃の方の無事を願う一心不乱さが恐怖を打ち消していた。
どうかどうか、ご無事で。
目の端に移る死体を見れば御濃の方を重ねてしまいそうになる。ひたすら銃声が聞こえる場所へ走り続ける。
「あ!お前!!」
足を止めさせたのは、この阿鼻叫喚に似つかわしくない可愛らしい声だった。
左を向けば、細かい傷を負ってはいるがまだ元気そうな蘭丸がバチバチと雷の婆娑羅を纏わせた矢をつがえて遠くへ射った。
その瞬間、ぱ、と青紫の雷が弾け、轟音を鳴らして千代の数メートル先へイカヅチとなって落ち、明智兵を焼き殺す。
「…ら、蘭丸様……!よくぞご無事で!」
少し、安心した。
きっと蘭丸がいるということは御濃の方も生きている。御濃の方を母のように慕う蘭丸だ。もし御濃の方が瀕死になっていたらその場を動くことはあり得ない。この場に御濃の方が見えないということはどこか別の場所で戦っているのだ。
「なぁんだ、千代も来たのか。お前戦えるのか?足手まといはいらねーぞ!」
「力不足は承知の上で御座いますが、私は濃姫様の盾となるべくこの場へ参りました」
バチバチと鳴る雷の婆娑羅を消した蘭丸は、少しだけ眉を寄せると、す、と本堂を指差した。山門は既に焼け落ちている。
「濃姫様、向こうだよ…信長様に、逃げるよう説得してる」
「有り難く存じます。蘭丸様もどうか折を見て御引きくださいませ。このような謀反の戦…馬鹿正直に戦うのは明智光秀の思う壺でございます」
千代の言葉に、蘭丸はギュッと弓柄を握り込むと悔しそうに顔を歪めた。
「なぁ……千代、あの馬鹿とそれなりに仲、よかっただろ? なんでこんなことしたんだ、あいつ。そんなに俺達のこと…」
「……蘭丸様」
子供らしい。素直で綺麗な感想だ。
嫌いだから殺す。至極単純明快だ。
しかし明智の考えはそこにない。
千代は血の滲む地面を踏みつけ、蘭丸へ近付くと静かにしっかりと抱き締めた。だがそれもものの数秒で離れ、笑顔を蘭丸に見せる。
「大丈夫です。信長様と濃姫様、皆様で岐阜でも安土でも帰りましょう。そして明智様の処遇をそこで考えましょう。縄でぐるぐる巻きにして玉砂利に座らせましょう」
「あ」
「では、私は濃姫様の元へ参ります。御怪我なさらないように」
何か言いかける蘭丸にあえて気付かないふりをして、千代は幼子の横を走る。早く早く。
次第に炎は強まり、もう寺の全貌は見えない。
御濃の方は炎属性の婆娑羅使いのため、きっとこの炎は大丈夫だと千代は自分に言い聞かせる。
本堂に入ると同時に、枕木とともに何かの仏像が倒れてきた。
慌てて避難をして後ろを振り替えると、銀の髪が揺れている。
「……あ、あけ、明智、様」
「おやおや、小鳥が一羽、迷い込んでいましたか」
手に、引き摺るのはぐったりとした蘭丸。
数分前に言葉を交わしたというのに、その数分の間で意識を失うまでいたぶられたというのか。
カタカタと千代の手が震え、一歩、後退りをする。
「ら、蘭丸様は……生きて…」
「さあ?動かなくはなりましたね。ふふふ、さて、どうしましょう?別に貴女を殺すつもりはないのです」
「なぜ、なぜ謀反など…!」
圧倒的に敵うはずがない相手へ薙刀の切っ先を向ければ、自然と刃が揺れる。
ゴォウンと言う音と共に近くで天井が落ち、火の粉が舞う。
「何故、ですか。貴女には難しい答えになるでしょう。それより……私はこの先に待つ信長公にお会いしなければいけません。どいてください。帰蝶の藁」
藁。盾になれと稽古をつけた明智が言う藁は、盾にもなれないと言うことと同義に聞こえる。
それでも通すまいと柄を握り締めれば、千代の真後ろから銃声が聞こえ、炎の弾丸が明智へ撃ち込まれた。
しかしそれはいとも簡単に明智の武器、黒虹で弾き落とされる。
「光秀…!蘭丸君をよくも……!」
「これはこれは、帰蝶。ご機嫌麗しゅう」
「濃姫様!」
恭しく大袈裟に頭を下げた明智に大きく舌打ちをした御濃の方は、千代へ視線を向けて悲哀の表情を浮かべる。
「…どうして、来てしまったの」
「私は濃姫様の手足であり、盾となるため馳せ参じました。どうかご一緒に」
「馬鹿な子…」
微笑みながら、黒地の着物を翻し、御濃の方は千代の横に立つと銃を構える。
倣うように千代も薙刀を明智へ向けると、明智は仰け反りながら高笑いをし、蘭丸をぽとりと落とすと黒虹を両手に持って二人へ走り向かった。
「貴女方の墓穴は掘って差し上げますよ!」
細長い鎌は長い手に翻弄され、間合いが掴みにくい。
遠距離が得意な御濃の方は、間合いに入られる前にとリボルバーを回して婆娑羅を込め、銃弾を乱射する。
バリンという音と共に、明智の近くに浮遊していた髑髏が割れて消えた。
千代が銃弾が切れた合間に御濃の方の前へ滑り込み、明智の黒虹の斬撃を薙刀の刃と柄でなんとか押し止める。
ガチャガチャギチギチと音を立てて拮抗するが、徐々に千代は押し負け、凪ぎ払われる。しかしすぐさま転んだ千代の後ろから御濃の方が二周り大きい銃弾を撃つと、明智は滑るように回避をしたが、弾はぐぐ、と回り込んで明智を追いかけ、着弾箇所で爆発した。
「ああ……痛いな…」
炎の渦に巻き込まれた明智に見えたが、それはすぐに闇の婆娑羅で振り払われ、そのまま沼色の手が千代の首を絞め上げる。
「ぁっ、ぐっ……!」
「千代!」
「ああ…婆娑羅を持っていない人間は実にか弱く、美味しいですね…」
虚脱感と血の気が引く気持ちの悪さ。
千代は目の前がチカチカと光輝くように見えた。
うっすらと視界に移る泣き顔の御濃の方を見て、千代は走馬灯が過ぎる。
あの熱い夏の日、庭先に行きなり現れた自分を怪訝に見ていた綺麗な女性が、今は必死になって武器を奮い、馬の骨な女のために涙を流して戦っている。
どしゃりと落とされたのと、銃声が聞こえなくなったのとは同時だった。
「…ぅ、あ……の、ひめ、さま……」
息も絶え絶えに、歯を食い縛って上体を起こせば、御濃の方は地に臥していた。
瞬間、時が止まった気がした。
全ての音が聞こえず、炎の熱さを感じない。カチカチと寒くもないのに歯が噛み合わず鳴るばかり。
「帰蝶、貴女は血塗られずとも美しいですよ……良いのです。ゆっくり眠りなさい」
明智が嫌に優しく語りかける。
我に返った千代は、ズリズリと煤けた床を這いずり、方々の体で御濃の方へ辿り着き、その体を守るように覆い被さった。
フーフーと荒い息を繰り返す千代を見下げながら、明智は笑顔を作る。
「千代、帰蝶のこと、お任せしましたよ」
「…っぐ、ぁ、げち……!」
「貴女には、選択を残してあげましたから……ご自由にどうぞ…」
そう言うと明智はもう炎に巻かれてなにも見えない奥へ鎌を引き擦りながら愉しそうに歩いて消える。
残された千代は、なんとか体を起こして御濃の方の肩を触り、揺すり、頬を軽く叩く。
「起きて……っ、起、きて……ください……!いやだ、嫌です……ひ、一人、一人に、しないでください……!」
傷は見てとれない。
千代と同じ様に闇の婆娑羅で体力や生命力を吸われたのか、肌の色はいつにもまして白く陶器の人形のようになっている。
何度か繰り返せば、ふるりと長い睫毛が揺れてゆっくりと開けられた。
それだけで千代は希望が見出だせ、吸われた体力なぞ何処かへいき、気丈に振る舞える。
「……っ濃姫様!すぐに、すぐに逃げ道を確保致します!お気を確かに!」
ボタボタと大粒の涙を流しながら千代が叫べば、浅い呼吸を繰り返した御濃の方は小さく首を振る。
「いい……のよ、私は、……も……」
「なりません!一緒に帰るのです…!私はっ、………濃姫様、貴女がいないと…誰を頼りに生きれば良いのですか」
ひゅうひゅうとすきま風のような音が御濃の方の胸から聞こえる。
恐る恐るよく見れば、黒い着物で解らなかったが、そこに血が深く滲んでいる。風穴が空いているのだ。
致命傷を気付けなかった千代は絶望に落とされる。
これではもう無理ではないか。退路もなにもかも、炎に巻かれた。視界は黒く霞む。
御濃の方が、ゆっくりと腕を上げて、泣き崩れる千代の頭を撫でた。
それは乗せただけのような形ではあったが、千代にはハッキリと撫でられていると感じる愛情があった。
「濃姫様……濃姫様ぁ……!」
「……め、なさい……も、……世に……」
絶え絶えに話す御濃の方にハッとし、涙は流れ続けるが、笑顔を見せる余裕ができた。
ぎゅっと御濃の方の手を握ったあと、帯に隠していた短刀をよろよろと取り出して鞘を投げ捨てる。
「…私は、幸せでした。元の世に戻れずとも、濃姫様、貴女に出逢えて、家族以上に愛していただけて。あの時、私は信長様と貴女に救われなければ死んでいました。御恩を返せず、申し訳ありませんが、代わりといってはなんですが、私もあの世へ御供します」
震える手で、帯を緩め、紐を外し、前を広げて短刀の切っ先を腹に当てる。
御濃の方は泣いていた。
「……泣かないでください、濃姫様…あの世でも、変わらず御世話をさせてください……ね?」
千代の不細工な笑顔に、御濃の方が優しい声色で馬鹿な子、とそう言った気がした。
瞬間、一気に炎の熱さと渦が襲ってきた。
きっと御濃の方が今の今まで無意識に婆娑羅を使い、炎の膜を張っていたのだろう。
もう、事切れてしまったのだ。
この美しい人は。
「うぅ……!ぐ、っ、ぁぁああぁぁぁああぁああ!!!!」
女の咆哮が谺し、火柱は高く突き上がり、数刻後、本能寺は完全に焼け落ちた。
その後、織田信長の遺体首は勿論、謀反首謀者の明智光秀、そして織田信長の妻である御濃の方、重臣の森蘭丸の遺体全てが見付かることはなかった。
ひとつ、誰か一人の骨だけが簪と共に焼け落ちた本堂に残っていた以外は。
****了
10/10ページ