五月になります
姉上御家芸
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平家当主となった折、すぐに五月は小田原城に登城した。
一度くらいは顔を通しておかねば御屋形様の不興を買ってしまうからであった。
道中、鼻筋まで隠す面布を下げ、御屋形様へ謁見と相成った時ですら、とてもお見せできる顔ではないとして目元は頑なに隠したままだった。
それは一概に滝夜叉丸との目尻の差のせいだ。
五月は下に下がり気味の大きな瞳であるが、滝夜叉丸は吊り気味の大きな瞳だ。いざ二年後に滝夜叉丸が当代となった折、顔が違うと煩く言われないための手でもあった。
御屋形様の坐す小田原城に来たとはいえ、縁起の悪い平を名乗る五月達は素直に受け入れられているわけではない。
そもそも由緒正しい血筋の武家の娘姫が駆け落ち同然で草の根でもある忍頭と婚姻など言語道断だったのだ。なんとか情に厚い当時の御屋形様によって取り成してもらい今に納まってはいるがやはりよく思わない者がいるのも仕方がない。
なので五月らにとって小田原城は針の筵も同然だった。
その上、ここにはお抱えの風魔の忍がいる。
風魔と言えば足柄山に風魔流忍術学校があるが、特段交流がなかった五月は可愛がっていた山村の元出身校であるという認識しかない。
山村曰く、食満に似た大変腕に覚えがある格好いい先輩がいるのだと聞いた覚えがあるがそれがどんな名前でどんな人物かまでは聞いていなかった。
食満に似ている、などと言うので興味が完全にハナからなかったのだ。それを今になって後悔するとは思わなかった。
そもそも、在学しているときからきちんと当主になることを見据えていれば風魔の名前も憶えていただろう。
先の戦で戦火を浴びて損傷した城壁などを手直しする人夫達の声や土木の音を聞きつつ、小田原城内をツツジと歩き、
ヒュウと細かな風の音が聞こえたと思えば、五月の目前へ影に潜んでいた秋穂が躍り出てけたたましい金属音を立てて鈍色を弾き防ぐ。
五月を背に、秋穂が忍刀を構えて何もない空間へ刀を振り下ろさんと攻撃をすれば向こうも金属音を奏でて防ぐと、一陣の風が吹く。
「……お前」
姿を現したのは黒装束に大柄の男と、体躯はいいが如何せん横に立つ男がデカすぎて小さく見える男だ。
優に六尺以上はあるであろう男と五尺強はある男。
並ぶと圧が凄まじいが一番正面で対峙する秋穂は臆することなく二人を睨み上げる。
「イヤァ、中々素晴らしい動きの女だ。イイナ。それでこそ主サマに使える刀だナァ」
奇妙な発音で、大男がニマニマと目元だけで笑う。
不愉快そうにツツジが顔を歪めれば、秋穂が五月を見ず、視線は男のまま「殺していいの」と伺う。
五月は秋穂を宥め、攻撃を仕掛けてきた男たちを見る。
殺意がある攻撃ではなかったうえ、この警護の硬い、しかも風魔がいる城内にそんじょそこらの鼠が簡単に侵入できるとも思わない。となればこの目の前の男らこそ、風魔の一族なのは明白だった。
大男の後ろに控えるようにして立っている男の目元は涼やかで、五月はどこか既視感を覚える。
「聞きしに勝る風魔の一族と相見えるとは思わなかったな。其方が統領殿か」
低い声はそのままに、面布越しに様子を窺えば、統領と訊ねられた大男はニマニマと笑ったままその顔を隠す黒布を取り払った。
相貌はそれなりに整っているようだが、その口元から覗く牙のような犬歯と高い鼻が日ノ本の人間離れしている。
「察しのいい姫は好きだナァ。確か名は五月だったカ」
五月の名前を唇が象った瞬間、弾かれた様に秋穂とツツジが飛び出し、男へ切りかかる。
秋穂からの攻撃を大男が片手で受け止め、ツツジの仕込み刀を目元の涼しい男が受けた。双方凄まじい音を立てて得物を振るい、拮抗もせずに再び距離を取る。
「ツツジ。秋穂。大丈夫よ。風魔の統領が私のことを知らないわけがないわ」
諦めたように取り繕うのをやめた五月は、声を戻す。
面布は万が一があってはいけないのでそのままに、男らと対峙しほんの少しだけ、会釈程度に頭を下げた。
「忍世界の大先輩とも言える方にご挨拶が遅れて申し訳ない。氏は平、名は五月。現在平家当主だ。貴方は四代目の風魔小太郎殿だろうか」
「オオ。俺の情報を知っているのか。イイナァ。頭がいい女は好きだナァ。もうそろそろ代替わりやも知れぬが、今代風魔小太郎を冠しているのは確かにこの俺ダ。こっちは風魔一族の分家の一つの倅だ」
風魔より紹介されたような形の男は、ほんの少しだけ一歩前に出ると五月達へ頭を下げる。
涼しい目元の既視感がわかった五月はフ、と口元だけで笑む。
「山村殿には大変世話になった。まだ学園と繋がりがあるのであれば結構だが、ないのであればこちらから息災であると伝えようか」
「オヤオヤ、山村の倅も知っていたカ。アレはいいよナァ。才がある。ほんの少し頭が弱いのが欠点だが、それさえ補えれば時期小太郎にでもなれるだろうヨ。ナァ、与四郎」
名前を呼ばれた男はこくりと頷き、漸く声を出す。
「錫高野与四郎と申す。同じ主を守る者同士、今後もよろしく頼む」
頭を下げた錫高野に、五月はそうそうと小さく手を打つ。
それにツツジが漸く五月の横に戻って「風魔流の」と確認のように呟けばこくりと頷いた。
「喜三太君が以前言っていたから存在だけぼんやりと覚えてたのよ。名前も顔も忘れてたけど」
「アンタ……まあ、どうせそうだろうとは思ってはいたけど」
呆れた声色で溜息を吐いたツツジと、戦闘体制は解除したものの未だ爛々としたまま眼をかっぴらいている秋穂。
その秋穂を風魔は見つつ、ニマリと笑う。
「血気盛んなのは興奮するナ。お互い敵同士であれば思う存分戦えたというのに。ザンネンだ」
「気持ち悪い。私、お前みたいな奴が一番嫌いだ。そもそも城内で急に攻撃を仕掛けるなんてどういう神経しているんだ。主様はお前のご主人様に呼ばれたんだぞ。頭悪いのか」
「秋穂。口が過ぎるわよ」
「だって!」
一応屋敷の外だというのに配慮してか、なんとか五月の名前を呼ばず「主」と言えたのは満点だというのに、なんとも言葉がきつすぎるうえ、相手は忍の統領とはいえ、御屋形様より守護大名の名前を拝している。
一介の草の根が言葉を投げるのには相応しくない。風魔自身はニマニマ笑ったままだが、錫高野は苛立ちを下瞼を動かして表す。
「申し訳ない風魔…いえ、風間出羽守殿。教育をしなおすよう努めるためどうか慈悲をくれないだろうか」
形式上の恭しい態度で謝罪をすれば、錫高野のピリつきはほんの少し形を潜める。
「イイ、イイ。気にしていないさァ。そんな幼子の言葉をいちいち真に受けてちゃァ、今までの無礼な人間すべて殺してこなければならなくなってしまうカラナ」
風魔の言葉には本当に羽虫でも殺し損ねてきたかのように飄々とした色が乗っている。
若干の肌寒さを覚えた五月だが態度は毅然としたまま緩く頭を下げて面布の裾をひらりと揺らす。
「…感謝する。錫高野殿も、統領殿への無礼な態度申し訳なかった」
「気にするな。統領が気にされていないのであれば、俺が何か口出す立場ではない。ただ、そうだな……喜三太には息災の旨、お願いできるだろうか」
錫高野にはしっかりと頷き、もう一度風魔に深く頭を下げる。
そうして再び低い少年のような声で帰城することを伝えた。
それは遠く城門から聞こえてきた北条家臣達の声のせいだ。
万が一にでも平家当主が嫡男滝夜叉丸ではないとバレてしまってはコトだ。
目の前の風魔に関しては情報を知っていながらも直属の上司である御屋形様にすら漏らしていないことから別段そこに興味はないのだろう。
嫡男ではないという話を漏らすことに、風魔の興が講じることが万が一にでもあれば、相打ち覚悟で始末するほかなくなってしまうというのが怖いところなので、早々に秋穂や中在家含め抱えの忍軍に風魔の鬼門を探らせなければならない。
山村がその事実を知れば泣くであろうか、と一瞬五月の頭によぎるが風魔と意見同じくアレは忍の才に恵まれている。
きっと事情さえ話せば納得するであろうし、もう最下級生ではない今、もしかしたら事情を汲み取って己で理解をする可能性もある。
そういった機転が、山村始め「元一のは」の生徒達にはあった。
杞憂になるだろうと五月はもうそれ以上学園のことは考えないようにして、煩い家臣どもが近付いて来る前に、いつの間にか消え去っていた風魔達を見倣い、城を手直ししている人夫らのわいわいと騒がしい声を後にした。
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