玉依姫(五年) 2017/12了
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「綺麗だね」
しゃらりと
「久々の玉依姫命だからね。僕頑張ったよ~」
私の代わりに答えたのは、私の身形を整えてくれた
タカ丸と呼んでと気の抜ける笑顔で仰ったこのかたは、髪結いの祖と呼ばれる方の愛用の櫛の付喪神だそうで、その櫛の表に立派な鷹と満月が彫られている為、字をタカ丸としたそうだ。
確かに諱でもある神名は長いので、有難い。
他の神様方にも同じことが言えるのだけれど。
主人と同じで、タカ丸様自体も人に髪結いや化粧を施すのが好きなようで、早朝の川へ禊を行ったすぐ、水の精霊である
そこで水に濡れた襦袢をさらりとした絹の襦袢と腰巻きに変えられ、白衣を着せられた。次は緋袴を身に付け、千早、裳と続く。
千早と裳の時に、タカ丸様がうんうんと悩み、千早は山藍で染められた水流紋と菖蒲の葉、朱で染められた梅が描かれたものを、裳は白地に空色から紺へグラデーションがかかり、その上に藤が描かれたものを選んでいた。
私には一切聞かれる事はなく進められていく着付けに、緊張していた心は落ち着きを取り戻していた。
髪を鋤かれ、後ろで一つに纏められると和紙でくるまれ、銀と赤の水引で結ばれる。
そうして最後に、金色のキラキラと光る前天冠を頭につけられ、目尻と唇に紅を引かれると、私の身形整えは終わった。
「綺麗ですよね、これ」
雷蔵様が触られた鈴錺は前天冠についていて、左右から垂れる絹糸の横から10センチ程伸びている。
金色の前天冠は蓮の花が透かし彫りをされていて、その左右には天へ向かって白梅が飾られていて、静かに芳香を湛えていた。
「それもだけど、弥咲だよ。とっても綺麗だね」
「……有難うございます」
雷蔵様に誉められると、どうも照れが出て仕方がない。
三郎様に誉められるのは、冗談のようなノリで返せるのに。
少し熱くなる頬を押さえながらタカ丸様を見れば、化粧道具と櫛、他の衣装などを片付けている。
慌てて近寄って手伝いを名乗れば、今度はタカ丸様が慌てた。
「ダメだよ!
「そんな……私は人ですからそんな」
私が言い募れば、横から手が伸びて私の口を封じた。
手を辿って視線を向ければ、其処には初めて会ったときのように白い布を顔に垂らした三郎様がいる。
その向こうで雷蔵様が困ったように笑いながら手を顔に翳して額から顎へ下げれば、途端に雷蔵様の顔にも白布が降りた。
「人であった、だ。玉依姫になるのだから、もうお前は神の一員。兵助の顔に泥を塗ることはするんじゃない」
「三郎、様……」
そうだ、三郎様の言う通りだ。
玉依姫となると決め受け入れたのは、人をやめることであるとも言われたけれど頷いたのは、私だ。
慣れないけれど、慣れていくしかないのだ。
精霊達を使役する事も、自分の中に兵助様の神気が溜まり、神通力が使えるようになることも、不老になることも、全て慣れていくしかない。
そうして、今より後は、こうやって皆様方と気軽にお顔を会わせることもできなくなる。
私は現世を捨て、兵助様の神域である常世に永住することになる。
父の後を継ぐつもりだったけれど、結局は亡き祖母が言っていたように自分のしたいことを優先させた。
これでいい。
窮屈に感じていたあの家とも、一抹の寂しさはあれどお別れだ。
「わかりました」
私が頷くのを確認すると、三郎様と雷蔵様が左右に並び、御簾を上げる。
着付け部屋から出るとき、少しだけタカ丸様を振り返ったが、タカ丸様は頭を下げていてもう目があうことはなかった。
静かに廊下を進み、霞が掛かる橋を抜けると、其処には初めて出逢った時と同じ、水干姿の兵助様が佇んでいた。
私を見るなり、ふにゃりと笑う兵助様は可愛らしい。
雷蔵様に手を引かれ、兵助様の前まで来ると今度は兵助様が私の手を取った。
「……とても綺麗なのだ」
「ふふ、有難うございます」
瞳を潤ませた兵助様に擽ったくなり、小さく笑いをこぼすと兵助様も口許を緩ませる。
「それじゃあ、僕達はこれで。弥咲、元気でね。まあ兵助さえ良ければいつでも会えるから」
「今度会うときは兵助のややが腹にいる頃か。人間のものが恋しくなったら、何時でも兵助経由で届けてやるから言うんだぞ」
三郎様の言葉に顔が赤くなるのがわかる。
頬が熱いし、心なしか体温も上昇したような気がする。チラリと兵助様を伺えば、彼の白い頬は真っ赤になっていた。
「まだ、その、ふたりの時間を楽しみたいのだ。数年後になるけど、その時はよろしく頼む」
「兵助様!?」
思わず声を上げれば、雷蔵様が快活に笑う。
「アハハ、いいね、賑やかだ。……兵助が許した神であれば誰でも弥咲に会えるから、喧嘩したり、どうしようもない相談だったり、兵助に言えないことだったりがあれば、何時でも言うんだよ」
「はい。本当に、今まで私をお守りくださいまして、有難うございます。飯綱家を代表してでは、御礼が足りませんが……」
静かに頭を下げれば、前天冠についた鈴がしゃらりと音を立てた。
「いいさ、気にするな。私達も随分長く楽しんだ。心が少し残ると言えば、お前を私達の玉依姫に出来なかったことくらいか」
「こら、三郎。不謹慎だよこんな場で」
三郎様の言葉に目を丸くしていると、兵助様がずいと前に出て少しだけ頭を下げた。
「……それに関しては俺が悪い。大きな貸しだと思ってくれて構わないから、何かあればいの一番に駆け付けるのだ」
白布が掛かっていてもわかる。
ぎょっとした三郎様と、手を上にあげてアメリカンなポーズをする雷蔵様が対照的で、思わず噴き出してしまえば三郎様は矛先をこちらへ向け「さっさと孕め!」と言葉を投げ捨ててその場からポシュンと水煙のように消えた。
「あーあ、何百年以上と生きていてもまだまだ子供だね。じゃあ、兵助、弥咲……本当に御幸せに」
それだけ言うと、雷蔵様は三郎様と同じ様にしゅるんと消えてしまった。
突然兵助様と二人きりになり、しんとした空間が訪れる。
少しだけソワソワしてしまう私を気にせず、兵助様は私の頬に手を添えて目線を合わせた。
「弥咲、綺麗なのだ。本当に。俺の玉依姫になってくれて、ありがとう。大事に、大切にするから」
囁きながら、私の額に自分の額をくっつけた兵助様は、至近距離で微笑んだ。
改めて、綺麗な神様だと認識する。
長い睫毛に、紺黒の瞳、白い陶磁の肌。
真の姿を醜いと自称するが、白銀の龍の姿は荘厳で、神であると知らしめるものだ。
何も恥ずべき姿ではない。
「兵助様」
「ん?」
そろそろと、千早がかかる手を伸ばして、兵助様の頬に添える。
お互いに頬を触りあっている状況を少し可笑しく思い、小さく笑いを溢せば、兵助様も可笑しそうにクスクス笑う。
「あのね、兵助様……私、神様達に御逢いできて、世界が変わりました。本当に楽しく充実しました。十八年しか生きていなくて、何をと思われるかもですが、嫌なこともあった世界が、少し、好きになれました」
あの日、川へ死にに向かった時、兵助様に声をかけられ命を拾われ、学校の愚痴を吐き出せるようになった。
雷蔵様達には、余計な心配をかけたくなくて言えなかったことが、兵助様にはすらすらと言えるのが不思議だった。
多分それは、兵助様が楽しそうに人の世界の、人の子の小さな不安や悩みや文句を聞いていたからだと思う。
雷蔵様達は、稲荷の神ではあるが飯綱家で使役した狐の本霊。
どうしても人への恨みはあるだろうと私が一線を引いてしまっていた。
もしかしたら、そんな線引きは私だけでお二方は何も思われていなかったのかもしれないが。
「私ね、兵助様。兵助様が、好きです。本当に好きです。だから家を、現世を捨て、常世に入ることを決めました。どうかどうか、末永くよろしくお願いいたします」
話す内に瞳が潤んでいくのを感じた私は、一度大きく瞬く。
「…嬉しい。俺の方こそ、死が別つまで宜しくお願い申し上げるのだ」
私の嬉し涙がひとつ滑り落ちた瞬間、唇には暖かく柔らかい兵助様の薄い唇が、重なりあった。
了