玉依姫(五年) 2017/12了
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冬が厳しくなり、雪も随分深く積もるようになった。
後少しで冬休みは終わり、一ヶ月後には卒業式が控える。
小松君からセンターが無事終わった帰り道に盛大に転び、階段から落ちて右足を骨折したと連絡が入った。
酷く心配したけど、当の本人があっけらかんとしていたから大事無さそうだ。
雷蔵様は「縁起が悪いね」と笑っていた。
そんな中、昨夜夢の中で兵助様が現れてあの川に来てほしいと告げられた。
連絡の仕方がとても神様っぽいと思いながらも揚々と頷いた私は、夢から覚めてすぐに顔を洗い、兵助様の待つ川へ向かった。
昨日深かった雪が所々氷になっている。
足元の滑りに気を付けながら、ザクザクギュッギュッと歩を進めると漸くキラキラと流れ続ける川へ辿り着いた。
寒いのにこの川は凍っていないんだなぁと思いながら河川敷へ降りて辺りを見渡すと、「やあ」と真後ろから声をかけられた。
訳のわからないくらい飛び上がった私は、振り返って声もなく後退る。
視界には美しい顔が入るが、それどころじゃない。
心臓が痛い。兵助様は私を殺す気なのか。
「あ、ごめん。そんなに驚くとは思っていなかったのだ。…寒いのにありがとう」
困った風に微笑んで、兵助様は私の鼻の先に優しく触れる。
少しだけ鼻周りがカラリとした。空気中の水分でも移動させたのだろうか。
「いえ、私こそ、寒いからと中々赴けなくて申し訳なかったです。御変わりありませんか?」
「ああ、平気。人間の世界では咳き込む病気が流行っていると聞くから弥咲も気を付けるのだ」
白い口布をした人間が何人か歩いていったから、と河川敷へ視線をやった兵助様は私に手を差し出す。
素直にそれに従って手を重ねれば優しく引かれ、あの大石の場所へ案内された。
するりと離された手を少し寂しく思いながら兵助様の横に立てば、兵助様は何事かを呟いた後、パンッと柏手を打った。
すると今まで聞こえていた車の音も川のせせらぎも、雀の鳴き声も何もかも消え、私と兵助様だけの音が流れる。
ハッとして周りを見渡せば白く靄がかかり、いつものあの河川敷ではない。
足元は柔らかな薄緑の草が生え、ブーツの甲を隠している。
さわさわと何かに流されるように草が揺れた。
「……こ、こは」
ふわりと、私が口を開いたタイミングで私の口からシャボン玉のようなモノが飛び出した。
それはふよふよ浮いて光の差す上に向かって飛んでいく。
「俺の常世なのだ。あの大石と川縁の間が
悲しげな顔をした兵助様の言葉で、この場には私達しかいないこと、そして此処が私が生きていた場所でないことがわかった。
常世、しかも兵助様の。
と言うことは此処は水の中だろうか。
だとすれば先程のシャボン玉のようなものは、水の泡? 息は全然苦しくないが。
「常世……いえ、大丈夫です。兵助様は、なにか思うことがあって私を此処へ連れて来てくださったのでしょう?」
「そう、なのだ」
さわりと私の髪を風か水流かわからないものが撫でて揺らした。
兵助様は白い頬を少しだけ血色良くし私に近付くと、私の右手を取って掌を上にしてそこへ自分の手も重ねた。
静かに成り行きを見守っていると、兵助様は何事かぶつぶつと祝詞を唱える。
淡く、掌の間が光るのを見て私はドキドキする。
「弥咲」
薄い唇を開いた兵助様は柔らかな落ち着いた声で私の名前を呼ぶ。
「はい」
静かに頷きを返せば、一層強く掌の間の光が光った。
兵助様の目は柔らかく、水気に溢れていて、光の粒がその眼球に集まってできたもののようでとても綺麗だ。
「飯綱弥咲。俺は弥咲を好いている。神であるのに人である弥咲に惹かれたことに何も恥はない。あるのは弥咲に嫌われるのではとぶっきらぼうになる自分への恥なのだ。弥咲があの二柱の玉依姫なのは知っている。それでも、俺は弥咲が諦めきれない。弥咲さえよければ、……俺の元へ来てくれまいか」
凛と言った兵助様の視線は私をしっかりと捉える。
その大きな黒と紺が混ざる瞳には私が映り、思わず恥ずかしくなる。
掌の間の光が強く強く、けれどそれはとても暖かで柔らかな優しい光を産みだし続け、とうとう私たちの手を見えなくさせた。
「兵助様」
ゆらゆらと水面のように兵助様の長い豊かな黒髪が揺れ、白の水干はふわりと裾を舞わせる。
段々とその額には白の突起が現れ、遂には前髪を押し退けてボコリと二本、真っ白で太い枝のような角が現れた。
その生え際の周りは白い鱗のようなものが覆い、それは兵助様の左手や、耳の先、輪郭の下にまで現れている。
「こんな、龍の姿になれる醜い神だが、絶対に弥咲に危害を加えない。弥咲といると、暖かな気持ちになれるのだ。弥咲の力や心根が気持ちいい…彼等もそうだったから、弥咲の傍にいたのだろうな」
ざわざわと肌が産毛立つ感覚が襲い、私はそろりと兵助様の顔へ左手を伸ばした。
頬に手を当て、ゆるゆると撫でれば、つるりとした陶磁の触覚に時折硬い鱗が当たる。
兵助様は幸せそうに目を閉じて私の手を甘んじて受け入れてくれている。
暫く私の手を堪能していたが数分すると私の手首を掴んで顔から離れさせ、繋がれていた右手も離される。
兵助様の左手にはキラキラと光る塊があった。それを自分の口許へやり、私と兵助様の手の間でキラキラ光っていた塊を飲み込んだ。
飲み込むのを見届け、私がもう光に包まれていない自分の右手へ目を離した瞬間に、兵助様の方からズシリと沈む音がした。
「……綺麗……」
其処には、兵助様がいた場所には。
白銀の体に紺の鬣と髭を持つ、兵助様と同じ目をした龍がいた。
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