玉依姫(五年) 2017/12了
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始業式も随分前に終わって、はや2ヶ月。
秋の入りだ。
蝉の声は全く聞こえなくなって朝夕だけでなく完全に秋の空気。
川の畔には気の早い
気付けばAO試験も推薦入試も終わっていて、後は通常のセンター試験が待ち受ける生徒が必死に勉強しているか、就活に勤しんでいるかのどちらかだった。
私は父の会社で彫金師として修行就職することになっているから、クラスのこの空気感をぼうっと他人事のように見ていた。
多分それが気に入らなかったのだろう。
地元では名士や旧家と言われている所のクラスメイトが、ある日突然私の机の前に立って「飯綱さんはいいわね。なぁにんも心配することなくて能天気に生きれて。なんせ狐持ちだものね」なんて大きな声で言い放った。
私は何を言われているのかさっぱりわからなくて、キョトンと彼女を見上げていたら、その友達と言う名の取り巻きが筋書きを読むように口を揃えて罵倒のような言葉をいくつか私に浴びせてきた。
曰く、
「狐持ちだから楽なのよ」
「他人を呪って自分達だけ幸せなのってひねくれてるわ」
「だから御立派なお家なんでしょ?」
「いいよね楽な人生で、ちょっとはわけてよ」だとかなんとか。
沢山言われて訳がわからなくなった。
きっと八つ当たりなんだろうなぁとか思ったけど、初めての事で私はパニックになったし、そもそも狐持ちの意味がわからない。
狐で思い当たるのは三郎様と雷蔵様だけど、あのお二方の事をこの人達が知っているわけがない。
じゃあ、どうして狐持ちなんて。
人から罵倒されたことも悪意を向けられた事もなかった私は、色々ショックで何故だかぼろりと涙を落としてしまった。
すると彼女達は色めき立つ。
彼女達を喜ばせてしまったことに悔しくなり、私は何も喋らずに席を立ち、そのまま鞄を引っ付かんで保健室へ逃げ込んだ。
教室を出るときに、ざわめきがより一層立ったのだけ聞こえた。
そのまま早退した私は父と母が工房にいるのを確認すると、競馬を見ている祖父の目を盗んで自室に滑り込み、制服を着替えてさっさと家を後にした。
今日はお二方は私の前に姿を表さなかったのが幸いだ。
向かった先はこの街で一番大きな図書館。
郷土史料は勿論コアな本から現代や古典文学、絵本に児童書、漫画まできちんと揃っているところで、私は入り口から一番奥にある民族史料の書棚の前で携帯を開いて「狐持ち」を検索してみた。
色々と出てきた結果、それに該当しそうな本の題名を探しては目次を開き、棚に戻してはまた開きを繰り返して、何度目かの作業の後やっと目当ての一文が目に留まった。
「……狐憑き、……狐に憑かれた人、ないしは狐を使役して他家を呪ったりする……俗に狐持ちやイサキ……」
ああ、そういうことか。
つまり私は、狐を使って他人を陥れ、楽して生きていると言われたのか。
でも待って。どうしてそれが私に言われるの?
だって私は、狐持ちでもないし、使役だってしてないのに。
頭に一文を叩きいれた私は足早に図書館を後にして、また自分の家へ戻って祠の前に立ち尽くした。
この祠、なんの祠なんだろう。
祖母は熱心に
あの稲荷神社と同じ様に。
そうして母や私には、絶対に近寄らせなかった。
何て言っていたっけ。
「…………外の、子だから……?」
それだ。外の子。
祖母は母と私にそう言っていて、外の子だから祠には近付いてはいけないよ、と言っていた。
意味は良くわからなかったけれど、優しい祖母が言うのなら素直に従った。きっといいことではないから別に近づかなくてもいいと思っていたし、神社では熱心に私の健康について祈っていたから特段祠は気にならなかった。
祖母が亡くなったとき、祖父が親戚や父とあの祠の話をコソコソしているのは気になったが。
一歩近付いて、祠をまじまじと見る。
今この祠は三郎様と雷蔵様の依り代のようになっているらしい。
一般的な作りの小さな社で、その扉の前には御神酒入れと供え棚と、私が先日入れ換えた樒が青々と飾られている。
祠って、何かを祀るものだよね。
家には神棚も仏壇もある。
神様を祀ってるなら家の中の立派な神棚で充分な筈だ。
だと言うのに、
まさか、もしかしたら。
あの子達はなんの理由もなく私に言葉を浴びせたのじゃなくて、きちんと裏付けがあって言ったのではないのか。
心臓がばくばく鳴り初めて、嫌な汗をかく。
そろりと手を伸ばして、指先が祠の取っ手にかかった瞬間、横からパシリと小気味いい音を立てて手首を捕まれた。
「弥咲、何をしようとしているの」
雷蔵様が、ふわりとした笑顔ではなくて無表情で私を諌めるように見る。
捕まれた手首は痛くはないが、酷く熱い。
「あ、……雷蔵、様」
「ダメだよ。そこを開いては」
金の瞳が、茶色の瞳孔が、痛いくらいに見てくる。
震える指先をそろそろと下げ戻すと、雷蔵様の手も私の手首から離れた。
「ご、めんなさい……ごめんなさい……」
どうして謝るのか、わからない。
けれど、雷蔵様が怒っているのだと思ったから、口をついて謝罪の言葉が飛び出した。
すると雷蔵様がふう、と溜め息をついてから、頭をポリポリと掻いて困ったように見下げてくる。
「…好奇心は結構だけど、お祖母ちゃんからダメだと言われていた筈だよ」
「まあ本来は近付くな、だったが…私達がいるからそこは目を瞑ってくれるだろうがな」
突然上から声が聞こえて、驚いて祠を見上げればいつの間にかに三郎様が何時ものように祠の屋根の上に腰かけていた。
足首だけをクロスさせ、何かを考えるように頬杖をついたまま私を見下げる。
私が名前を呼ぼうと口を開けた瞬間、三郎様が幾秒速く口を開いた。
「何を聞いて、何を知って、何が知りたい?」
その言葉は、見事に私の心臓を激しくする言葉だった。
私の視線は揺れ、数回、三郎様と空を行き来する。
まるで三郎様は私がどうして祠に近付いたのか知っているようだ。
隣の雷蔵様が、ふう、と息を吐き出した。
「人の世界は難しいね。悩んで、転んで躓いて、起き上がって歩き始める。人生は平坦ではない。僕達神と呼ばれるものは、どうあっても平坦なんだ。だから、その複雑な道が羨ましくも感じるよ。ただ、……人を呪う気持ちだけは、あまり羨ましくはないね」
「……の、ろう……?」
私は急に出てきた不穏な言葉に驚き、三郎様と雷蔵様を交互に見た。
すると三郎様が祠の前に降り立ち、社の小さな扉を指差す。
「あの中には呪物が入っている。お前は見てはいけない。玉依姫ならば最悪取り込まれる。私達はお前にそうなってほしくないから警戒するんだ」
あの中には、そんなものがあるの?
どうしてそれが私の家の敷地内にあるの?
私の祖先は何を、していたの。
震える唇を開いて、私は恐る恐るそこへ音をのせた。
「……、狐、持ちって……言われたんです……意味が、わからなくて……けれど、調べたら狐憑きとか…他家を呪って楽に生きるとか……わ、私、身に覚えがないことでいきなりそうやって」
話し出すと止まらなくて、それと同時に涙も溢れて止まらない。
雷蔵様が優しく私の頭を撫でてくれて、その掌を甘んじて受けていたら、三郎様が私の頬を両手で挟み込んで私の顔を少しだけ持ち上げた。
「人の嫉妬は醜い。お前は何も悪くないのだから、気にする必要は全く無いんだ。私達がお前にツいている。確かにお前の家は昔は狐を使役していた。しかしそれもお前の四代前で終わっている。それからはお前の祖母がやっていたようにこの祠で使役した狐を祀り、宥めていた。その折にお前が産まれ、私達がお前には玉依姫の素質があると見初めた。弥咲、お前は何も悪くない。そう言う星の元だったんだ」
つらつらと、綺麗な声で三郎様が私に言い聞かせるように言葉を紡ぐ。
それはストンと私の胸の底に辿り着き、なぜか妙に私を納得させてしまった。
私は、悪くないのか。
ただの八つ当たりで、気にすることはないんだ。
ぱた、ぱた、と涙が地面を叩く。
「でも、三郎様……私は…やはり弱い人間なんです……敵意を向けられるのは、……」
其処まで話して、私は口をつぐんでただ静かに二方の間で泣き晴らした。
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