玉依姫(五年) 2017/12了
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初めて会った時は、残暑の時だった。
ずっとずっと昔、物心ついた時から祖母に連れられて御参りしていた小さな御社に赴き、初めて一人でお神酒と稲荷寿司を御供えした。
高校生活最後の夏休みの最終日を、その稲荷社に当てた日だった。
境内を持って来ていた竹箒で掃き、ゴミ袋に気が早い落ち葉や木の枝、蝉の翅を詰め込んだあと、手水舎の苔を落としてお賽銭箱を水拭き乾拭きと繰り返して一息着こうと本殿の階段に腰を下ろす。
木々で覆われている神社であっても動き回れば暑く感じ、パタパタと手で自分の顔を仰ぎながらザワザワと木の葉の擦れる音とツクツクボウシの声を聴いていると、本殿の奥から「よく働くな」と声が聞こえた。
驚いて後ろを振り返ってもそこには誰もおらず、空耳、と思いながら正面を向けば目の前に金の髪に白い布を顔の前に垂らした人がいた。
「ひ、っきゃあ!!」
思わず叫んで階段から転げ落ちそうになれば、横から急に手が伸びてきて、私の体を支えてくれた。
その私を支えてくれた人も、金の髪に白い布を顔の前に垂らしている。
「大丈夫? 三郎ダメでしょう。幽霊みたいに驚かせたら」
「いや…雷蔵のも割と怖いと思う…」
二人がつらつら言い合うのを聞いて、私は煩い心臓をやっと落ち着かせる。
すると今度はムカムカと腹が立ってきた。
「どっちも怖いんですけど!! 誰ですか?!」
神様へご奉仕をしていたのに、どうしてこんな訳の分からない人たちに驚かされなきゃいけないんだ。
そう思って支えられていた腕を振り払い、距離を置いて二人を窺うと、雷蔵と呼ばれた人が立ち上がって三郎と呼ばれた人の横に並んだ。
二人とも全てが一緒で、宮司さんが着ているような白い服を着ている。
白と金の配色の二人にぞわぞわとしていると、もうどちらがどちらか解らない二人の片方が首を傾げた。
「私達が見えているから、正体は解っているのだと思っていたが」
「見えて…いる?」
言い方に含みを感じて、私の首筋の裏に汗が伝う。
神社。急に表れた。それで、声は後ろからだったのに、正面に。
サアと血の気が引く。
「……どう、しよ」
すとんと腰が抜けたように本殿へ続く階段の中腹で座り込んだ。
昔から、変なモノはよく見えていた。
黒い靄から人の形をして揺れているものや、視界の端でうぞうぞする何かとか。
けれど全て会話はしなかったし、祖母がそういったものを見つめてはいけないし深追いしてもいけないと言っていたから、守っていたのだ。
今までは鳥居を潜ればこの神社には何もいなくなっていたし、安心していたのに。
祖母も幼い時から熱心に手を合わせて「孫を御守ください」なんて言っていたから、此処は私の
私は今、初めてこの手のものと会話をしてしまった。
死んだ祖母が恋しくなる。
どうか守護霊として私の傍にいてください。
祈るしかできない私がガクガクと震えていたのを見兼ねたのか、二人の片方が右手をゆるく上げて、その顔を隠す白い布を摘まみ、持ち上げようとする。
「…や、やだ、やめて…」
その下はきっと怖いものがあるかもしれない。
その顔を見れば私は後戻りできなくなるかもしれない。
ボロボロと涙がこぼれて、見てはいけないと思っているのに目が離せない。
すると摘まんだまま暫くジッとしていた彼が、肩を震わせて笑い出した。
「ク…フ…アハハ、大丈夫だよ。そんなに怯えなくても。僕等は悪い霊ではない。この社の御神体といえばいいのかな。つまり稲荷社の
「双子稲荷社。鳥居の根元に彫ってあるだろ? だから私達二人で出てきたんだよ。別にお前に悪さはしない。日頃の感謝を込めて挨拶を、と思っただけだ」
朗々と話す二人は、笑いながら勢いよく白い布を剥いだ。
剥いだ下にある顔も全く同じ。
本当に双子の様に瓜二つだ。
私は怖さなんて吹き飛んで、パチパチ何度も瞬きをする。
所謂幽霊は何度も見たけど、神様? なんて初めて見た。
そもそも、本当に神様なのだろうか。
いやでも、此処は確かに双子稲荷社だし。
「僕等は二柱…二人合わせて
「双生…はく、みけつ…?」
何が何だかわからない単語ばかりだ。
目を白黒させていると、「私」と呼ぶ方がしゃがんで私と目を合わせてきた。
「私は三郎。こっちは雷蔵。そう呼んでくれ。お前はいつも私達の為に祈り、清掃をし、供物をくれた。その恩を返したい」
「僕達神と呼ばれるものは、人々からの信仰があって初めて成り立つんだ。それに、色々と荒れていると荒魂となってしまい、和魂の神としてここ等を守護することもできなくなる」
「こんな辺鄙なとこの社だからな、なかなか参拝客はいないのに、お前とお前の祖母は欠かさず来てくれた。まあ、礼だ」
二人が交互に話し終えると、私はやっと頭の整理が出来た。
つまり本当に彼らは神様で、しかも私とお祖母ちゃんのおかげで神様としてやって来れたということか。
じゃあ、本当に、怖いものではない?
恐る恐る立ち上がって、一段だけ降りてみる。
すると雷蔵様のほうが手を差し出して、にこりと微笑んだ。
稲穂のような金の髪、白い肌、瞳も金で、縦に茶色の筋の様な瞳孔がある。
目尻には赤色の線が引かれていて、雷蔵様の左耳には紺色の組紐の様な耳飾りがあり、三郎様は同じ耳飾りが右耳にある。
見た目は青年だが、浮世離れした不思議な雰囲気を纏っているのは神様だからなのか。
静かに、雷蔵様の手の上に自分の手を預けた。
暖かいその手は、人間の体温のようだ。
「理解できたみたいで嬉しいよ。さて、弥咲。お願い事は何がいい?」
「一つしか叶えんが、なんでもいいぞ」
雷蔵様と三郎様はにこにこ笑うが、私は自分の名前を呼ばれたことに驚いた。
驚いたことが顔に出ていたのか、三郎様がにんまりと笑って私を覗き込む。
「知っているにきまっているだろう。昔から見ているんだ。お前が生まれる前から、お前の家を見てきているのだから」
そう言うと、一先ずそこに転がっているゴミ袋を片付けるか、と三郎様は歩き出す。
我に返った私は慌てて雷蔵様の手を離して、三郎様を追いかけ、ゴミ袋を持って「捨てます!」と叫ぶ。
すると雷蔵様は思いの外笑い転げて、「うん、じゃあゴミ捨て場まで一緒に行くよ」と笑いを堪えながら必死に伝えてきた。
「…御ふた方様は、この神社を抜けていいのですか?」
「ああ、基本的に神社は私達神の家ではあるけど、それも依り代のようなものだ。ご神体と呼ばれているアレも、私達が降霊するためのものだな。人と言うのは対象がなければ拝むことができないのか知らんが」
「違うよ三郎。目に見える対象があれば拝みやすいからでしょう。僕等だって狐の姿をしているけど、狐でも何でもない。信者がそう信仰するから神としてそう模られていくんだもの」
私はゴミ袋と竹箒を持ちながら、二人の話をふんふんと聞いていた。
神様直々にお話を聞けるのはまずありえないと思っていた上に、私の知らない事情まで話してくれる。
鳥居を潜った私が後ろを向いて本殿の方へ頭を下げれば、ついてきていた二人はキョトリとした。
「それ、前から思っていたけどどうしてするの?」
「え…どうしてって…鳥居は下界と神域を隔てる扉で、入るときはお邪魔します、出る時はお邪魔しましたの意味で頭を下げるのよって祖母から聞いて…」
私がたどたどしいながらも伝えれば、三郎様が感心した様に声を上げる。
一緒に階段を下りて近くの赤いポストの向こうのゴミ捨て場へ袋を置いてネットをかけると、これもどうしてかと聞かれる。
人間にとっては神様が不思議な存在だけれど、神様にとっても人間がやることは不思議な事ばかりなのかもしれない。
鴉避けなどを丁寧に伝えた後、私は竹箒を持ち直して頭を小さく下げる。
「それでは、ついてきていただいてありがとうございました。私はこれで」
「ちょっと待って! お願いは? お願いを一つきかないと困っちゃうよ」
「そもそも私達もお前の家に帰るぞ。中継地があるからあそこのが楽だ」
慌ててパシリと腕を取られて、吃驚したのと同時に、私の家が中継地? どういう意味なのか問おうとしたとき、後ろからよく知る男の子の声が聞こえて意識を二人から背後へ回した。
「おーい!
柔らかい茶色の猫っ毛を揺らして剣道袋を背負った同級生の小松
「小松君、久しぶり。今…」
二人の事を言おうとして再び小松君から視線を逸らした時には、既に二人はそこにいなかった。
「あ、れ…」
「箒持って、掃除か?」
「あ…うん…」
きょろりと辺りを見渡しても、小枝が擦れる風の音しかなく、私は狐に摘ままれた様な気持ちで帰路についた。
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