姉上御楼上 2017/04了
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ざわざわと学園が騒がしい。
今日は最上級生達が学園を巣立つ日だからだ。
各々前日に荷物を纏めていたため、皆一様に一年間世話になった部屋を感慨深い表情で見つめるだけだ。
廊下に正座をしたり、地面に足をだらりと下げた姿勢で腰かけて部屋を眺めるその様は、通例のような光景となっていた。
じぃっと自室を眺める彼らは、皆真顔で、笑顔は欠片もない。
この六年間遇ったことを思い出し、これからの未来を見据え、確りと明日から飛び立たなければいけない。
人に成るものは真面目に、忍に成るものは命懸けで生き抜かなければいけない世界が、明日には待っているのだ。
「…どうした」
廊下で正座をして、目を閉じて自室に向かっていた中在家が、左からの気配に反応して、小さく呟いた。
普段なら右隣にいる七松は、朝一で自室を走り回り、ぐるりと大きく見回してから、直ぐに何処かへ走り去ったため居ない。大方体育委員会の面々に会いに行ったのだろうと思い、中在家は何も止めなかった。
声をかけられた立花は、立っているのもなんだ、と思い何も言われずとも音もなく中在家の左隣に座った。
「明日で、本当にお別れだな」
「……寂しいのか」
呟かれた言葉に、立花は眉を上げてから、小さく噴き出す。
クク、と拳にした手の人差し指側を唇に当てて笑いを堪える。
「そう、だなぁ…ふふ。寂しいのかもしれないな…文次郎は寂しくないと思うが」
「…どういう?」
立花の言葉に、中在家は閉じていた目を開けて、相変わらずの無愛想顔で、横に座る立花を見た。
「おや、聞いていなかったか?アレは、此処に残るのだそうだ。なんでも、教師見習いとなるのだと」
「…そうか」
立花の言葉に、普段はあまり動かない中在家の表情筋が幾何か動く。
ふわりと嬉しそうに笑んだ中在家に、立花も何と無く嬉しくなる。六年間も同室だった者の事を喜ばれると、やはり嬉しいものである。
不意に、立花が真顔に戻る。
「…長次…お前は、…」
立花は、言いたそうに何かを歯噛みするが、うまく言葉に言い表せられない、そのような顔をして押し黙った。
暫くその様を大人しく見ていた中在家だったが、ふう、と溜息をつくと、普段中々自分から話し出さないその口を開いた。
「…俺は、…五月の所に行く」
それが聞きたかったのだろう?という様に、中在家が立花を見る。
言葉をかけられた立花は、少しだけ驚くが、「やはりな」と呟くとそのままどたりと廊下に仰向けに転がる。
「長次、この際だから言っておくが、私は五月が好きだったよ」
「…ああ」
「五月がお前を好いていることも知っていたし、お前が五月を好いていることも知っていた。けれど、…凛として、強く美しい、…だけではない…」
立花は腕を自分の目元に押し付け、ゆっくりと深呼吸をする。
脳裏には四年生の衣を纏った五月の横顔が浮かぶ。
酷く降り続けた雨の日に、何が原因かは解らないが、普段から強く美しいと噂の五月がはらはらと泣いていた。初めは雨が頬を流れているのだと思ったが、目元も鼻も赤いし、通常の呼吸音とは違う下手な息遣いだったことから、「ああ泣いているのか」と思った。
そうしてその光景が頭から離れない。
紫陽花に囲まれて、雨の中泣き続ける五月は酷く綺麗で、それでいてとても儚かった。
一年後に、なんとなく「私は五月が好きなのだろうなぁ」と思ったものだ。
その時には既に五月と中在家の関係も気付いていた。
「…嗚呼…、…長次」
「…どうした」
立花はガバリと起き上がり、潤んだ瞳で中在家を見た。
「幸せになれ。でなければ私はお前を恨むぞ」
そう言った立花はすくりと立ち上がり、そろそろ出る、と呟いて自室の方向へ去って行く。
残された中在家も、一瞬目を丸くしていたが、すぐに深く笑み、自分も風呂敷に包んだ手荷物と七松の手荷物を抱えて歩き出した。
***
「滝ちゃん」
「姉上、道中お気を付けください。途中の宿場と家につきましたら必ずすぐに文を下さいね」
「ええ」
荷は全て前の日から少しずつ実家に運んでいたので、今日は殆ど路銀しか持っていない五月は、早くても半年後にしか会えない最愛の弟である滝夜叉丸の頭を撫で、しっかりと抱き締めた。
その後ろで、町娘の格好をしたツツジと、軽装な秋穂が困ったように笑って立っている。
「五月」
見ていたツツジが、早く出なければ間に合わない、と急かす様に声をかける。
南中までにはこの学園を去らなければいけないのだ。もう後数刻もない。
急かされた五月は渋々ながらもゆっくりと離れ、滝夜叉丸の長い髪をするりと撫でる。
「姉上…、っ頑張ってください!!私も華麗に!美しく!そして優美に頑張りますので!良いですか、今度私が帰った際に、その顔が少しでも窶れていたり青白かったりすれば許しませんからね!髪がパサついていてもですよ!私のっ、この滝夜叉丸の美的感覚の基準から外れることは一切許しませんから!」
肩で息をして言い切った滝夜叉丸に、一同はキョトンとしたが、すぐに穏やかに笑い出し、全員が滝夜叉丸を撫でてから、五月は頷いた。
名残惜しい、その感情が出ぬ前に、と五月達は込み上げる何かを無視して滝夜叉丸に背中を見せて、駆出した。
見る見る間に三人の背中は遠くなる。
残された滝夜叉丸は、ずっとその背中を見ていたが、不意に目の前が真っ暗になる。
なんだ、と一瞬もがこうとしたが、聞き慣れた声によってその動きは止めた。
「もう見てなくていいよ」
「き、はちろ…」
自分の目を、腕で覆い、頭を抱え込むようにしているのは同室の綾部だった。
そうしてすぐに横からまた別の声が聞こえ、頭を撫でられる。
「よしよし、立派にお見送りできたねぇ」
「くノ一と言っても、先輩方は早いな、さすがに。おい滝夜叉丸、お前下級生みたいだぞ」
「そんなこと言って。三木エ門だって鼻赤いぞ」
「ううううっうるさい守一郎!!」
撫でている手は斉藤で、横で騒いでいるのは田村と浜だ。
ぎゅうっと綾部の力が強くなる。
「ねぇ、滝ちゃん。これから大変だけど、一緒にがんばろー」
「五年生は実技が多くなるからな。まあこの私にかかれば問題はない!」
「でも三木エ門は、潜入捜査とかには向かないよな」
「一言多いぞ!」
「あはは、まあ、ね。滝夜叉丸、皆で頑張ろう。お姉さんを追い抜くために」
斉藤の言葉に、皆の言葉に、滝夜叉丸は口元が震えた。
徐々に目が熱くなり、ぎゅっと綾部の腕を掴む。
滝夜叉丸は頷くしかなく、もう何も声には出せなくなってしまった。
おめでとう、待っていてね。
了