姉上御楼上 2017/04了
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学園内は冬に積もっていた雪が氷となり、柔らかいものは溶けてしまっていた。
くのいち教室の傍に佇む緋寒桜や梅は、ぽつぽつ蕾を膨らませ、一輪、二輪であれば花を開いているものもある。
そろそろ春が来る。
「先輩、こちらを向いてください」
まだ声変わりをしていない、高めの声で呼ばれた五月は、何とも言えない表情でゆっくり振り向いた。
本来であれば、喜んで振り向くのに、と五月は、振り向いた先、浦風の隣で笑む群青色の二人に恨み言を内心で飛ばす。
「…浦風君…」
「どうでしょうか?似ていますか?」
とても真剣な眼で訴える浦風に、五月はため息を我慢した。
「似ているでしょう?だって私が頑張って作ったのですから」
「本当そっくりですよねー、小さい五月先輩みたいで可愛い」
鉢屋と尾浜がにこやかに告げると、五月の表情はムスリとする。
「貴様らがやったというのが腹が立つうえに、なぜ浦風君のように地で可愛い子に私の顔を上塗りするのかが皆目見当もつかないし、何よりやはり腹が立つ」
うんざりした声で浦風以外に嫌悪の目線を向ける。
なぜ自分の顔を鏡でもないのに見なければいけないのか。
それなりに自分の顔は綺麗になる様に努力はしているが、それは全て滝夜叉丸と少しでも外見を寄せる為であって、褒めて貰う目的ではない五月にとって、自分の顔の美醜に関しては特に思うこともなかった。
強いて言うのであれば、滝夜叉丸が「私の姉であるのであれば」と言うのならば綺麗な顔でいた方がいいのであろうなと、それだけしか思ったことがない。
そもそも五月は自分が信用に足ると思った人間からの評価しか気にしなかったため、どれだけ外野が「綺麗だ」「美人だ」「鬼のようだ」と言おうが無視してきた。
そもそも「鬼のようだ」は褒めているのかすらわからないが。
「…なぜ、私の顔なの」
「はい!それは翌日に控える女装実習の予習のためです!私、一日だけの女装で物を買ってもらうのは地の顔で合格したことがあるのですが、今回は城の下女となっての武器庫の調査なのです」
五月の顔で、キラキラした目のまま鼻息荒く言う浦風に、五月は少し口元が引き攣った。
私は絶対こんな顔はしない…そう思うが、浦風の左右にいる二人はだらしなく目尻を下げて浦風を見ている。
「かーわいいーなあ…五月先輩もこれくらい表情豊かだったらわかりやすいのにね」
「馬鹿。平先輩がこうも純真無垢な表情でいられたら戸惑いしか生まれない。今のままでも充分お綺麗だろ」
「あっれー?三郎ったらやけに褒めるな。なぁに?もしかして三郎もなの?やめてよ」
「私は勘右衛門達のような感情ではないから安心しろ」
五月にとって鬱陶しいこと極まりない会話を浦風の頭上で淡々と繋げる二人に、五月は心底吐き気を感じる。
「煩いわね。…浦風君、だとしてもなぜ私の顔なの?もっといるでしょう。華やかなのであれば、ユキちゃん、ツツジ。綺麗処ならトモミちゃん、しおり。可愛い処ならシゲちゃん、あこ、秋穂…」
「え、それはわかりません。だって私むぐ!」
浦風が言いかけたところで、するりと鉢屋が浦風の口を掌で覆う。
「すとーっぷ。藤内、予習したよな」
「オイコラ鉢屋」
途端に五月の眉間に皺が寄り、詰る様だった鉢屋も、少し大人しくなってすぐに浦風の口から手を引いた。
「全く、お前、浦風君になんてことをしてくれるの。…大丈夫?」
「あい、平気です…えっと、その、なんで先輩のお顔をお借りしたのかですが、それはくのいち教室で一番、文武共に優秀な先輩だからです!お守り的な…?」
浦風が、空を見ながら何かを読み上げるように言ったが、あまり突くのも浦風が可哀想だと思い、五月は少し黙った。
どうせ二人に言わされているのだろうなと見当をつけ、そっと浦風の唇に指を這わせて、少し強くその紅を拭った。
「あっ」
浦風が声を出すのと、鉢屋がショックで固まるのと、その行動いいなぁとねだる顔で見詰める尾浜はほぼ同時だった。
五月はにこやかに浦風に話し掛ける。
「いい、浦風君。あなたはまだ男性ではないのだから、そのままでいきなさい。化粧をすればうやむやに出来るわ。肩幅もさしてわからないし、喉も出ていない。声も低すぎないし、眉も凛々しい訳ではない。そのままで大丈夫よ」
話ながら、五月は浦風の頭巾を取り払い、髪紐を解いた。
そのままゆっくり丁寧に手櫛で髪を漉き、浦風の少し外跳ね気味の毛先を撫でる。
「いーなー」
尾浜の声が聞こえた瞬間、それまで呆然としていた浦風は、ぼんっと音が出るのではないだろうかと思うほど一気に首まで赤くなった。
「ああ。浦風には少々刺激が強すぎたようです。平先輩」
「あー!いーなー!!!俺もされたーい。ねえ五月先輩、髪撫でてくださいよー」
真っ赤になった浦風の目元を鉢屋が頭巾で覆うと、浦風は途端にきゅぅううと小さくなるようにしゃがんだ。
最近やたらと煩くなった尾浜は無視をして、五月は浦風の手に浦風の頭巾と髪紐を握らせてから立ち上がる。
「刺激が強すぎたって、女に触れて慣れなければ四年に上がった際の色の授業でぶっ倒れちゃうわ。浦風君、いい?これは来年の予習よ、女の人と触れ合うのも予習なのだから、今後は徐々に増やしていきなさいね」
少し厳しく、けれどかなりやんわりと五月は真っ赤になってしゃがむ浦風に助言をした。
予習と聞いた浦風はちらりと頭巾をずらして五月を見て、「予習…」とポツリと漏らす。
きっと彼は今、色々なモノと戦って葛藤していることだろう。
その様子に、五月は満足気に頷くと、未だピーピー煩い尾浜の額に薄板くらいなら割れるのではないかと思えるほど強烈なデコピンを繰り出した。
凄まじい音に、思わず浦風は同じくしゃがんで自分の横にいた鉢屋の腕にしがみついてしまったほどだ。
「いいったあぁあ!!ちょっと五月先輩!?」
「煩いのよ。ほら、貴様の望んだ通りに構ってやったのだから喜べ」
「望んでたけどこれはちょっと違います五月先輩!」
涙目状態の尾浜に、五月は満足したのかそのままさっさと遠ざかってしまった。
「だあー……行っちゃった」
「はあ、お前なぁ…構ってアピールが過ぎるぞ」
浦風の目を覆っていた頭巾を外し、浦風を立たせながら鉢屋は呆れた声で投げ掛ける。
浦風は素直に鉢屋の手を取って立ち上がると、「予習、女の人と、予習…地の顔、化粧をすれば……」とブツブツ呟く予習魔に変わっていた。
ちょっと引き気味に鉢屋がそれを見ていると、尾浜が後ろで「だってさ、」と呟く。
「なんだ」
「なんか、三郎、五月先輩となんとなく近い気がするんだもん。あまり普段話さない癖に、いざ話すと…、最近は特に近く感じる。五月先輩も、何と無く三郎には鋭すぎる刺がない」
俺そんなの焦っちゃうよ、とへらりと笑う尾浜に、鉢屋は妙な顔をした。
それは将来の雇用先かもしれないからで、と思ったが勿論言うつもりも何もない鉢屋は「考えすぎだろ」と受け流した。
尾浜は唸って鉢屋を見たが、廊下に響いた今福の声でその固まった空気は霧散した。
「見付けました!尾浜勘右衛門先輩!鉢屋三郎先輩!!」
息巻く後輩に、二人はへらりと笑顔になる。
近くで妙な空気を体感していた浦風は、その変わり身の早さに少し腹の底が冷えた。
「彦ちゃーん、どしたの?」
「俺たちを探していたのか?」
「そうです!すぐに学級委員長委員会室へ来て下さい!学園長先生がお呼びなんです!」
走っていたのか、頬を真っ赤にして言う今福に、尾浜はへらへら笑いながら今福の頬を撫でくりまわして頷いた。
「じゃあ、いかないと。呼びに来てくれてありがとうね彦四郎」
「彦四郎、お前は浦風と一緒に立花先輩の元へ向かってくれるか?浦風の用事に付き合えば、今後の勉学の励みと予習に繋がるぞ」
そう言うと二人はさっさとその場を後にした。
浦風は消えた二人の背中を思い出しながら、近付いてきた今福にポツリと「なんで上級生はみんな顔に出さず、腹で話すんだろう」と溢した。
今福だけが、訳がわからないといった顔で取り残されていた。