姉上御楼上 2017/04了

お名前を

滝夜叉丸の姉上
姉上




雪がしんしんと降り続け、学園は雪化粧を纏い、椿も山茶花も、全て白くなっている。
部屋の中には火鉢の中で炭が爆ぜる音が何度も聞こえ、その度に室温は暖かくなる。

静かに薬研を動かし、乾燥させてあった毒草を磨り潰して溶けやすいようにする作業は、大分と単調で少しばかりの眠気も襲う。
五月は火鉢にかけてあった鉄瓶を持ち、絵皿の上に少しだけ湯を垂らす。そこへ粉になった毒草を刷毛で落とし、ゆるりと練り混ぜる。
透明だった湯の色が段々と得も言えれぬ色になるのを確認すると、そこに小筆を浸して寸鉄と忍刀の刃へ塗り込めていく。
それが妙な臭気を発するのを口布越しに感じて、五月は少し眉を顰めた。
ちゃっちゃと塗り終えれば、盥にはってある水の中へ、絵皿や筆、刷毛や薬研を全て投げ込んだ。

水に放り込んで一息つき、口布を首元へずらして障子を開ける。

見事に庭は真っ白で、汗ばんだ口元には少し涼しい。しかしそれも風が吹かねばのことであり、一陣吹けば途端に足先が凍るような感覚に落ちる。

ふ、と五月は子供時分に見た狂言を思い出す。

その日も寒い冬だった。
暗い冬に塞いではいけないと、父が狂言師達を呼んで集めたのだ。
まだ幼い滝夜叉丸にも解るようにと、なるだけ優しい笑い話ばかりで面白かったのを覚えている。
暫く滝夜叉丸は蝸牛ばかり探しては「うちわろう、うちわろう」と謡っていた。


五月先輩~」


幼い頃の滝夜叉丸に微笑んでいれば、庭先から鼻の頭を真っ赤にした山村と、その山村に手を引かれている下坂部が五月の元へ雪を踏み鳴らし歩いてきた。
冬の装いのその様は、子熊のようだ。


「喜三太君、平太君!こんなに寒くて雪深いのに、くのいち長屋まで来たの?早く部屋に入って暖まって!お鼻も頬も真っ赤よ」


五月が障子を開け放ち、火鉢に炭を追加する。
その間に山村と下坂部はぎゅっぎゅっと雪を踏み鳴らし、縁側について深靴を脱いだ。


「お邪魔しまぁす」

「お…お邪魔、します」


顔を真っ赤にしたままへらへらと笑う山村に続き、おどおどしながらも部屋へ入り、火鉢に近づく下坂部。こちらはあまり赤くなっておらず、鼻の頭と耳の先だけが朱に染まっている。


「蒲公英、蓬しかないのだけれど、どっちがいいかしら?」


二人が火鉢に手を翳すのを見てから、五月は飾り棚から笹包を出して団子を皿に取り分けた。


「平太ぁ、何がいい?」

「え…なんでも…喜三太は?」

「ええ~。じゃあ僕、蒲公英さんがいいなぁ」

「じゃあ僕も、それで…」


ふわふわした会話をしながら、山村と下坂部は五月へ茶の種類の注文をする。


「蒲公英ね。少し待っていて」


湯を湯呑に流して暖めている間に、五月は手際よく乾燥蒲公英を茶漉しに入れる。
暖めた湯呑から湯を捨て、茶漉しを落ち着かせてその上からゆっくりとお湯を注ぐと、香草のような妙な香りが部屋に広まる。


「どうぞ。このお団子もほんのり甘くて美味しいのよ」

「わぁい、ありがとうございます五月先輩」

「ありがとう、ございます」


やはり用具は天使が多いわね、と五月は悶えながら、障子を閉めて火鉢に近付いた。


「それで、どうしたの?二人がこちらに来るのは珍しいわね」


ずず、と音を立てて飲んだ山村は、「あちっ」と小さく零す。
それを横目で心配そうに見ながら、下坂部は口を開いた。


「あの、…もうすぐ卒業される食満先輩に…何か贈り物をしようということになって」

「それで、僕達三人で提案、買い出しは富松先輩と守一郎さんに頼もう!ってなったんですよぉ」


可愛い一年からの言葉に、少しばかり食満に対して嫉妬が芽生えたが、五月は至って普通の笑顔で二人を見る。


「それはとっても素晴らしいことね!寧ろ食満の為にそんなことしなくても…三人、と言ったけれど後一人は?」


そうだ、二人は可愛らしくちょこりと座り、団子を必死に食んでいるが、もう一人の一年生、福富が見えない。
小さくても存在感のある子なので、見落とすはずはないのだけれど、と五月は障子に少しだけ目線をずらした。


「しんべヱは今お餅を食堂のおばちゃんに詰めてもらってまーす」

五月先輩と、お餅焼いて食べよう…と思って」

「まあ…!」


可愛がっている子たちからの可愛い提案に五月は思わず口元に手をやり、緩む口を隠す。
暫くすると、どたどたと足音をさせて廊下から障子に声がかかる。


「せーんぱーい!一年は組、福富しんべヱですー」

「はぁい」


障子を開ければ、両手から零れる程の袋を抱えている頬の赤い福富がいた。
のそのそと室内に入り、火鉢に近付いて下坂部へ餅入りの袋を渡せば、キラキラした眼で火鉢前に並ぶ団子を見る。


「随分沢山、もらってきたね…」

「わあ~、ほんと!いっぱいあるねぇ」

「しんべヱ君、直ぐにお団子出すから待っててね」

「はい!」


袋を漁って中から餅を七つ出し始める下坂部と、袋の中の餅の数を数える山村。
涎を垂らす勢いの福富に、五月は急いで団子を三本用意して差し出すと、一気に二本、福富はぺろりと平らげた。


「おーいしー!五月先輩!これとってもおいしいですね!」

「本当?しんべヱ君に食べ物を褒められると嬉しいわ。私はいいから、全部食べてね」

「はい!いっただっきまーす!」


お茶を淹れながら五月はにこにこと笑い、福富の食べっぷりを見ていると、下坂部がちょい、と袖を引いた。


「これ…今焼いて、一緒に食べませんか?」


両手に餅、膝の上にはいつのまに持ってきていたのか、網まで用意されてる。


「ふふ、勿論よ。一緒に食べましょう」


火鉢の上に網を乗せ、少しだけ椿油を刷毛で塗り、餅を四つ並べた。
残り三つは福富のであるというので、懐紙に取り分けて網があくまで包んでおく。


「お醤油持ってきたらよかったな~」

「はにゃ?なんで?」


焼ける餅を見つめながら、福富が漏らせば、山村が首を傾げる。下坂部も不思議そうだ。


「しんべヱ君、お餅にはお醤油派なの?」

「はい!パパがお醤油かけてくれるんです~」

「すごーい!お餅にお醤油なんて贅沢、僕のとこじゃ出来なかったな~…」

「僕も…焼き餅だって贅沢なのに…」


醤油は高いのでそれを買うのも使うのもなるだけ憚られる。
その上年末年始にかけて出される餅も、純粋な糯米の物は高くて殆ど手に入らない。
基本的に町や村で売られているのは里芋や栃が入ったなんちゃって餅ばかりだ。それを雑煮にして食べるのが通常だが、一部の富裕層、つまり武家や大商人などの家庭では今回目の前にあるように糯米の白餅が食べられることがある。
学園においては、学園長がハレの日の時節にはと、生徒の為に大枚を叩いて糯米を購入し、上級生や教師勢で餅つきをするのが習慣となっていた。


「そっかぁ、そうなんだね…僕、お餅を食べられるのもお醤油掛けるのも普通だと思ってたよ」

「も~しんべヱそんなこと言うからみんなにしらーってされちゃうときあるんだからっ、気を付けてね!」


少しだけ肩を落とす福富に、山村はあまり富豪発言はしないようにと注意する。
下坂部はいつもの事なのか、さして二人の様子を気にせず、少しぷくりとしてきた餅に興味津々だ。


「しんべヱ君は素直なのよ。そこがとてもいい所なのだけれど、こういった様々な家庭が入り混じる場ではあまり自分の身の上を明かさないほうが賢明ね」


ここに悪用するような馬鹿者はいないとは信じているけれど、と五月はやんわりと注意をし、全員分のお茶を淹れ直す。


「…贈り物」


ぽつり、と下坂部が餅を見ながら呟く。
その言葉に、二人はハッとして五月に向き直った。


「食満先輩にあげるもの、何がいいと思いますか~?僕は食べ物がいいと思うんです」

「なめくじさんグッズとか喜ぶと思うんですけど、どうですかぁ?」

「…お花とか…ダメなの?」


三者三様、見事に意見が食い違う。
五月は餅の様子を見ながら唸る。


「そうねぇ、喜三太君のなめくじさんグッズは…それは喜三太君が自分にご褒美としてあげてね。お花も、アレには似合わないし勿体ないわ。食べ物は無難だけど、潮江と同じで食満も特に頓着ないんじゃないかしら」


ぷくり、餅の表面に気泡出来て膨らんできた。
じわじわと焦げ目がついて見る見るうちにそれは膨らむ。
下の方を箸で転がせば、綺麗に網の焼き目が見えたので、五月はそのまま餅を掴んで各々の皿に取り分ける。
そして再び薄く油を塗ってから残りの餅を置いた。


「うわぁ、おいしそぉ」

「いただきまぁす」

「あつい…」


三人は目の前の焼き餅に目を輝かせ、もう既に頭の中に食満への贈り物の話はとんでいったようだ。
五月は苦笑しながらも、自分の分は一口食べ、一応何がいいのかを考える。
しかし考えれば考えるほど、自分は食満について何も知らないことが解り、可愛い一年生達の力になれないという事実が浮き上がってきた。


「お~いし~!!」


福富の幸せそうな声で思考の海から帰った五月は、箸を置いて幸せそうに必死に焼き餅と格闘する三人を見る。


「け、食満と仲のいい、善法寺には聞いてみたかしら?」


苦肉の策、同級生に頼るなどしたくはなかったが仕方がない、と五月は食満の同室でもある善法寺の名前を出す。


「んぐ……考えたんですけど…でも、善法寺先輩に聞くと…」


下坂部が意外に大きな塊を飲み込んでから、いつもの青い顔になって言い難そうに口をもごもごする。
しかしそれを代わりにと、言葉尻を繋いであっけらかんと山村が言い放った。


「善法寺先輩だと、うっかり食満先輩に漏らしちゃうかもしれないので相談しないことにしました」

「喜三太…はっきり言い過ぎ…」

「はにゃ?」


下坂部が慌てたように山村へ、メ、と指を突き出すと、山村は全く理解できない風に首を傾げる。


「いいのよ平太君。喜三太君は正しいわ。善法寺の事ですもの、不運だとかでうっかりバラすわね。それを見抜いて相談しないなんて、三人は偉いわ。なんで私、善法寺に頼ろうなんて思っちゃったのかしら…」


藁をも掴む思いだったのね、と呟く五月に遠くで「本当に失礼だよ!?そんなヘマしないんだから!」と叫ぶ声が聞こえたが無視をした。


「同室がダメなら…長次君は?長次君なら知っているかもしれないわ」


博識の彼を思い出し、五月は今度こそ、と顔を明るくする。
それには福富が挙手をした。


「はいっ。中在家先輩に聞いてみました!僕達の成長だとおっしゃってました!」

「長次君…」


何故親目線、いえ、祖父目線のような助言なの、と五月は目頭を押さえたくなる。
確かに食満の一番喜ぶことはこの後輩たちが立派に育つことではあると思うが、それは贈れるものではないし、この子たちはそもそも餞別として選んでいるのだから、ちょっと的外れだ、と五月は頭が痛くなる。

下坂部が、餅を咀嚼しきってから声を上げた。


「金槌…」

「いいかも!すぅっごくおっきい~金槌!」


福富が小さな腕を目いっぱいに広げて表現すると、五月は思わずパシン、と音を立てて鼻と口を手で覆う。


「喜ぶかなぁ~?食満先輩、金槌持ってるじゃない」

「でもあれも…かなり古いよ?新しいのをあげて、ご卒業されても使ってもらおうよ…」

「うんうん、平太の言う通り。喜三太、金槌にしよう?とっても立派でかっこいい金槌!」

「そう?そうだねぇ」


なんだかんだと三人で問答をし、贈るものを決めていく。


「決まり!金槌を贈ろっか。富松先輩と守一郎さんにも伝えないとなぁ」

「…よかった、早めに決まって…」

「平太のおかげだね。僕と喜三太だけだったら中々決まらなかったと思う~」

「そ、そうかな…」


褒められて照れ笑いをする下坂部に「そうだよ、ありがとう」と喜ぶ二人。
なんて暖かい空間なのだろう、と五月は眩しくなる。

自分も何か委員会に所属していれば、こういったことをしてもらえたのだろうか、と少しばかり下賤な心を忍ばせてしまったが、すぐにそれは取り払い、焼けた餅を福富の皿へ追加してやった。


「よかったわね、早々に決まって。しんべヱ君、焼けたから食べてね」

「わぁい!ありがとうございまぁす」

五月先輩も金槌いいと思いますかぁ~?」

「ええ、食満らしいじゃない。三人とも先輩思いね」


五月の頭の中に、貰った瞬間に男泣きする食満の姿がいとも簡単に浮かび上がる。
周りを後輩が囲み、泣く食満を笑顔で見る、なんて平和な空間なのだろう。


「じゃあ…僕達」

「富松先輩と守一郎さんにお伝えしないといけないので~」

「お餅もお団子もありがとうございましたっ、とぉっても美味しかったです!」


下坂部がぽそりと呟けば、それに続いて山村や福富も食器を重ねて片付け、用意をし、縁側へぞろぞろと動き出す。
福富と一緒に長屋から帰るのか、下坂部がごそごそと深靴を探り、山村へ渡して自分の分も持って立ち上がる。
五月は少し寂しそうにしながらも、三つの背中にまた来てね、と声をかける。


「はい!ありがとうございましたぁ」

「…お邪魔、しましたぁ」

「今度は食堂で僕のオススメランチをご紹介しまぁす!」


ぺこり、と綺麗に並んで頭を下げた三人は、急げ急げと足早にかけていく。
綿足袋なのであまり早く歩くと滑ってしまうために、足早と言っても摺足のままで少し不格好で、可愛いく見える。
五月はその後ろ姿にもニマニマと笑むが、辻を曲がったところでその背は見えなくなった。


「…そう、卒業ね」


後輩までもが、意識をして動き出している。
本人達だけが何かと追い詰められているわけではなかったのかと、五月は少しの寂寥感を感じるが、自分はまだゆっくりと卒業の気分を味わっている場合ではないのを思い出し、またいつもの無表情に戻る。

庭には既に二人分の足跡が消えてしまっていた。





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